とある兄と妹

    6

「そうそう、かずにぃ、もっと右〜!よしにぃはもっと力入れて!」
 休日の午後。バイトを終えて帰ってきた義也と、部活を終えて引き上げてきた和也は、言うまで
もなく早速絵里子にこき使われていた。
 絵里子の方も昼過ぎまで中学校の部活動があった。そんな彼女はバイトに部活で疲れ切った兄達
が帰ってくるなり、こう命令したのだ。
「お兄ちゃん、マッサージして〜!」

 そして今、絵里子はリビングの床にごろんと俯せになり、漫画雑誌を読みながらくつろいでいる。
その一方で兄達は、二人がかりで中学生の妹の体をマッサージしていた。
 タンクトップにハーフパンツという、極めてラフな格好の絵里子。中学生離れした巨乳を床にむ
にゅっと押しつけ、鼻歌を歌いながら漫画を読み、時折お菓子を摘む。その絵里子の広い肩を和也
が、むっちりとした太腿を義也が、必死になって揉みほぐしているのだ。
 彼らだって疲れているはずだった。しかし絵里子は、兄達が少しでも力を抜くとそのことを激し
く叱咤した。家計を支えるために働いたり、奨学金のために部活動に取り組む兄達への感謝など、
今の絵里子からは少しも感じられない。今この状況では、二人の兄は絵里子のためのマッサージマ
シーンに過ぎない……

 しかしそれが、坂崎家では至って普通の光景。
 二人の兄は文句も言えない。
 「マッサージして」と言われたら黙って従うしかない。
 そこで「なんで俺が……」などと呟いたら最後、絵里子から恐ろしいお仕置きが待っている。

 そんなときであった。
 ピンポーン♪
 家のインターホンが鳴る。来客らしい。
「よしにぃ出て。かずにぃは肩揉み続けてね」
 絵里子に指図され、義也が受話器を取る。通話口からは何ともオドオドした声が聞こえてきた。
「あ、あの、××中学校の者ですが、絵里子さんはいらっしゃいますか……?」
 どうやら絵里子の同級生の男子らしい。そのことを絵里子に伝えると、彼女は手を打って、
「あ、そうだったそうだった!入っていいよって言って!鍵開いてるよね?」
と答える。
 同級生の男子が入ってくるというのに絵里子は完全に家着のラフな格好。だが彼女はそれも全く
気にしていないようだった。

 絵里子の同級生が入ってくると聞いて、和也はマッサージをやめ、その場を離れようとする。し
かし、絵里子は兄がリビングを出て行こうとするのを見てムッとした表情を見せた。
「ちょっとお兄ちゃん!何勝手に中断してんの?」
「は、は?だってお前の友達が入ってくるんじゃ……」
「クラスの男子だから別にいいよ。かずにぃもよしにぃも、マッサージ続けて!まだほぐれきって
ないじゃん!」
 驚くべきことに、絵里子は自分の同級生を招き入れるときでもなお、兄達をこき使おうと言うの
だ。二人の兄はこのことに絶句したが、いそいそと絵里子のもとに戻り、マッサージを再開する。
絵里子の常識外れな行動はこうしてときどきある。そしてそれには、何があっても逆らわない方がいい。

 しばらくすると、「おじゃましま〜す……」の声と共に玄関のドアが開き、絵里子の同級生が入
ってくる。
「あっ、勝手に上がっていいよ〜!こっちこっち!」
 絵里子の声を聞いてリビングに入ってきたのは、3人の男子中学生だった。見るからにひょろっ
とした体つきの3人。彼らもリビングの状況を見て、目を丸くした。何しろそこでは、同級生の女
子が寝転がって、明らかに年上の男2人に体をマッサージさせてくつろいでいるのだから。
「いらっしゃ〜い!ラフな格好でごめんね? 今、お兄ちゃん達にマッサージして貰ってたところ
なの。今日の部活、体力トレだったから疲れちゃってさ!」
 その絵里子の言葉で彼らはそこにいる2人の男が絵里子の兄であることを認識する。
 一方の義也と和也は屈辱だったことだろう。自分の実の妹にこき使われているまさにその場面を、
妹の同級生に目撃されてしまったのだから。それでも彼らは手を抜くことが許されない。額に汗
を浮かべながら、妹の体を丹念に揉みほぐす。
「こいつ達は中学校で同じクラスの男子なの。健一と祐介と貴史っていうんだけどさ」
 絵里子は同級生達のことを兄にも一応紹介してから、お菓子をぱくつく。そしてふと思いついた
ように、その場に立ちすくむ健一、祐介、貴史に指図を始めた。
「あっ、そうだ。あんた達もマッサージ手伝ってよ!」
「ふ、ふえ!?お、俺達も?」
「そう! 同時にマッサージしてもらうのってすっごい気持ちいいんだよね〜! ほらほら、こっち
に来て! う〜ん、そうだな、健一は右肩で祐介は左脚、貴史は腰ね!で、かずにぃは左肩、よし
にぃは右脚を揉んで!えへへ、よろしく〜!」
 こうして絵里子は何の躊躇いもなく、家にいる5人の男に自分の体をマッサージするよう命令す
る。途惑った様子だった3人も、諦めたように顔を見合わせるとそそくさと絵里子の体に腕を伸ば
し、力を入れて揉み始める。
 こうして、リビングの真ん中で寝そべり、リラックスしている絵里子の巨体を5人の男がマッサージ
するという奇妙すぎる構図が出来上がった。絵里子は時々力加減を偉そうに指図しながら、う
っとりとした表情を見せる。それはさながら、奴隷を抱える女王様のようだった。

