まちをきれいに 第2話

「頼まれてたの、出来上がったよ」
「わぁ、早かったね!いつもありがとう!」
 昨夜窃盗犯2人組をダイナミックに打ち倒した長身セーラー戦士だった女は、とある高校にいた。
ここは県立H商業高校。今は授業も部活も終わった夕暮れ時だ。
当然、彼女は昨夜のような大胆なコスプレ姿ではない。ここの生徒なので、校内にいるときはこの学校の制服姿。
公立らしく、とても地味な制服だ。スカートの丈も、周囲の学校に比べてかなりおとなしめ。
それを彼女は真面目に、すね半分まで隠れる買ったままの状態で着用し続けている。
周りの多くの女子生徒はおしゃれを意識して思い思いの丈に調整しているのに。
とても昨晩、男の視線などものともしないきわどいコスチュームで大暴れした女傑と同一人物とは思えない。
そして今、そんな彼女を見上げながら大きな紙袋を手渡している1人の小さな男子生徒。
昨夜の悪人退治を怯えた表情で見守り、一仕事終えた彼女に付き添って一緒に引き上げていったあの少年だった。
その会話から、彼女から何か大事なものを作るよう依頼を受けていたようだ…

H商業2年、広田綾。193cm。
制服を着ている限りはそのとてつもない長身以外は何も目立つ要素のない、地味でおとなしい女子生徒として通っている。
肉体の充実を隠すかのように、その大きな体よりもさらに大きめのサイズの制服を着用して。
隣にいるのは同じくH商業2年の、小寺弘樹。152cm。
こちらは何もかもが目立たない、さらにおとなしくて存在感のない男子生徒。
体格の面で非常に対照的な2人だが、学校内にある漫画研究会に所属していることは共通している。
このH商業の漫研は同人誌作りなどの精力的な活動が校外にも知られており、
(読むだけでなく描くことも含めた)漫画好きの中学生の中には、この漫研に入ることを目的にH商業を志望して
受験勉強に励むものも決して少なくないという。
実は綾も弘樹もその口だった。それぞれ中学は違ったが、入る目的は同じだった。
そうして2人は、漫画研究会の部員同士として、出会う…

 そこで弘樹は驚かされる。綾の持つ画力に。
もちろん入部当初にはその巨体に文字通り仰天させられたのだが、
その体からはとても想像できない繊細な、それでいて動きの伝わる美しいイラスト。
プロ顔負け、とはよく使われる表現だが、実際彼女よりも絵のレベルが低い漫画家が
メジャーな雑誌で連載を持っているのを弘樹はよく見かけていた。
しかし2人が入部した当時は当然両者とも面識がなく、その上互いに人一倍おとなしいため
入部数ヶ月間は同じクラブに所属しながら非常に遠い存在だった。
弘樹は綾に何か言葉では言い表せない不思議な魅力を感じ、どうにか親しくなりたいと思いつつも
会話する、近づくきっかけを持てず躊躇い続ける日々を過ごしていた…

 だが去年のある初夏の日、2人の距離は急激に縮まることとなる。
弘樹が県内の繁華街に買い物に出かけた日、彼は複数人の路上強盗に襲われた。
弘樹があまりにも弱々しく見えたこと、その上買い物の詰まった同人ショップの袋を提げていたことが奴らの目を引いた。
弱そうなのが金を持ってる…街をうろつく性質の悪い連中にはちょうどいい標的とされたのだった。
小柄でか弱い、喧嘩などしたことのない弘樹を、男たちは複数でしかもバットまで握り締めて取り囲む。
「さっさ出せ!ぶっ殺すぞ!」
 1人が金属バットを振り上げて見せる。
完全に縮み上がってしまった弘樹はもうこうするしかないとあきらめ、財布を取り出そうとした…
だがそのとき、
 グイッ!
「う、うぐぁあっ!!」
 弘樹の目の前でバットを振り上げていた男の姿が消えた。
何か強い力で後ろに引かれ、捻り倒されたのだということが直後にわかった。
「どうした!何…だ、誰だてめぇ!?」
 他の男たちが振り返り、その直後に驚きの声が上がった。
引きずり倒された男1人を跨ぐようにして、この場に現れた大きな人影…
弘樹は目を疑った。学校の漫研で小さな憧れを抱いていた同学年の女子、綾だったのだ。
しかも学校の中の綾からはとても想像の付かない、男の目を恐れない大胆な出で立ちで。
おへそが出てしまっている極端に丈の短いセーラー服にリボンタイ、加えて紺色の同じく超ミニスカート、
ロンググローブにパンプス…
(これが…広田さん!?ど、どういう…)

