とある兄と妹
   3

「27……28……29……」
 次男の和也はバイトを終え、自室に戻って汗を流していた。筋力トレーニングである。
 中学のころはひたすらに野球に打ち込み、高校にはスポーツ奨学生として学費免除で入学した。
両親がおらず、貧乏な我が家。家計を助けるためと思ってやったこと。
 幸い運動神経に恵まれていた和也は高校に入っても部で活躍しており、今年の夏、3年生が引退
した後は主将になると期待されていた。
 だが高校生にもなればアルバイトで家計を支えなければならない。奨学生として野球をやってい
る身としてバイトのために部活を休まなければならないのは心苦しかったが、チームメイトも和也
の家庭事情を考慮してそれを許してくれていた。
 だが和也もそれに甘えるような男ではない。部活を休んだ日はこうして、帰宅後に家で自主筋ト
レをし、体がなまらないように努めているのだった。

「48……49……50……っと」
 腕立て伏せを1セット終え、彼はほっと息をつく。額を伝う汗。タオルでそれをぬぐい取り、次
のトレーニングを始めようとする……が、そのとき、突然彼の部屋の扉が開いた。

「かずにぃ、お風呂空いたよー!ってあれ、筋トレしてたんだ!」

 妹の絵里子。
 まだ中学生ながら、トレーニングを続ける男の自分を遙かに上回る肉体を持った妹。
 その彼女の登場に、和也は顔を青くした。
 風呂あがりで濡れた髪を拭きながら、絵里子は和也の部屋に入ってくる。着ているパジャマは特
大サイズ。それでも大きすぎる胸ははち切れそうだし、お尻の膨らみもすぐに分かる。そしてなに
より、それとは対称的にくりんとした瞳の童顔が可愛らしい。

「あ、ああ、今入るよ」
 そう言って立ち上がった和也だが、絵里子は「ちょっと待って」とそれを制した。
 和也の背中に冷たい汗が流れる。それは筋トレのときに流していた汗とは違う種類の冷や汗だ。
「かずにぃ、せっかく筋トレしてたんだから続けてよ!私が手伝ってあげるね♪」
 その一言は、和也の顔面を蒼白にさせたのだった。

 今、家には和也と絵里子の二人きり。長男の義也は深夜のアルバイトに出ていてまだ帰ってこな
い。つまり、和也を助けるものは、誰もいないということ……
「い、いや、い、いいよ、今終わったところだし……」
「もう、遠慮しないでいいよ!」
 遠慮しているのではない。……恐れているのだ。
 だが和也に拒否権はない。彼はされるがまま、妹に筋トレの“手伝い”をしてもらうことになっ
てしまった。

「じゃ、まずは腕立てからね、お兄ちゃん!」
「あ、ああ……うん………」
 和也は体を小刻みに震わせながらも先ほどのように腕立て伏せを再開する。
 フッフッと息を漏らしながら、深く体を沈ませ、また浮き上がらせる。お手本のように綺麗な腕
立て伏せだが……絵里子はしばらくそれを見つめたあと、うんうんと頷いた。
「さすがかずにぃ、これくらいなら余裕だよねっ」
 そしてしゃがみ込み、ケチを付けられないように必死で腕立て伏せする和也の顔を覗き込んだ。
「だったら、私がお手伝いしてあげる。筋トレはちょっと負荷を掛けないと効果ないもんね〜!」
 妹のあどけない笑顔に、和也はぞっとするしかなかった。この笑顔を見せるときの絵里子は、い
つも恐ろしいことを考えているのだ。

 和也の予感は的中する。
「んしょ♪」
 腕立て伏せをする和也の背中。そこに絵里子は可愛い声を出しながら……どっかりと座り込んだ。
「ンッングウウゥッ!!?」

 ずうぅん……!!

 凄まじい重圧が、突然和也の背中にかかる。それまで軽快に腕立て伏せを続けていた彼の動きが、ピ
タリと止まった。
 小刻みに震える腕。動かない。というよりも、現状を維持するだけで精一杯。一気に体中から汗
が噴き出る。心拍数が上がる。プルプルと筋肉が痙攣する。当然のことだ。あの巨大な妹の肉体が、
背にのしかかっているのだから。
「どうしたの?お兄ちゃん。早く腕立て続けなきゃ!」
 絵里子の考えは恐ろしい……。絵里子を背中に乗せたまま腕立て伏せをする。彼女はそれを、自
らの兄に課しているのだ。
 当然、それは簡単なことではない。野球部で活躍する和也ですら、ピクリとも動かない。このま
ま腕を折り曲げれば、妹の体重に押しつぶされて腕立てを続けられるわけがないからだ。

