5年3組物語 第5話

哀れなガキ大将

「それにしても情けねーなお前らは。タマ付いてんのかよ、タマ。あぁ?」
 Y小学校5年3組の男子児童、松尾正道と田原雄次郎がうなだれる前で、彼らと比べるとふた回りは大きい
梶井勝は呆れたように鼻で笑った。

 ここは市内大手の学習塾、秀研学館。そしてこの南町支部はこのあたり3つの校区をカバーする
かなり大規模な塾である。正道と雄次郎は4年生の頃からそろってここに通って勉強している。
そして今目の前にいる勝は1つ離れた校区、M小学校に通っている6年生の男子児童である。
授業が終わった帰り道、勝は缶ジュースを飲みながら2人の5年生に悪ぶった口調で言い聞かせる。
「いいか、女なんてのはな、せいぜい口だけだろうが。一度力づくでわからせてやらねえとわからねえんだよ。
1発ブッ飛ばしちまえば二度と生意気な口なんて叩けなくなるさ。男の力を思い知らせてやるんだよ。
女のくせに、たかが女が俺たち男に偉そうにしようなんて身の程知らずもいいもんだぜ。
そう思わねえか、なあ」
「そ・・・そうです・・・かね・・・」
「ぅぅ〜ん・・・」
「お前らなあ!そんな弱々しい態度だから女どもにナメられんだよ!!わかってんのか!」
 バンッ!! と近くにあった立て看板を勢いよく蹴り飛ばす。
「ひぃぃっ・・・!」
 正道と雄次郎は塾の休み時間、自分たちの通う学校で日ごろ女子にひどい目にあわされ続けていることを
別の学校に通う同学年の友達についこぼしてしまったのだった。その様子に驚いた友達は自分と同じ学校に
通う1学年上の友達、つまりこの梶井勝にまで話を持って行ったのだ。
・・・つい口に出してから、正道も雄次郎も後悔した。何か、嫌な予感を感じたからだ。

 勝は小学校6年生の12歳にして早くも髪を茶色に染め、タバコの味も覚えていた。
その年齢の平均値からすれば飛びぬけて大柄な171cm、M小学校では彼より大きな生徒はいない。
ケンカは自他共に認める強さを誇り、自分の思うとおりに事が運ばなければすぐに暴力に訴えた。
気に入らない者は男女問わず殴り、蹴り、無理やり言うことを聞かせる。ときには中学生をも。
そんな彼を周りの子どもも大人も恐がり、表立って注意するものは誰一人いなくなってしまった。
それによりますます彼は増長し、最近では弱いものからの金品のゆすり、たかりにまで手を染め始めた。
勝の暴力から身を守る術として周りの男子生徒たちはひたすら彼に取り入り、子分同然となることによって
彼の怒りを買わないことに必死だった。そうしない者は彼に難癖をつけられては殴られた。
そうこうするうち、勝の取り巻きとなった者たちまでもがさらに弱いものを傷つけ、金を巻き上げるようになった。
M小学校およびその近辺は勝を頂点とした小学生ギャング団により無法地帯と化してしまったのである。
勝たちの報復を恐れ弱者たちは先生や親への報告をせず、大人たちは知っていても見ぬふりを決め込む。
勝はM校区の、悪い意味でのガキ大将であった・・・

