彼女の『秘密』

「おい、鳥井。どうだ、良さげな子は居たか?」
悪友の沖が、僕にそう聞いて来た。

大学2年になったばかりの最初の講義。
高校までとは違い、クラス替えがあるわけでもなく、教室には同じ学部の見知った顔ばかり。
そんなの、去年と変わり栄えするわけないだろ、・・・・・とは言えなかった。

沖とは、悪友といっても一緒に馬鹿をやったりするような、そんな関係ではなかったのだ。
児童文学研究会という如何にもな文系サークル所属の僕。
それに対し沖は、空手部所属で全国大会に出るほどの猛者。
要は、講義の出席やレポートの代筆等、沖が僕を呈良く利用するだけの関係だった。
共通するのは、お互い彼女に恵まれないことぐらいだろうか。

「おい、見ろよ。佐々木の奴、またオッパイ大きくなったんじゃねーか!?」
佐々木とは、学部内でも有名な爆乳の女子で、毎日違う男と歩いているという噂が立つほど。
今も、ミニスカートに胸元の大きく開いた服を着ていた。

「いつも違う男に揉まれてんのかねぇ〜。藤村とはエラい違いだな」
そういって、沖は教室の後ろの方の席に視線をやった。

そこには、三つ編みお下げ、度のキツい眼鏡、野暮ったい大きめのセーター。
絵に描いたような文系少女。それが、藤村美優だった。
彼女は僕と同じサークルということもあって、沖も彼女の存在は知っていた。
そうでなければ、沖のような男が気に掛けるタイプの女子ではない。

「ま、お前みたいなのには藤村ぐらいが丁度お似合いだよ、ハハハ」
言い方は癇に障ったが、僕自身、それ自体は満更でもなかった。
沖が居なければ、すぐにでも彼女の隣に移動したかったし、実際、サークルのある日は一緒に帰ったりしていた。
少なくとも僕自身からは友達以上、そう思える女の子だった。


そんなある日。


「おい。今日の夜、ちょっと時間空けとけ」
よりにもよって、サークルのある日に僕は沖に呼び出された。勿論、途中までとはいえ藤村さんとの帰宅もご破算。

「私も今日はこれから用事あるし、気にしないで」
別れ際、彼女は笑ってそう言ってくれた。彼女の笑顔を脳内再生しながら浸っていると、沖がやって来た。

「おぅ。今日はこれからジムに行くぞ」
「ジム? 何でまたそんなところに・・・。それに、僕はジムって柄じゃ・・・」

「良いから付いて来い。良いモン見せてやるから」
正直、文系の僕にとってジムなんてものは激しく興味が無いものだった。
だが、沖は一度言い出すとキリがなく、渋々付いて行くしかなかった。


そこは、都内にあるジムだった。沖が通っているらしく、何度か名前を聞いたことがある。
沖曰く、「大学のトレーニングルームじゃ物足りない」らしい。

ジムに入った瞬間、沖の"お目当て"は一発でわかった。

"その人"は、ジムの端の方でダンベルカールをしていた。
髪をポニーテールに結わえた女性。OLだろうか。
これでもかというぐらい、前方に突き出したロケットバストの爆乳美人だった。

大きなウェイトの付いた、見るからに重そうなダンベルを事も無げに上げ下げしている。
ダンベルが上下するたびに、こんもりと大きな力瘤が盛り上がる。
上半身は見事な逆三角形を描き、キュッと絞られたウェストに似つかわしくない六分割された腹筋。
太腿も、僕の胴回りぐらいあるんじゃないか、というぐらい太い。

確かに、色んな意味で凄い美人だけど、それと僕をこのジムに連れて来たことに何の関係があるのだろう。
しかし、その疑問はすぐに解決した。

「おい、鳥井。お前、あの人を食事に誘え」
「えぇっ!? そんな、無理だよ!」
いきなり初めて見ただけの人を、しかもあんな美人をナンパしろだなんて、無茶も良い所だ。

「うるせぇ! ゴチャゴチャ言わず、ただ誘えば良いんだよ。もう、お膳立てはしてある」
沖の言うことの意味がわからないままマゴついていると、何と、向こうからこちらにやって来た。

「ちょ・・・おい、沖・・・!?」
沖はいつの間にか居なくなっていた。心の準備が出来ない内に、その筋肉美女は目の前まで来ていた。

「あの・・・、あなたが体験入会の方ですか?」
なるほど、そういうことか。この女性はインストラクターだったのだ。
だから、今日ここが初めての僕なら、自ずと接触の機会が持てる。
だが、それは定期的にこのジムに通っている沖も同じだろうに・・・。