「ふぐ…うぐぐ……っく…が……!!」

 必死で歯を食いしばり、妹の体を載せたまま、腕立てを続けようと試みる和也。その上で絵里子
はニコニコ顔のまま兄の背にお尻を載せ、筋トレを応援する。
「がんばれお兄ちゃんっ♪」
 和也の目が血走る。もしこれを達成できなければ、妹から「おしおき」と称したどんな酷い仕打
ちを受けるかわからない。妹はこういうことが大好きなのだ。つまり、兄を虐めることが大好きなのだ。
「ふぐ…!ん……!ぐぐ……ぐ…!!」
 和也の体が、ゆっくりと沈む。
 そして腕の力だけで、プルプルと震えながら、なんとか、ようやっと戻ってくる。
「ゼェ…ゼェ……」
 妹の巨体。それを載せたまま腕立てをすることに、和也はなんとか、死力を振り絞って成功した。
「おぉ〜!1回出来たね、凄い凄い!」
 苦悶の表情を浮かべる兄の背中の上で、絵里子は面白そうにぱちぱちと手を叩いてみせた。
「え…えり…こ……」
 和也の口から苦しそうな声が漏れる。絵里子、早くそこをどいてくれ。彼はそう言いたいのだ。
 しかし、絵里子にそのメッセージが伝わることはなかった。むしろ彼女は、1回でも加重腕立て
を成功させた兄を、さらに「トレーニング」させようと考えていた。

「ちょっとぉ、かずにぃ、止まらないでよぉ!まさか1回出来ただけで満足しちゃったわけじゃな
いよね?そんなんじゃ全然筋トレにならないよ!」
「ぇ…ぐ……?」
「ほらっ、あと299回ね!えへ、腕立ては300回が基本だよね〜♪」

 絵里子の残酷な一言に、和也の意識が遠のく……
「そ…そんな……む…り……ぐぐ…う……!!」
「えぇ〜?無理じゃないよぉ!ほら、頑張って!体を鍛えるためだよっ!」
 そう言うと絵里子は、それまで地面につけていた自分の両足を、ぱっと宙に浮かべた……

「う、うぎいいぃぃい!!!」
 ドッシーーーン!!

 派手な声と音をあげながら、和也はとうとう地面に潰れ去った。
 それまで絵里子は自分の全体重をかけていなかった。ある程度は兄の背中に体重を載せながらも
床に足をついて3割くらいの体重は逃がしていた。
 しかし彼女が足を浮かせたその瞬間、絵里子の96kgという常人離れした体重が一気に和也の背中
を押しつぶす。普段から鍛えている和也でも、両腕だけでそれを支えることは、到底不可能だった。

「きゃっ、ちょっとかずにぃ!潰れちゃダメじゃん!まだ1回しか腕立てしてないよぉ!」
 そんなことを言われても、絶対に、どう頑張っても無理なのだ。人を背中に乗せたまま腕立て、
ということすら相当鍛えているプロレスラーでもなければ不可能。それを、こんなに大きく育った
妹を乗せてなど……絶対に無理だった。

「ゼェ…ゼェ…ハァ…ハァ……」
 荒く呼吸をしながら、地面にべったりと倒れ伏す和也。大の字になって俯せに潰れる彼の背中に
は、まだ中一の妹がちょっと不満そうな顔をしながら座り込んでいる。何とも情けない構図だ。
「んもう!かずにぃは弱っちいなぁ!」
 お尻をゆさゆさと揺すってさらに体重をかけて潰しながら、絵里子は文句を言う。
「これくらいのことも出来ないなんて、野球部失格だよ!私だったらかずにぃとよしにぃの2人を
背中に乗せても腕立て500回くらいなら余裕でやれちゃうよ?」
 その絵里子の言葉は、はったりではないだろう。
 一見すると絵里子の体は、人よりもずっと大きいだけで特に筋肉質なようには見えない。ぷにぷ
にむっちりとして柔らかそうな体。だがその適度に付いた皮下脂肪の下には、凄まじい筋肉が隠さ
れていることを、和也は知っている。
 野球部として毎日トレーニングに励む和也。そんな和也を簡単に凌ぐような怪力を、絵里子は持
っているのだ。身長が高く、胸もお尻も飛び出、しかしウエストはキュッと引き締まったスリムな
肉体。そこに秘められたパワーは、大人の男も簡単にねじ伏せるほどの怪力。