 そんな隣の校区での恐い噂が常々耳に入っていた正道と雄次郎は、この勝とだけは関りたくなかった。
1歩間違えば殴られ、さらに1歩間違えば無理やり勝の周りの者たちのように犯罪の片棒を担がなくては
ならなくなるかもしれない。今こうして勝と一緒に歩き、彼のタバコ臭い息を感じながらついて回らされて
いることだけで恐かった。今すぐにでも逃げ出したかったが、恐くてできなかった。
「なんだったら・・・俺が何とかしてやってもいいんだぜ」
 勝が飲み終えたジュースの缶をそのへんに投げ捨てると、タバコに火をつけながら言った。
「え?」
「わからねえのか・・・お前らはひ弱で女ともまともにケンカなんてできねえ弱虫みたいだからよ・・・
俺が代わりにその女ども、黙らせてやろうかって言ってんだよ」
「ぇ・・・でも、そんなこと・・・」
「お前らは黙って見てりゃいいんだよ・・・俺がケンカの仕方ってもんを教えてやるよ」
「でっ、でも・・・別にケンカなんてわざわざ・・・」
「だからお前らはダメだって言ってんだ。さっきも言ったろ、女なんて男の力でわからせなきゃってな。
心配すんな、二度とお前らに生意気なマネできねえようにボコボコにして思い知らせてやるから」
「あ、あの・・・」
「よし決まりだな。さっそく明日ブチのめして女の立場ってもんをわからしてやるからよ。
お前ら、明日の5時にM公園によ、お前らのクラスの女1人連れて来い。とりあえずそいつから料理だ」
「ぁ、いや・・・そのあの・・・」
「で、ボコボコに痛めつけたその女ダシにして1人づつおびき出してたっぷりと思い知らせてやるんだよ。
ゆっくり時間かけてな。・・・ま、そういうことだ。明日忘れねえで連れて来いよ!お前らも見とけ。
俺がケンカの見本、見せてやるから。せいぜい勉強しな」
 言いながら勝はタバコを吹かしながら2人のもとを去っていった。
「だ・・・大丈夫なのか、こんなこと・・・」
「だ、だって・・・断るヒマなかったし・・・」
 勝の強引さの一片を垣間見て困惑の表情でお互いを見合わせる正道と雄次郎。
「あっ、それからな!俺に働かせた分お前らにも後で十分働いてもらうからよろしくな!」
 帰り際に振り返ってその一言を残して勝は消えた。・・・その言葉に、嫌な予感が的中したようで
2人は背筋に悪寒を走らせるのだった。

 夜の塾からの帰り道、2人の足取りはひたすら重かった。
「どうするんだよぉ・・・明日連れて来いって言ってたぞ?」
「で、でもさ・・・これでうちのクラスの女子も少しはおとなしくなってくれるかもしれないし・・・」
「バカ!そんなのんきなこといってる場合じゃないぞ!あの梶井さんとかいう人言ってただろ・・・
僕たちも後で働かせるって・・・なにやらせる気なんだ?まさか、僕たちも強盗みたいなことさせられるとか・・・」
「でも今さら断ったら間違いなくボコボコにされるのは僕たちだと思うよ・・・」
「あぁっ、どうしたらいいんだ・・・さっき塾であんな話するんじゃなかった」
「まさか6年の人にチクるなんて思っても見なかったからさぁ・・・」
「・・・で?誰連れて行く?誰も行かせなかったら僕たち殺されるよ?どうしよう・・・」
「と、とにかく・・・誘っても怒りそうにない優しい女子にしようよ。誰が呼んでるかは黙っといてさぁ」
「そ、そうだよな。誰にしようか。やっぱり・・・宮田さん?」
「バカやめろ!かわいそうだろ。ボコボコにされるんだぞ!?」
「そんなの誰を行かせても同じだろ・・・あーっ!!わかったぞ!お前もしかして、宮田さんのこと好きなんだろ」
「バッ・・・バカ!そんなわけないだろ!いきなり何言い出すんだよ!」
「何赤くなってんだよ・・・そうかお前やっぱりそうなんだ。優しくしてくれるもんなぁ、宮田さんって」
「う、うるさい!そういうお前はどうなんだよ!」
 ・・・結局、その日のうちに2人の結論は出なかった・・・

 翌日。夕方4時50分。M公園。
「・・・で、お前ら、ちゃんと呼んだのか?女」
「は、はい・・・一応・・・」
「来ると・・・思いますけど・・・」
「本当だろうな?俺は、お前らが直接女連れてくるものとばっかり思ってたけどな。
言っとくが、俺は貴重な時間割いてお前らの用事に付き合ってやってんだからな。これでもし、
ハッタリかまして来なかったりしたらお前らただじゃすまさねえからな。わかってんのか!?」
「はっ、はひ・・・」
 小柄で華奢な正道と雄次郎を傍らに、勝は太い腕を組んでその女子の到着を苛立ちながら待った。
正道が、勝に聞こえないように雄次郎に囁きかける。
「手紙・・・ちゃんと置いてきたか?」
「うん。間違いない。読んで、来てくれると思う・・・」
「思うじゃ困るんだよ。でなきゃ僕たちがボコ・・・」
「あっ、来た!」
 公園に細身の少女が現れた。Y小学校の制服に身を包み、赤いランドセルを背負ったまま。
その少女は広場にたたずむ同級生の正道と雄次郎の姿を見つけると笑顔を見せて歩いてきた。
「田原君、松尾君。手紙入れたのってあなたたち?お話があるって書いてあったけど、なに?」
優しげな表情のかわいい女の子。正道がここにおびき寄せる手紙を書き、机にしのばせた相手は由奈だった。

