6年3組物語 第24話

人質

「聞いたぜ、お前ら…おっ、ほんとだな。すっかりイケメンになっちまってよ」
「うるせえ、この!」
 その場に集まっていた4人の男のもとに、もう1人の男がやってきて軽い口をきいた。
4人の男たちは皆、顔のあちこちに青痣を作り、絆創膏や湿布、眼帯などで傷めた部分を覆っている。
彼らの服装は私服、この近くの高校の制服、どこかの職場の作業着とまちまちだった。
そしてあとからやってきたこの男も、様々な色の塗料が付着したニッカボッカ姿だ。
丸刈りから少し伸びたような短髪を金色に染め、口髭を蓄えている。
彼らは現在の身分こそバラバラだが全員年齢は同じで、中学時代からつるんでいる仲間同士。
そして彼らには、現在同じ組織に所属しているという共通点もある。

「で、どうすんだよ。そのまま集会に出んのか?」
「そんなことできるわけねーだろ!純さんに何言われるかわかったもんじゃねえ」
「『俺らの前にツラ出したけりゃ、やられた分やり返してからにしろ』ってなことだろーな。
…で、だからどうすんだよ?お前らでキッチリやり返すのかよ?」
「それができりゃ苦労しねーんだよ!だからこれからどうするかって、集まってたんじゃねーか」
「あいつ一人にやられたお前らがまた集まってしゃべって、それで勝てるんなら意味もあるけどな…
また同じことの繰り返しになるだけくね?純さんに話して、何人か回してもらったほうが楽くね?」
「バカ、正直に話せるかそんなの!あんなの一人にやられたとかよ…」

 そんな彼らの会話を、物陰に潜んで盗み聞きしている一人の少年がいた。
Y小学校6年3組の男子児童、長村仁だった。
彼がそこを通りがかって偶然耳にした、彼らの口から出た『純さん』という名前。
それは仁の兄、純一のことを指しているものに違いなかった。
長村純一はこの区内一体を仕切る不良少年グループの幹部であり、あのような柄の悪い少年たちが集まってその名前を出すとしたら
兄貴に関係することを話してるのに決まってる、と仁は確信した。

 その男たちにはその組織に属する上で、仕事をする必要がある。彼らが街で大きな顔をして歩くのに不可欠な、バックの存在。
いわゆる『面倒見』の暴力団員に支払う上納金を捻出するのが、組織の下っ端の役目だ。
金を作るため、一昨日彼ら4人が町内の自動販売機を荒らし、釣銭を盗もうとしていたその最中に、問題の誰かが現れたらしい。
その悪事を咎めた何者かはたった1人、4人組はこんな奴大したことないと踏んで黙らせようとしたが、
黙らされたのは彼らのほうだった…という大体のいきさつが、こっそり話を聞き続けていた仁には理解できた。
しかし、仁がずっと彼らの話を立ち聞きしているのは、兄の名前が出ていたからというだけではない。
彼らが『やられた』という、その相手にもしやとの気持ちが起こったからだ。
高校生やそれと同じ年代の男、しかもあんな喧嘩慣れしているであろう4人を1人であんな顔にしてしまったらしい、その相手。
そんなことができるような奴といったら、もしかしたらあいつなんじゃないか…仁には心当たりがあった。

「兵隊も集められねー、かといってお前らだけじゃ勝ち目がねー。どーしよーもねーと思ったら…」
「なんだよ、何が言ーてーんだお前!」
「俺の知恵を使えば解決すんだよ。要するにあいつをボコりゃいーんだろ?別に正面からやりあうこたーねー。
あいつに手出しさせねーよーにすりゃ済む話でな」
「手出しさせねーだぁ?」
「おう。俺ぁ知ってんだ、あいつの弱点をよ…
お前ら、これから俺の言う通りに、この中坊連れてこい。こいつが、大事な道具になんだからよ」
 新たな知恵があると言い出した5人目の男は、言いながら4人の前に一枚の写真を出して見せた。
そこに写っていたのは、見るからにひ弱な男子中学生の姿だった…