「フン、探せばいくらでもいるものね。こんなつまんない悪者ってのは…」
「コラッ、なんだこの女!俺らの稼ぎの邪魔するんじゃねえ!!」
 他の1人が、それまで自分が見たことのないような大きさの女に対してやや驚きを残した目で見上げながらも、
金属バットを突きつけて見せる。女であろうと、自分たちの邪魔をする奴には容赦しないというアピールだった。
(ひ、広田さん…だ、ダメだ、逃げて…)
 恐怖で引きつって目も開ききれない弱々しい表情の弘樹は、突然現れた綾を気遣った。
縮み上がって声も出せないので、音の出ないパクパクとした口の動きとともに、心の中で。
綾がいくら人一倍の長身とはいえ、漫研に所属する文化系の女子高生。
こんなに多数の、武器まで構えた男の集団の中に入り込んできて何をするつもりなのか…
(僕を助けに来てくれたのかもしれないけど、無謀すぎる。とても、どうにかできるものじゃない!)
 ガクガクと震えながら、弘樹は綾の行動が理解できずにただ心配でたまらなかった。
相手はこんなに悪い連中だ、ただケガをさせられるだけでは済まされないだろう、もしかしたら強姦まで…と。
この当時は何も知らなかった弘樹だから無理もない。
綾の正体を見せ付けられる前のことだったから…

 次第に、男たちの間に妙な違和感、緊張感が漂い始めた。
鼻先にバットを突きつけられているにも関わらず、全くたじろぎもしないで悠然と構えている綾の姿に。
「…なんだお前、この意味がわかんねえのか?おかしい奴なんだろ、もしかしたら」
 ほぼ無反応の綾に対して半笑いだった男だが、直後にその顔は一変することになる。
顔のすぐ前にあるバットの先端を綾は片手で握り、自分のほうへ少し引いて見せた。
男の両足が、明らかにヨタヨタと前に進んでしまった。
「こ…こいつ!」
 眉間に皺を寄せ、男はバットのグリップを両手で握り締める。綾の手から離させるつもりだった。だが…
「かっ…ぐぅぅ……!!」
 見る見る紅潮して汗を帯びていく男の顔に対し、綾はいたって平然としたままだ。
男に対して、周りから罵声が飛び始める。
「遊んでんじゃねぇよ、バカ」
「いつまでお見合いしてんだ、さっさと取り上げて殴れそんな女!」
 男の焦りはますます高まっていく。こんなことが、あるはずがないと。
最も力の込めやすいグリップ部分に両手の力を精一杯込めている自分が…
あんなに太くて持ちにくいはずの先の部分を片手で持っているだけの女の手から…離せない!
ピクリともしない…それどころか、この女が手首に少し力を入れるだけで、こっちの全身が揺らぐほどだった。

 グイッ。
 ドタッ!
「!!」
 バットに一際大きな力が加わったかと思うと、男はクルリと回るように捻り倒されてしまった。
周りの男たちからも、ざわめきが広がる。
綾が手首に回転の力をかけただけで、決して小さくはない男1人を転がしてしまうとは。
そして男の得物であったバットは、完全に綾の手に渡ることとなった。
少し青ざめた顔で立ち上がる男の鼻先に、今度は逆に綾からバットが突きつけられた。
「こんなもので殴られた経験は、あるの?」
 男の顔が凍りつく。両手、いや全身の力を100%込めての抵抗を片手で抑えつけられて
この女が只者ではないことに気付かされた直後だ。
こんな力で、しかもバットで殴られたりしたら…男はもうまともに目を開いて彼女を見上げられない。
しかし、ただ当たり前に殴られるよりも余程恐ろしいものを見せ付けられることになるのだった。