「・・・あれ、もしかして・・・・・?」
「?」

「・・・やっぱり、そうだ。あなた、鳥井くんですよね?」
「? ・・・そう、ですけど・・・・・どちら様ですか?」
情けない話だが、僕にこんな美人の知り合いは居ない。
名札には『MIYU』とあるが、『みゆ』という変わった苗字にも心当たりは無かった。
しかし、どこか声に聞き覚えが・・・

「私、藤村です」
「えええ!?」
言われてみると、確かに声は藤村だったが、それ以外は大学でいつも見る藤村とは似ても似つかない代物だった。
髪型は三つ編みではなくポニーテールで、眼鏡も掛けてなくてかなり大人っぽい。
大学での文系少女という印象とは、良い意味で掛け離れている。
それに、そもそも体型が違う。
普段の大きめのセーターにロングスカートという出で立ちは、どちらかというと肥満体型を想像してしまう。
しかし、よくよく考えると、サークルで1年近く一緒に過ごしながら、彼女の素肌を見たことがなかったことに気付いた。

「あっちで話しませんか?」
藤村さんはここだと目立つから、と奥にある初心者向けと思われる区切られた一画へ僕を案内した。

「・・・あの、ビックリしました・・・よね?」
話し方や物腰は、確かにいつもの、大人しく思慮深い藤村さんその人だった。
しかし、僕は未だに目の前の筋肉隆々の美女が藤村さんだとは思えない。

僕は、タンクトップに短パン。藤村さんは、タンクトップタイプのスポーツブラにスパッツ。
どちらも、体型のハッキリ出る服装なだけに、その違いがアリアリと出ていた。

先ず、藤村さんは僕より若干、身長が高いのだが、明らかに僕よりも腰の位置が高い。
肩幅は勿論、上腕や太腿は僕の棒のようなモノと比べると、その太さは倍どころではなかった。
脂肪でプヨプヨの僕とは違い、鍛え込まれ研ぎ澄まされた筋肉。

お手本がてら、藤村さんはバイクマシンに乗って、トレーニングを始めた。

バイクマシンを扱ぐたびに、ただでさえ太い太腿が更に太くなるのを見て、
僕は未だに目の前の筋肉隆々の美女が藤村さんだとは思えなかった。

藤村さんは、1つ1つ僕の疑問に答えてくれた。

「私、小学生の頃から胸が大きくていつもからかわれていたんです・・・。
 保健の先生はちょっと、他の人より成長が早いだけ、って言ってたんですけど・・・」
それが、胸の成長は止まることを知らず、中学、高校と進む内に周囲からは好奇の目で見られるようになったらしい。

「実はこのジムって親戚の叔父さんが経営してるんですけど、その叔父さんに聞いたら
 『ウェイトトレーニングすれば脂肪は落ちる』って言われて・・・」
何と。藤村さんによれば、これでも以前より胸は小さくなったらしい。

「胸が小さくなったのは良いんですけど、それ以上に筋肉が付いてしまって・・・。
 でも、トレーニングを休むと直ぐに胸に脂肪が付いちゃうから辞めるに辞められなくて・・・」
胸を小さくしたくてトレーニングをする。胸は小さくなるが、筋肉が付くのでトレーニングを辞める。
また、直ぐに胸が大きくなるのでトレーニングをする、の繰り返しなのだそうだ。
最近はもう諦めて、日常的に鍛えるようにしたらしい。

空手部の沖はともかく、万年文化部の僕の身体と比べると、大人と子供以上に差がある。
大きめのセーターにロングスカートは、その藤村さんの身体を目立たないようにするためのファッションだったのだ。
小学生の頃のことがトラウマになった藤村さんは、極力目立つことを避けるようになったらしい。
地味な格好を選び、視力が低いにも関わらず講義も最後列の席に座るのもその為だ。

「ジムだと、眼鏡は危ないからコンタクトにして、髪型は動きやすいようにポニーテールにしてるんです。
 後、沖くんみたいに大学の人とかと会っても気付かれにくいように・・・だって、こんな身体だから・・・」
確かに、沖はこの美女が藤村さんだとは全く気付いていない。
尤も、僕も藤村さんから声を掛けられるまで気付かなかった。
名札も、少しでもわかり難いようにアルファベットで『MIYU』と書いたらしい。

「・・・でも、こんなこと言うのは変かもしれないけど・・・。その、何ていうか・・・凄くカッコいい身体だと思うよ」
「・・・っ!!」
藤村の顔は一瞬で真っ赤になった。

