とある兄と妹
    5

 今日は月に一回だけある、義也と和也の2人が家にいる休日。普段からバイトや部活で忙しい二
人の兄は、こういう日だけはゆっくり休みたいと考えているのだが……
「お兄ちゃん!腕相撲しよ!」
 中学校の部活から帰宅するなり、絵里子はこんなことを言いながらリビングに入ってくる。彼女
にとってみれば、二人の兄が両方とも家にいるほど楽しい日はない。そんな日に兄達を「ゆっくり
と休ませる」など、勿体なくて考えられないこと。
 一方の義也と和也は、ソファでゆったりとくつろいでいたのだが、絵里子の言葉で同時にビクッ
と体を震わせた。大学生と高校生の兄。彼らが実の妹に怯えるとは何とも情けない光景だが、実際
にこんな女の子を妹にもってしまったら、どんな男であっても怯えるだろう……
「ど、どうしたんだよ絵里子、突然……」
 声を震わせながら義也が尋ねる。と言っても彼には分かっているのだ。いつものように、妹が兄
を玩具にして遊ぼうとしていることに。
「今日部活で腕相撲して遊んだの!」
 絵里子の方は無垢な笑顔を振りまく。だがその裏には、強烈なサディスト性が隠れている。油断
してはいけない。……と分かっていても、その笑顔には男のことをクラクラさせるような可愛らし
さがあった。二人の兄でなければ、彼女のことが好きになってしまいそうな。
「腕相撲?」
 今度は和也が尋ねる。それも部活で、と絵里子は言った。これはどういうことなのか。

 絵里子は中学校の女子バレーボール部に所属している。
 192cmという超人的な身長、プロ選手並の運動神経、そして男子プロレスラーをも凌駕するので
はないのかという腕力。それらを兼ね揃えた絵里子が一年生にして即戦力のエース級選手であると
いうことは、不思議ではない。
 しかし、絵里子が入っているのはあくまでも「女子」のバレーボール部。義也や和也の認識では、
絵里子が好きなのは力で「男」をねじ伏せること。女相手にその力を発揮することはないと考え
ていたのだが……
 しかしそんな疑問も、笑顔のままな絵里子の説明で全て解決する。
「えへ、あのね、部活が終わったあとに男子バレーボール部の人たちが腕相撲大会やってたから、
混ぜてもらったんだ!」

 ……なるほど、そういうことか。二人の兄は心の中で納得する。
 絵里子のパワーは、先日の校内相撲大会で全校生徒に知れ渡っている。それも、普段女子バレー
部の隣で練習している男子バレー部の部員であれば、なおさら彼女のことを知っているだろう。
 だからこそ、絵里子が「混ぜてください!」と言いに行ったとき、彼らは本心では拒否したかっ
たに違いない。だが彼らはそれが出来なかった。断れば断ったで、どんな仕打ちが待っているか分
からないからだ。
「でもさ、男子バレー部の人みーんな弱っちくて面白くなかったの。勝ち抜け戦したけど、私一回
も負けなかったもん。先輩の腕、すっごい細いんだもん。あんな腕じゃあ私には勝てないよね〜」
 和也の記憶が正しければ、絵里子の通う中学校のバレー部は男女ともになかなかの名門で、毎年
全国大会に駒を進める強豪だったはず。それ故に男子部の部員は50人近くいるはずだし、彼らも体
をよく鍛えているはずだが……
 そこで彼は考え直す。目の前でにっこりと笑いながら力こぶを作ってみせる絵里子。普段は適度
な脂肪に覆われていて、太いながらもゴツゴツした雰囲気はない絵里子の腕だが、こうして見ると
その筋肉は一目瞭然。モリモリッと浮き出た上腕二頭筋。暴力的なまでのこの筋肉と比べれば、い
くら強豪とは言え男子中学生の腕など、「細い」ように見えるだろう。
 この腕相手に腕相撲。絵里子が強豪中学男子バレー部員相手に50人抜きしたとしても、頷ける。

