まちをきれいに 第1話

「キャーッ!!」
 深夜の路地に、若い女の悲鳴が轟いた。
走り去っていく原付バイクに乗った男の右手には、その悲鳴を発した女の持ち物だったバッグが握られている。
乗り物で追い抜きざまに金品を奪う、一人歩きの女を狙ったひったくりの常套手段だった。
決して走っては追いかけられない速度で逃走する上、フルフェイスのヘルメットをかぶっていては正体もわからない。
暗い夜道に加えてナンバーも折り曲げていて、身元など全く確認できない。
この近辺では、この手口の窃盗が相次いでいた。

「へへへ…入れ食いだぜ」
「もう2、3人ぐらいいけるんじゃね?」
 広い範囲で街を回りながら、今日だけで既に2人の被害者を出していた、50ccのオートバイに2人乗りした若い男のコンビ。
頭部全体を覆うヘルメットの中でニヤニヤしながら、たった今標的にした女を振り返りつつ遠ざかっていく。
用事のあるのは現金だけ。バッグや財布そのものはまるでゴミのように路上に捨てていく。

「大漁、大漁っと…」
 と、抜き取った中身だけを乱雑に自分のポケットに押し込みながら前を向きなおした男たちの視界を、
太く長い何かが遮るようにして急接近していた。

 ズゴッ!!
「ぐはっ!!」
 ガッシャァァァ……

通りの物陰から横向きに生えていた柱のようなものに衝突し、2人組はまとめてなぎ倒されて
残ったバイクだけが10mほど走行してからバランスを失い横倒しになる。
「い…てて……何だ一体…!」
 逃げるためスピードを出していたバイクから叩き落された2人はさすがにヨロヨロとしているものの、
ヘルメットが幸いしたのか重傷にはならず立ち上がってきた。
「誰がこんな道に変なもの置いて…な、何だぁ!?」
「このあたりでひったくり多発ってニュースでやってたけど、張っといてよかったわ。
こんなに早くから出くわすなんてね」
「だ、誰だお前!?」

 突如目の前に立ちはだかったその姿に、窃盗犯2人組はただ驚くばかりだった。
異様に背の高い、ポニーテールの大女。それも、並の体格ではない。
街灯に照らされて、盛り上がった力こぶによる陰影がくっきりと出ている、長く太く逞しい腕…
今さっき自分たちをバイクから落とした障害物は、この女の腕であったことを男たちは気付かされた。
「こ、こいつ…」
「……!!」
 それだけにはとどまらない様々な衝撃に、男たちは言葉を失う。
ミニスカートと、セーラー服…いや、違う!
グリーンのセーラーとミニプリーツスカートにピンクのリボンが装着された、ホワイトのノースリーブレオタードだった。
そしてそろいのグリーンのアンクルブーツに、肘までを覆う白いロンググローブ。
目の前にこんな大胆なコスチュームで突然現れた、見上げなければ顔が見えない長身&迫力ボディの大女!
 男たちは半ば唖然としていた。

「せ、セーラームー…」
「おっと、間違えてもらっちゃ困るわ。セーラージュピターよ、ジュピター」
 男2人の前に悠然と立ちはだかった大女は、人差し指を振りながら男たちの認識不足を指摘する。
「そんなことどうでもいいんだよ!てめぇ俺らの邪魔しやがって、何のつもりだ!」
「どうでもいい、はないでしょ〜。コスプレイヤーの気持ちが、わかってないわねぇ」
 まさかアニメキャラが実際に出てくるわけがない。そのキャラの格好で出てきた変な女だということは彼らもすぐにわかった。
こういう仮装をするのが好きなオタクがいると、彼らもテレビなどで見たことがあった。
だがそういうのが集まるイベントならともかく、こんな夜中に人通りの少ない路地で…
しかし自分たちの稼ぎを妨害するように現れたことに対する怒りのほうが今は当然重要だった。
「それに何のつもり、って…バカね、おしおきに決まってるでしょ。あなたたちみたいな悪人」
「わけのわからねえこと言うんじゃねえ、どけ!!」
 彼らにしては本当に、こんなわけのわからない存在に構っている場合ではなかった。
こんなところで足を止めていたらさっきのバッグの持ち主の女に通報されて警察が来る。
2人のうち1人の男が、彼女の横をすり抜けて走り去ろうとする。
自分たちをこんな目にあわせた女をそのままにして逃げるのは不本意な様子だが、
今はとにかくこの場からずらかるのが得策と考えたのだろう。前方に転がったバイクめがけて走る。
「おっと」
 ズドーン!!
「ぃぎっ!!……あ、あがああああ!!」
 逃走を企てた男の太腿側面を、素早く対処した女のローキックが襲っていた。
とても人間の蹴りで出たものとは思えない太く鈍く重いサウンドが、夜空にまで響く。
それから数秒遅れて、逃げようとした男の口からそれ以上の音量で悲鳴がほとばしった。
ガクーンと下半身を膝から崩した男はもう立ち上がれない。
脚の芯まで焼け付き、痺れるような激痛が引くことを知らず押し寄せて、
反対側の脚もまとめて麻痺させられたかのように、正座状態から全く動かすことができない。

