とある兄と妹

    8

 今日の分のバイトが終わり、義也が帰宅したのは夜7時。
 もう2人とも帰ってきているだろうか。そういえば和也は大会が近いから帰りが遅くなると言っ
ていたような気もする。そんなことを考えながら玄関を開けると、そこには一組のスニーカーが並
んでいるだけだった。やはり絵里子は帰ってきているが、和也はまだらしい。
「ただいま」
「おかえりー!」
 リビングの方から絵里子の声。入ってみると、絵里子がプレイステーション3で遊んでいるとこ
ろだった。
「ん?それ、もしかして『NABURIファイト』の新作じゃないか?」
 『NABURIファイト』とは、世間で大人気の格闘ゲーム。義也もゲームに興味がないわけではない。
テレビなどで放映されているデモムービーを見てそのゲームの存在はよく知っていた。
「そうだよ、昨日発売したやつ」
「発売日にすぐ売り切れて入手困難ってニュースでやってたけど……まさか買ったのか?ていうか、
うちにはPS3もないはずだよな。どこにそんな金が……」
「違うよ〜、私のお小遣いでPS3もゲームも買えるわけないじゃん。これは借りたんだよ」
「借りたって……誰に?」
「クラスの男子」

 義也は考える。
 世間で大人気のゲームを、発売日直後に他人に貸そうと思う人間などいない。それもご丁寧に最
新機種のハードまで付けて。
 つまりこれは、絵里子がクラスの男子を脅して、半ば強制的に借りてきたものだろう。
 絵里子は以前の校内相撲大会でクラスの男子に虐め紛いの「特訓」をし、大会では上級生の男子
を完膚無きまでに叩き潰したと聞く。さらに彼女の性格から考えるに、ごく日常的に自慢の腕力を
武器に男子と「遊んでいる」のも想像できる。
 ひょっとすると、絵里子が「貸して♪」と言えば、どんなに彼女の中学校の男子はそれが大切な
ものであれ、無条件で差し出さなければならないくらいにまで、絵里子の権力は拡大しているのか
もしれない。
 中学1年生にして、学校中の男子生徒が絵里子の傘下にあると考えても、とても不思議ではない。
彼女はそれほどに強く、恐ろしい。そのことは兄である義也が誰よりもよく知っている。

「このゲーム、対戦モードがあるんだ!よしにぃ、一緒にやろ!」
 お目当てのゲームにありつけてご満悦の絵里子は、義也をソファの方に手招きし、コントローラー
を差し出す(どうやら絵里子の友人は親切にもコントローラー一式も貸してくれたらしい)。
 義也も実を言えば、そのゲームをやりたいと思っていた。しかし家計を考えるととてもそんなも
のに手を出す余裕はなく、諦めていたのだ。
 彼は、彼女の友人に同情しながらも、このときばかりは絵里子に感謝して、コントローラーを受
け取った。
「えへへ、もちろん負けた方は罰ゲームとして、勝った方の言うことを何でも聞くんだからね!」
「え、ば、罰ゲーム?」
「そうだよ〜。罰ゲームがあった方が燃えるじゃん!」
 絵里子の「罰ゲーム」の言葉に、一瞬ドキッとする義也。彼女による「罰ゲーム」に何度苦しめ
られたことか……
 しかし彼はすぐに考え直す。今回の勝負は力比べではない。純粋に、ゲームでの勝負だ。
 これなら絵里子に勝てるかもしれない。もし勝てれば、いつも言いなりにされていた絵里子に一
矢報いることが出来るのだ。
 そう思いながら、彼はキャラクター選択画面で一番強そうな大男を選ぶ。
 絵里子はセーラー服を着た女子高生格闘家のキャラを選んだ。

 ――勝負がついたのはあっという間のことだった。
 およそ30秒後。画面には「K.O」の文字と共に、大男を足蹴にしてガッツポーズを決める女子高
生のイラストが浮かんでいた。
「やったー!勝ったー!」
「そ、そんな……」
 勝負は圧倒的だった。
 巧みなスティック裁きでコンボを華麗に決める絵里子に対して、義也は小ダメージを数発与える
ことしか出来ず、みるみるうちに体力ゲージを減らされてしまった。
 絵里子だってこのゲームをするのは今日が初めてのはず。それなのに、これほどまでに差が出る
なんて。
「じゃ、よしにぃ、約束通り、罰ゲームを……」
「ま、待った!5回勝負!先に5勝した方の勝ちにしよう!」
 義也は慌てて待ったを掛ける。
 そうだ。彼だってこのゲームに触るのはこれが初めて。まだ操作に慣れていなかっただけだ。そ
う思い込むことにした。そうしなければ、今の圧倒的大敗はとても認められない。
「え〜、まぁいいよ。あんまりすぐ終わってつまんなかったし」
 今度こそ。今度こそ勝つ。
 そう心に決めて、義也は別の、強そうなキャラクターを選ぶのだった。