 同時刻、少し離れた住宅街。
「美由紀ちゃん!美由紀ちゃんってば!」
「…」
 幹男が必死になって呼びかけても、美由紀は返事どころか目さえ合わせようとしない。
幹男のことは全く無視して、足早に歩いていく美由紀。
ほとんど走るようにして、追いすがってなんとか相手をしてもらおうとする幹男。
「美由紀ちゃ…」
 ギンッ。
「ひっ…!」
 そのしつこさに対し、無言のまま邪魔だと言わんばかりの鋭い眼光を向けてきた美由紀に、幹男は足を止めて固まった。
「な、なんで……」
 その眼差しに怯えて、追うことをあきらめた幹男。そんな彼を置き去りにして、美由紀はバッグを背負って歩いて行った。
夏休み、美由紀の通う空手道場は昼から稽古が行われるのだ。

 ある日を境に、自分に対する態度が一変した美由紀に、幹男は戸惑った。
全く口もきいてくれなくなり、目を合わせたとしても、それはまるで汚物を見るかのような視線だ。
なぜ急にこんなことになったのか、幹男には全く分からない。
なにせあの時、幹男は気を失っていたからだ。
…そう、美由紀は勘違いをしているのだった。
あの日、公園でこの小さな幹男を偶然見つけて拉致し、散々遊び道具にした谷口姉妹が適当に並べた嘘。
それを聞いて倉庫を覗いたら、その場にいた幹男の破廉恥な姿…
美由紀は谷口姉妹の言っていた最近出没する変質者というのが、実は幹男だったのだと思い込んでしまった。
今まで守ってあげていたのに、見てないところでそんな変態みたいなことをしていたなんて…美由紀は裏切られた気持ちになり、
幹男とは絶交することに決めた。それを直接宣告することさえしたくないほど、嫌いになったのだ。


 美由紀に置いて行かれてから、1時間後。
幹男は蝉の声が響く路地を、トボトボと独り俯いて歩いていた。
今まで守ってくれていた美由紀に、理由はわからないが突然見捨てられてしまった。
元々貧弱ないじめられっ子の幹男。美由紀という後ろ盾があった頃でも様々な相手から理不尽な行為の的にされていたのが、
数多いいじめっ子たちにとって今の彼は今全く無防備な、いじめても何のリスクもないサンドバッグのようなものだ。
その心細さは、今までに全く経験したことのないレベルのものだった。
今にもまた、決闘で痛めつけられた小学生や、美由紀よりも大きなあの恐ろしい双子が現れるかもしれない…

 ザッ。
「!?」
 異様な気配を感じて下を向いていた顔を上げると、幹男は周囲を4人の男に囲まれていた。
「こいつで間違いねーな」
「ああ、写真のガキだ」
 このあたりで最も素行の悪い生徒が多く在籍する高校の制服を着た、短い髪を無理やりベッカムヘアにして栗のような頭になっている男。
タンクトップにハーフパンツ姿からよく日焼けした肌をさらしている、長い髪を細く編み込んだコーンローにしている男。
どこかの作業場の制服なのか、あちこち油の飛び散ったツナギを着た、後ろ髪だけ長く伸ばしている男。
龍の柄が入ったTシャツにスウェットパンツ姿で、眉毛を剃り落したアイパーの男。
ただでさえいかつい恰好をした4人、しかも皆なぜか顔や体に傷を負い、より人相の悪い風貌になっている。
気の弱い幹男がそんな男たちに取り囲まれれば、何の用なのか尋ねることもできずただ縮こまる以外にはない。
 ドズッ!
「うぇ……!!」
 ツナギの男が問答無用とばかりに、幹男の脇腹に膝蹴りを入れた。一発で気を失いその場に崩れる幹男。
「よし、人が来ねーうちにさらえ!」
 動かない幹男は柄の悪い男に担がれ、連行されていった。