 森下由奈。11歳。Y小学校5年3組出席番号17番。165cm、49kg。
平均身長173cmの5年3組の中では小さい部類に入る彼女だが、小学校5年生というものさしで見れば
とてつもなく大きな少女であり、今目の前にいるクラスメイトの正道と雄次郎はともに140cmそこそこだから
彼らにしてみれば遥かに見上げるような長身だった。
「おい、お前か。いっつもこいつらいじめてるってのは」
 勝が腕組みしたまま由奈に向かって口を開いた。
しかし、勝は心の片隅でどこか違和感を感じていた。・・・大きい。こんな背の高い女子は見たことがない。
M校区内ではこれほど大柄な女子は中学生にもならないと見かけることはなく、小学校で最も大きい
勝と比べても数cmの違いしかない。第一印象で勝は軽い屈辱にも似た感覚を覚え、声を荒げた。
「女のくせに、生意気な態度とってるらしいじゃねえか。お前ナメてんのか」
 勝が目を吊り上げて睨み付けながら由奈に歩み寄る。
「・・・?私は何もしてませんけど?ただ松尾君たちにここに呼ばれただけで・・・」
 きょとんとした表情で由奈は勝を軽く見上げながら敬語で言葉を返す。勝の巨体と茶髪に、
若い大人と勘違いをしているようだ。

「お、おい大丈夫なのか・・・?僕たちとんでもないことしちゃったんじゃ・・・
いくら女子たちにひどいことされてるからって、こんな同級生を売るみたいなマネは・・・」
「仕方ないだろ、こうでもしなきゃ僕たちが生きて帰れないんだ。女子は・・・一度思い知ったほうがいいよ」
「そんなこといってもさ・・・別に森下さんは僕たちをいじめてたわけじゃないし・・・関係ない人を
痛めつけさせるなんて。やっぱりいけないよ」
「今さら言い出しても遅いんだよ。もう・・・森下さんには悪いけど・・・」
 また、小声で話し合う正道と雄次郎。さすがに直接いじめられたことのない由奈を勝への生贄に
差し出したことに対して良心が咎めるようだ。しかし、もう後戻りはできない・・・

「お前とぼければそれで済むと思ってねえか?もうわかってんだよ、そいつらの話聞いてな。
お前らに毎日やられてて悔しいから代わりにボコってやってください、ってそこの2人が頼んできたんだよ!
そこでこの心優しい俺が仇を討ってやろうってんだ。そうだよな、チビども!」
 由奈にそう告げると勝は2人の5年生のほうを向いた。その言葉を聞き由奈も2人のほうを振り返る。
「そんな!いかにもこっちから頼みに行ったみたいな言い方して!」
「こ、これは勝手に話が進んだだけなのに!違う!」
同級生を売り渡す非情な行為が明るみになり正道と雄次郎は途端に由奈に合わせる顔がなくなり
サッと下を向いてしまった。
「・・・本当なの?松尾君、田原君」
 由奈は2人のほうを見つめたまま悲しげな表情を浮かべた。
「・・・ぃ、いやこれはあの・・・」
「こ、これは、森下さん・・・これは、その人が勝手に決めたことなんだ!ボコボコにするからつれて来いって!
女のくせにえらそうにしてる奴は気に入らないから片っ端から思い知らせてやるって・・・その人が!」
「そ、そそそそうなんだ!!僕たち、その人に脅されて・・・恐くて・・・つい・・・」
 正論というか責任逃れというか、2人は必死に自己弁護に走った。