「お・し・お・きって言ったでしょ。逃げられるなんて思わないでね」
「あぐぐ…ひ、ぎ、ぎぃ……!!」
 下段蹴り1発で下半身丸ごと言うことを聞かなくされてへたり込み、半泣きで呻き続ける相棒の男を見て
続いて逃げようとしていたもう1人の男もその場から動けなくなっていた。
その音からもわかったが、なんという強烈な蹴り…
そしてそれを生み出した、なんという逞しい脚…
あまりに短い丈のプリーツスカートからは、彼女の太腿が付け根のすぐ下から惜しげもなく晒されている。
男たちの貧相な脚とは比べ物にならない、圧倒的な太さの。
しかし太いからといって決して不恰好なフォルムではないのは、それを十分に補って余りあるほどの長さがあるからだった。
脚の太さだけではなく、男たちとは腰の高さにおいてまるで次元が違う。
むっちりとした肉付きを持ちながら、なおかつ歩くたび太腿に筋肉の割れ目がのぞくほどの逞しさ、
軽い口を叩きながらのキック一撃で男を黙らせるパワーを持った、スタイル抜群の脚…
(な、何者だこの女は…!)

 しかし、見とれてなどいる場合ではなかった。
脚の自由を奪われたまま悶絶している男に覆いかぶさるようにして、コスプレ大女は男の胴に太い両腕を回す。
そして軽いダンボールの箱1つでも扱うように、立ち上がりながら高々と抱え上げていく。
「!!」
レオタードの下からでも存分にその存在を誇示するような猛々しい背筋が躍動し、
抱えられた男の体は女の頭上高くにまでスイングされる。
ローキックで加えられた、神経を焼き切られるような激痛と苦悶もいまだ癒えない中、
猛スピードで急上昇した視界に男の目は眩み、息が詰まる。
だが目に映ったその光景も、一瞬だった。

 ズゴッッ!!

 男の目に映った景色は高い場所で一瞬静止した直後、急激に流れて途切れた。
この男たちと20cmは差のある大女のさらに頭上からの、豪快なパワーボムだった。
「丈夫そうなのかぶってるから、いつもより手加減は控えといたからね」
 信じられない落差、速度で大の男をアスファルトに叩きつけてもなお、疲労の色一つ見せず残った自分を見つめてくる女、
その女の足元でヘルメットのひび割れたバイザーからブクブクと泡を吹きこぼして痙攣している相棒の男を
せわしなく交互に見比べながら、1人残った男は血の気を失っていた。
脚力のみならず、上半身も使って繰り出した技も並の男など問題にならない…なんという怪力!
もし仮に、何もかぶってない状態であんな技を喰らったら…絶対死ぬ!