 夕方。美由紀が道場から帰路についているとき、1台の50ccスクーターが後ろから追い抜き、前方で停車した。
そのバイクには2人が乗っていて、2人とも原付には大げさに見えるフルフェイスのヘルメットをかぶっていた。
何の用かと心の中で身構える美由紀に対し、後ろに乗っている人物の手からポトリと封筒が落ちると、
その直後にバイクは軽い音を立てて走り去っていった。
落し物…?と一瞬思った美由紀だったが、その誰だかわからないヘルメットの人は明らかにこっちを見て、
自分の姿を確認してからその封筒を落としていったように思えた。
もしかして、何か自分に見せたいものなのか…美由紀は封筒を拾い上げる。
封はされておらず、中身は文書などではなく1枚の写真だった。インスタントカメラで撮られた、独特の縦に長い写真。
「!!」
 美由紀の表情が一変する。その写真に写っていたのは…痛めつけられて血を流している幹男の姿だった。
執拗に暴行を加えられたのだろう、あちこち痛々しく紫色に腫れ上がってすっかり人相が変わってしまっていたが、
それは幹男に間違いなかった。長いこと彼に接してきた美由紀にはわからないはずがない。
そして、その写真にはマジックで書かれたメッセージが添えられていた。
『四丁目の空き倉庫まで来い』

 四丁目の空き倉庫。
数年前までここにあった、某運送会社の支社が使用していたこの場所は、そこの閉鎖後この不良少年グループが入り浸るようになり
しばしば、このような行為に利用されているのだった。
倉庫に、さっきのバイクが帰ってくる。ヘルメットを脱ぐと、テーピングや眼帯に覆われた顔が現れる。
さっき、幹男を拉致した4人組のうちの2人だった。
「行ってきたけどよ…あいつ、ほんとにこんなので来るんだろうな?慎太郎」
「ああ、間違いねー。この鈍くせーチビはあいつに世話されてんだ。こいつ、そこらでイジメられてんだけどよ、
こいつがやられてると大体あいつが助けに来んだよ。で、やってた奴らはボコられる、と…
強ぇー女にお守りしてもらっていい身分じゃねーかよ、クソチビ。あ?」
 この人質作戦を発案した金髪に髭の男・慎太郎は、この4人にさらわせた幹男とあの空手女の関係を説明しつつ、
ボコボコにされた顔のまま椅子に縛り付けられている幹男をさらに小突いた。
荷物など何も残っていない広い倉庫に、5人の男の笑い声が響く。
「ダセェな、お前…」
「誰かに殴られるたんびに、あの女に言いつけて仕返ししてもらってんのかよ。クソくね」
 あの女1人に4人まとめて片付けられた自分たちの惨めさは棚に上げて、抵抗などまるでできない幹男に悪態をつく少年たち。
「そいつがどれぐらいやる奴かとか、そんなもんは関係ねー。
お前の協力で手出しできねーよーにして、俺らが一方的にボコり上げる!それだけのことよ!
お前が頼りにしてるデカ女が、なんにもできねーまんまオモチャにされんの、せーぜー見物してろや!な!」
 慎太郎と仲間の4人が、手に手に物々しい武器を持つ。鈍器から刃物までそろえられている。
人質を取るだけにとどまらず、ここまで凶悪な準備までしていることに、幹男はより震えた。

 なぜか知らないけどある日突然自分を避けるようになり、守ってくれなくなった美由紀。
今日だってこんな目に遭わされても、助けに来てくれるかどうかはわからない。
もし、来てくれたとしても…こんな奴らに勝てるだろうか?
もし、美由紀が勝てずにこの恐ろしい連中にやられることでもあったら、僕はどうすればいいのだろうと
様々な思いに正常な思考もしにくくなりつつあった。