 さて、3人が訪問してきてから、絵里子は30分ほども彼らを「マッサージマシーン」としてこき
使ってから、うーんと背伸びをして、ようやく「もういいよ」よ指示をした。
 兄にとっては実の妹に、中学生達にとっては同級生の女子に命令され、体をマッサージさせられ
るという屈辱の時間がようやく終わる。絵里子の疲れが取れた代わりに、5人の男は心も体も疲労
困憊といった様子だ。
「さてと」
 絵里子はソファにどしんと座り、脚を組む。3人の中学生はその向かいのイスにオドオドと腰を
下ろす。態度を見ても体つきを見ても、本当に同級生かと疑いたくなる。しかしそれは間違いない
真実。大きな体の絵里子も、細い体の健一達も、××中学校の一年生である。
 和也は3人の訪問者に麦茶を出しながら考える。彼らはどうして絵里子に会いに来たのだろう。
まさか絵里子のマッサージをするためではあるまいし……
 その答えは、絵里子の口から語られることになる。
「で、あんた達、私に鍛えてほしいんだっけ?」
「う、うん、そうなんだ……」
 彼らはうつむきながら小さな声でそう答えると、今度は3人で一斉に絵里子へ頭を下げた。
「絵里子ちゃん!俺達にケンカの勝ち方を教えてください!」
 毎日の非常識な生活に慣れていた義也や和也も、流石にこれには唖然とするしかなかった。

 健一、祐介、貴史の話を聞くと、こういうことらしい。
 見るからに細い3人は、運動がダメで気が弱く、それが原因で近所の高校生の不良グループに虐
められているらしかった。持ち物を取られたり、からかわれたり、ときには跡が残らない程度の暴
力を受けたり。酷い虐めというわけではなかったが、それでも3人は精神的に参っていた。
 そんな中で3人は絵里子と同じクラスになった。体育の授業では男子以上に活躍し、相撲大会で
は上級生を軽々と投げ飛ばし優勝。さらにクラスの男子と幾たびもケンカをして、こてんぱんに叩
き潰す。今やクラスのボスになっている絵里子。
 もうイジメを受けるのは嫌だ。
 何とかあの不良達をぎゃふんと言わせてやりたい。
 そこで彼らは、クラスで、いや、中学校で最強となった絵里子に弟子入りすることを思いついた
らしい。絵里子に教われば、ケンカに勝てるのではないか、という何とも安易な考えだが、彼らに
はそれしか残されていなかったのだ。

 義也と和也は横で話を聞きながら、健一達に関心し、そして同情していた。
 絵里子に「ケンカの勝ち方を教えてくれ」と頼むなど、はっきり言って自殺行為だ。そうなれば、
絵里子は確実にこう言い出す。「実践練習あるのみ」と。
 彼らがそこまで分かってやっているのかは分からない。もしかすると3人は絵里子のことが好き
で、さらにはM気もあるのかもしれない。確かに絵里子は大きい体をしているが、それ以上に可愛
い容姿も持っている。考えられないことではない。
 だが、それでもやはり、兄達は3人の男子中学生に同情した。師匠にするなら絵里子でなくとも、
もっと他にいるだろうに……

 だがそう思ってももう遅い。絵里子はすっかり乗り気な顔で、師匠ぶって偉そうにしている。性
格からして、絵里子はそういうことが大好きなのだ。
「ケンカなんて簡単だよぉ。適当にクシャクシャポイッちやっちゃえば勝てるもん!」
 絵里子にしてみれば、クシャクシャポイッとするのは男も紙くずも同じようなものなのだろうが、
彼らはそれが出来ずにいるのだ。困った顔で顔を見合わせる健一達だったが、そんな彼らに絵里
子は微笑みを見せる。残酷なまでに可愛い微笑みを。
「大丈夫!その不良達に絶対勝てるようにしてあげるから!頑張ろうね!」
 オー!と腕を振り上げる絵里子。釣られた3人も、弱々しく腕を振り上げた。

 ケンカの特訓を始める際の、絵里子の言い分はこうだった。
「相手の不良も3人組なんでしょ? あんた達は弱っちいから、1対1で勝負しようとしたら絶対
勝てないの。だから何とかして、相手1人対あんた達3人の状況に持ち込めば、流石に勝ち目があ
るかもしれないでしょ?」
「う、うん……」
 神妙な顔つきで頷く3人。さらに絵里子は続ける。
「それで、その不良っていうのは私より強いの?」
 絵里子の問いに、3人は不思議そうな顔を見せる。彼らの顔にはこう書いてあった。「絵里子よ
りも強い人間など、いるはずがない」と。
「い、いや、そりゃ当然、絵里子ちゃんよりは全然弱いと思うけど……」
「だよね〜!なら特訓のメニューは決まりね!」
 絵里子はそう言って立ち上がる。何事かという3人の男子中学生。そんな彼らに、絵里子は恐怖
の一言を投げかけたのだった。
「強い人と練習しておけば、弱い人との本番でも負けるはずないでしょ?つまりあんた達3人で私
に勝てるようになれば、その不良にも勝てるってこと! えへへ、じゃあ特訓、始めよっか!」