「あああ、ごめん。何か突然、変なこと言っちゃって・・・」
ふるふるふる、と真っ赤な顔のまま藤村は首を横に振った。

「ありがとう。そんな風に言ってくれたのは、鳥井くんが初めて・・・」
お互い、照れて会話が続かなくなってしまった。
僕としては、話してみればそれはやはり、いつもの藤村さんで、安心してしまったというのもある。

「でも、今日はどうしてこんなところに来たんですか? ・・・もしかして」
「うん、そのまさか。沖に無理やり連れて来られた」
僕は、正直にこれまでの経緯を話した。勿論、食事に誘えと言われた件も含めて包み隠さず。

「・・・・・。実は、前から何度も沖くんからしつこく食事に誘われてるんです」
そうか、それで合点がいった。藤村さんに何度も断られた沖は、僕をダシに搦め手から攻めようってわけだ。
僕が失敗しても、僕が玉砕するだけで、それはそれで沖には一切、被害は無い。
もし、万が一にでも成功すれば、後はそれを横から掠め取れば良いだけ。何とも、唯我独尊らしい沖の作戦だ。

「・・・よし。今日はもう一緒に帰ろう。沖に見付からないうちに」
僕は意を決して、藤村さんにそう提案した。

「・・・えっ?」
「幸い、沖がプールの方に行くのをさっき見たんだ。すぐには戻らないと思うから、今のうちに・・・」

「でも、それじゃあ鳥井くんに迷惑が・・・」
「良いんだ。誘って何とか連れ出したけど、外でやっぱり断られたってことにすれば大丈夫さ。
 奴を置いて帰った言い訳は何とでもなるし、今は、奴からバックレたい気分なんだ」

「・・・ふふふ」
「・・・あはは」
『バックレる』なんて、僕が普段使わないような言葉遣いに、二人はおかしくなって吹き出してしまった。


沖に見付からず、10分ほどで何とか二人揃ってジムから出ることに成功した。

「・・・あの、鳥井くん」
「? どうしたの?」

「あの・・・折角ですし、本当に一緒に食事をして行きませんか? 時間もまだ早いですし・・・」
「あ・・・・・・・・うん、良いよ」
照れからか、僕はつい生返事をしてしまった。しかし、ちゃんと伝わったのか藤村さんは嬉しそうな顔をしている。

しかし。

「おい!!」
後ろから、聞き知った声での怒号が届く。

「確かに俺は、『食事に誘え』っつったけどよ。誰も、『落とせ』なんて言ってないぜ?
 しかも、二人してどこ行くかと思いきや、裏口からコソコソ逃げやがって・・・」
漫画的な表現でよくある、青筋が額に見えるぐらい、それぐらい沖の怒りはアリアリと見て取れた。

藤村さんが、ポニーテール&コンタクトの『MIYU』のままなのは幸いかもしれない。
今、ここを乗り切れば大学での藤村さんに被害は無いからだ。

「『MIYU』さん、俺を置いてくなんて酷いじゃないですか。
 俺の誘いは断るのに、そんな奴の誘いは一発OKですか」
元々、沖もそんなに高い確率で成功するとは思っていなかったのだろう。それだけに、出し抜かれた怒りは大きい。

「あまり、空手家を舐めんなよ。俺が本気になれば、あんたぐらいどうとでもなるんだぜ?」
ヤバい、沖の目がマジだ。裏口から出たのは文字通り、裏目に出たかもしれない。
表通りに比べて遥かに街灯の少ないこの路地には、さっきから全く人が通らない。

くそ! 僕は意を決した。

「"MIYU"さん、行って下さい! ここは僕が何とか納めますから!」
そういって、僕は沖の前に立ち塞がった。

「でも・・・!」
「・・・おい。何の真似だ?」
初めて見る、キレた沖。そういえば、僕が沖に逆らったのも初めてかもしれない。

バキッ!

一瞬だった。僕は、沖の裏拳を喰らい、殴り倒された。いや、沖にとってはただ単に払い除けただけかもしれない。
頬を押さえながら立とうとする僕に、沖は通りすがりに僕の顔目掛けて下段蹴りを放った。

ドガッッ!!