「来たぞ!」
 4人のうちの1人、高校の制服であるチェックのズボンを腰穿きし、半袖Yシャツをだらしなく着た男が
彼らの誘いに乗ってやってきた美由紀の姿を発見した。
(き…来てくれたんだ!美由紀ちゃん!!)
 胸が詰まり、涙があふれてくる幹男。
倉庫の外で窓から覗き、様子をうかがっていた仁も、窓枠を握る手に力がこもった。
彼らの言う相手というのが気になるあまり、仁は彼らをこっそり尾行してここで待っていたのだ。
(や…やっぱりあいつか!)
 仁と同級生の、小野美由紀!彼と仲間の合わせて3人組を、1人で黙らせてしまったあの女。
あの日の出来事が強制的に思い起こされてしまい、夏の暑さによるものとはまた違う汗が噴き出てくる。
(あいつはとんでもねー奴だ…でもさすがにこれまでじゃねーのか……?)
 あの5人組が美由紀を小学生だと知っているのか仁にはわからなかったが、1人の女に対して5人がかり、
しかも全員武器までそろえ、おまけに人質まで取っている。
そして彼らは今さっき、手を出させない状況で一方的にボコると息巻いていた。
確かに仁も以前、あの美由紀には仲間共々ひどい目に遭わされた身であり、憎い思いを持っている相手には違いないが
それでもこの状況には息を飲むしかなかった。いくら空手の有段者であるといっても、ただ負けるだけでは済まされまい。
相手を泣かせばほぼ終わりの、小学生の喧嘩とは次元が違う、不良の世界で彼よりも上のステージにいる男たちの
喧嘩が始まろうとしている。…いや、喧嘩としても成立しない、一方的なリンチになるのかもしれないと仁は胸を騒がせた。
恨みがある相手だとはいえ、同じクラスの女子児童が高校生やそれぐらいの年の男5人に武器で半殺しにされていくのを
見ていられるのか、また見ていていいのか…

「誰かと思ったらついこの前反省させたばっかりのクズじゃない。まだやられ足りないの?」
「は?状況見てもの言えやバカアマが。あの写真見てねーわけじゃねーんだろがよ」
 倉庫の中央にいた5人が少し立つ位置を広げると、彼らの間にもうひとつ小さな人影が現れた。
椅子に座ってぐったりとしているのは、さっき見せられた写真よりもひどく腫れ上がって流す血の量が増えた、幹男だった。
「お前が大事にしてるこいつにも見てもらおーじゃねーかよ!お前が俺らに上等こきやがった罰を下される様子をよ!」
「…」
「動くんじゃねーボケ!ちょっとでも動きやがったら、このクソチビの目ん玉えぐり出す!」
 美由紀が一昨日叩きのめした男たちの中には入っていなかった、初めて見る金髪の男が、椅子に縛り付けられたままの幹男の
パンパンになって塞がっている目を無理やり広げ、そのすぐ近くにまでアイスピックを突き付けている。
 幹男の恐怖心は精神崩壊寸前のところにまで至っていた。
集団リンチみたいなことはこれまでに何度も経験しているが、ここまで悪い連中に監禁され、自由も奪われた上で
数時間にもわたって殴られ続けた挙句に今、人質として鋭利なものを目の前で光らされている、
そんな状況はもちろん経験したことなどない。本当にこのまま失明させられるかもしれない…それどころか殺されるかも…
流行りの熱い少年漫画なら、『僕のことは心配しなくていいからこいつらなんてやっつけろ』などといった台詞が出るところだが
この幹男に、そんなことを言い出せるわけがない。

「やれば?」
「!?」
 美由紀の口から出たあっけない言葉に、5人は耳を疑った。そしてもちろん、人質の幹男はさらに青ざめる。
「お、お前ハッタリとか思ってんのか!こいつマジで刺すぞ!」
「いいよ。なんでそんな奴のために、私が動いちゃいけないの?」
 平然と言いながら、美由紀は足を進めて近づいてくる。

「そんなの、別にどうでもいいもん」
 美由紀は別にさらわれたのが幹男だから救いに来たのではなかった。
前に思い知らせてやったのに、それでも懲りずに人質を取って復讐しようなどと考えたこの弱虫どもに腹が立って、
今度こそ完全に懲らしめようとしただけのことだった。
「み、美由紀ちゃん……!」
 想像もしていなかった冷たい振る舞いに、幹男は奥歯を震わせる。
「…ど、どうなってんだよ慎太郎!話が違うじゃねーか!!」
「そんなはずねーよ…こいつは間違いなくこの女の……」
「オラァ!!」
 予想外の展開に取り乱す慎太郎と仲間1人が言い争っている間、美由紀の後ろに回り込んでいた他の1人が襲い掛かる。
その手には電流の青い光をバチバチと立てたスタンガンが握られている!