 メキャッ!!
「!!」
 オタク狩りの不良集団一同も、それから弘樹も、驚愕の光景を目に焼き付けられた。
綾が男から取り上げたバットをふと横に持ち直したかと思うと、膝を突き立てて真っ二つに折り曲げてしまったのだ!
普段耳にしないような金属の悲鳴とともに、太く硬いはずのバットがストローか何かのように易々と…
よくプロ野球などで、凡退した外国人選手が怒りをバットにぶつけてへし折ってしまう様子がよく見られるが、
同じような行為を、金属バットで…!
 カラン、カラーン……
 Vの字に変形した金属バットが、周りを取り囲む男たちの足元に転がっていく。
転がる音が、それが間違いなく重い金属製のものであることを改めて認識させ、男たちに動揺を広げる。
へたり込んでしまった、そのバットの持ち主だった男に綾はさらに歩み寄り、見下ろして問う。
「あんなもので殴られたらどれだけ痛いか、わかりもしないで振り回してたわけじゃないわよね。
…どうなの?人の痛みがわかってて、その覚悟があった上で凶器として使ってるの?」
「あ……ぁ、ぁ……」
 言葉遣いこそおとなしめだが、その堂々たる態度と金属バットを折り曲げてなお疲れも見せず
クールに送ってこられる視線に威圧され、男は返事が言葉として口から出ない。
全身が冷水のような汗にまみれ、ズボンの中では玉袋が胡桃のようにギチギチに縮こまってしまっている。
 バチーン!!
 綾以外の、その場にいた全員が息を飲み身をこわばらせる衝撃的な音響が狭い路地裏に響き渡り、
その男は横っ面に納まりきれないほどの大きなもみじを刻印されて昏倒、白目を剥き鼻血を流してミリ単位で痙攣し始めた。
「フン、手で軽くひっぱたいてあげたくらいでひっくり返っちゃうような弱虫のくせに、
一丁前に道具なんて持ち歩くんじゃないわよ」
 綾は情けなく叩きのめされた男に侮蔑の言葉を吐き捨てると、目を他の男たちに向ける。
明らかに、視線を送られた方向にいる男たちの目が泳いでしまっている。怯えは隠せない。
「さてと、残りの一人一人にも教えてあげましょうね…
群れて武器にまで頼って、弱そうな人ばっかり狙うような意気地のないクズの集まりに、人の痛みってものを…ね」
 ポキポキと手の骨を鳴らしながら、威風堂々とした雰囲気で綾は残りの男たちに歩を進めていく。
弘樹は、とても信じられないような顔でただ見ていることしかできなかった。
学校でいつも見ている、目立つことを極力避けるようにしておとなしく静かに過ごしている彼女が
それとは全く正反対の、こんな多数の男に対して動じる様子もなく力を見せ付けている姿を。
また、彼女がこんなに言葉を発するところも見たことがなかった。
学校での綾は本当に無口で、しゃべるにしてもごく小さく囁くような口調の台詞しか聞いたことがない。

「じょ、上等じゃねえか!!たった1人で何ができるってんだこのデカ女!!おい、やっちまうぞ!!」
 リーダー格と思しき男の号令に応じて、不良少年グループはそろって自分の持ち合わせの道具、
金属バットや折りたたみ式の特殊警棒、バタフライナイフなどを構えて綾を取り囲んだ。
いくらバットを軽々折り曲げてしまった綾でも、武装した無数の男に包囲されては…
とんでもないことになったと、男たちの輪の外で弘樹は動転して身動きが取れない。

 しかし、そこから先は弘樹にとって別の意味で足をすくまされる光景が展開されることとなる。
瞬く間に、とはよく使われる言葉だがそこにあったのはまさしく言葉通りの…
弘樹が一つ瞬きをするたびに、襲いかかっていく男の人数が確実に減っていっている状態だった。
綾が一度腕や脚を繰り出すたび、その対象となった男は戦意を失い地面に転がっていく。
平手打ち、肘打ち、膝蹴り、投げ飛ばし、回し蹴り…
周りの空気まで震えるような重い衝撃音がほとばしっては、男たちは普段出せないレベルの声量での悲鳴をあげるか
声にならない無音の泣き声とともに涙を流しながらその場に潰れ、または泣き叫ぶ暇さえ与えられず意識を失ったまま飛んでいく。
グニャリと曲げられ、ポッキリと折られた凶器の数々と、嘔吐寸前の悶絶する声で泣きながらうずくまっている男たちで
足の踏み場がどんどんなくなっていった。
(な、なんて…なんて強さなんだ…!!)