 ……5分後、予想通りというべきか、彼らはやはり地獄を味わっていた。
「う、うぐ…!」「が……っ!!」「ぎ、ぎぶ……」
「え〜?ギブ?まだまだ早いよ〜!」
 怯えながらも、「これも特訓」と自分に言い聞かせて絵里子に飛びついていった3人。だが、意
気込みだけではどうにもならないこともある。ヒョロヒョロのもやし中学生と絵里子では、年は同
じでも実力が違いすぎた。3対1のハンデなど、ハンデにもならない。
 飛びかかった3人は、まさに「飛んで火に入る夏の虫」。あっという間に捕まえられて、健一は
頭を右手に掴まれ、祐介は首を左腕で絞められ、貴史は絵里子の太腿に胴を挟まれてしまった。
 アイアンクロー、首固め、胴締め。3つも技を3人に同時にかけ、3人を同時に吠えさせる絵里
子。それでも彼女の表情は余裕以外の何者でもない。目を白黒させている同級生とは対照的に、絵
里子はニコニコ顔の笑顔。5人掛かりのマッサージのおかげで、体の調子も良いのだろう。
 メキッメキメキッ!ミシィッ!ゴリッ!
 健一は頭、祐介は首、貴史は胴から、それぞれ嫌な音を上げる。
「ウギギギ……!」「え、絵里子ちゃ…も、もう…勘弁……」
 3人の顔からは血の気が失せ、全員が額に嫌な脂汗をかいている。技から逃れようにも、ひ弱な
3人には絵里子の体を振りほどくこともできない。ひたすらタップして降参を示すだけだ。
「も〜!しょうがないなぁ。じゃあ一端終わりね?」
 一端終わり。その言葉を聞いて3人は、技から解放されるのだと思いほっとする。が、側から見
ていることしか出来ずにいた2人の兄は、絵里子の言葉が意味するところを知っている。「一端終わり」
とは解放ではなく、技の完成を意味するのだということを。
「えいっ♪」
 十分すぎるくらいの怪力で健一達を苦しませていた絵里子の腕、脚。そこに、絵里子の掛け声と
共に倍以上の力が籠もる。健一達が死に物狂いで戦っていた今までの絵里子の力は、彼女にとって
みればまだまだ「手加減」の領域だった。
 ゴリュッ!!メキメキッ!!……ゴキッ!!
 離れた場所にいた兄達の耳にも届くような嫌な音。3人の男子中学生は、同級生の女の子によっ
て3人同時に落とされてしまった。絵里子の腕の中、脚の間で泡を吹きながら白目を剥く3人。そ
こまできて絵里子はようやく技を解く。それは「解放」ではない。技が「完成」したから解いただ
けのこと。
「なんだぁ、全然ダメじゃんっ。これは猛特訓が必要だね!」
 倒れ伏す3人を192cmの長身で見下ろしながら腕を組む絵里子。
 果たして健一達は、不良のいじめっ子相手に勝つことができるのか?
 ……それ以前に、3人は生きてこの特訓を終えることができるのだろうか?


「いい?ケンカなんてもんは、やり方さえ覚えれば誰でも勝てるの。分かる?」
「う、うん……」
 絵里子によってまさに「秒殺」させられた健一達3人は、体の節々を痛めながら床に正座してい
た。うつむき気味も3人の前で、腰に手を当て仁王立ちする絵里子。体格や態度の差。到底、同じ
中学校の同級生とは思えない。が、現実に、彼らと彼女は同じ中学一年生なのである。
「今から私がお手本見せてあげるから、よーく見てケンカの勝ち方を研究するんだよ?」
「………」
 ゾッとして顔を青くする3人。「お手本を見せてあげる」という言葉の意味を想像しているのだ
ろう。これからさっきのように、また自分達が絞め技で落とされるのではないか、と。
 その3人の内心を推し量ったようで、絵里子はニコッと可愛らしく微笑む。これだけ見れば、同
級生の男子であればコロッと彼女を好きになってしまいそうな笑顔で。
「大丈夫。今度はあんた達を相手にしてやるんじゃないから。だってあんた達、私相手だと2秒で
落ちちゃうんだもん。お手本を研究する暇なんかないでしょ?」
「じゃ、じゃあ……?」
「えへへっ、お兄ちゃーん!ちょっと来て〜!」

 ギクリ。
 絵里子と健一達の「特訓」が始まる前に、いそいそと自分の部屋に避難してきた兄二人は、絵里
子の声を聞いて体を震わせた。さっき、リビングの方から男子3人の痛切な悲鳴が聞こえた。が、
彼らにはどうすることも出来なかった。ただただ、絵里子の同級生達に同情することしかできなか
ったのだ。
「お兄ちゃ〜ん!早く来てよ〜!」
 催促の声。
 義也と和也は互いに顔を見合わせる。同時に、生唾を飲み込む。
「……俺が行くよ」
 そう口を開いたのは義也だった。長男である彼は、自らが犠牲になることを選んだ。このまま催
促の声を無視し続ければ、2人ともが犠牲になるのだ。
「わ、悪いな、兄貴……」
「……いや、いいんだ」
 二人にはだいたい想像が出来ている。これから何が始まるのか。
「お兄ちゃんってばぁ〜!」
「……今行くよ」
 そう言って、重い足取りの義也は、絵里子が待つリビングへと向かう。

「お兄ちゃんが相手の不良役ってことで、じゃあ絵里子のケンカ必勝法講座、始めまーす!」
 ノリノリの絵里子、健一達から漏れるパラパラという拍手、額に汗を浮かべる義也。それぞれの
複雑な内情をそのままに、「必勝法講座」は始まる。
「まずケンカが始まるときは、こうやって相手と握手するところから始めるの」
 そう言って絵里子は義也の手をぎゅっと握る。
「あ、握手……?」
「そう!ケンカは正々堂々始めましょうってこと……に見えるかもしれないけど、そうじゃなくて
ね。ほら、喧嘩漫画ではこういう展開王道でしょ?憎み合ってる人同士が握手するんだけど、こう、
思いっきりギューっと握って相手に自分の力を分からせるっていう……」
「思いっきり…握る……?」
「うんっ。やっぱり事前に力を相手に見せつけるのは必要だと思うの。あんた達、握力いくら?」
 絵里子の問いに、健一達は顔を見合わせ、恐る恐る答える。
「に、20kg…くらいだけど……」
 彼らは男子とは言え、まだ中学一年生。運動部に入っているわけでもないひ弱な彼らであれば、
全国平均の値から考えても20kgという数値は、まぁせいぜいそんなところだろう、という程度。だ
が絵里子はそれに対して、目を丸くさせて驚く。
「へ?20kg?冗談でしょ?私の10分の1くらいしかないじゃん!」
 そして今度は、健一達や、そして義也が驚く番だった。
 彼らは健一が言った「20kg」という数値を単純に10倍してみる。そして、揃って青ざめた。絵里
子に冗談を言っている様子はない。ということは、絵里子の腕には嘘でもはったりでもなく、恐ろ
しいパワーが秘められているということに……
「じゃあ、こういうことも出来ないんだ」
 そう言うと絵里子は、ほとんど表情を変えず、義也と繋いだ右腕だけに力を込めた。