 ズバババッ!!
「あがっ!!」

 感電して倒れたのは、その男のほうだった。
美由紀はまるで背中に目でもついているかのように彼の攻撃をかわし、肘の裏に軽く手刀を落としたのだった。
彼の腕はカクンと曲がり、自らの体にスタンガンを炸裂させてしまったのだ。
「無駄よ。1人増えた程度で、どうにかできるとでも思った?4人もいて、私に何もできなかったくせに」
「て、てめー!!」
「こっちにゃ長ぇもんもあんだぞ!ナメんじゃねぇ!!」
「人質が使えねーぐれーどーってことねー!!こーなりゃ囲め!ブチ殺せ!!」
 慎太郎はアイスピックを投げ捨て、ツルハシに持ち替えて幹男のそばから離れ、残りの3人と同じように間隔を取って
4人で美由紀を輪のように取り囲んだ。4人全員が、リーチの長い武器を構えている。
一昨日とは、わけが違う。あのときは全員素手だったから負けたのに過ぎない…
4人で武器を持って一斉にかかれば、たとえ空手をやっている奴だろうとひとたまりもあるまい、そんな考えだった。

 ガン!
 ガン!
「オラ、何かやってみろ!怖ぇーのか、あ!?」
「逃げてんじゃねーコラァ!!」
 金属バットに鉄パイプ、ゴルフクラブにツルハシが躊躇なく次々と振り下ろされ、地面を叩く硬い音が響く。
さすがにこんなもので殴られて平気でいられるはずもない美由紀は、それらをかわして倉庫内を走る。
そんな様子が、逃げ回るのに精一杯で手が出せない情けない姿と見えた彼らは調子に乗って、
囃し立てながら追いかけては彼女めがけて武器を振り回す。だが、なかなか当たらない。
「チョロチョロ逃げんじゃねぇハエが!おとなしく死ねや!」
 しかし、そんな攻防を外から覗いている仁は気付いた。
(あ、あいつもしかして…!)
 少し離れた場所から見ているからこそ、わかったことだった。
美由紀はただ闇雲に逃げていたわけではない。位置を、調節していたのだ!
仁が読み取った通り、彼女を取り囲んでいた男たちの陣形はいつしか崩れ、一つの方向に固まっていた。
殴ろうとすることに夢中になっている彼らはまだ気付いていない。素早く動く彼女を追い回している間に、
彼女にとって攻めやすい位置にまとめられてしまっていることを!
美由紀の目が、キラリと光った。

 高校生の男が、ゴルフクラブを大きく振りかぶる。
そこに初めて攻勢に出た美由紀が一瞬にして懐に入り込み、みぞおちに正拳を突き入れた。
日々のミット打ち、実戦形式の稽古に加えて拳を立てての腕立て伏せなど、数々の鍛錬で培われた
美由紀の硬い拳が、鍛え方の足りないこの男の腹部に深々と突き刺さった。
「げぇえ!!あぐぁがっっ……!!」
 この男はこの後十数分にわたって、最低限生きていられる程度の呼吸しか許されない地獄に喘がされることになる。
もっともそれは、本人にしてみれば何時間もの長さに感じられるほどの苦痛だろうが。
続いて黒人ファッション気取りの男を、彼の握る鉄パイプよりもよほど威力のある回し蹴りが襲う。
大きく弧を描いた、それでいて速い、刀の一閃にも似た一撃に首を刈られ、猛スピードで地面に叩きつけられ男は伸びた。
「ひっ!!」
 次の獲物に定められたツナギの男は反射的に、持っていた金属バットをバントのような持ち方にして顔面を防御した。
 グシャッ…
 その金属バットは美由紀の前蹴りに脆くも折れ曲がり、直轄に折れてできた角が彼の口元にめり込んで
赤い噴水を作りながらその場に潰れた。