 弘樹は愕然としていて依然足が動かせなかったが、抱く気持ちは一変していた。
無茶な乱入をしてきた綾を心配する気持ちはもうなく、むしろ次々に沈められていく男たちの心配をしたほうがいいのではないかと
逆の心配をしてしまうほど、綾の強さは圧倒的だった。弘樹は綾に釘付けとなって、動けなかったのだ。
男たちが綾を囲む輪が次第に薄くなっていき、大きく逞しい綾の姿がより良く見えるようになってくる。
少し冷静な気持ちを取り戻してきた弘樹は、改めて彼女に驚嘆する。
背こそ高いが喧嘩などとは全く正反対の世界に住む、自分と同じ典型的な文化系タイプだと思っていた綾が…
体を見せることを恥ずかしがっているとしか思えない、きっちり校則にのっとった制服姿しか見せなかった綾が…
腕も脚も大胆にさらけ出した服装で自信満々のオーラを放ち、男たちをぶちのめしていく。
落ち着いて見直してみるとなんという格好、そしてそれまで知らなかったがなんという肉体の発達ぶり!
学校での綾は、スポーツに打ち込む男でもたじろぐであろうこのボディを何らかの意図で隠しておくために
いつも真面目で地味な制服の着方をしているんだと弘樹は悟った。
そしてその日の綾が扮していたのはセーラー戦士、セーラーヴィーナスの前身、セーラーVだと
漫画の知識だけには明るい弘樹にはわかってきた。
(広田さんはイラストや漫画を描くだけじゃなくて、コスプレイヤーでもあったんだ…)
 だがそのクオリティは、お世辞にも高いと言えるものではなかった。ディティールの再現性も、低い。
作品のイメージに合わせて自作したのではない、既存の衣服を組み合わせて着用した、
有り合わせで最低限そのキャラに似せた格好であると、弘樹にはわかった。

 ドグォッ!
 弘樹がそんなことを考えているうちに、ラスト1人の男が片付けられていた。
離れた場所に立っている弘樹の髪がなびくほどの風圧まで生み出す豪快な後ろ回し蹴りが
不良少年グループのリーダー格だった男の下顎を強烈になぎ払い、男は頭と足でバウンドしながら数メートル転がって行き
手下の男たちが横倒しで密集する山の中に突っ込んで動かなくなった。
「まったく迷惑なのよね、テレビなんかでオタク特集なんかやられちゃ。
弱い人がお金持ってるって大袈裟に取り上げるから、それ狙いのこういうバカが増えるってのに」
 眼下に広がる、仰向けやうつ伏せで雑然と転がっている男の集団を蔑んだ目で見下ろし、
一仕事終えたと手の汚れをパンパン払い落としながら綾は独り言のように口にした。
意識が残っている男も、彼女の視線を感じると慌てたように目を逸らして気絶したふりをしている。
戦意など、微塵も残っていない表れだ。

「あ、あの…助けてくれて、ありがとう。広田さん…!」
 恐ろしいほどの強さで多数の男を短時間で始末してしまった綾に弘樹は多少の怯えを残しながらも、
感謝の気持ちに違いはないので、彼女にお礼の言葉をかけた。しかし、
「え?…あれ、小寺君じゃない」
「…え??」
 数秒間、妙な沈黙が流れた。
彼女は、この繁華街で同じ部の弘樹が不良に絡まれていると思って助けたのではなく、
柄の悪い連中を片付けたらその被害者が知り合いの弘樹だったことをそのときに初めて気付いたようだった。

