マトリの女

埠頭の倉庫街。

その片隅で、女がマフィアらしき数人の男たちに囲まれていた。
女は、パリッとしたスーツに身を包んだ、誰もが振り返るような美女だった。

「おい。やっぱりコイツ、マトリだぜ」
「バレちゃった、わね」
女は諦めたのか、しれっと言い放った。

新種の麻薬、『ESE(enormous strength in an emergency=火事場の馬鹿力)』。
その密売ルートを突き止める過程の潜入捜査で見付かってしまったのだ。

『ESE』はその名の通り火事場の馬鹿力、つまり人間が持つ力を限界まで引き出す。
本来は、脳が日常生活で身体の負担を増やさないよう制御しているのだが、
この麻薬はその制御を取っ払ってしまうのだ。
そして、その脳の制御を外す際に出る快感がこの麻薬の肝でもあった。
『ESE』の効果時間は約五分といわれている。
その間、火事場の馬鹿力を発揮するたびに全身が快感に包まれるのだ。

「悪いな、女は犯してから殺すのが俺の信条でね」
若いボスらしき男が、手下に指示して女を抑えさせる。
両手両足を一人ずつ手下が押さえ、地面に磔のような格好になる。
ボスは、そのまま開かれた股に自分の男の部分を押し付けようと、女に覆い被さった。

その時。

ブーン。ブーン。ブーン。

仰向けになっても型崩れしない女の豊満な胸が小刻みに揺れている。

「携帯か? よぅし、俺が出るのを手伝ってやろう」
ボスが覆い被さったまま、女のスーツの胸ポケットに手を伸ばし、携帯を取り出す。

「何だ、メールじゃねーか。何々・・・」

『残念ながら本命はそっちじゃなかった。後の処理は任せる』

「くくく、後を任されても、その後が無いんじゃなぁ?」
ギャハハハ、と部下たちも大笑いしている。


「・・・残念ね。もう少し楽しみたかったけど・・・時間もないし仕方ない、か」
そういうと、女は太腿に力を篭め、ボスの腰を挟み込み始めた。

ギリギリ・・・

「ぐああああ!」
予想していなかった、女のカニ挟み。
この細い太腿のどこに力があるのか、信じられない力で締め上げて来る。
女の太腿が男の腰に、際限なく食い込んで行く。

メキメキッ・・・ゴキゴキゴキ・・・バキャッ!!

「うぎゃぁあああぁっ!!!」
ボスは、腰を砂時計のように潰され死んだ。

「いつまで握ってるの」
両腕を拘束していた男二人を、軽々と投げ飛ばした。

パン。パン。パン。

三発の銃声。前から腹に二発。背後から背中に一発。しかし。

「痛ったーい。何するのよ」
女は平然としていた。銃弾を受けたらしき箇所の服が破けているので、避けたわけではない。

「な、何で銃が効かな・・・うぎゃ」
女は、一足飛びで間合いを詰めると、銃を持っていた男に回し蹴りを浴びせた。
男は回転しながら壁に叩き付けられた。首が捩れ、顔面が完全に潰れている。

そこからは一方的な展開だった。
女が一撃するたびに男たちが吹っ飛んで行く。
残るは幹部らしき男、ただ一人。

「くそ、こうなったら!」
「あら、逃がさないわよ」
いつの間にか、女は完全に逃げ道を防ぐ形で立っている。周囲には屍の山。

「まさか、お前も『ESE』使用者だったとはな」
そういって、男は懐から注射器のようなものを取り出した。

「へへ、これは『ESE』の進化版、ハイパー『ESE』だ。持続時間も効果も倍以上。これで俺の勝ちだ」
男は、自分の上腕にその注射器を打ち込んだ。

「お前の薬の効果はそろそろ切れるはず。そこからは俺のターンだ」
『ESE』には欠点があり、効果が切れると身体への負担から昏倒してしまうのだ。
女がさっき、『時間がない』と言ったのを男は聞き逃していなかった。

「さぁ、新製品と旧製品の力比べといこうじゃないか」
男は余裕からか、女に力比べを挑んだ。

「・・・くっ」
女が初めて苦悶の表情を浮かべる。

「どうだ、ん? そろそろ時間切れじゃないのか?」
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ」
余裕を見せる男と裏腹に、女の呼吸が乱れ、動悸が激しくなってくる。


しかし、女が、いや、女の"身体"は全く違う反応を見せた。

ムクムクムク・・・

男は最初、目の錯覚かと思った。

ムクムク・・・ミチッ

だが、次第にそれが現実だと否が応でも思い知らされる。

何と、女の首、肩、腕、背中、太腿、ありとあらゆる部分が徐々に大きく盛り上がっていく。
スーツがパンパンに張り、そのあちこちからビリッという布の裂ける音が聞こえて来た。
裂けたスーツの下から出て来たのは、巨大な筋肉だった。これでもかという、鍛えられた筋肉。

「・・・な、何だ・・・これ・・・」
「はぁ・・・はぁ、いつもながら薬の切れる瞬間だけは慣れないわ」
男が組み合っていたのは、いくら強いとはいえ見た目は確かにか細い女だった。そのはずだった。
しかし、今、目の前に居るのは、筋肉隆々の女。

「時間が切れたのは本当よ。ただ、薬は『MC』っていう全然、別の薬だけど」
『MC』は筋肉を凝縮する薬で、筋肉の体積を小さくするかわりに密度が増し、強度を上げる薬だ。

「な、何でそんな薬を・・・」
「私って仕事上、身体を鍛えなきゃいけないんだけど、鍛え過ぎちゃって・・・。
 こんな筋肉モリモリじゃ、まともなスーツも着れなくて潜入捜査どころじゃなくなったのよ。
 だから、ウチの化研に筋肉弛緩剤を改良して作らせたのよ。
 服も着られるようになるし、防弾チョッキも要らなくなるし、で一石二鳥よ♪」
さっき、銃弾が効かなかったのは、鉄のように圧縮された筋肉のせいだったのだ。

「んー。でも、これでやっと全力が出せる」
女は、『MC』を使ってる間は筋肉の収縮が制限されるから、筋力は半減する、そう付け加えた。

「う・・・そ」
「嘘じゃないことは、これからわ・か・る・わよ」
そういって、女は組み合った腕に力を篭める。力瘤が更に大きくなり、スーツの袖が更に裂けていく。

「く・・・くそ!」
男は全力で押し返そうとするがビクともしない。

「いくら、ハイパー『ESE』って言っても、元の身体が"それ"じゃね〜」
女は、男の貧相な身体を見て嘲笑した。
女は、男の手を掴んだまま、自分の腕を強引に男の背中に回す。

ゴキゴキッ・・・ゴキッ!

「ぎゃあぁぁぁぁ!!!」
複雑骨折した男の腕ごと、ベアハッグの体勢になる。

「あら、ごめんなさい。あんまり抵抗がないから気付かなかったわ、ふふふ」
女の極太の剛腕が、男の背中にめり込んでいく。それともに、男の背が徐々に反り返っていく。

メキメキメキ・・・

「『ESE』使用者と遣り合えると思って楽しみしてて、ハズレって聞いたときはショックだった。
 けど、最後に遣り合えて良かったわ。それだけでもあなたに感謝ね」
女は、次第に後ろに倒れて行く男の顔に別れのウィンクをした。

メキャッ・・・バキッ・・・・・バキャッ・・・グシャッ!!!!

女の前腕が自分の腹筋とこんにちわをする頃には、男の頭も自分の足と対面していた。


おわり





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