「てめえら・・・どこまで情けねえんだ。こいつボコったらてめえらも覚悟しとけよ。叩きなおしてやるからよ」
 勝がますます険しい形相となり正道と雄次郎を激しく睨み付けた。その威圧感に2人は固まった。
「わかった・・・待ってて」
 由奈が表情を変えずそれだけ同級生の男子2人に言い残すと勝のほうを向きなおした。
「わかったって・・・どっちの言い分を聞いたんだろう・・・」
「どっちにしたって、森下さんはあのでかい6年生とやる気だ!そんなこと・・・」
「で、でもさ、森下さんって合気道やってるらしいし・・・意外と大丈夫かも・・・」
「いくらなんでも相手が悪すぎるだろ!これまでは僕たち弱い相手だったから強く感じただけで・・・」

 触れようとすれば手が届く距離まで勝と由奈は接近して対峙した。こうして見ると華奢な由奈に対して
勝の日々のケンカで鍛えられた逞しさが際立つ。
「きっかけなんかどうでもいいんだよ・・・てめえら女が男の上に立って偉そうな口きいてるってのが
納得いかねえ。弱えくせによ。いっぺん力でわからせねえとな。そういうのはよ」
「あなた・・・松雄君たちを脅してるんですね。いい年をして子供を悪用するなんて。
弱いものいじめなんて、いけないことなんですよ」
「俺は小6だ!!それに弱いものいじめはてめえらもやってんだろ!!
わざとらしい口ききやがってムカつく女だ・・・殺すぞコラァ!!」
「私はそんなことしてないって言ったはずですけど?」
「こいつ・・・ふざけやがって・・・女の分際でナメんじゃねえぇ!!女の立場ってもん叩き込んでやらあ!!」
 頭に血管を浮かべながら勝は由奈の制服の襟首を掴みにかかった。このまま首を絞めながら
地面に叩き付けて上からパンチの雨を降らせて一気に相手を始末してしまうのが勝の常套手段だ。
今までこうして勝は男子女子の区別なく何人もの弱者を叩きのめし言うことを聞かせてきたのである。
 ガッ!! と由奈のブラウスの襟を掴み上げたその瞬間!
「ひぎっ・・・あだああああああ!!」

 悲痛な悲鳴を響かせていたのは勝のほうであった。
「あががが・・・が・・・がが・・・」
「暴力なんて、本当の強さじゃないわ」
 脂汗を垂らして悶絶する勝を見据えながら由奈は言った。勝の歳がわかったせいか、敬語から普通の
言葉遣いに変わった。
「え・・・?どうなったんだ?何が起こって・・・」
「わからない・・・なんであの人はわめいてるんだろう・・・」
 正道と雄次郎の目には、由奈が襟を掴みかかってきた勝の腕に両手を添えているだけにしか見えなかった。
しかし実際は、由奈の両手は的確に勝の手首と肘を捕らえており、梃子の原理で勝の腕を可動範囲ギリギリの
ところにまで極めてしまっていたのである!
押さえるポイント、方向、全てが完璧。勝は自慢の腕力でどれだけ押し返そうとしてもビクともしない。
肘関節がペキペキと音を立て、腕が折れる恐怖に勝は呻いた。
「下手に暴れると、骨折するわよ」
「ぁぐぐ・・・くっそぉおお」
 それでも力づくで振りほどこうとしてやまない勝を見かねたのか、由奈は添える手の位置を少しだけずらすと
捻りを加え、力一杯踏ん張っていたはずの勝をいとも簡単に捻り倒してしまった。
間違いなく75kg以上ある勝があっけなくその場にスピンするように倒れ、砂ぼこりが辺りに舞い散った。
勝の身に付けている黒いトレーナーが茶色い土にまみれた。
「危なかったわ、もう少しで骨が折れるところだったじゃない。あの角度で折れるともう二度と付かないわよ」
「くっ・・・うるせえ・・・!(くそっ、何やりやがったんだこの女・・・)」
 目の端に涙を浮かべながら腕をさする勝。何がどうなっているのか、その頭は混乱しつつあった。