「そういうことだからさ、よしにぃとかずにぃ、私の相手になってよ。あんな試合じゃ消化不良な
んだよぉ」
 つまり絵里子は中学生相手では不足なので、高校生や大学生の兄を相手に腕相撲をしようと言う
らしい。中学一年生の女子生徒とは思えない発言である。
「………」「………」
 それでも二人の兄は沈黙してしまう。元バスケ部の大学生と現役野球部の高校生。彼らであって
も妹の筋力にはまるで敵わないし、ましてや腕相撲では瞬殺されるもが関の山だ。
 すると絵里子は兄の気持ちを見透かしたようにいじらしく微笑み、ソファに座る二人の兄の間に
腰を下ろす。絵里子の体重でソファが軋む。二人掛けのソファに3人が座るのだから窮屈だ。そん
なときに二人の兄は、自分が窮屈でも絵里子がゆうゆうと座れるように自然に席を空ける。こんな
些細なことからも、坂崎家兄妹の力関係が見て取れる。
「大丈夫。分かってるって」
 絵里子は堂々と脚を組むと、両隣に座る二人の兄の顔を交互に見る。
「お兄ちゃん達でも私には絶対勝てないもんね。普通にやったらお兄ちゃん達なんか1秒で倒しち
ゃうよ。っていうことだから、お兄ちゃん達には特別にハンデをあげまーす!」
 妹からの屈辱。だが兄達はそれを現実として受け入れるしかない。
 そして絵里子から提示されたハンデとは、次のようなものだった。

「お兄ちゃんと1対1で腕相撲したらお話になんないから、今日は特別に2対1の腕相撲大会って
ことでいいよ。えへ、お兄ちゃん二人対私一人ね」
「に、2対1……」
「うんっ!でもたぶん、それでもまだまだダメだと思うからぁ、お兄ちゃん達は両腕使ってもいい
ってことにしようよ!私は左腕一本でいいから! ね?これなら良い勝負出来そうな気がするでしょ?」
 あまりにも過大すぎるように思えるハンデ。兄達は2人がかりで、しかも両腕を使って良い。絵
里子の方は利き腕とは反対の左腕一本。
「いいでしょ?腕相撲やろうよぉ。私も熱い腕相撲勝負がしたいの!」
「………」「………」
 二人の兄は考え込む。そしてほぼ同時に答えた。
「……わかった」「……やろう」
 絵里子がここまで「やろうよ」と言ってくる申し出を断ることは、二人にとって最悪の展開を意
味する。さらに今は絵里子も機嫌が良いのか、度が過ぎたハンデまで付けてくれると言う。絵里子
の気が変わらないうちに勝負を受けておくのが得策と考えたのだ。
 しかもこのハンデならば、あるいは……という考えが二人の中にはあった。腕の数だけで言えば
4対1。いくら絵里子の腕力が超人的であるとは言っても、現在運動部で毎日からだを鍛えている
和也がいる兄側の方が明らかに有利だ。

「やったぁ!じゃあ早速やろうやろう!」
 絵里子は喜んで立ち上がり、テーブルの上に載せた鞄をどけて腕まくりをした左腕をドンと載せ
る。こうして見ると、つやつやの肌とぷっくりとした肉という女の子らしさと、その内に秘められ
た筋肉による極太さ。両方を兼ね揃えた見事な腕だ。
 その手をまず和也の右手が掴み、続いて左腕を載せる。さらにそれを包み込むように、義也が両
腕を載せた。これで、準備完了。2対1、腕の数では4対1の異例の腕相撲が始まる――
「あっ、言い忘れてたけど」
 スタートの合図の前に、絵里子がふと思い出したように言う。
「負けた方はもちろん罰ゲームね!今日一日、負けた方は勝った方の言うことをなーんでも聞かな
いといけないの!」
「え!?」「い、いや、それは……」
 急に狼狽える二人の兄。「なんでも言うことを聞く」。その恐ろしさを、二人は知っている。
「こうでもしないと本気の勝負が出来ないでしょ?大丈夫大丈夫、お兄ちゃん達が勝てばいいんだ
から!」
 余裕たっぷりの絵里子。これで二人にも、絶対に負けられない理由ができた。強烈なハンデがあ
るからと言って、中学生の妹相手だからと言って、手は抜けない。
「じゃあ準備はいい? レディー……ファイト!」

 ガガッ!!
 合図と共に、義也と和也一斉に歯を食いしばる。体重を載せ、絵里子の腕を倒しに掛かる。二人
の腕の筋肉が隆起する。まさしくスポーツマンの腕だ。
 普通ならばこんな状態で一気に力を込められれば、1本の方の腕は一瞬にして倒されてしまうだ
ろう。しかし今の相手は絵里子。とてもそうはいかない。絵里子の腕は僅かに傾いただけで、まだ
まだ持ちこたえている。
「ふん……っ!!」「ぬぅ……っ!!」
 二人の兄の口から、そんな声が漏れる。額に浮かぶ脂汗。目は血走る。震える腕。二人の男の本
気の前に、絵里子の腕が、少しずつ傾く。
「えっ?あ、あれ、ちょっとやばいかも……っ」
 絵里子が呟くのが聞こえないくらい、兄たちはフルパワーを出していた。まるで大木を相手にし
ているようだ。圧倒的なハンデなど、まるで感じさせない。……しかし、手応えはある。少しずつ、
少しずつではあるが、じりじりと絵里子の腕は倒れてきている。
「ぐぐぅ……っ!!」
 腕相撲というのは、倒れれば倒れるほど不利になるもの。一度先手を取られると、体勢を立て直
して逆転するのは至難の業だ。流石の絵里子であってもその法則は当てはまるらしく、徐々に彼女
の腕の傾きは大きくなる。兄達の腕の筋肉はビクビクと悲鳴をあげているようだ。それほどまでに、
彼らは力を使っている。
「ん…っ、や、やっぱりお兄ちゃん達強いね……っ」
 もう、こうなってしまえば勝負は見えた。絵里子の腕はどんどん傾く。あと少しで勝てる。あと
少しで罰ゲームから逃れられる。それだけを考えて、義也も和也も死力を振り絞る。
 あと2センチで、絵里子の腕がテーブルにつく。二人の兄はラストスパートをかける。あとは体
重をかけて絵里子の腕を沈ませるだけ。
「あ、ああんっ、やばいぃ、負けちゃうよぉ……っ」
 絵里子の口からも、そんな言葉が漏れた。
 あと2センチ。あと2センチ。

