妖精の鞭 後編

 ドォッ。
 苦悶の表情で床に倒れ伏すたび、周囲を360度隙間なく包囲した妖精たちの笑い声が降り注いでくる。
そんな晒し者の恥辱に歯を食いしばりながら、彼はそれでも必死に喰らい付いていく。
「たった1人で、正々堂々と乗り込んできたその度胸だけは褒めて差し上げますわ。でも…」
 彼の突進は、またもむなしく目の前の長身美少女に事も無げに食い止められてしまう。
「…勇敢と無謀は、全く異なるものでしてよ」
 バギャァァァッ!!


 あれから、1ヶ月が過ぎた。
突如踏み込んできた女子新体操部に男子空手部が惨敗し、道場を奪い取られ外に放り出されてしまうという
最大級の恥辱にまみれた一日から。

 あの日、突然の侵略者・女子新体操部の理不尽な要求に対し、部のリーダーとして、男として敢然と立ち向かったが
新体操部副キャプテン・日高綾乃の猛烈なキックの嵐の前に心身ともに一方的に打ちのめされ
数十人の少女たちに視姦される中で失禁・沈没した空手部主将・戸口信昭。
彼は今日になってようやく、この学校へと戻ってきた。
綾乃によって無残な全身青痣だらけの姿に変えられ、その場に崩れ落ちたまま動かなくなった信昭はそのまま病院へと担ぎ込まれ、
この1ヶ月近くの間をずっとベッドの上で過ごしたのだった。

 その間、信昭の脳裏には無念さばかりが駆け巡り、夜もまともに眠れない日々が続いた。
主将である自分が不在のうちに、学校で起こったこと、部の仲間たちが遭わされてきた事柄について、
見舞いにやってきた後輩たちの口からつぶさに聞かされた。
新体操部の女に、見せしめのサンドバッグとして最後まで道場に居残らされる形で叩きのめされ続けた信昭とは違い、
彼女たちに素早く叩き出されてしまった後輩たちは入院に追い込まれるほどではなかったものの
誰も皆女たちの鋭い蹴りを打ち込まれた顔面の腫れが痛々しく残っていた。
そんな彼らから耳に入れられた話はどれも信昭を絶望へと追い込む非情なものばかりで、
信昭は後輩たちの前では主将として気丈に振舞ってはいたものの、彼らが去っていったのを確認してから…
信昭は声もはばからず泣き崩れた。何度も、何度も、枕に顔を打ちつけ泣きじゃくった。