 その後2人は一緒に電車に乗り、地元へと帰った。
持参していた上着を羽織り、いつもの地味な綾に戻って。
一緒に帰りながら綾は弘樹に色々なことを話した。
学校で目立たないように過ごしているのは地の性格ではなく、今日のようなことのためのカムフラージュであること。
しかし漫画やアニメ、ゲームなどを深く愛する趣味は本当で、コスプレも中学時代から秘密で始めた趣味だったこと。
最初はただコスプレのため、スタイルを引き締めるつもりでやっていたトレーニングが徐々に本格的なものとなり、
知らず知らずの間にこんな肉体にまでなってしまったこと。
背が高いのは生まれ持った素質で、望んで身に付けたものではないようだが
昼間見せ付けた女戦士の彫刻みたいな見事な肉体美、それから生み出される爆発的なパワーを
エクササイズの延長気分で自然に会得してしまったというのか…と弘樹は話を聞きながら唖然とした。
そして1年ほど前から今日見せたような活動、つまり街の悪党狩りを始めたということ。
体格、体力の向上で自信をつけた綾は元々正義感の強い性格だったのか、
日頃何かを隠すような暮らしで溜まっていくものを発散する対象が欲しくなったのか、
窃盗や性犯罪者など、やっつけてしまっても問題ないであろう存在がいそうな場所に出向いては
正義のヒロインになりきって片っ端から叩きのめして回るようになっていったらしい。
(ふ、普通そんなことまでは考えないだろう…実はとんでもない人なのかもしれない、広田さんは…)

 彼女の話にゴクリと息を飲みつつ、弘樹はもう一つどうしても気になっていたことを思い切って尋ねた。
「今日着てたコスチュームって…セーラーV?」
「そう。小寺君、知ってたんだ。
本当は、ジュピターやりたいんだけど、あんなコスなんて売ってるわけもないし、自分じゃ絶対作れないもん。
もっと気合の入ったレイヤーの人なら自作とか簡単にしちゃうみたいだけど、私はそういう才能ないし…
だから仕方なくって言ったらおかしいけど、普通のセーラー服に手を加える程度でどうにか再現できるセーラーVで
代わりっていうことにしてたの。でもやっぱり、専用に作るのと違って細かいところまでは似せられないのよね。
小寺君から見ても、レベル低かったでしょ。私のコスプレ」
「い、いや…そんな…」
「いいの。…はぁ、私ももう少し人並みの身長だったら、遠慮しないでコスの専門店とかにも行けるんだけど。
私みたいな大女に合うサイズのコスなんて、あるわけないし…」
 そこまで言って軽く溜め息をついた綾はふと、すぐそばでいかにも何かを言い出したくてうずうずしている様子の
弘樹の熱のこもった視線が上ってきているのに気付いた。
「な、何?小寺君…」
 それまでに見たこともない弘樹を見たように、綾はほんの少しうろたえた。
自分の本当の素性を一度に明らかにしすぎて嫌われたかも、と後悔の念も一瞬芽生えた綾だったが、
弘樹のそのとき抱えている想いは綾の想像もしないことだった。

 弘樹はそこで、それまでの人生で最大級の勇気を振り絞り綾に言った。
「……ぼ、僕は、そういうの得意なんだ!
男のくせにおかしいとか思われるかもしれないけど…裁縫とか、衣装作りは自信があるんだ。
力は弱いし絵もあんまり才能なくて、広田さんには何もかも敵わないけど…これだけは!
だ、だから…僕でよかったら手伝わせて欲しい…広田さんの思い通りのコス、僕に作らせて!」
 顔を真っ赤にし、ところどころもつれながら弘樹は一気に思いの全てを綾にぶつけた。
突然こんなことを言い出して、断られるだけならまだしも最悪なら変態扱いで軽蔑され、
彼女の近くにいることもできなくなり漫研にもいられなくなるかも…物凄いリスクを背負った告白だったが
このチャンスを逃せば間違いなくこんな申し出は今後一切無理…弘樹の、綾ともっと近づきたいという思いへの
覚悟はそれほどまでに半端でないものだったのだ。

