とある兄と妹
   1

 エプロンをつけ、キッチンでまな板を叩く男。その隣でスパゲッティを茹でる男。
 二人はおおよそ料理をするような男には見えないが、それでも仕方ない。
 二人の両親はずっと昔に交通事故で死んだ。行政から補助金が出ており、また両親が残した貯え
も少なからぬ額がある。学校には奨学金で通っている。それに加え男2人がアルバイトで稼いでい
れば、金銭的な意味で生活に困ることはない。むしろ困ったのは、こういった料理洗濯といった家
事だったが、それも慣れてしまえばどうということはなかった。

 いま、まな板と包丁でサラダを作っているのが長男の義也(よしや)。大学3年生。
 そしてパスタを茹でているのが次男の和也(かずや)。高校2年生。
 二人は予定が互い違いになるようにアルバイトをしているが、義也が明日の早朝にシフトが入っ
ているだけで、この時間は珍しく二人ともバイトがない曜日だ。そのため二人で夕食の準備をして
いるというわけだ。

 義也と和也、そしてもう一人、この坂崎家には住人がいる。
 そのもう一人こそ、義也と和也が恐れる、坂崎家で絶対の存在なのだ……

「ただいまぁ〜!」

 玄関の方から声がして、その“もう一人”が帰宅した。
 一瞬、ビクッとおののく義也と和也。少しの間、二人とも言葉が出なかったが、それでも声が震
えたりひっくり返ったりしないように注意しながら、二人同時に答えた。

「おかえり、絵里子」

 絵里子(えりこ)。この春から中学一年生になった。義也と和也の妹、坂崎家の長女ということ
になる。
 大学生と高校生、二人の兄によって育てられた絵里子は、両親を亡くしているということを忘れ
させるほど元気な少女に育っていた。……幾分、元気すぎる少女に。

「ふぅ〜、今日も部活疲れちった」
 絵里子は帰ってくるなり持っていたスポーツバッグを置くと、ソファに身を投げる。
 ドスンッ!!
 重量感溢れる音で、ソファが揺れ、スプリングがギシギシと軋む。
 リラックスしてそこに腰掛ける絵里子を見たら、誰もが口を揃えてこう言うだろう。「中学一年
生とは思えない」と……
 どういうわけか、絵里子は両親が亡くなったとほとんど同時にグングン成長し始めた。身長は年
の離れた二人の兄を追い越し、今や信じられない領域に達していた。

「あ、かずにぃ、これ洗っといて!」
 キッチンから出てきた和之に、絵里子は自分の体操着が入ったスポーツバッグをぽいっと投げつ
ける。和之は「お、おう」と言ってそれを受け取った。
「そういえばねぇ、今日身体測定あったよ! えへ、また背ぇ伸びちゃった! はい、これプリント」
 和之は手渡されたプリントにおそるおそる目をやる。絵里子の身体測定の結果。そこには想像通
りというか想像以上というか、恐ろしい数字の羅列が印刷されていた。

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1年B組18番 坂崎 絵里子 (12歳)
身長:192cm 体重:96kg
B:113 W:61 H:99
視力:右 2.0(A) 左 2.0(A)
                ………云々
――――――――――――――――――――――――――――――――――

 この数値を見て、彼女が中学一年生だと信じられる者がいるだろうか。いや、日本人女性として
でも疑いを持つ者が多いに違いない。
 一体何がどういうわけなのか分からないが、絵里子はこの齢にしてここまで成長していた。
 天を突くような超高身長。グラビアアイドル顔負けのプロポーション。むっちりとしていて、か
と言ってけして太っているわけではない引き締まった肉体。その反面、童顔で愛らしい容姿。
 義也と和也。二人の兄も、けして背の低い方ではないし、運動が出来ないわけでもない。
 むしろ二人はどちらかと言えば体育会系の人間。義也は身長173cmで高校まではバスケットボール
部だったし、和也は身長170cm、高校では野球をしており、その奨学生として学費を免除されているほどだ。
 だがそれでも、二人とも身長は妹よりも20cmも低いし、ましてや腕力に関しては……まるで及ば
ないのだった。

 義也と和也と絵里子。3人で暮らす家族だったが、家庭内の主導権はほとんど100%絵里子が握っ
ていると言ってよい。
 世の中は弱肉強食。力の強い者が勝つ。その原理が、見事に適用されている例といえば、この坂
崎家だ。兄妹喧嘩が起こったとしても、二人の兄が勝つことは間違いなく出来ず、それ故に兄達が
妹の絵里子に動かされている、という惨めな状況だった。だがその惨めさも、絵里子の常人離れし
た肉体を目にすれば納得できるというものだ。

 掃除洗濯料理。家のことは二人の兄が執り行う。アルバイトで収入を得るのも兄の仕事。
 中学生になったばかりの妹を、二人の兄が養う。そう言ってしまえばごく当然の構図なのだが、
それでも絵里子に支配され切ったこの力関係を見れば、どうしてもそれが情けなく写る。
 まるで、絵里子のために体を使って働き、得た金銭を絵里子に献上しているような錯覚。
 絵里子に命令されるがまま家事をこなし、その絵里子はテレビを見ているだけという生活。

 二人の兄が一人の妹に、完全に跪く家庭。
 その生活の一部始終を、ご覧頂こう。


つづく





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