空手の下段蹴りというよりは、サッカーボールキックに近かったかもしれない。
蹴りのダメージ以上に、脳が揺らされた僕は意識が朦朧とし、アスファルトに仰向けに倒れ込んだ。

「鳥井くん!!」
「こんな奴のことはいいんだよ。男を舐めるとどうなるか、教えてやる」
沖は、あっという間に藤村さんとの間合いを詰めると、そのまま彼女の手を掴み、押し倒した。

「キャッ!!」
藤村さんが尻餅を付いたような格好で地面に横たわる。沖はそれに覆い被さるような感じだ。

「・・・へぇ? 『MIYU』さん、意外と野暮ったい服を着るんですね。まるで、藤村みたいな・・・・・
 ・・・ん? そういや、藤村もこんなセーターにロングスカートだったような・・・・・ん?」
沖は、組み伏した藤村さんから何か、空気が変わったようなそんな"違和感"を感じ、手が止まる。

「・・・そうよ、あたしが藤村よ。・・・ただし、あたしの名前は『ミユ』だけどね」
「・・・何だ? 何を言って・・・・・うがぁっ!?」

ドゴォッ!!!

何と、藤村さんはマウントポジションの沖を、純粋な腕力のみで払い除けた。
180pオーバーの沖の身体が吹っ飛ばされるのを、僕は初めて見た。

「もぉ! アンタが手荒くするから、『美優』が気絶しちゃったじゃない」
「「???」」
吹っ飛ばされた沖も、意識が朦朧としている僕も、完全に事態が飲み込めていない。

そんなことはお構い無しに、と藤村さんは髪を結わえているヘアバンドを外してしまった。
ポニーテールを解いて、セミロングの髪を後ろに流した藤村さんからは、ある種の威容な雰囲気が出ていた。

「『美優』も本気出せば、こんな男なんて軽く一捻りなのに・・・」
明らかにいつもの藤村さんとは様子が違う。錯乱しているという感じでもない。

「・・・ぐ・・・。・・・お前、ホントに藤村なのか?」
「だから、さっきも言ったでしょ。あたしは、『藤村ミユ』よ」
沖の問い掛けに、藤村さんはそう答えた。

しかし、藤村・・・『ミユ』っていうのは一体・・・?

「・・・ったく、アンタみたいなのはあたしのタイプじゃないの。それなのに、しつこく何度も言い寄って来て・・・。
 正直、ウザくて仕方なかったのよ。さすがに、そろそろ限界。
 さっき押し倒したのも含めて、ちょっと借りを返しとかないとね。骨の1本や2本は覚悟しなさい?」
そういって、藤村さんは沖を睨み付けた。

「・・・・・な、何だと!?」
何と、あの沖が気圧されている。それだけ、"今の"藤村さんには言いようも無い迫力があった。

「・・・お、俺は喧嘩に空手使うことぐらい、何でも無いんだぜ? ・・・相手が女でも、だ」
何とか気圧されまい、と沖は凄んだ。

「やってみれば? 口先だけで凄んでないで・・・ね? ふふふっ」
藤村さんらしくない嘲笑。明らかに、今の藤村さんはさっきまでと何かが違う。
確かに、藤村さんの服の下の身体は凄かった。だが、さすがに相手が沖では分が悪い。
実際、沖は重量級でパワー空手を得意とし、数多くの相手を畳に沈めて来た。

「後悔すんなよっ!!」
沖は、女性である藤村さんに全く躊躇せず、顔面に向けての上段正拳突きを放った。

「・・・ふふっ。空手家の正拳ってこんなものなの?」
藤村さんは、軽やかに首の捻りだけで沖の正拳をかわした。

「くそっ、このぉ!!」
本気になった沖は、ラッシュを仕掛けた。上段、中段、下段。突き、蹴り。1分近く打ち続けていただろうか。
沖が、空手で会得した全てを込めた連撃。それを、藤村さんは難なく受け切ってしまったのだ。

しかも、顔への打撃は全てかわしたものの、身体への打撃は、ほとんどガードすらしていなかった。

「・・・な、何で倒れない!?」
「あんな程度のヘボい打撃でこの私が倒れるわけないでしょう?ほぅら、ボディがガラ空きよ〜♪」
そういって、藤村さん・・・いや、『ミユ』は沖を挑発した。

「こんの、クソアマッ!?」
せぁっ、という掛け声と共に、沖は『ミユ』のボディ目掛けて連撃を放った。

1発・・・2発、3発・・・。5発・・・6発、7発。

10発を超えた辺りで、沖が肩で息をし始めていた。

「・・・はぁ、はぁっはぁっ」
打ち疲れて言葉を発するのも辛いのか、沖はただただ、倒れない『ミユ』を睨み付けていた。

「・・・もう終わり? ふぅん、この程度なんだ。・・・じゃ、今度はこっちの番ね」
『ミユ』が右腕を大きく後に引いていた。

「はぁっ、はぁっ・・・そんなテレフォンパンチ、誰が喰らうかよ・・・って、え?」
沖は、来るであろうパンチを躱そうと身を引こうとしたが、出来なかった。
『ミユ』が、左手で沖の肩を掴んでいたのだ。