 ミシッ!メキメキメキッ!
「あ、あぐううぅうう!!?」
 瞬間、義也の顔が歪む。絵里子に握られた彼の右手から、明らかに異質な音が響く。人が握手し
ているだけでは、絶対に起きないような音。
 一方の絵里子は、顔に全く変化が見られない。平然とした表情。そのままで、右腕だけ、一人の
女子中学生とは思えない迫力の筋肉が盛り上がっている。
 ギシッ!ギシギシッ!ミシィッ!
「えっ、絵里子!ぐう、がああぁあ!!やっ、やめ……、つ、潰れる……!」
「えぇ〜?よしにぃ情けないなぁ。私まだ半分くらいしか力入れてないの……にぃっ♪」
 ミシミシミシッ!!……バギッ!!!
 最後に露骨に嫌な音をあげてから、絵里子は義也の手を離した。笑顔だ。先ほどと変わらぬ笑顔。
だが一方の義也の方は、顔からダラダラと汗を流し、ゼェゼェと荒く呼吸をする。その右手は、
真っ赤に変色している。
「これくらいやってやれば相手も戦意喪失すると思うんだけどぉ……、でも、あんた達の力じゃ無
理っぽいよねぇ。あんた達が両腕使って3人がかりで握力計握っても、私の左腕一本にも勝てなさ
そうだし」
 その場で正座して見ていた健一達3人は、それは本当だと思った。絵里子の大学生の兄をここま
で苦悶させる握力。そうまでしても、まだ半分くらいしか力を入れていないと言う。彼らは改めて、
絵里子の超人的な怪力を思い知る。

「まぁいいや。握手にはもう一個、ちゃんとした意味があるから。これはあんた達でも出来ること
だよ? ほら、お兄ちゃん立って。もう一回握手するの」
 その要求に義也は明らかに怯える。再確認させられた絵里子の超人的パワー。それを前にして、
もう一度喜んで握手する人間などいるだろうか。彼女にかかれば素手でリンゴジュースを作ること
など、2分の力で出来る。本気を出せば、人の骨など簡単にクラッシュしてしまえる……
 だが絵里子は義也に「逃げ」を許さない。
「大丈夫!今度はぎゅーって握るわけじゃないから!」
 そう、義也は逃げられない。彼は屈辱を覚えることも忘れ、自分よりも遙かに大きな妹のことを
じっと見つめてから、観念してもう一度手を握る。
 改めて正対し、がっしりと手を繋いだ二人。身長差を見ると、二人が兄妹だということを忘れて
しまいそうだ。義也も背が高い方なのだが、それでも192cmという絵里子の長身には見下ろされて
しまう。
「いい?こうやって始めに握手したら、相手もちょっとは油断するでしょ? でもこの体勢って、
すっごく技を掛けやすいの。相手の不良だってケンカはしてるかもしれないけど、そういうことに
は疎いはずだから、そこでこうやって……」
 絵里子はそのまま、義也の右腕をグリンと捻り上げる。
「う、うぎぎぎ!?」
「このまま、こうやって……、こう!」
 あっという間。絵里子に腕を捻り上げられた義也は、ほとんど抵抗することが敵わない。上体を
捻り返され、すぐに絵里子に背中を見せる。そういえば、刑事ドラマで犯人を確保するときにこう
いうシーンがあったな、と健一達は思い出す。
「えへへ、こうなっちゃえばあとは思い通りだよぉ。よしにぃ、覚悟はいい?」
「え、え!?か、覚悟って……」
「ここまでやったんだから、最後までやないとねぇ」
 はにかむ絵里子。それを見ていた健一達は、愛らしいというよりも、恐怖に似た感覚を覚える。
 倒されかけた義也の体に、絵里子は片脚をぐいっと持ち上げ、首もとに跨るようにしてのしかか
る。絵里子の極太の太腿に、後ろから義也の首が挟まれる形だ。この時点で既に右手は離している
が、それでもこうなってしまえば義也に逃げ道はない。
 首の後ろに柔らかいものを感じる。それは、妹の人並み外れた巨尻だ。妹が首にのしかかってい
る。間違いなくこのままでは……首が折れる。

「ぎ、ぎぎぎぎ!!え、絵里子っ!!はっ、早く、下りて……っ!!」
「えへ、何言ってるのかな、よしにぃ。このまま頑張ってみてよぉ。頑張れば、私を肩車みたいに
持ち上げられるかもしれないよ?」
 肩車?
 義也は考える。あの絵里子のむっちりとした巨体。身体測定票に記された96kgという数値。
 無理だ。無理に決まっている。肩車など、出来るはずがない。……それを分かっていて、絵里子
はこんなことを要求しているのだろうか?」
「ほらぁ、よしにぃ、このままじゃよしにぃの首、ポキッっていっちゃうよぉ?妹のお尻に潰され
るのなんて嫌でしょ?」
「ぐ、ぐぐぐぐぐぐ!!!」
 何とか、力を振り絞って、首の上で体重をかけてくる妹をどかそうとする義也。だが、出来ない。
首の後ろに何個もの砂袋が乗っているようなものなのだ。どっしりとした絵里子のお尻はどかし
ようもないし、首を締めんばかりに両側に存在する太腿はびくとも動かない。
 そしてたちの悪いことに、絵里子はさらにそのまま体重をかけ始める。彼女の体が、徐々に重く
感じられていく。
「よしにぃ、もうちょっと筋トレしなよ。実の妹も持ち上げられないなんて、情けないよ?」
 いくら筋トレをしたところで、特に何のトレーニングもしていない絵里子に勝てるはずがない。
理不尽な現実を、彼女は知っているのだろうか。
「このままだとまた私が勝っちゃうねぇ、ケンカ。私、小三くらいのときからお兄ちゃん達との兄
妹喧嘩の記録、ちゃんとつけてるんだよぉ。えへへ、私の936戦936勝、お兄ちゃん達は1回も勝っ
てないんだよ。知ってた?」
「う、うぎぎぎぎ……」