 あの一日が、空手部の事実上の崩壊の日となったことを知らされたのだ。
道場、部室を追われ、主将を病院送りにされながらも何とか活動を続けようとした空手部であったが
格闘技の部活として、『女に負けて追い出された奴ら』との不名誉なレッテルはあまりに致命的であった。
外で練習をすること自体が惨めな負け犬の姿勢と受け取られ他の部活動からは嘲りの目しか向けられない。
加えて、空手部のほとんどの男たちにとって、あの日の新体操部の女たちの蹴りは片時も拭うことのできない
恐怖のトラウマとして深層心理の奥の奥まで深く刻み込まれた傷となった。
ハイレグレオタード姿の新体操部員をたとえ遠目にでも確認するだけで、スラッと伸びる美脚の鋭い乱舞が頭をよぎり
彼らの体に痛々しく残った打撃痕がうずいて、傍目から見れば挙動不審に映るほどに怯える。
そのうちに、制服のミニスカートから脚を晒している一般の女子生徒にも恐怖を抱く部員たちも現れ始めた。
女性恐怖症、いや、少女たちの脚恐怖症にとらわれ彼女たちとまともに視線すら合わせることのできなくなった彼らの醜態が
その張本人である新体操部の少女たちにとっておもしろくないものに見えるはずがなかった。
侘しく外で練習している彼らの元に、からかい気分たっぷりにレオタード姿の彼女たちが近寄っていく。
「こんにちは、弱虫君たち。練習、がんばってる?」
 金属バットのような衝撃をもって自分たちをボコボコにした、少女たちのすべすべで眩い脚、脚、脚に
取り囲まれるその威圧感に、男たちは飲み込まれて冷たい汗にまみれる。
優れたスタイルの妖精たちの美脚を前にして、普通の男たちなら目尻が下がり視線は釘付けとなるところだが
あれだけの恐怖体験をインプットされた彼らにそんな余裕などはひとかけらもない。
ただ、痛む古傷とともに視線を落とし、怯えるだけだ。
「な〜に〜そんなに震えちゃって。あたしたち、ただがんばってる君たちを応援してあげようとしてただけなのに」
「まるであたしたちが、弱いものいじめしてるみたいな反応しないでよ」
「傷ついちゃうね、女の子に対してそんな態度取られたら。ほら、ちゃんとあたしたちの目を見なさいよ」
 退路を断たれた獲物のように、腰が抜けて潤んだ瞳でガタガタと震えるだけの男たちを
包囲する獰猛な妖精たちの輪がじりじりと狭まっていく。
「いやーね。私たちが、そんなに怖い?」
 その中の1人の少女がスラリと伸びる片脚を高々と空に向けて、見事なY字バランスを男たちに見せ付ける。
それがますます新体操少女の身体能力の高さ、美しく、逞しく伸びる脚のしなやかさを強調して
空手部の男たちにあの日の痛烈なキックの悪夢をますます鮮烈に思い起こさせる。
「ねぇ、鼻の頭にいっぱい汗かいてるよ♪」
 ビュッ!
「は、はぅっ!!」
 棒立ちだった1人の男の顔を、激しい風圧が襲った。
次の瞬間には、彼の顔面全体を覆っていた脂汗が、それに乗ってまとめて払拭されていた。
彼はその直後になってようやく悟った、
目の前の少女の素早い蹴りが、自分の顔にギリギリ当たらない位置で、見えない速さで繰り出されていたことを。
「変に頭動かさないでよかったね。当たってたら、君たちの主将さんみたいに病院行かなきゃいけなかったかもしれないよ」
「あっ、ぁっ、ぁぁぁぁ……」
 たった今風で拭われた顔面を再び粘りつくような大量の汗でドッと満たし、呆然とした男が膝からへたり込んで崩れた。
…汗だけではなかった。それよりも大粒の涙をとめどなく溢れさせ、口を半開きのまま自失してしまっている。
「え、ウソ、泣いてるの?ごめんね、そんなに怖かった?」
「うふふ、本当に君たちって、私たちの脚の動き全然見えないんだね」
「空手なんてやったことないあたしが言うのもおかしいけど、あんたたち才能ないわよ」
「弱いだけならまだしも、泣いちゃうんだもんねー。ありえないでしょ」
「さっ、そろそろ戻りましょ。負け犬さんたちと遊ぶのもいいけど、私たちも練習があるんだから」
「それじゃ、引き続きがんばってね。新体操の女の子にビビりまくっちゃうヘタレ空手部のみんな☆」
「きゃはははははは!!」

 連日のように繰り返される迫害と恥辱に耐えかねて、ほぼ全ての男子部員が空手部を辞めていってしまったのだという。
さらに、恐怖のあまり退部した男子たちの約半数は学校をも去っていってしまったらしい。
そしてついに、部の存続に必要な最低限の部員数を割ってしまい、伝統ある空手部は廃部に追い込まれた…
自分が退院したら、部員全員集めてあの女どもに復讐する…その誓いを支えに、体の回復を待っていた信昭にとって
それはあまりにも無情な知らせであった。
生気の消え失せた表情で後輩たちはそれを伝えると、信昭の落胆を目にするのが悲しくてたまらないように
足早に病室を後にした。


 日々は流れ、信昭は退院しこの学校へと戻ってきた。
強さを求め、青春をささげてきた空手部は、もう影も形もない。
かつての自分たちの道場は、女子新体操部の第2練習場として占領されてしまっている。
…あの日の惨劇が、脳裏をよぎる。
次々と倒され、放り出されていく仲間たち。
1年生の女子に簡単に叩き割られ、あっさりと焼却炉へと捨てられた、部に代々伝わっていた看板。
新体操部副キャプテンの長身美少女・綾乃の、鞭のような風切り音とともに次から次へと飛んでくる蹴り。
思い出すと古傷が疼き、無念さがこみ上げてきて止まらない。
…女たちに加えられた創部以来最悪の汚点を、信昭は怒りへと変え雪辱を誓った。
(一人でもやってやる…!空手を捨てさせられた仲間、後輩たちの思いに応えるためにも…
あの女たちは、潰す!!)
 そして放課後。
空手部の魂とも言うべき白い道着に身を包んだ信昭は、心に復讐の炎を燃やし旧空手部道場、
現新体操部練習場へと乗り込んでいった。
だが…