 意気揚々と絵里子に挑んだ義也であったが、5回勝負は想像していたよりも遙かに早く終了した。
 絵里子の5連勝で、あっけなく幕を閉じたのである。
「そ、そんな…なんでそんなに強いんだ……」
「私は普通にやってるだけだよ〜。よしにぃが下手くそなんじゃないの?」
 そう言うが、絵里子のプレイングは明らかに上級者さながらのものだった。ゲームに触って初日
でこれほど動かせるのは、まさに天才。
 最後の5試合目ともなると、絵里子はハンデとして最も「Power」が弱く「Speed」も低い、赤い
ランドセルを背負った女子小学生キャラを使ったのだが、それでも義也の大男キャラは好き放題の
なぶりものにされ、最後は横たわる大男の体を女子小学生が笑顔でピースをしながらお尻で踏みに
じるという屈辱的なイラストが、画面一杯に映し出された。
 義也は現実の肉弾戦はおろか、ゲームの中のバトルでも絵里子に歯が立たなかったのである。

「よしにぃ、ここまでボロ負けしたらもう文句ないよね?罰ゲームだよ〜」
「ぐ、ぐぅ……」
「それじゃ、私がゲームしてる間、よしにぃには私のソファになってもらおっかな。ほら、そこに
四つん這いになって!早く早く!」
 もう、少しも待てないという絵里子の催促。義也は何も言わず、顔を青くしながら命令に従う。
ここで命令に背くことは簡単だが、それは命を捨てることと同義だ。
「えへへ、いいソファだなぁ」
 ズシンッ!
「グェッ!!」
 義也の口から声が漏れる。
 絵里子は四つん這いになっている兄の背中の上に、情け容赦なく、巨大な自分の肉体を尻から落
下させたのである。96kgの全体重が、一瞬にして背中に加えられる。
 体重を支えているだけで精一杯。そんな兄を嘲笑いながら、絵里子は両脚を地面から離して完全
に体を兄の背に預け、ゲームの1人プレイモードを再開した。

「ただいまー」
「あ!かずにぃおかえり!」
 夜9時過ぎに、次男の和也が部活から帰宅した。
 彼がリビングに入って見た光景。家にあるはずもない最新のゲーム。そのコントローラーを握る
妹。そして顔を真っ赤にしてプルプル震えながら、四つん這いになって妹の体重を支える長男。
「な、なにやってん…の……?」
「かずにぃかずにぃ!一緒にゲームしよ!今日友達から借りてきたんだ〜!」
「おお、『NABURIファイトV』か。俺、友達の家でそれのUやったことあるんだよな」
「ならちょうどいいや、対戦モードで対戦しようよ〜!よしにぃは弱っちくてさ」
「ああ、それで負けて兄貴はそんなことになってんのか。よし、やるか。友達んちで鍛えたから、
俺はそう簡単に負けねぇぞ?」
 自信満々な和也に、義也は首を振って「こいつと対戦してはいけない」とメッセージを送ったが、
残念ながら和也のもとには届かなかった。
 もうかれこれ2時間ぶっつづけで1人プレイモードを楽しんだ絵里子。それだけの間で彼女のゲ
ームテクニックは、さらに上達していた。そのことを義也は2時間たっぷり休みなしで、椅子にな
って見ていたのだ。
「かずにぃも負けたら罰ゲームだからね〜」
「望むところだ。絵里子が負けてもちゃんと罰ゲームするんだぞ」

 11時過ぎ。
「ぐ…え…絵里子…あんまり夜更かししてゲームばっかやってると……」
「いいもん、明日学校も部活も休みだし」
「え…絵里子…そろそろ…やめた方が……」
「え〜?もうちょっとだけ!」
 坂崎家のリビングでは、二人の兄がぷるぷると腕をふるわせながら、体を寄せ合うようにして四
つん這いになっている。その広い2人ぶんの背中に、絵里子は優々と尻を下ろし、ポテチをぱくつ
きながらゲームをしている。
「だいたい、よしにぃもかずにぃも私にボロ負けだったんだから罰ゲーム受けて当然なの!くふふ、
笑っちゃうよね〜、ゲームの世界でも妹に全然歯が立たないなんて」
 全くその通りだった。あの後、和也も絵里子のコントローラーさばきの前には歯が立たず完敗。
こうして絵里子の椅子になる羽目になった。
「隠しキャラ全部出しちゃいたいから、あと2時間くらいかかるかも。お兄ちゃん達がんばって椅
子になってね♪」
 あと2時間という言葉が、義也と和也の精神をじわじわといたぶる。
 純粋な喧嘩だけでなく、ゲームの世界でまで勝てない。
 二人が絵里子に何らかの方法であっても“勝利”することの遠さが目に見えた一日だった。


 つづく





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