 ――そこで義也と和也は違和感を覚える。

 先ほどまで順調に倒れてきた絵里子の腕。それが、あと2センチというところまで来て、まるで
手応えがなくなってしまったのだ。
 まるで動かない。あと、ほんの少しだけ倒せば勝てるのに。まるで絵里子の腕がそのポイントま
で来て強力な金具で固定されてしまったかのように。
「ぐぐ……っ?」「が……っ」
 そこで、義也は気づいてしまった。
 絵里子の腕は、ほとんど筋肉が隆起していない――

「な〜んちゃって♪」
 打って変わって、元気の良い声が絵里子の口から飛び出した。その声にハッとした二人の兄は、
絵里子の顔を見る。……笑っていた。この状況で。二人の背中に嫌な汗が浮かぶ。
「お兄ちゃん達さすがだね。やっぱり中学生の先輩達とは違うみたいっ。でもね、実は私、まだち
ょっとしか力入れてないんだよね〜」
「が…がが……」「ぐ…ぅぅ……」
「えへ、もうちょっとだけ力入れるね?」
 その言葉と共に、二人の兄の顔に驚愕が浮かぶ。先ほどまでとは比べものにならないほどの力が、
4本の腕に掛かったのである。そして絵里子の腕にも、くっきりと筋が見えるくらいまで筋肉が
浮かぶ。
 ズ、ズズ……!!
 あと2センチで勝利というところまで持ち込んだ絵里子の腕が、徐々に持ち上がる。
 義也も和也も、力を抜いたわけではない。先ほどまでと変わらず、彼らの持てるだけの力を加え
ているのである。それにも関わらず、絵里子の1本の腕は、4本の腕を押しのけるようにして持ち
上がっていく。
「う…うげ…そんな……」
「えへ!」
 そしてあっという間に勝負はふりだし、腕が直立したスタートの状態に戻ってしまった。二人の
兄があれだけ苦労して倒した腕を、絵里子はいとも簡単に押し戻してしまったのである。
「ぐ…くそ……」「ぐ…ぐぐぐ……っ!!」
 まるでさび付いたレバーを倒そうとするかのように、2人の兄は体を傾け、全体重をかけて絵里
子の腕を倒そうとする。が、動かない。ビクとも動かない。
 一方の絵里子は涼しい顔をしてそれを眺めている。汗一つ掻いていない。汗だくになっている兄
たちとは対照的に、笑みまで浮かべている。
 そして絵里子は、最後に可愛らしくウインクをした。
「そろそろいいかな? お兄ちゃんっ、フルパワー出しちゃうねっ♪」
 モリモリモリッ!!!
 絵里子の腕に、信じられないほどの筋肉が浮き出る。そして次の瞬間、二人の兄は自分を超越し
た、圧倒的な力を味わった。
 ズガァンッ!!
「ぐああぁあ!!」「うわああぁああ!!」
 絵里子の左腕が、二人の兄の両腕を一気にテーブルに叩きつけた。その反動で、義也と和也は体
ごと地面に倒されてしまう。腕に走る激痛。テーブルには、ヒビが入っている。
 完敗。強烈なハンデがついていたにも関わらず、兄の完敗。絵里子の圧倒的な勝利だった。
「えへへ、お兄ちゃん達もそこそこやるけど、でもやっぱり弱っちいね!」
 純真無垢。そんな形容がよく似合う笑顔で絵里子は立ち上がり、倒れた兄を見下ろす。
「じゃあ約束の罰ゲームだよね〜。えへへ、何してもらおっかなぁ?」
 義也と和也の「休日」はまだ始まったばかりだ。

つづく。





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