 グシャッ。
 信昭は真っ赤に染まった鼻から床板に倒れこみ、血飛沫で花のような模様を作った。

 これで、何度目のダウンだろうか。幾度となく蹴り倒された信昭自身には、もう数え切れていない。
先月の録画ビデオを見ているような光景だった。
信昭の繰り出す突き、蹴りは目の前の綾乃にかすりもしない。
それどころか、攻撃らしい攻撃が出る前に、綾乃の伸びやかな脚が見えない速度でクリーンヒット、
床板に激しい音を立てながら彼が無様に倒れるたび、笑い声と歓声が練習場にこだまする。
「よっわー。一方的じゃん。何しに来たの?」
「見えてないもん、綾乃さんの蹴り。綾乃さんが本気出したら、殺されちゃうんじゃない」
「別に綾乃先輩の手を煩わせることないのに。私でも秒殺よ、きっと」
「試しに、一番最後に入った子にやらせてみればよかったかもね。
多分それでもあいつ、先月みたいにボコられて泣きながらおしっこ漏らすから」
「きゃはは、絶対そうだよね」
周りで円を作ってその様子を観覧する少女たちの誰一人として、復讐にやってきた信昭の闖入を
危機とも脅威とも全然とらえておらず、間抜け男がわざわざやられに来た程度の意識で
みんなで楽しく見物している様子だ。

「全く、理解に苦しむわね…」
 その様子を見守っていた新体操部キャプテン・麗奈は嘆息した。
「まさか先月、自分自身に降りかかった現実を、覚えてないわけでもないはずなのに、ね。
私たちに傷の一つも付けられないで一方的な負け姿を晒して、病院にまで運ばれちゃって。
それで数を集めて仕返しに来るならまだしも、たった1人でなんてね。
どうかしているわ。全く敵わなかった相手に対して、常識で考えればわかりそうじゃない」

「う、うるせぇ…」
 ボタボタと滴る鼻血を床に注ぎながら、信昭は笑う両膝を懸命にこらえつつ立ち上がってくる。
時間の経過とともに、打撃を加えられた顔、体のあちこちが鬱血して惨めな姿となってきた。
「女にナメられて、このまま引き下がるほうがよっぽどおかしいんだよ!
男として…負けたままでいられるわけがないだろ!!」
 散々蹴りまくられて倒されて、それでも鬼気迫る形相で信昭は目の前にそびえる綾乃に飛びかかっていく。
「ふぅん。男として、ねぇ…随分手垢の付いた言葉を持ち出したわね。
綾乃にはわかる?男のそういう気持ちって…」
「いいえ、わたくしには男の方のお気持ちはあまりよくわかりませんわ」
 ズゴッッ!!
「…ただ、弱くてもこうして虚勢をお張りにならなければ生きていけないお立場なのかと思うと、
ご同情差し上げたいですわね」
 完全に麗奈のほうを振り向いて会話する綾乃の前で、信昭がまたもダウンする。
綾乃のよそ見をしながらの回し蹴りで、大きく吹き飛ばされ床の上でのたうっている信昭。
両者の力の差を、如実に表す光景だった。
綾乃にとって信昭は、何ら集中力も本気も要さない程度の相手でしかないことを知らしめる一撃。