「・・・くっ、は、放せ・・・ぐ、ぎゃあぁぁあっ!!」
沖の言葉に、『ミユ』はその握力を持って返答した。勿論、その意味するところは、『逃げるな』で間違いないだろう。

「ふんっ!」
大きなダンベルを事も無く持ち上げていた上腕。そして、発達した広背筋。
そこから放たれる大砲。その威力は想像するだけで恐ろしく、僕はインパクトの瞬間、思わず目を閉じてしまった。

ズドム!

しかし、インパクトの瞬間、僕が思っていた程に大きな音はしなかった。
だが、しっかりと『ミユ』の右フックは沖のボディに突き刺さっていた。

『ミユ』は直ぐさま、沖のボディから右手を抜く。
すると沖は、殴られた腹を両手で押さえながらフラフラと千鳥足でよろめきながら前のめりに顔面から倒れた。

「う・・・お・・・ご・・・あ・・・ぁ・・・」
沖の口からは呻き声が漏れる。それと同時に、酸っぱい臭いのする液体を吐き出し始めた。

「お腹の中が空っぽで良かったわね」
地面に突っ伏したまま痙攣している沖を尻目に、『ミユ』はそう言い放った。

衝撃音が小さかった理由、それは簡単なことだった。
『ミユ』のパンチ力が弱かったわけでも、沖の腹筋が強かったわけでもない。
『ミユ』が左手で沖を掴んでいたことにより、『ミユ』のパンチ力が無駄なく沖のボディに伝わったのだ。
衝撃音がするということは、それだけ衝撃が外に漏れているということに他ならない。

「君は藤村さん・・・なの?」
少し前までは『藤村美優』だったはずの女性。
それが、ポニーテールを解いただけでこうも印象が変わるものなのだろうか。
それだけ、目の前の『ミユ』の纏った雰囲気は、僕の知っている『藤村美優』とは別人だった。

「大の男が情けないわね。いつまで、そこでヘタってるつもり?」
言われて、僕は未だ地面にヘタリ込んだままだということに気付いた。

勿論、沖にヤラれたダメージはだいぶ回復している。立てないほどではない。
ただ、目の前の展開に意識が付いて行けず、立つ機会を失っていただけなのだ。

「もう、しょうがないわね・・・」
そういって『ミユ』は、僕の両脇を抱えるようにして、僕を立たせてくれた。

・・・と思ったら、そのまま僕をまるで"高い高い"するかのように宙空に持ち上げた。

「・・・ふぅん。へぇ・・・あんたが、ねぇ・・・」
軽いとはいえ、50s後半はある僕の体重を物ともせず、『ミユ』は品定めするかのように僕に視線を這わせた。

僕の両手は空いていたが、抵抗する気になんてなれなかった。
空手猛者の沖を一撃でノックダウンし、僕をまるで子犬でも抱き上げるかのように持ち上げる腕力。
そんなものを僕の腕力でどうにか出来るはずなんてないのだ。

「さぁて、知られちゃったし・・・どうしようか?」
「・・・え?」
半ば、自問自答するかのように僕に訊いて来たので、僕も返答に困り、生返事をしてしまう。

「今まで何度かこういうことはあったけど、"知り合い"相手だとやっぱり"後始末"に気を遣うのよね」
「後始末・・・」
"後始末"という言葉を聞いて、僕はゴクッと息を飲んだ。自然と地面に突っ伏したままに沖に目が行く。

「記憶が飛ぶぐらい頭を殴ってみようかしら・・・?」
「・・・・・」

「・・・なーんてね、冗談よ、冗談。も〜、本気にしないの。あはは♪」
脅された恐怖感よりも、違和感がどうしても気になってしまう。

「・・・・・ふぅん、意外と肝は座ってるのね」
さっきまで嘲笑していたと思ったら、今度はいきなり冷静にそう言い放った。
感情の起伏が激しい、というよりは敢えてそういう演技をして僕を試している、そんな感じだ。

「腕っ節はハッキリ言ってモヤシだけど、そういう"ここぞって時"に動ける男は、"私としても"嫌いじゃないわ」
「えーと、それは褒められてるの・・・かな? それとも、貶されてる?」