 実はこの森下由奈、Y校区内にある合気道場の師範の一人娘なのである。
自分の家が即ち合気道の道場であり、由奈は幼い頃から合気道に触れ、親しみ、腕を磨いてきたのだ。
師匠である父の素質を十二分に受け継いだ由奈は既に父を凌ごうかという域に達している。
道場生の誰もこの由奈には歯が立たなくなってしまった。触れることもできず投げ転がされる男たち。
攻めてくる相手の力を利用してさらなる大きな力に変え反撃する合気道に筋肉やパワーはそれほどの
意味を成さない。よって、非力な女子小学生でも大人を自由に操ることは可能なのである。
さらに研究熱心な彼女は父の書斎に置いてある兵法や人体の仕組みについての本を読み漁り、
どの部位に対しどのような動きをすればどんな影響を及ぼすかほぼ全てを頭に入れつつある。
投げ技、絞め技、関節技、日を追うごとに仕組みを理解し奥義を会得していく由奈にの姿に、
師(父)までもが恐怖すら覚えているのである・・・
ただ、Y小学校5年3組で他の女子と違うところは、格闘技をやっているからといってその技の切れ味を
男子生徒で試さない、といったところである。彼女は生来の優しい性格と道場で日々厳しく教えられる
礼儀といたわりの心を大事に持ち続けているためであろう。弱い男子にも優しく接する。
朝井茜、井上亜由美、小野美由紀ら格闘いじめっこ女子と異なり男子の人気も高いのだった。

「・・・もう、わかったでしょう。もう無駄な・・・」
「うるせえこのアマああああ!!」
 今度はもう片方の手で殴りかかってくる勝。女にダウンさせられるという、人生初めての恥辱に
冷静さを失っている。
「・・・仕方ないわね」
 また悲しげな顔をして、由奈は勝のパンチを容易にかわすとその拳に上から手をかぶせるように添え、
軽くクイッと押し下げるように捻った。
「どわっ!?」
 次の瞬間、勝は自分の拳を支点にするかのように1回転!背中から地面に叩きつけられた。
その勝を真上から覗き込むようにして見下ろしながら由奈が語りかける。
「暴力は何も生み出さないわ」
「いちいちうるせえんだよさっきから!この野郎ぉおおおおお!!」
 起き上がりざまに蹴りを放ち由奈を吹っ飛ばそうとする勝であったが、またしても由奈に容易にかわされる。
そして勝の攻撃に逆らわず、受け流すように・・・突き出された足に手を下からそっと添えて・・・
「はいっ!」
「ぅ、うわあああああ!・・・が!!」
 由奈に勢いをつけられた勝の蹴り足によって、勝自身はまるでサッカーのオーバーヘッドキックのように
軽々と空中回転させられてしまった。・・・そしてそのまま受身を取れずに地面に頭から落下。
自慢の茶髪も土にまみれ、頭にも大きなコブを作ってしまった。
ジンジンと頭頂部を駆け巡る激痛に涙を浮かべながらも勝は素早く立ち上がって由奈を睨む。
これまでどんな女も男も有無を言わせず屈服させてきたケンカ殺法がまるで通用しないことに勝は焦った。
今まで誰にも負けたことのない力とケンカの経験をもってしても・・・目の前にいる女にはかすりもしない。
それも相手は少し背が高いだけの、体は細くてケンカなんてまるでできそうにない女子小学生なのに・・・
年下の、小学5年生の女に遊ばれてる・・・そんな屈辱感、焦燥感が勝の胸をかきむしった。