「こ、こ、このぉ…」
 グラグラと、それでも立ち上がる信昭。
もう彼の武器は、道場と後輩たちへの思い、男としての矜持、それを支える根性だけだ。
「男を…バカにするな!!」
 もうなりふりかまわない。信昭は空手のスタイルをかなぐり捨て、喧嘩のようにつかみかかっていく。
組み付いて、綾乃のレオタードを握り締める。
「汚い手で…」
 グシャァ!!
「触らないでくださいますこと?」
 次の瞬間には、天を突くような角度とスピードで射出された綾乃の膝蹴りが信昭の下顎を打ち上げていた。
信昭の目に止まるべくもないその一撃で、信昭はほんの一瞬だけ綾乃より高い位置に頭が到達した。
大きく浮き上がった後、足から着地し膝を崩して縦に潰れるようにダウン。
ちょうど、人形の手を離して高い場所から落下させたような状態だった。
「ぁが…ぁ、ぁががが……」
 負けられない思いを胸に再び立ち上がろうとする信昭だが、足が全く言うことをきかない。
「ふふ…お気持ちはいかがですの?クラクラなさるくらい、快感?」
「ぁ…ぁぅぅ…」
 …下顎から強烈に加えられた衝撃により、信昭の大脳は激しくシェイクされた。
三半規管も一時的に麻痺し、平衡感覚を奪われた信昭は今、上下左右も何もわからない無重力空間を彷徨う形で
ただ意識を朦朧とさせているのだ。
そんな状況で立ち上がれるはずもなく、ガクガクと這いずるしかない滑稽な彼の姿をまた少女たちの笑いが包む。

 今にも見失いそうになっていた細い意識の糸を必死に掴むように、信昭は大きくふらつきながらも体を起こす。
グニャグニャと歪み、二重三重に映る像をようやく一つに結ぶことができた信昭の視界には、
その大きな体で大の字を作るように、両手両脚を大きく広げて無防備に立ちはだかる綾乃の姿があった。
「わかりましたわ。
あなたが道場を奪われた悔しさがどれほどのものか、お辞めになったお仲間さんたちの心をどれだけ背負ってらっしゃるのか、
そのお気持ち、確かめて差し上げます。どうぞ、打ち込んでおいでなさい」
 整った端正な美貌を全く崩さないまま、綾乃は信昭を見下ろしながらそう言い放った。
(わ、わざと打たせてやるだと…でかいとはいえそんな細い体で、空手の一撃を受けられるとでも思ってるのか!
どこまでもなめた女だ…)
 そう思いながらも、信昭はこれをまたとないチャンスと見て拳を握り締めた。
(だったらお望みどおりブチこんでやる!その偉そうな顔、二度とできないようにな!!)
「うおおおおおおおっ!!」

 ボスッ。
「!?」
 持てる筋肉の全てをその一撃にかけた正拳突きは、レオタード越しの綾乃の腹に中途半端な音とともに
何のダメージにもならない様子で遮られただけだった。
「あなたの復讐への思いは、その程度ですの?」
「バ、バカな…そんな…!」
 ボスッ。バスッ。ドッ……
未だ打ってくださいとの姿勢から戻ろうともしない綾乃のボディを、信昭は半ばヤケになって拳で殴打し続ける。
脂汗びっしょりになってラッシュを続ける信昭に、反応らしい反応も見せない綾乃。
その両者の対比があまりにおかしく映じたらしく、取り囲む新体操少女たちからのくすくす笑いは爆笑へと変わった。
ただ、拳に硬いショックが伝わってくるばかりで痛めつけられているのはむしろ信昭だった。
「動かないものに繰り出す突きがこの程度なんだから、普通に私たちが動き回っていたら
こんなもの、まず通用しないでしょうね。どう、よくわかった?貧弱空手部の主将さん」
 麗奈も笑いをこらえられない様子で蔑んだ。

「前に一度、お話し差し上げたはずですわよね?鍛え方が全く違うと」
 突きを繰り出していた信昭の右手首が、綾乃の左手に素早く捕らわれた。
その握力に手首の骨をメキメキと鳴らされ、信昭は青ざめて綾乃を見上げた。
「あなた方の、所詮格闘技ごっこにしか過ぎない呑気な練習と、
美しい演技を多くの方々に見ていただくために必要な身体能力を得るために日々積んでいる
わたくしたちの鍛錬では比べるべくもないことを、以前確かにご説明申し上げたはずですわ」
 薄いレオタードの下で、よく鍛えられた綾乃の腹筋が信昭を嘲笑うように蠢く。
「うぐっ、ぐぅぅ…」
「お遊びとスポーツでは、天と地ほどの差があることを…あなたはもうご存知のはずですのに…」
 ドムッ!!
「っぅぐえ!! ぁ、ぁぁぁ……」
 綾乃の膝が、信昭のみぞおちに深く深くめり込む。
鍛えあがられた女子アスリートの剛脚が、弱小空手部員の薄い腹筋越しに胃袋を痛烈に打ち上げる。
「ぁが、ぇぐえ、ひっ、ぶぶぶ…」
 その場で嘔吐しかねない信昭の、下顎と頬の部分を片手で握り締めて強制的に口を閉じさせる綾乃。
そのまま腕力で支え、膝の崩れを阻止してダウンも許さない。
「あなたはそれを理解なさっていたはず…それなのに、お仲間も集めずたった1人で乗り込んでいらっしゃった…
どういうおつもりですの?わたくしには、わかりかねるのですけど…」