 また数秒、さっきより長く返事の途切れた沈黙があった。
(や、やっぱりダメか…突然こんなこと言い出して、OKされるなんて考えるほうが甘いんだよな…
しまった、嫌われた……僕はなんて余計なことを…せっかく、距離が縮まったってのに…!!)
 恥ずかしさで真下を向き、自然発火しそうなほど顔中に熱を帯びて弘樹は綾に目が合わせられない。
しかし、その直後弘樹に伝わったのは、両肩に添えられた綾の大きな両手の感触だった。
「え?」
 びっくりして火照ったままの顔を上げると、その先には綾の、とても嬉しそうな笑顔があった。
H商業に入学以来彼女と接した数少ない機会ではこれまで見たこともない、心から喜んでいるような。
「本当?小寺君。すごく助かる!
私、コスプレがうまくいかないのが最大の悩みだったから、作ってくれる人がいたらいいなって思ってたの!
でもこの趣味って他の人には秘密だし、身近にも頼める人なんて入るわけないと思ってて…
だから、私がこんなオタクだってわかってくれてる小寺君が手伝ってくれるのって、最高の巡り合わせよ!
ぜひお願いするわ!まず試しにジュピターのコス作ってみてくれない?」
 弘樹が一世一代とも言える覚悟で切り出したアピールを受けての綾の長い沈黙は、
綾にとって願ってもないプレゼントがやってきた嬉しさで胸がいっぱいになっていたからだったのだ。
言いながら弘樹の両肩を掴む手の力強さ、弘樹が倒れてしまいそうな前後の揺さぶりのパワーに
綾の嬉しくてたまらない気持ちが伝わってきた。
憧れていても決して近い存在ではなかった綾に、こんな笑顔で頼みごとをされるとは…
そしてまさか、自分のこの無茶な提案を嬉しそうに受け入れてくれるなんて…
その場に押し倒されてしまいそうになりながら、弘樹も幸せに包まれ始めていた。


 綾の依頼を受けて、弘樹は自室でセーラージュピターのコスチューム作りに入った。
ショートブーツ以外は自作できそうだ…と思った矢先、肝心なことに気が付き手が止まる。
この当時、弘樹は彼女のボディサイズに関して身長193cmというデータしか知らなかったのだ。
(あ、どうしよう…ズボンじゃなくてミニスカートだから股下はいいとしても胴回りなんかは…
先に採寸をさせてもらえばよかった…でも、サイズ測るからってすぐ近くにまで寄って触ったりなんかして
広田さんに嫌われてもいけないし…)
 前日にあんなやり取りで急接近し始めた2人の関係を、下手な手出しでぶち壊しにするわけにはいかない。
(待てよ、広田さんはただ着るだけじゃないんだ。本当に正義のヒロインみたいに、悪い奴らをやっつけるんだから…
動きやすくないとダメなんだ。少し大きめに考えて、と…)
 弘樹は推測に基づいてサイズを決め、本格的な製作に入っていった。
好きなことにはとことんのめり込むタイプの弘樹。学校が終わると部屋にこもり、連日深夜まで頑張った。

 そして、ついに完成。
弘樹は充足感と、これが綾の体型に合うか、気に入ってもらえるかどうかの不安が入り混じった
胸の許容範囲いっぱいのドキドキした気持ちで、朝からの授業も好きな部活も上の空で過ごし、
いよいよ待ちに待った時が訪れた。
部員は弘樹と綾を除く全員が帰宅し、部室は施錠した2人だけの空間となる。
「小寺君、もう作っちゃったのね。普通の服じゃないから、もっとかかるかと思ってたけど」
 出来上がったという弘樹の報告に驚きを隠しきれない様子の綾に、大きな紙袋を渡す弘樹。
「広田さんの思う通りかどうかはわからないけど…集中して一気に作ったんだ。
気に入らなかったら捨ててくれてもいいし…それじゃ」
 緊張と興奮で喉をカラカラにさせながらそれだけを伝えると、弘樹はすぐに立ち去ろうとした。
受け取った綾の反応を見るのは、やはり怖かった。
親しくなり始めたばかりの女の子にこんな格好をさせようとするなんて、
もしかするとスカートが短すぎて変態扱いされるかも…そればかりかあの怪力でボロ雑巾にされてしまうのでは…
とにかくこの場から逃げ出してしまいたくなったのだ。
「小寺君、どこ行くの」
「え……え?」
「似合うかどうか、見てくれなきゃダメよ。それに私の感想も聴いてくれなきゃ。
私のために、小寺君が精一杯作ってくれたんだしね」
 言いながら、紙袋を片腕に抱いた綾が自分のロッカーから取り出したのはグリーンのショートブーツだった。
弘樹の製作完了を待ち構えるように、自分で買って保管しておいたようだ。
「ま、まさか…!」
「もちろん試着してみるのよ、ここで。小寺君もわざわざ気を利かせて、誰もいなくなるのを待ってくれたじゃない。
せっかくだから、この場でね」
「ちょ、ちょっと…」
 弘樹は心臓が飛び出してしまいそうだった。
「小寺君、少しだけあっち向いてて。私がいいって言うまで、振り向いちゃダメだからね」
「はっ!!はいっ……!!」
 慌ててコミカルなほど急速に向こう側へとターンした弘樹に、綾はくすっと笑いをこぼした。