「くっ・・・てめえなんか、てめえなんか1発当たりさえすりゃあ・・・当たればKOだぜ。もっとも、
簡単には終わらせねえけどな。明日から外歩けねえようにボコボコにしてやるからな」
 勝は何とか落ち着きを取り戻し目の前の女を黙らせようと躍起になっていた。
「力なんて、大した問題じゃないわ。振り回すだけじゃ、どうにもならない・・・」
「このアマいちいち知ったような口叩くんじゃねえって言ってんだ!!ムカついてしょうがねえ!
女のくせに・・・女のくせに!!生意気なんだよ!!」
 やはり頭に血が上りきってしまっているようだ。勝はただその力によってのみ由奈を仕留めようとする。
力任せで大振りのパンチ、キックを次々と繰り出すもそのすべては由奈に易々と見切られ、回避される。
おかしい。何かがおかしい。なぜだ、なぜ当たらない!勝は空振りを繰り返すたび焦りを強めていく。
拳や脚を繰り出すごとに由奈がかわしつつその手を当て、勝の突き出した方向に受け流すように捌き
後ろにパスするかのごとく弾き飛ばしてしまう。そのため勝は自分の出した力以上に前方へと走らされる。
由奈から見てもともと無駄な動きの多い勝の攻撃は彼女の絶妙な「いなし」のテクニックによって
さらに無駄に振り回させられ勝自身も右に左に振り回され、走り回される。

「も、森下さん・・・すごい・・・」
「すごすぎる・・・あの6年生完全に森下さんの手のひらで踊らされてるみたい・・・」
 勝と由奈のケンカの様子をただ見物しているしかない正道と雄次郎はその由奈の見事な体捌きと
それに対しなすすべなくスタミナを消耗させられ続ける勝を見て開いた口がふさがらなかった。
「戦いに、男女の差なんて関係ないわ。力が全てじゃないの。・・・まだわからないの?」
「ハァ、ハァ、ま、まだ言うかこのアマ・・・ハァッ、ハァ、待ちやがれクソッタレがぁぁぁ!!」
 まだ攻撃を繰り出し続ける勝であったが、高まる焦りと空振りの連続による体力の衰弱により
次第に由奈との距離は離れていく一方であった。由奈を狙って手を出せば出すほど、攻撃の的確性は
目に見えて低くなっていく。どんどん振りも鈍くなり、足元もおぼつかなくなってきた。
目下の下級生が見ている中での焦り、ランドセルを背負ったままの女にもてあそばれる屈辱・・・
勝の全身から染み出て流れる汗は単に疲れによるものだけではなかった。

「き、きたねぇぞ・・・チョロチョロ逃げ回りやがって・・・ハァハァ、女の腐ったみてえに・・・」
 すっかり息が上がってしまっている勝に対し、由奈は息も乱さず、汗ひとつかいていない。
完全に、勝の愚かな一人相撲の形である。由奈の術中にどっぷりとはまってしまったのだ。
「あなた、本当はもうわかってるんでしょう?心の中では。単純な力だけじゃ勝てないってこと。
ただ単にそれを認めたくないだけ。負けを認めるのよ。潔く、ね」
「ハァッ、ハァァやかましいふざけんな!!殺す!殺す!!」
 残り少ないスタミナをふりしぼり渾身の力を込めて勝は殴りかかる。由奈が勝にかける情けの言葉が
彼の心を屈辱として深く深くえぐるのだ。
「・・・こうやって事実を受け入れたがらない頑ななところが、男が女にかなわない所以よね・・・」
 由奈は誰に聞かせるでもなく吐き捨てると、次の瞬間勝は何か見えない大きな壁にでも衝突したかのように
大きく弾き飛ばされた。仰向けに土のグラウンドをヘッドスライディングしていく。もう全身泥だらけだ。
「ぐっ・・・なんなんだこの女・・・・・・」
「今私が何をしたか、あなたには到底見えないでしょうね・・・きっと一生わからないわ。
勝てる道理などありはしないわよ。降参なさい。それとも・・・まだやるつもり?」
 そのとき一瞬、勝には目の前の自分より小さな5年の女が自分の何倍にも大きな存在に見えた。
心の奥底のどこかで勝は、震えた。今まで味わったことのない恐怖感が勝に芽生えようとしていた。
しかしその相手は女。勝のプライドにかけてそんな気持ちは絶対に認めたくなかった。歯軋りをしつつ
勝はその気持ちを振り切ってまた由奈に襲い掛かった。
「私には、わかるわ・・・あなたは怯えてる。素直になりなさい」
 勝はまたも大きく宙に回された。勢いよく背中全体を地面に打ちつけ勝は息を詰まらせた。
「目が泳いでるわよ・・・怖いの?私が。無理しないでいいの。まいりました、の一言でいいわ」