 男は、完全に伸ばされた仲間も置き去りにして逃げ出そうとした。
直前までの、こんな変な女の相手をしている暇はないと時間だけを気にした心理からではなかった。
こんな女の相手をしたら殺されかねないという心からの恐怖が、男の足を動かしていた。
だが、そのあまりの恐怖心に体はついていかなかった。
半分腰が抜けていて、ヨタヨタと足をもつれさせるばかりで走り出せない。
緩慢で惨めな動きしかできない男は、あっさりと彼女に捕獲されてしまう。
「は、離…せ……!!」
「離せって言われて、みすみす離す正義の味方がいると思う?」
「ぎゃ…!!ああああああああっ!!」
 片手で襟首をつかまれ上昇、地に付かなくなった逃げ足をバタバタさせながらわめいていた情けない窃盗男の体は
そのまま彼女の両肩に仰向けで渡され、顎と太腿を捉えた彼女の手で目一杯反らされる。
「あなたたちみたいに、弱い人ばっかり狙ってせこいことやってる連中には黙ってられないの、私。
二度とこんなことしたくなくなるくらい、徹・底・的・に懲らしめてあげなきゃね」
 ミシッ…ゴキ…メキグギッ!!
「はぎゃああああああ!!」
 背筋を伸ばして肩の上で男を反り返らせていたぶる大女の身に付けているレオタードの腹部からは、
見せるだけで男をたじろがせてしまうであろう腹筋の凹凸のシルエットがより鮮明に透けて見えている。
痛めつけている男の下顎、脚を下へと押し下げる、全てさらけ出された上腕にも
丸く大きく力こぶが盛り上がっている。
正体不明のコスプレアマゾネスによるアルゼンチンバックブリーカーに、男は背骨を軋ませられ続けて
ヘルメットの中で声量最大限の悲鳴を反響させている。
警察に捕まったほうが余程まし…このままでは本当に背骨をへし折られて殺されるかも…
今謝罪するチャンスが与えられるなら、謝り方など指定されなくても土下座するに違いなかった。
彼女の許しが得られるまで、何時間でも頭を地面にこすり付けて許しを乞うだろう。
今の心理状態で、なおかつ体が自由に動かせたなら、絶対にそうしたはずだ。
男の視界はあふれ出る涙に塞がれて、街灯の明かりが滲むだけだった。

 今さらにして男が自らの愚行を涙ながらに悔いている最中、恐怖の処罰はさらに段階を進め始めた。
「そーぉ、れっ!」
 彼女の掛け声とともに、背骨砕き拷問に処せられていた男の体が高速旋回を始める。
彼女が込めた腕力は緩めないまま、エアプレーンスピンがプラスされたのだ。
成人の男1人を発泡スチロールか何かのように軽々と担ぎ上げたまま、女はミニをひらめかせて優雅に、そして豪快に舞う。
7回転、8回転…男の裏返った恐怖の叫びも尾を引いて回り続ける。

 ガッシャアアア!!
 フィニッシュとばかりに、彼女は手を離して男を空中に解放した。
プロペラ部分だけが射出されたかのように、男の体は水平に高速回転を保ったまま投げ飛ばされて
ヘルメットに覆われた頭部から道路沿いのブロック塀に衝突、ドサリとアスファルトに落下した。
大きく凹んでバイザーの吹き飛んだヘルメットから覗く男の顔は白目を剥いて、太い涎の筋が口の両端に描かれていた。
先に片付けた男同様、虫同然ながら息はあるようだ。
「これに懲りたらひったくりなんてつまらない真似はやめて、遊ぶお金は自分でバイトでもしてしっかり稼ぐのね。
お金のありがたみを知れば、こんなバカバカしい真似はできないはずよ」
 誰が見ても完璧にKOされて聞く耳などありはしないはずの泥棒男2人を見下ろしながら
謎の女傑は一言説教を投げかけると、すっきりしたような顔をしてその場を後にした。
それからほどなくして、その現場にはサイレンの音が聞こえてきた。パトカーが近づいてきている。
先ほどのひったくりの被害者の女性が通報でもしたのだろう。
しかしその場に到着した警察官たちは、なぜか加害者の若い男2人組が倒れているその光景に唖然とするだろう。
逃走中にバイクが転倒事故を起こしたにしては不自然すぎる、その様子に。

「うーん、今日もいい仕事しちゃった。さ、帰ろっか」
「う、うん…」
 この一帯で相次いでいた窃盗事件の犯人を見事に始末して見せたなりきりセーラージュピターは
ポニーテールを解いていつものヘアスタイルに戻ると、離れた物陰に隠れて見守っていた背の低い男から上着を受け取って
さっきまでの怪力アマゾネスと同一人物とは思えないほど優しい笑顔を見せた。
ロンググローブを外して上着を羽織り、最低限普通の格好に見える姿となってから
彼女は待っていた小男の肩を長く逞しい腕で抱きこむようにして一緒に歩き、帰路についた。


つづく





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