 衣服の擦れる音、畳まれた制服が椅子の背中に掛けられる音だけが弘樹の耳に届いてくる。
その状況が弘樹の胸の高鳴りをますます加速させ、まるでトランスミュージックのリズムを刻む音のような大きく速い胸の鼓動が
逆に綾の耳に入ってしまうのではないかと心配に思えるほどだった。
やがて後方から聞こえてくる音は脱衣から、着衣による音へと変わった。
伸縮性のある素材のレオタードに脚が通され、あの大きな体にフィットしていく音。
逞しく長い腕にロンググローブが滑って装着され、密着する音。
軽い素材のリボンを胸元にスルスルと結び付けていく音。
視界に伝わってこないことが、余計に興奮をプラスさせる。
何度唾を飲み込んでも、喉の渇きに追いつかない。

「お待たせ。小寺君、こっち見てくれる?」
 着替え終えたのか…?果たして綾は自分の作ったコスチュームをどう思って…
とにかく複雑に絡まりあった思いで胸が窮屈なまま、弘樹は恐る恐る綾のほうに視線を向ける。

「!!」
「ジュピタースターパワー・メイクアップ!ってね。どう?似合う?」
 向けた瞬間、弘樹の頭の中ではブチブチという音が確かにした。
アニメの中のセーラージュピターが実物となってこの場に現れたような錯覚を覚えた。
いや、実物としてここに立っているからこそ余計に生々しい、アニメを上回る迫力の大型美少女戦士。
「ぅ…ぁぁ……!!」
 セーラージュピターに変身完了した決めポーズまで再現してみせてくれている綾の堂々とした姿に、
弘樹は興奮のあまり感想の言葉がなかなか出せずにいた。
しかし、その表情が何よりも雄弁に物語っていたようで、綾は弘樹の反応が否定のものではないことを読み取ってから
ポーズを解き、嬉しそうな笑顔を見せた。

「小寺君、すっごくいい感じ。このコス。細かい部分まで、イメージピッタリだもん。
肌触りも着心地も最高。専門のショップにも負けない腕だと思うよ。本当にありがとう、小寺君」
 白いグローブに包まれた両手を胸の前で組みながら、綾は最高の宝物を発見したように幸せいっぱいのスマイルを
身長差41cmの弘樹に向けて下ろしながら賞賛と感謝の言葉を述べた。
「い、いやぁ…」
 弘樹は真っ赤になって生返事をしながら、綾の体のあちこちに視線が泳いでしまっていた。
数日前にセーラーVの真似をした服装の彼女を見たときにわかっていたことだが、
改めて希望通りのジュピターコスチュームを身に纏った彼女は、たまらない体つきだ。
セーラー服とは言っても基本的にレオタードであるその衣装は綾のボディラインを素材越しにあらわにしていて、
よく鍛えられてくびれのできた曲線にも忠実にフィットしている。出ている部分にもピッチリと。
薄手のレオタードは腹筋の溝やおへその形までも伝えている。
ノースリーブとミニスカートにより腕も脚もほとんど付け根に近いあたりから、
スポーツに打ち込む男でも尻込みするに違いない太さと筋肉の盛り上がりを伴って露出されている。
部室の蛍光灯に照らされて、力こぶによってできる影がさらに威圧感を持たせる。
しかし193cmもの長身もあって、分厚い筋肉量が決してスタイルの悪化に繋がっていない。
ヨーロッパの女子陸上選手のような、美しさと強靭さが兼ね備わった肢体から弘樹は目が離せない。
綾はもし漫画やアニメに興味を持たずスポーツの道を志して運動部のほうに進んでいたら、
きっと超一流のアスリートになっていたのかも…そんな気がした。
でも、やっぱりそんなことはもったいない。
セーラージュピターがテレビの画面から抜け出してきたような、いやそれ以上のたまらない姿となってくれた綾。
オタクの弘樹としては、綾はやっぱりこの世界にいて欲しい人物だった。
スポーツの世界にやるなんて重大な損失だと思った。