 文字通り、瞬く間だった。
事実、窓の外から見ていた仁は、その流れの間一度瞬きをしているうちに、2人目の男が蹴り倒される様子を見落とした。
気付いてみれば早くも3人がKOされており、最初に気絶させられたスタンガンの男と合わせて
一昨日美由紀とやりあったという4人は既に全滅していたのだった。
(つ、強ぇ……なんだあいつ。俺らはあんなのに喧嘩売ったってのか…)
 知らなかったとはいえ、以前彼女にあんな態度を取った自分を顧みて鳥肌を立てる仁だった。

「てめー!!ハッタリじゃねーっつってんだよ!こいつの頭かち割んぞ!!」
 残りの1人となってしまった慎太郎は再び幹男の隣に駆け寄り、握っているツルハシを突き付けた。
「…またそれ?そんな奴別にいいって言ったでしょ」
「う、動くんじゃねーバカ!こいつがてめーの大事にしてる奴かとか、そんなのはどーでもいい!
こいつが今から脳味噌まき散らすとこ、見てーのかって聞ーてんだよ!!」
「あんた、今さっきまで仲間がやられてきたの見て、まだわからないの?」
 スッ。
「うっ!!」
 慎太郎が脅し文句を並べている間に、もう美由紀はすぐそばまで素早く接近していた。
慎太郎が刺すとか殺すとか言いながらモタモタするよりも、美由紀の身体能力でもって間合いを詰めるほうが
よほどスピードがあったのだ。
この距離まで近寄られては、長い武器を持っている優位性などもうない。
「く、くそっ!」
 さらに冷静さを失ってツルハシを振り上げた慎太郎に対し、美由紀はドアをノックする要領で軽く拳を突き出す。
ゴツンという音とともに慎太郎はひっくり返り、あたりの床に鮮血が飛び散った。
彼が起き上がってくる間に、美由紀は男たちが集めていた武器の置き場にしていたテーブルから1本のナイフを取り出し、
椅子と幹男を固定していたロープを切り落として、ナイフもすぐ取りに行けない遠くまで投げ飛ばした。
そして、幹男が座っている椅子を蹴り飛ばす。キャスター付きの事務椅子は幹男を乗せたままその場を離れていく。
これで、慎太郎にとって最大の拠り所であった人質も失われた。

「う…ぐぐ……」
 鼻を押さえながら立ち上がってくる慎太郎。美由紀にとっては軽くはたいたようなパンチだったが、
その出血の具合からダメージは小さくないことは明らかだった。
「てめえ俺にこんな真似して、ただで済むと…」
「もちろん、こんな程度じゃ済まさないわ。あんたみたいなのは、特にムカつくから」
 ドスゥッ!
「がぁっ!!」
 凄みを利かせたつもりの慎太郎だったが、それに聞く耳など持たない美由紀から、太腿側面にローキックを浴びせられる。
呼吸器官から遠く離れているはずの部位なのに、息が詰まってしまう。痛みが脚どころか、体の芯まで染み入り
もちろんまっすぐになど立てない。そこにすかさず、もう一方の脚にも蹴りが入れられる。
今まで不良少年として、命を張って積み重ねてきたはずの喧嘩の数々は何だったんだというほど、
初めて思い知らされる本当の痛みだった。情けなくも、掴まれる場所を探して力なくウロついてしまう慎太郎。
「フン、今まで大したことないのとばっかり喧嘩っていうか、数でリンチとかつまらないことばっかりしてたんでしょ。
本当の戦いなんかしたことない奴なんて、見たらすぐわかるんだから。
いい機会だし、反省ついでに経験しときなさい。『強い相手との喧嘩』ってのをね」
 逃げ腰になった慎太郎は、これ以上蹴られたくない一心で身を屈め、美由紀に尻を向けてしまう。
その尻にも美由紀の足の甲が叩き込まれ、広くて物のない倉庫にボンという音がこだまする。
尻の表面から全身の骨の髄にまで、灼熱の温度で焼き付けられるような激痛が響いてくる。
慎太郎はもう、涙を流して亀になっていた。あの威勢の良さなど、もう欠片もない。
この男に戦意など残されていないことは、美由紀にも十分伝わっていた。
普段この手の輩に対して行っている懲罰の流れなら、このへんで土下座でもさせて終わりにしてやるところだが、
今日のような真似をする奴は特別だった。徹底的に痛めつけなければならないと思った。
口で言ってもわからない奴、拳でわからせてやってもまだ懲りない奴、
相手が自分より弱いのを確認してから急に強気になる奴、
一対一で勝負する度胸のない奴、一人だと大したことないくせに徒党を組むと強くなったような勘違いをする奴、
このように人質などの卑怯な手段に頼らないと喧嘩もできない奴、
そして、仕事やスポーツの道具を人を傷つける目的で使う奴…
彼らは美由紀にとって、気に入らない人間の要素を凝縮したような奴らなのだ。
武道に生きる者として、人に手を上げる際は怪我させないように必ず手加減するのが美由紀の信念ではあるが、
今日のこいつらに限っては、その自主規制値を大幅に緩和していた。
こんな性根の腐った奴は叩き直すというよりも、叩き潰してやるべきだと。
全力で殴るのを我慢してあげるだけでも、ありがたいと思ってもらいたかった。
「立ちなさい」
 もはや自力で立ち上がれない慎太郎に痺れを切らせたかのように、美由紀は慎太郎の頭を掴んで強引に引っ張り上げる。
その拳で強烈な突きを繰り出す美由紀は、握力も半端なものではなかった。慎太郎の口から半分裏返った悲鳴が上がる。
そんな慎太郎の目の前に突き付けられたのは、空手ダコのできた見るからに硬そうな美由紀の拳。
これを今から、たっぷりと味わわせてあげるという予告だった。怯えの色に染まった慎太郎の目がプルプルと震えながら細まる。
「ちゃんと、反省の気持ちが伝わるまで…」
 美由紀が、意志の強さがうかがえる視線とともに、普段滅多に口にしない粗暴な言葉を投げかけた。
「ボコボコにするから」