 彼女の言葉に嘘はない。絵里子は二人の兄と喧嘩をして完璧なまでの勝利を収めるたび、自分の
愛用ノートに正の字を継ぎ足し、それを眺めて楽しんできた。
 それは絵里子が小学三年生のころから始めた趣味。当時、義也は高校二年生、和也は中学一年生。
つまり絵里子は弱冠10歳程度にして、年の離れた兄達をねじ伏せられるだけの力を持っていたと
いうこと。それから月日は流れたが、絵里子の成長期はまだ続いている。彼女のパワーの成長には、
まるで天井が見えない。
 始めのうちは兄妹喧嘩になると、義也も和也も本気で戦った。年下の妹が相手ということで喧嘩
の手段を力に頼るのにはいささかの抵抗があったが、それでも妹の方から肉弾戦を挑んでくるのだ
から自己防衛の意味でも抵抗するしかない。
 だが、昔から彼らはまるで絵里子に歯が立たなかった。
 最初は「自分は相手が妹ということで何処か遠慮しているのだろう」と考えた。だが、徐々にそ
の発想も薄れ、ただひとつの真実を思い知る。「絵里子はとんでもなく強い」という真実を。
 無自覚にも、おそらく人類最強クラスの人間に成長していく絵里子に、二人の兄は為す術が無く
なっていく。そして絵里子が小学校高学年になった時点で兄と妹の間には決定的な差が生まれ、兄
達は兄妹喧嘩に勝つということを諦めた。
 それでも絵里子は面白半分で喧嘩を挑んでくる。それは喧嘩というよりも、兄虐めに等しいもの
だった。が、絵里子はそれが楽しくて仕方がないらしい。暇さえあればほとんど毎日のように兄を
虐め、それを「兄妹喧嘩の勝利」としてノートに記録していたのだった。

「えへ、私とお兄ちゃん達のケンカも、もうすぐ1000戦目だね? このままだと私の1000戦1000勝
っぽいかなぁ?」
「ぐ、ぐううぅうぅう!!!」
 絵里子は義也の首もとに、さらに体重をかける。と同時に、太腿を使って首から顎にかけての部
位を挟み込むようにして締め上げ始めた。ギリギリッ!という音が義也の体から響き、彼の体はさ
らに沈み込む。
「私の1000勝のときには、何か美味しいもの食べに連れていってね! もちろん、お兄ちゃん達の
奢りで♪」
 そして絵里子は、無情にも両足を地面から離した。
「うぎゃああああぁあああ!!!!」
 ズシィーンッ!!
 瞬間的に、義也の首に完全に跨り、全体重をかけた絵里子。
 その一瞬で義也の首にかかった負荷は計り知れない。グギッ!!という嫌な音と共に、義也は完
全に絵里子に押しつぶされる。地面に叩きつけられる義也の体。その上に、お尻からドスンと着地
する絵里子。その表情には、満面の笑顔が浮かんでいる。
「えへ〜!これで私の937勝目だね!よしにぃ弱〜い!」
 グリグリとお尻を動かし、義也のことを踏みにじる絵里子。文字通り「妹の尻に敷かれた兄」の
構図。96kgの重量で義也の体はミシミシと音を立てたが、彼は声を上げない。……白目を剥いて、
気絶してしまっているのだ。
「ぐりぐり〜っと!よしにぃ、私のお尻で潰れちゃってるよ〜♪ ……って、あ!しまった!」
 そこで絵里子はようやく思い出したらしい。これが、健一達に見せるための「モデルとしてのケ
ンカ」であったということを。
「う〜ん、つい夢中になっちゃってたけど……、どう?これでケンカの勝ち方、分かった?」
 そう言って気絶する兄の体に座ったまま、絵里子は健一達の方を見る。
 そこには、正座したままその場に凍り付いて頷くことすら忘れた男子3人の姿があった。同級生
の、普段は同じ教室で普通に生活している女の子。その彼女が、大学生の兄相手にあまりにも圧倒
的なケンカをこなす姿に、彼らが恐怖しないわけにはいかなかった。
 そして彼らは思う。
 こんなケンカのやり方、真似できるはずがない、と。


 そしてついに、ケンカ本番の日がやってきた。
 健一、祐介、貴史の3人は近所の河原にやってきた。ここがケンカの場所。彼らが不良の高校生
をここに呼び出したのだ。いつもは一方的に送りつけられてくるメールを使って、今回は彼らの方
から不良と会う約束をした。それは彼らにとって、前代未聞のことであった。
 ゴクリ。健一達はそろって生唾を飲み込む。彼らは思い出す。たった3日間だけではあったが、
絵里子による特訓の日々を。
 一体何度、彼女の餌食になったかわからない。「特訓あるのみ」と絵里子は繰り返し、脚で絞め
られ、太股に挟まれ、手で握りつぶされ、張り手で吹き飛ばされ、おしりで潰され……
 ブルリ。健一達はそろって体を震わせる。彼らは思い出さないことにしたようだ……
 結局、3人がかりでも(いや、途中から絵里子がふざけて「お兄ちゃん達もまとめて特訓しよう
よ!」などと言い出したので、最終的には男5人がかりになったのだが)、絵里子にケンカで勝つ
どころかダメージすら負わせることが出来なかった。
 が、健一達の中には、それによって新たな考えが浮かんでいた。絵里子ちゃんは別格なんだ。絵
里子ちゃんに比べれば、あの高校生の不良達なんて、怖くもなんともない。
 当初の目論見とは違ったが、そう考えることによって健一達は、自分を虐める高校生の不良達に
立ち向かう勇気を手にしていた。