 その後も勝は由奈の合気の前に手も足も出せずいいように翻弄され転がされ続けるのだった。
自分のかかっていく何倍もの勢いをつけられて地面に叩きつけられる。
足元を軽くすくわれて顔面や後頭部から落下、激痛とともに土を味わわされる。
空中で縦に回され、または横に激しくきりもみさせられて公園の遊具に衝突。
立ち上がって向かっていくたび、屈辱的な言葉を投げかけられては惨めにひっくり返される。
「それでは駄目よ」
「うわぁあああっ!!」
 ダアァァァァンッッ!!
「足元がお留守みたいね」
「ひぃぃぃい!!」
 ズダンッッ!!
「私はここよ」
「ぐぅえええっ!!」
 ドムッッッ!!
「学習能力はないのかしら?」
「あぎゃあああ!!」
 ドォォン!!
「本当に、わかるまでやるつもり?見込みもないのに」
「ぐぎゃあ!!」
 ズウン!!
「女の子に、負けてるわよ」
「ふげぇぇぇえ!!」
 ドゴッ!!
「男の強さ、見せてごらんなさい」
「ごぼ・・・!」
 バアァン!!
 いつしか由奈は指1本で勝の相手をするようになっていた。実際、それだけで十分だったのだ。
たった指1本で由奈は、冷静さを失いただ荒れ狂って殴りかかってくるだけの勝の力をコントロールして
上下左右、自由自在に全ての力を逸らせて無力化してしまう。子供同士のケンカばかりが強く
格闘技の経験などろくに持ち合わせていない勝は受身を知らない分、捌かれた際のダメージは
常に100%以上を喰らい続けることになり、由奈が直接攻撃の手に出なくても勝の自滅は
時間の問題だった。

「そのあきらめない姿勢だけは認めてあげるわ。・・・でもね、私も用事があるの。
もうおしまいにしましょう。無駄よ。何もかもが」
「お、おんなの・・・くせに・・・おん・・・な・・・の・・・」
 鼻血を垂れ流し、泥だらけの髪を振り乱してなお掴みかかってくる勝の突進を人差し指で軸をずらさせ
すれ違いざま彼の腹に素早くそっと手のひらを・・・
「・・・おやすみなさい」
 ドンッ!!
「ぐぇぶうぅうううううううううっっっっ!!」
 すさまじいまでの当て身であった。全体重をかけた勝渾身の突進力の全てが何倍となって
勝自身の鳩尾1点に集中して跳ね返され、炸裂したのだ。並の合気使いではできない技だった。
プロ野球選手に金属バットで殴られたような衝撃。勝は内臓が破裂しそうな苦痛にのたうちまわる余裕もなく
その場にうずくまりながら顔面から土の地面にダイブした。顔を泥に擦り付けながら痙攣している。
涙と鼻血がとめどなく流れ、土に染み込んでいく。呻きをあげることもままならないようだ。
「ふふ・・・やりすぎちゃったかしらね」

 M小学校の極悪ガキ大将、梶井勝を一方的に沈めた由奈の後ろ姿に正道と雄次郎は凍りついた。
あの優しい由奈が見せた恐ろしい一面・・・そして、その技は次に自分たちに向けられるのではないかという
恐怖。正道と雄次郎は、いつしかお互いに抱き合うようにして震えていた・・・
しかし、クルリと振り返りこちらに歩いてくる由奈の表情は穏やかな、いつもの優しい由奈の笑顔だった。
キツネにつままれたような顔のまま固まっている2人の前にまで歩み寄ると、
「これでもうあの人にはいじめられたりしないわ。よかったね、田原君、松尾君。
それじゃ私、稽古があるから。また明日、学校でね」
 それだけ言い残すと由奈は呆然と立ち尽くす正道と雄次郎の間をすり抜けて帰っていってしまった。
ぼーっと立ったままの2人の鼻を由奈の女の子らしい甘い香りがくすぐっていく。
あれだけかわいくて、しかも驚くほど強くて、そして優しい・・・由奈・・・・・・
遠くなっていく由奈の後ろ姿を見送る正道と雄次郎の胸はそろって熱いときめきの高鳴りを見せていた・・・


つづく





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