「そのどちらも・・・強いて言えば両方、かしらね。心技体で言えば、心だけ合格で、後は全然ダメだけど」
「そんな、やってみないと・・・ぐぁ! 痛たたた!!」
突如、脇腹に激痛が走る。

「・・・ふふっ、こんな"抱っこ"された状態で何言ってるの」
『ミユ』が僕を抱きかかえている両手に力を篭めたのだ。アバラからミシミシと軋む音が聴こえる。

「あなたみたいなモヤシ君なんて、本当なら片手でも充分なのよ? ほら」
そういって一度、『ミユ』は僕を地面に降ろすと、今後は胸倉を右手で掴んで一気に持ち上げた。

片手にも関わらず、僕の身体は軽々と、そして高々と持ち上がった。僕の足は、既に地面から1mは浮いている。
さすがにこれには恐怖を感じ、足をジタバタさせ、『ミユ』の右腕を両手で掴み、必死に抵抗する。
しかし、どんなに抵抗しても、『ミユ』の手は僕の胸倉から外れる気配は全くと言って良いほど無かった。

「本当に『美優』は、こんな男の何処が良いのかしら?」
「・・・ぐ、『美優』・・・だって?」
話しながらも抵抗は続けるものの、万力のような『ミユ』の腕は微動だにしない。

「君は・・・いや、"君たち"は一体・・・」
「あなたも薄々は勘付いているんでしょ?」

「・・・二重人格」
「ご明察♪ 正確には、解離性同一性障害。・・・尤も、医者に診てもらったわけじゃないんだけど。
 ま、折角だし丁度良い機会だから、あなたには話しても良いかしらね」
そういって、『ミユ』はさっきまでの乱暴な態度とは打って変わって、優しく僕を地面に降ろした。

「『美優』は昔から、この大きな胸のせいで奇異の目で見られて来たの。
 女子からは妬まれ、男子からは欲情を丸出しにした視線を浴びせられて来たわ」


それは、『美優』が中学生の時だった。

美優はクラスメイトの男子から告白された。
その男子はクラスで人気者だったが、我の強い活発なタイプで大人しい美優とは正反対だった。
美優にとっては生理的に合わないタイプだったため、美優は丁重に断った。

クラスで人気者の男子を、胸が大きいだけの大人しい女子が振る。理由はそれだけで充分だった。
虐め。中学生ぐらいの子供にとっては、充分な切っ掛け・・・だったのだろうか。

最初は無視されるだけだったのが、次第に"それ"は暴力に発展していった。
校舎裏に呼び出され、殴られることなんて日常茶飯事だった。
しかも、ばれないよう目立たないようにお腹を殴る用意周到さ、だ。

中学生ぐらいの年頃は、成熟が早い大人な者も居れば、まだまだ子供心に幼稚な残虐性を残す者も居る。
美優が振った男子は、その後者だった。いや、クラスの大半がそうだったといえる。
肉体的にも、精神的にも成熟の早かった美優は、そういう意味でもクラスで浮いていたのだ。

その頃の美優は既にジムに通っていたから、鍛えられた腹筋を殴られても大したダメージは無かった。
また、美優も本気を出せばそんなクラスメイトなど、幾らでも跳ね返せたのに、やらなかった。
単純に怖かったのだ。肉体的に、ではなく精神的に。
自分以外のクラスメイト全てが敵。それは、中学生の『美優』にとって耐え難い恐怖だった。

そんなある日。

その日もまた、美優は校舎裏に呼び出されていた。
クラスで一番恰幅の良い、いわゆる肥満児の男子が美優を後から羽交い絞めにする。
そして、美優が振った男子を筆頭に、交代で繰り返し美優の腹を殴る。

「なぁー、前から思ってたんだけどよー。こいつさー、腹殴られてる割には痛がってなくね?」
「あ、お前もやっぱそう思う? 俺も実はそう思ってた」
「そういうと思って、今日は良いのを持って来たぜ。・・・じゃーん」
クラスメイトの一人が取り出したモノ、それは鉄製のメリケンサックだった。

「・・・・・っ!?」
美優も、さすがにメリケンサックで殴られた経験なんて無い。

「へっへっへっ〜、良い声で鳴いてくれよっ・・・と!」
ドス!