 美由紀が倉庫の外に出てきた頃には、日の長い夏でももう暗くなり始めている時間帯だった。ヒグラシの声が聞こえる。
中には打ち倒された5人の男、特に念入りに懲らしめられた首謀者の慎太郎は顔の面積が3倍近くになるほど殴られ、
静まり返った広い倉庫に痛みと恐怖にうなされ続ける悲痛な声を響かせながら取り残され、出入口のドアが閉められた。
「あ…ありがとう、美由紀ちゃん!!」
 痛々しく腫れ上がった顔の、表面を覆っていた流血を大粒の涙と鼻水で洗い流しながら幹男は泣き笑いで気持ち悪い表情のまま
今日もピンチを救ってくれた美由紀に駆け寄る。
 ゴッ!
「ひぎっ!いだぁぁい!!」
 美由紀はそれに対しても目を合わせることなく、幹男に寄るなとばかり無言のまま肘で小突いた。
ひ弱な幹男はそれだけで吹き飛び、転がってしまう。
卑怯な半端者を始末しただけのことであり、別に美由紀は幹男を許してあげたわけではない。
例の誤解は、まだ何も解けてなどいないのだ。
「…ま、待ってよぉ美由紀ちゃぁぁん……!」
 それでも幹男は、嬉しかった。なぜか避けられているのは相変わらずだけど…
こんなときには必ず助けてくれる、強くて頼りになる女騎士の美由紀ちゃんなのは変わらない、と。

 悠然と歩いて引き揚げる美由紀と、それを追いかけて走っていった小さな中学生を見送った後も、
外で見物していた仁はすぐにはそこから動けなかった。
あらためて、窓から倉庫の中を見てみる。美由紀の残していった、惨劇の場がある。
自分たち3人を相手にしたあの日が、あいつの実力の何%も出していない遊びみたいなものだったことが、嫌でも理解させられる。
暑い季節なのに、真冬のように陰嚢がすぼまってしまう。
実はあの美由紀にやられた後、もっと仲間を集めて復讐をしようという計画も立てていたのだ。
もし実行に移していたら、どんな地獄が待っていたというのか。背中に寒気まで覚える。
あんな女が、取り立てて目立たない存在としてクラスに溶け込んでいる、6年3組。
様々な種類の猛獣と同じ檻に入れられているような恐怖に、仁は震えた。


 つづく





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