とある兄と妹
   2

 話は数時間遡る。

「ねぇお兄ちゃん、私のパンツどこぉ〜!?」

 朝、パジャマ姿の絵里子が起きてくるなりそう言った。
 次男の和也は野球部の早朝練があるため、朝早く家を出て行った。今いるのは長男の義也だけ。
彼は絵里子が起きてきたときのために朝食を作っているのだった。
「はぁ?パンツ?」
「そうそう、昨日履いてたピンクのリボンついてる奴!」
 義也は頬を掻いて考える。確かに今日の洗濯係は義也だった、が……
「昨日履いた奴って……、まだ洗ってねぇよ」
「えぇ〜!?」
 義也の答えに絵里子が非難の声をあげる。坂崎家では前日の洗濯物を翌日の日中に洗って乾かす
のが常となっていただけに、義也は絵里子の非難がよく分からないようだ。
「な、なんだよ。何か悪いことあった?」
「あったよ、あった!大ありだよぉ!」
 プンプンと怒る絵里子。なにやらよくない予感に、義也は身を震わせる。
「今日は身体測定があるって言ったじゃん! 体重測るときはブラとパンツだけになるから、昨日履
いてたお気に入りのパンツ、夜のうちに洗っておいてねって言ってたのに〜!」

 義也は絵里子の説明に首を傾げる。他の女子に見られるときにお気に入りのパンツを履いていき
たい、という女心は分からないでもないが、果たしてそんなことを言っていただろうか……?
「そんなこと言ってたか?」
「言ったよ!絶対言った! よしにぃ、なんか寝っ転がってて生返事だったから、まさか聞いてなか
ったの!?」
 確かに昨日の夜は遅くまでバイトがあって疲れて帰ってきた。
 ……そう言えば、ソファでふて寝をしているときに絵里子が何か言っていたような気もする。
「わ、悪い絵里子!」
 義也は両手をパンと合わせて頭を下げた。早いうちにそうしておかなければ、マズイ。
「と、とにかくまだそのパンツは洗い終わってないんだ。すまないけど他のを履いて……。ほ、ほ
ら、朝飯でもどうだ? 今朝は絵里子の好きな卵焼きだぞ……」
 謝る義也の声が徐々に小さくなっていく。中一の妹に怯えながら謝る大学生の兄。奇妙な構図だ
が、坂崎家ではこれが普通……

「よしにぃ、やっぱり私の話聞いてなかったんだぁ……」
 ゆっくり、ゆっくりと、絵里子が義也に歩み寄る。義也は怯えて後ずさりするが、すぐに背中が
壁についた。……逃げられない。
「わ、悪かったって!あ、謝るから、絵里子、ゆ、許し――」
「よしにぃには、ちょっとお仕置きが必要かな♪」
 すうっと絵里子の腕が伸びる。バスケットボールをしていたはずの自分より遙かに大きな絵里子
の手のひらで、義也は頭蓋骨をガッシリと掴まれてしまった。
「え、えりこ、ゆ、ゆるし、ヒギャアァアァアアアアァ!!!!」

 メキッ!メキメキッ!ミシ、ミシミシ、ミシッ!

 兄の頭を掴んだ右手に、絵里子が“かる〜く”力を入れた。その途端、固い骨が軋む嫌な音と共
に、義也の悲鳴が部屋に響き渡った。
 絵里子のアイアンクローが炸裂したのだ。彼女はニコニコと笑顔のまま、大学生の兄の頭蓋骨を
握り潰さんばかりに握力を込める。

「イギ!イギギギギ!!え、えり、絵里子ぉぉお!!やめ、やめて、アギャアァァア!!!!」
「だめ!やめないよ! よしにぃ、これはよしにぃが私の言うことよく聞いてなかったことへのお仕
置きなんだからね!」

 ギシッ!メキメキッ!ミシッ、メキ、ミシィッ!!

 普段は適度な脂肪を纏ってプニプニとしている絵里子の右腕が堅くなっているのが分かる。彼女
はそのまま、なんでもない様子で腕をあげる。
「ア、アアァア、アギャアァアァアァアア!!!!」
 ゆっくり、ゆっくりと、義也の体が持ち上がる。そして……、彼の足が、床を離れた。
「えへ、お兄ちゃん軽〜い♪」
 なんという握力、そして腕力だろうか……。絵里子は義也の頭を右手だけで握ったまま、彼の体
を持ち上げてしまった。義也も標準的な成人男性程度の体格はある。けして軽いわけではない。そ
んな彼の体が、中一の妹の片腕一本で宙に浮いた。
「やめてくれぇえぇえ!絵里子!お願い!!やめてぇえぇええ!!!」
 空中でバタバタと足を動かす義也。頭を包み込むようにして握ったまま離さない絵里子の右手を、
自分は両手を使って引きはがそうとする。……が、びくともしない。兄が全力を振り絞っても、
妹のアイアンクローを振りほどくことすらできないのだった。
「オガアアアァアァアアァ!!!!ゆるじでえぇぇぇえええぇえ!!!!」

 メキメキッ!ミシッ!メキッ!……ボキッ!

「ん、こんなもんかな♪」
 最後に何かが砕けたような嫌な音が響いてから、絵里子は義也を掴んでいた右手をぱっと離した。
 ドサッと彼の体が床に落ちる。ピクピクと痙攣する義也はなかなか立ち上がろうとしない。立ち
上がる気力がないのだ。まさに頭を握り潰されるような激痛のせいで。
「よしにぃ、今度私の言うことに適当な返事したりしたら、もっと酷いことになるからね!」
「う、うう、ううう……」
「分かった?」
「………ハイ」
 情けない。可哀想な兄。ずっと年の離れた、最強の妹に逆らうこともできない。ビルのようにそ
びえ立つ彼女の足下で涙目になりながら、這い蹲るしかないのだろうか。

「ふぅ、朝から軽く運動したらお腹空いちゃったよ!よしにぃ、ご飯の用意して!」
「うう……」
「早く!」
「は、ハイ!」
 まだ頭を抑えている義也を絵里子は叱咤する。それだけで義也はビクついて立ち上がり、そそく
さと妹のために朝食の準備を始めるのだった。


続く……





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