「う〜ん、でもちょっと、サイズはきつ目かもね」
「え?」
「服を作ってもらうっていうのに、採寸をしてもらうのを忘れちゃったのがいけなかったかも。
ごめんね小寺君、想像で作らせちゃって。私ってほら、普通の女の子とは体型が違うから…」
 余裕を持って大きめに作ったはずだったが、綾のボディは弘樹の想像のもっと上を行く逞しい厚みを持っていたのだ。
贅肉ではない。トレーニングによって培われた、中身の詰まった筋肉による厚みと幅だ。
しまった、計算違いだったかも…と申し訳ない気持ちに包まれかけた弘樹の心だったが、
この直後にまた大きく揺るがされることになる。

「ねぇ、もうちょっと近くでチェックしてみて」
 部室の床にコツコツとブーツの音を響かせながら、綾が弘樹のもとにさらに歩み寄ってきたのだ。
「え、ぁ、ちょっと…!!」
 さっきから、こんな格好をしている綾ではなく弘樹のほうばかりがあたふたしている。
1歩歩み寄るたび、コスチュームの上に浮き彫りとなった腹筋が蠢き、
その上では形の良いバストがゆさゆさと揺れて胸元のリボンが大きく上下する。
弘樹の大脳、心臓、股間を強烈な電流が駆け抜ける。鼻血が噴出してしまいかねなかった。
「ね?このへんなんか、ちょっと余裕ないでしょ」
 大胆にも綾は、お互いが触れそうな距離にまで近寄って両腕を上げ、
胸から脇にかけてコスチュームが張り詰めている様子を弘樹に確認させようとした。
(うおおおおおおおおおっっ!!)
 実際に声に出してしまわないように最大限の注意を払いつつ、脳内で大絶叫する弘樹。
そうしなければ、脳も心臓も破裂して即死しかねないと思った。
無防備な脇の下、そして大きめに作ったはずのコスチュームをパツパツに張らせているバスト。
普通の女性のさえ、こんなに間近で目にすることのなかった弘樹に、憧れのセーラー戦士姿となった
さらに憧れの綾のそれが眼前に迫っている。
まして綾は、今後このコスチュームに身を包んでミニスカートをひらめかせ、レオタード越しにこの迫力ボディを弾ませて
街に巣食う悪人どもを打ち倒しまくるのだ。それに思いを馳せるだけで…

「もし今度また作ってもらうことがあったら、次はきちんとサイズの測定をお願い、ね」
 今にも発火しそうに真っ赤な顔で、鼻血どころか大脳からの出血が直接鼻から流れ出そうに興奮しきっている弘樹に
綾の言葉がさらに追い討ちを掛ける。
「お、お願い、って…!?」
「決まってるじゃない。小寺君に測ってもらうのよ。
自分で測れないサイズだってあるんだから。メジャーとか当ててもらってさ…」
(はうっっ!!)
 聞きながら、弘樹は自分の心臓の鼓動で肋骨をまとめてへし折られそうな苦しさに呻いた。
(ぼ、ぼぼ僕の手で測ってくれだって…!?広田さんの体に直接、メ、メジャー…で……!!)
 想像するだけで、脳の血管が数十本まとめてちぎれて昇天しそうだった。
「くすくす、変な広田君…でも、本当にありがとう。
これで私、思う存分頑張れそう。何だか実際にパワーアップしちゃった気分!」
 頭にも胸にも股間にも高熱を帯びて半失神、スタンディングKO状態の弘樹をよそに、
その状態を生み出した綾は最高に気に入ったミニスカセーラー戦闘服姿でもう一度ポーズを決め、
これまでに幾人もの男をなぎ倒してきた豪腕に力を込め、さらに巨大な力こぶを形成して見せた。


つづく





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