 一方、河原の様子を物陰からこっそりと見守る3人の姿があった。
「なぁ絵里子、俺、今日くらい家で休みたいんだけど……」
「ああ、せっかく俺も和也もオフ日なんだからさ……」
「何言ってんのお兄ちゃん!お兄ちゃん達だってあの3人がどうなるか、心配でしょ?」
 絵里子とその2人の兄も、結局健一達のことが気になって見に来てしまったようだ。

 そのとき、河原にまた別の人影が現れた。彼らこそが、健一達を虐める3人の不良高校生である。
「おい、健一、お前らの方から呼び出すなんて、いい度胸してんじゃねーか?」
 確かに、その辺によくいる不良という感じのチャラチャラした3人。体格が良いわけではないが、
それでも並にケンカはできる、という部類か。ケンカや虐めなど、大して強くなくとも相手を虐
めることへの罪悪感さえ薄れれば、多少は強くなれるものである。
「で?今日は何の用だ?」
「自ら率先して俺らにパシられにでも来たのかよ?」
 そう言ってギャハハと笑う3人の高校生。その姿を歯を食いしばって睨み付けると、健一が代表
して宣戦布告をする。
「……今日、ケンカして、俺達が勝ったら……、もう俺達に関わらないでも欲しいです」
「はぁ?何言ってんの?」
「だから、俺達とケンカしろってことです!」
 臨戦態勢の健一、祐介、貴史。高校生は顔を見合わせたあと、彼ら3人のことを鼻で笑う。
「はっ、何を言い出すかと思えば。お前らもつくづくバカだなぁ。お前らみたいなガリガリの中坊
が、俺らに勝てるわけねーじゃん」
 しかし健一はひるまない。自ら一歩、歩み寄り、右手を差し出す。
 ケンカ開始は握手から。
 これが絵里子に教えてもらったこと。握手をすれば、相手は油断する。そこで相手の腕を思い切
りねじり上げる。……絵里子によって、何度も実験台にされた技のかけ方だ。
 さぁ来い。健一は、手を差し伸べながら、相手をじっと睨み付けた。

 しかし――
「握手?バッカじゃね?」
 相手の不良も、甘くはなかった。差し出された右手を無視すると、手を握る代わりに右足で健一
の体を思い切り蹴り飛ばす。
「ウゲッ!?」
 吹っ飛ぶ健一。こんなはずじゃないのに。絵里子から教えられた、第一の手段はあっけなく不発
に終わる。そのことが、健一達3人を困惑させてしまった。
「おい今見たか?ウゲッって言って吹っ飛んでったぜ?」
「ハハッ!おいやっちまえ!」

 そこからのケンカは、酷く一方的だった。
 生意気な宣戦布告で高校生達の怒りを買ってしまい、殴られ、蹴られる健一達。抵抗しようとは
試みるものの、すべてあえなく不発に終わり、返り討ちに遭う。
 だが、それでも彼らはへこたれない。
 何故なら、この3日間で、彼らは「ダメージを受ける側」としてはプロ級の耐久性を手に入れて
いたのだ。
 不良達のパンチもキックなど、絵里子と比べれば何でもない。そう思えば、耐え続けられる。
 だが、耐えるだけではケンカは勝てない。なかなかへこたれない健一達をおかしくは思いながら
も、高校生達は攻撃の手を緩めない。
「く、くそ……特訓…したのに……」
 悔しそうにつぶやく健一。不良達はその言葉を聞き逃さなかった。
「は?特訓?」
「お前らみたいな雑魚の中坊が、どんな特訓したっていうんだよ!」
「どうせ同じヘナチョコ中坊師匠の、ヘナチョコ特訓だったんだろ!ギャハハ!」

 高校生が何気なく口走った一言。その言葉は、物陰から観戦していた絵里子の地獄耳に、はっき
りと伝わっていた……
「……私、行ってくる」
 立ち上がる絵里子。一緒にいた義也と和也は慌てて彼女を引き留めようとする。自分の妹が、男
子高校生の不良と関わり合いになるのを心配しているのではない。これ以上、絵里子の犠牲者が増
えることを心配しているのだ。
「お、おい絵里子、ちょっと待てって……」
 しかし絵里子は振り返ることすらしない。
「お兄ちゃん達は黙ってて」
と言い放ち、ドンとお尻を突き出す。いきなり突き出された大きなお尻。妹を引き留めようとして
いた二人の兄は、あえなくお尻によっていとも簡単に突き飛ばされてしまう。
 こうなった絵里子はもう止められない。
 「ヘナチョコ中坊師匠のヘナチョコ特訓」。その言葉が、絵里子の癪に障ったのだ。それは高校
生達にとっては、あまりにも不幸なことだった。

「ホントあんた達、情けないね」
 高校生対中学生のケンカ。3対3、男同士の決闘のはずが、そこに現れた第7の人物に、一斉に
注目が集まる。
「え、絵里子ちゃん……っ」
 ボコボコにされた健一達は、その姿を見て安堵に似た表情を浮かべた。「特訓」と称し、これま
で散々彼女にやられてきたが、だからこそ分かる。絵里子こそが、高校生よりも強い、最強の女の
子だということが。
 その絵里子が、今は健一達の味方。これ以上はないくらい、強力な味方である。
「な、なんだこの女……」
 一方の高校生は、絵里子を見て呆気にとられた。それもそのはず。突然現れた、まだあどけない
顔の美少女は自分たちよりも遙かに背が高く、体格が良く、言ってしまえば「デカかった」のだ。
「ご、ごめん、絵里子ちゃん……。俺達、何もできなくて……」
「情けないこと言ってんじゃないの」
 涙目の祐介にも、絵里子はピシャリと言い放つ。そして、不良達の方を睨み付けながら、足下に
倒れ伏す健一に尋ねた。
「ねぇ、私、あんた達にとって『ヘナチョコ師匠』だった?」
 一瞬、健一はポカンとした表情を浮かべた。が、すぐに気を取り直し、首をブンブンと横に振った。
「ま、まさか、そんなはずないよ!」
「そうだよね〜。私がヘナチョコなはずないよね〜。……そのこと、そこにいるヘナチョコ高校生
に分からせてあげないとねっ」
 一歩ずつ、堂々と、絵里子は不良達に向かって歩み寄る。
 一度は絵里子の体の良さにたじろいだ3人の不良だったが、すぐに思い直したように拳を握った。
「な、何言ってんだこの女は!」
「俺達がヘナチョコだって? ちょっと体がデカいからって調子に乗んなよ!?」
「おい!相手は中坊の女一人だぞ!やっちまえ!!」
 そして一斉に飛びかかる。絵里子の力も知らずに。