メリケンサックを嵌めた男子の、文字通りの鉄の拳が美優のお腹に突き刺さる。しかし。

「・・・あれ?」
美優は、全く無痛ではないものの、意外に痛みを感じないことに内心、驚いていた。

「なぁ。お前さ、何で痛がらねぇんだ? それとも、何か腹に仕込んでんのか?」
「おい、じゃあさ。確かめてみようぜ」
そういって、別の男子が徐に美優の制服を捲った。

「・・・うげぇ!」
「何だ、これ!」
男子たちが一斉に驚く。

美優の制服の下から現れたのは、綺麗に六分割された彫刻のような腹筋だった。

「ボクシングやってるウチの兄貴より凄い・・・」
男子の内の一人がそう呟いた。

ボクサーのような肉を削った腹筋ではなく、明らかに筋肉により隆起した腹筋。

「・・・こいつ!」
主犯格の、件(くだん)の"振られた男子"がそれを見ていきり立つ。

「ちょっと腹筋鍛えててパンチが効かないからって、心ん中で馬鹿にしてやがったな!?」
「・・・え、そんなつもりじゃ・・・」
『美優』は、黙してただ耐えていただけだ。

「このアマ、俺を振るだけじゃ飽き足らず、虐められる振りをして内心、俺たちを笑ってやがったんだ・・・。
 今まで、顔だけは殴らないように気ぃ遣ってやってたのに、恩を仇で返しやがって!」
完全な言い掛かりで、逆恨み以上の何物でもない。
だが、少なくとも顕わにしている怒りが本物だということは、美優にも感じ取れた。
メリケンサックを握る拳に力が篭る。

「こうなったらもう、思いっ切り顔面を殴ってやんねぇと気が済まねぇ」
「そ、そんな!」
『美優』も、さっきは鍛えた腹筋のお陰で助かったが、さすがにメリケンサックを顔面に貰えばどうなるかわからない。

「うるせぇ!」
しかし、無情にもその拳は放たれた。

ドカッ!

鉄の拳が、的確に美優の頬を捉えた。

「うへぇ〜」
「うわぁ・・・」
「痛そう〜」
それを見ていた男子たちは、その絵面のキツさに顔を顰(しか)めた。

「へっ・・・へへっ、どうだ。思い知ったか」
怒り任せとはいえ、さすがに女子の顔面を殴るのは初めてだったのか、殴った方も緊張から肩で息をしていた。

しかし。

「・・・痛ったーい」
「「「!!?」」」
羽交い絞めにされたまま顔面を殴られ、項垂れた状態の美優。声の主は、確かにその美優だった。

その証拠に次の瞬間、美優は何事も無かったかのように顔を上げた。
頬は打撃痕で赤く染まり、唇からは赤い血が垂れている。
だが、さっきまでの美優とは全く違うといっても過言じゃない、その空気は男子たちは飲まれていた。

「よくも、"あたし"の顔を殴ってくれたわね!?」
美優はその場に居る全員を睨み付けた。

「お前もいつまであたしに抱き付いてるのよ!」
そういって、美優はふんっ、と気合いを篭め、羽交い絞めにされている両腕に力を入れた。

ゴキャッ!

「うぎゃあぁぁぁっ!!」
美優を羽交い絞めにしていた肥満男の絶叫。

羽交い絞め、つまり美優の両脇には肥満男の太い腕が絡まっているはずだった。
それなのに、美優の両肘は美優の脇腹にくっ付いていた。

「腕がぁ! 腕がぁ!」
正確には腕ではなく、肩。

そう。
美優が力任せに腕を外しに掛かったため、肥満男の両腕がその負荷に耐え切れず、肩が外れてしまったのだ。

「いつまでもあたしの首筋に臭い息を吹き掛けないでよね、もう!」
「うがぁっ!」
美優は、腕が自由になると同時に、背後の肥満男に向かって肘打ちを決めた。

「痛い〜、痛いよぉ!」
肥満男は、尻餅を付いてそのまま後に倒れ込んだ。両腕が使えないので、受け身が取れないのだ。

「痛いのはこっちの方よ。あー、口の中が血の味がする・・・」
「てめぇ! 誰が抵抗して良いっつったよ!?」
近くに居た男子が、美優に対して凄んだ。

「うるさい」
「ふげ!」
まるで蝿でも払い除けるかのような裏拳。たった一撃で、その男子は鼻血を出しながら、後ろに吹っ飛んだ。

「こいつ・・・! おい、二人掛かりで押さえ込め!」
その言葉に、近くの二人が美優を取り囲む。

「喧嘩なんて初めてだけど、あんたたちってこんなに弱かったのね」
「・・・何だ・・・と!?」

「だって、メリケンサック付けて無抵抗の女子の腹と顔面を殴った挙句、大したダメージも与えられず・・・。
 ・・・で、やり返されてこの結果でしょ」
両肩が外れた男子。鼻血を出して倒された男子。既に二人もやられている。