「かずにぃ〜、妹の体を押しのけることもできないのぉ?」
「ゼェ…ゼェ…む、むり……え、絵里子……そこを…どいて……頼む……ゼェ…」
 乱れる呼吸。汗だくな和也。そんな和也を見つめて、絵里子はポンと手を打った。
「もう、こんな弱いお兄ちゃんなんて情けないよ。鍛え直してあげなきゃ」
 絵里子はすっと立ち上がる。一瞬、和也は背中に掛かっていた超重量から解放され、ほっと息を
ついた。が、それも束の間のことだった。
「えいっ」
「ぐわあぁあ!!」
 絵里子の可愛らしい掛け声と共に、和也の体は宙を舞った。絵里子は片腕だけで和也の体を掴む
と、思い切り投げ飛ばしてしまったのだ。一人の青年を簡単に投げ飛ばすことからも、絵里子の力
が見て取れる。
 それまで俯せに倒れていた和也は体を簡単にひっくり返され、仰向けに大の字に寝ころぶ。
 そして絵里子は、和也に耐性を立て直す暇を与えない。
「それっ」
 次の瞬間からの出来事は、和也の目にスローモーションのように映った。
 絵里子はその場で軽くジャンプしたかと思うと、空中で器用に体を曲げる。そして爆弾級に大き
なお尻を下にしたまま、落ちてくる。……和也の顔面に向かって。
 ゆっくり、ゆっくりと、妹のお尻が落下してくるように見えた。ズームアップのように、パジャ
マに包まれたまん丸のお尻は大きくなっていって……

 ズッシイィーーーン!!!
「あがああぁああ!!!」
 メリッ!メキメキメキッ!!

 耳を覆いたくなる音を立てながら、絵里子のヒップドロップが炸裂した。
 彼女の巨大なお尻は和也の顔面を的確に捉えた。空中から助走を付けて、絵里子の96kgの体重が
一気に降り注ぐ。和也の頬骨が嫌な音を立てる。

 そのまま絵里子は動かない。兄の顔に座り込んだまま、じっとして動こうとしない。
「えへっ、かずにぃは肺活量がないみたいで軽い運動だけでゼェゼェしちゃってるからね〜。まず
は肺から鍛えてあげないと!」
 それを意図した妹の顔面騎乗。思惑通り、和也はまったく呼吸ができない。大人の女性以上に丸
々と成長したお尻。その肉はぴったりと顔に張り付き、和也の呼吸を完全に制限する。
「うぐ!ぐぐぐ!むぐう!」
 呻く和也の声もくぐもる。それを聞いて、絵里子は楽しそうに笑った。
「ほぉらっ、かずにぃ!早くしないと窒息しちゃうよ〜!頑張って私のお尻どかしてみて!あ、こ
れなら腕力のトレーニングにもなって一石二鳥だね!」

 和也は必死に暴れた。
 両腕を使って、のし掛かる妹のお尻を掴んで持ち上げようとした。
 制限されていない首からの下の体をバタバタと動かして、顔面騎乗する妹をどかそうともした。
 しかし、どちらも叶わなかった。妹の体は、1ミリたりとも動かない。96kgを両腕だけで持ち上
げることは勿論できないし、首から下で暴れても、肝心な彼の頭部はまるでピン留めされてしまっ
たかのように動かないのだ。
「あれぇ〜?お兄ちゃん、妹のお尻をどかすこともできないのぉ〜?」
 絵里子は意地悪にお尻をぐりぐりと押しつける。そうすることで、和也の呼吸はますます制限さ
れた。そして彼の頭蓋骨も、ますますメリメリッという悲鳴をあげる。
「がーんばれっ!がーんばれっ!」
「むぐぐ!む…ぐぐ!ぐ……ぐぐ…むぐ……」
 和也の動きが鈍くなる。始めは絵里子から解放されようと全力で暴れていた体が、動かなくなっ
てくるのだ。それは彼が酸素をまったく供給できないことに由来していた。
 ゼンマイが切れた人形のように、動きが緩慢になり、そしてついに……動かなくなった。

「あれ?お兄ちゃん?」
 兄の顔に座るという優越感に浸り、少々うっとりとした表情を浮かべていた絵里子だったが、兄
が動かなくなったことに気づいたらしい。彼女はゆっくりと、大きな大きなお尻を持ち上げた。
「あぁ〜!気絶しちゃってる!」
 和也は実の妹のお尻によって、完全に落とされてしまっていた。白目を剥き、泡を吐いて、意識
はない。もちろん一時的な気絶ではあるが、それでも妹のお尻に潰されるだけで、こうも簡単に落
とされてしまうことは、男にとって最高の屈辱だろう。
「ダメだなぁ、かずにぃは!」
 絵里子はそう言って立ち上がった。そして床に倒れ伏す兄に、優位性たっぷりの笑顔を降り注ぎ
ながらその部屋を後にする。
「今度また鍛えてあげるねっ♪」
 バタン。扉が閉められる。
 和也が目を覚ましたのは30分後。何をどう足掻いてもこの妹には勝てない。改めてそう自覚した
和也だった。


つづく





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