 一人目。絵里子の腹に向けてボディーブロー。
 ドスッという鈍い音が響く。拳は間違いなく腹に刺さったはずだが……
「ぐ……な、なんだこれ……」
 違和感を覚えたのは不良の方だった。絵里子の常人離れして発達した腹筋の前では、そこらの不
良のパンチなど無意味。普段は柔らかな絵里子の腹も、少し力を入れるだけで、鋼鉄の鎧となるの
だから。下手をすれば彼女は腹筋の堅さだけでプロボクサーのストレートでも止めてしまうかもし
れない……
「女の子のおなかを殴るなんて酷いなぁ」
 192cmの長身に見下ろされ、不良は本能的に尻込みする。その隙を彼女は見逃さない。両手を使
って不良の頭をがっしりホールドすると、次の瞬間、にこっと笑った。……不良の頭蓋骨に激痛が
走ったのはそれと同時だった。
 ギチッ!ギチギチギチッ!
「ぐがががががが!!」
 絵里子が腕に力を込め、万力のように不良の頭に両側から力を込めたのだ。まるで、手の間にあ
るボールを押し潰そうとするかのように。
 常人のそれと、絵里子のものは訳が違う。ただ頭を両側から挟まれただけなのに、不良の頭蓋骨
が一気に悲鳴をあげる。
「このまま潰しちゃおっかなぁ〜。腐ったトマトみたいな感じに、グチャッと♪」
 満面の笑顔の絵里子。その天使の表情とは裏腹に、グロテスクなことを口走る。
 絵里子の言葉に、不良の顔色が一変した。普通であれば、そんなことが人間に出来るはずがない
と思うだろう。しかし今まさに技をかけられている本人には分かる。絵里子の力があれば、人一人
の頭蓋骨を押し潰すことなど、造作もないという事実が。
「ひいっ!!や、やめっ!!」
 怯えきった不良の表情を見て、絵里子は満足そうにうなずいた。
「えへ、冗談だよぉ。流石にそこまで酷いことはしない……よっと!」
 掛け声と共に、絵里子は腕を振り上げ、両手でつかんでいた不良を体ごと振り回した。
「う、うわああああ!!」
 まるで軽いマネキンでも扱うようにして、絵里子は不良のことを放り投げる。恐怖に引きつった
表情で、彼は宙を舞った。
 余裕に満ちあふれていた他の2人の不良の顔が、徐々に引きつる。一人の男子高校生が、女子中
学生によって5メートルも投げ飛ばされたその光景は、絵里子という存在に慣れない者にとっては
少々ショッキングすぎた。
「はい、一人目終わりっと♪ 次はどっち?」

「ふ、ふざけやがって!!」
 二人目。絵里子に向かって思い切り飛びかかり、顔面めがけて拳を振りかざす。
 が、それを絵里子が許すはずがない。
「ちょっとぉ、今度は女の子の顔を殴ろうっていうの?最低だよ、それ」
 不良の渾身の力を込めた全力パンチ。それを絵里子はいとも簡単に、片手で受け止めてしまう。
「んな!?ば、バカな……」
「バカはそっちでしょ? 女の子の気持ちも考えられないおバカさんには、お仕置きだよっ!」
 絵里子は空いている方の左手を振りかざす。パーに開かれた手が、不良のパンチのそれとは比べ
ものにならないスピードで振り下ろされた。
 バッシィーンッ!!
 すさまじいビンタ。その光景に、横で見ていた健一達3人は思わず目を反らした。彼らは知って
いるのだ。絵里子のビンタが、どれほど恐ろしいか。おそらく不良達のパンチの10倍は威力があろ
うかというビンタ。それでも絵里子にとっては「軽く」「手加減して」のつもりなのだが。
「へぶうぅ!!」
 奇妙な声をあげて、2人目の不良もまた吹っ飛ぶ。……そう、張り手だけで、一人の男が吹き飛
ぶのだ。それほどの衝撃が一瞬にして不良の右頬に加えられた。当然、気を失うには十分な衝撃。
 彼は女の子のビンタ一発で白目を剥かされ、そのまま吹っ飛んで、先に投げ飛ばされた一人目の
不良に折り重なるようにして倒れた。絵里子は吹っ飛ばした後の着地位置まで考えて、一発のビン
タを張ったというのだ。
「ビンタ一発で気絶とか、弱すぎだよぉ。全然張り合いないじゃんっ。次で最後かな?」