美優は、自分を押さえ付けようと身構えていた男子の片方に歩み寄ると、胸倉を掴み、一気に持ち上げた。

「な、何て女だよ! 片手で男を持ち上げたぞ!」
「ゴ、ゴリラかよ!?」
その言葉に反応してか、美優は男子を持ち上げたまま声の主の方に振り向いた。

「ひ、ひぃっ! お、降ろし・・・うわぁ!!」
何と、美優はブンッ、と力任せに『ゴリラ』と呟いた男子に向かって、持ち上げていた男子を放り投げた。

ゴツン!という大きな音。頭同士をぶつけた二人はその場で昏倒した。

「誰がゴリラよ、誰が」
そこからは一方的だった。

力任せに殴り倒し、逃げる者は後ろから捕まえ、投げ飛ばす。
いつしか、立っているのはメリケンサックを付けた、件の男子だけになっていた。

「今までよくも、"美優"を虐めてくれたわね」
じりじりと、美優は間を詰めて行く。

「二度と"美優"を虐めようなんて思えないぐらい、ボコボコにしてやるから」
「ひぃっ! や、やめ・・・ご、ごめんなさ・・・・・うぼあぁぁぁ!!」
美優の渾身のパンチを顔面に喰らい、その男子は錐揉みしながら吹っ飛んだ。


「・・・・・その後、そいつの顔がアン●ンマンになるまでボコボコにしてやったの」
「・・・・・・・・」

「最初は泣きながら『許して』なんて言ってたけど、直に口が腫れてしゃべれなくなったわ」
まるで、級友との思い出を話すかのように、『ミユ』は懐かしげに話した。

「・・・じゃあ、その時が・・・」
「そうよ、それがあたしが表に出た切っ掛け。
 あたしは便宜上、自分のことを『ミユ』って呼んでるんだけど、意識としてはもっと前から在ったの。
 いつからかはわからないけど、『美優』が虐められてるのを俯瞰してるあたしが居たわ。
 『代われるなら代わってあげたいのに』ってずっと思ってた。
 でも、あたしは『ミユ』のことを知ってるけど、『ミユ』はあたしのことを知らない。慣れるまで大変だったわ」
『ミユ』の話だと。それからもちょくちょく入れ替わるようなことがあったらしい。

起きている時間、寝ている時間は一緒。
『ミユ』は、『美優』の時も含めて起きている時間ほとんどの記憶があるが、『美優』自身には一切、自覚症状は無い。
『美優』は、『ミユ』の時のことを覚えていないのだそうだ。

『美優』が『ミユ』へと入れ替わる条件は、精神・肉体を問わず『美優』が強いショックを受けること。
その逆は、『ミユ』が気を抜けば直ぐにでも戻るらしい。肉体の所有者はあくまで、『美優』だということだ。


「・・・でも、どうしてそれを僕に?」
「今までなら"キレた"ってことで誤魔化せたけど、あなたは一部始終見ちゃったからね。
 『美優』自身とも知り合いだし。それに何より・・・」

「・・・何より?」
「・・・何でもないわ」

「・・・でも、これからは僕で良ければ力になるよ」
「それは"下心"から、なのかしら? ねぇ、モ・ヤ・シ・く・ん?」
『ミユ』は僕の背後に回ると、抱き付くように後ろから首に腕を回して来た。
押し付けられる爆乳の感触が、背中一杯に広がる。

勿論、これからラブシーンに発展するような、そんな生易しい状況ではない。
ここで迂闊なことを言えば、このまま絞め殺されかねない。現に、"彼女"にはその力がある。

「記憶があるならわかると思うけど、僕と藤村さんは同じサークルの大切な友達だから・・・。
 勿論、下心が無いと言えば嘘になるけど・・・・・」
僕は自分でも何を言ってるのかわからなくなり、俯いてしまう。

「・・・んー、まあ、及第点ってところ・・・かな」
そういって、『ミユ』は僕を解放してくれた。

「『美優』はこの"胸"のせいもあって、あんな沖みたいな変な輩ばっかり寄って来るから、これからも大変よ。
 君が『美優』を守れるように、これからは足りない技と体を鍛えて行かないと、ね」
『ミユ』はそう、微笑みながら言った。


それは、『ミユ』が僕に見せてくれた初めての笑顔だった。


 おわり





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