 これほどまでに圧倒的な力の差を見せつけられては、残った最後の一人も余裕は見せられない。
 青ざめた顔のまま、人間離れした身体能力を持つ絵里子のことを、化け物を見るような目で眺め
る。ここで逃げ出すのは簡単だ。出来れば逃げ出したい。しかし、打ちのめされた仲間二人を見捨
てるわけにはいかないし、それよりもこれまで虐めていた3人の中学生の前で情けない姿を晒すこ
とは何としても避けなければならない。
「ち、畜生!」
 そして三人目、彼が取った最後の手段は、禁じ手、武器を使うことだった。
 足下に転がっていた金属パイプ。おそらく川岸の整備をする工事で余った廃材であろうそれを拾
い上げ、彼は歯を食いしばりながら絵里子に向かう。
「うおおおおお!!」
 パイプを振り上げ、絵里子の頭部に向かって振り下ろす不良。もうなりふりは構っていられない。
何しろ相手は、化け物なのだから……
 しかし――
 ガッ!という音がして、振り下ろしたパイプがぴたりと静止した。不良は何が起こったか理解す
るのに時間がかかっった。……振り下ろしたパイプを、絵里子が片手で受け止めたということが分
かったのは数秒後のことである。
「ねぇ、情けないと思わないの?」
 その絵里子の一言で、不良は我に返る。
「一人の女の子相手にするのに武器まで持ち出すなんて。あーあ、こんなヤツにヘナチョコ呼ばわ
りされたかと思うと腹立つなぁ〜」
 余裕たっぷりにため息をつく絵里子。対照的に、不良にはもう余裕などかけらもない。ガタガタ
と震えて、自分より年下の女の子に怯えるだけ。
「もう、こんなもの使うなんて、ダメだよ。どうせやるんなら正々堂々じゃないと」
 絵里子は震える不良の手から鉄パイプを奪い取ると、右手の握力だけでそれを……、グニャリと曲げた。
「ひっ、ひぃっ!」
 工事用の鉄パイプ。それも絵里子の手にかかれば、まるでスライムのように扱えてしまう。不良
は思い知った。世の中には、どうやっても勝ち目がないケンカというものがある、と。
 一歩。また一歩。絵里子が詰め寄る。不良は震えながら後ずさり。もう、反撃する気力もない。
こわごわと絵里子の顔を見上げながら、一歩ずつ後退していく……
「う、うわっ!」
 と、そこで、何かに躓いて不良は尻餅をついた。
 足下にあったもの。それは、先に倒された2人の仲間。折り重なるようにして倒れている2人の
上に、3人目の彼も同じようにして倒れ込んだ。

「さぁ、これで準備できたかなっ」
 尻餅をついたまま、情けなく絵里子に怯える不良。彼の下に倒れている二人に、意識はない。
「じゅ、準備?」
「そうだよ〜。最後は3人まとめて料理してあげようかと思って。えへっ」
 何が何だか分からない不良。
 だが、横で見ていた健一達には、絵里子の目論見が理解できた。この三日間の特訓によって、健
一達は絵里子の思考パターンがだいたい分かるようになっていた。だからこそ予想できる。彼女が
考えている、残虐な「料理方法」を。
 きょとんとしたまま、とにかく目の前の強大な存在を恐れるしかない不良。その彼に絵里子は、
くるりと身を翻し、背を向けた。
「それじゃ〜、いっくよぉ」
 その掛け声と共に、絵里子はぴょんと後ろ向きにジャンプする。
 お尻を突き出して、そのままの姿勢で着地に向かう。……3人の不良達を、着地ポイントに定めて。
 3人のうちで唯一意識があった3人目の不良の目には、絵里子の大きなお尻がズームアップにな
る光景がはっきりと映し出された。
 彼は声を出すことも出来なかった。そしてその光景を、彼は二度と忘れないだろう――

「とおぉ〜っ♪」

 ズッシィーーーン!!!
 メキメキメキッ!!ボキッ!!バギィッ!!グシャッ!!!
「うぎゃああああああ!!!」
 3人の不良が積み重なったところに、絵里子の重力加速度の載った全体重が降り注ぐ。
 彼女のお尻は文字通り、不良を3人まとめて料理し、潰してしまった……
 意識を保っていた最後の一人も、もう白目を剥いて倒れている。絵里子は折り重なって倒れる3
人の男子高校生を嘲笑うように、その上に座り込んで何度も何度もお尻押しつけた。文字通り、絵
里子の完璧な勝利だった。

「え、絵里子ちゃん、ありがとう!」
 絵里子と不良達のケンカは、あっという間に終わりを迎えた。彼女にとってみれば、その辺で幅
をきかせている不良高校生など取るに足らない存在だということがよく分かる。
 そんな絵里子の元に、健一達はボロボロに腫らした顔にいっぱいの笑顔を浮かべながら駆け寄る。
これだけ酷い目に遭わされれば、この不良達ももう健一達を虐めることはあるまい。
 健一達には、絵里子が救いの神に見えた。「特訓」の中では何度も酷い目に遭った。しかし今と
なっては、その絵里子が誰よりも強い、自分たちの味方なのだ……
「もう、あんた達、何なのあのザマは!」
「……え?」
 しかし、そんな健一達を迎えた絵里子の言葉は、予想外に厳しいものだった。
「私がせっかく特訓してあげたのに、この程度の相手にも勝てないなんて!この程度の!」
 絵里子は高校生3人を椅子代わりにどっかりとお尻を下ろし、脚を組みながら健一達を睨み付け
る。その高圧的な態度を前にしては、健一達も勝利の喜びなど忘れて尻込みするしかない
「そ、それは……」
「もう、全然だめだねっ。これからも特訓は続けないと!」
「「「え、ええぇっ!?」」」
 3人は声を揃えて驚く。
「い、いや、そんな、いいよ。だ、だってその高校生達はもう虐めてこないだろうし……」
「あんた達がそんなに弱かったらまた同じように虐められるに決まってるでしょ!」
「う、そ、それは……」
「そういうことだから、明日からも毎日特訓ね!あんた達の弱さもよーく分かったから、明日から
は今までの10倍キツいメニューにするから!」
「そ、そんなぁ……」
 ここに来て初めて、健一達は絵里子という人間を師匠に選んでしまったことを心から後悔した。
 彼らの地獄の日々は、これからも毎日続く……


 つづく





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