「つまりは、おちょくってるのよ」
 見届けていた麗奈が、腕組みをしたまま言った。
「綾乃、先月、少し懲らしめが足りなかったんじゃないの?」
「やはり、そうなのでしょうか…」
「こうして繰り返しやってくるということは、私たちが自分にとって関わるべき相手じゃないということを
学習できていないことに他ならないわ。
中途半端な懲罰では、こいつのように極端に学習能力に欠けるバカな男には通じないのよ、きっと。
…もう、手加減は無用よ。綾乃。
この頭の悪いチビに、こんな身の程をわきまえない真似をする気なんて金輪際起こさせないように、
徹底的に思い知らせてあげなさい。二度と私たちの練習の妨げにならないように」
「そうですわね。少し、おかわいそうですけど…」
 166cmの信昭は、188cmの吊るされながら見下ろされる。
「ごめんあそばせ。わたくしたちは、新体操の練習のために一分一秒が惜しいのですわ。
そう何度もあなたのお遊びにお付き合い差し上げる余裕はありませんの。
ですから、少々手荒になってしまうのは申し訳ございませんけど…」
 間近にある綾乃の美しい顔に、にこっと上品な笑みが浮かべられた。
 バチィィン!!
「叩きのめさせていただきますわね」
「ぅっ…ぐああああああああ!!」
 その笑顔の奥に、凍て付くような冷酷のオーラが信昭には感じ取れて畏怖を覚えさせられた瞬間、
場内全体に響き渡る打撃音とともに信昭の左太腿側面が大きくえぐられた。
みるみるうちに打撃を加えられた信昭の太腿は、メロンのように大きく腫れあがってくる。
「あぐっ…ぃぎ、ああああ」
もう足の裏を地面につけるだけで稲妻のような激痛が走って、両足で立つこともできない。
 ズバァァン!!
「ぐぎゃああ!!」
 今度は反対側のすね側部に炸裂!
一発で下半身丸ごとさらわれるような、重いローキックに信昭は根元から倒される。
そしてそのふくらはぎのあたりも、激しい内出血でどす黒い風船のような腫れに見舞われてくる。
「お立ちなさい」
 腕を掴まれ、強引に引き起こされる信昭。
その引き上げる腕力も自分とは比べ物にならないことを今さらになって思い知らされる。
今まで意地を張って復讐に燃えていた信昭だったが、その炎はもう線香のような小ささになってしまっていた。
いや、それすらもう消えてなくなりそうな…

 ドムッ!!
「ぶごおお!! ぉ……」
 再び、綾乃の膝が鉄槌となり信昭の腹部を下から突き上げる。
両足が数秒間、浮遊した。
信昭は今ごろになってやっと、現実を直視していた。
やはり自分なんかが勝てる相手ではない…彼女たちは、二度と関わってはならない相手だったんだ…
弁を開放されたように、信昭の目からは涙がほとばしり出る。
…しかし、今その思いを彼女たちに伝えて許しを乞ったとしても、もう遅い。
これから味わわされる、数え切れないほどの綾乃の蹴り、蹴り、蹴りは決して信昭に降参を求めるためのものではないからだ。
彼女の気が済むまで執行される、制裁だからだ。

「空手部の他の皆さんは、とても素直でいらっしゃいましたわ」
 ドムッ!!
「先月、わたくしたちに練習場をご提供くださったとき以降、
あなたのように刃向かって来られた方は、お一人もいらっしゃいませんでしたわ」
 ドムッ!!
「皆さん、ご自分たちとわたくしたちのレベルの違いをよくご理解なさって、
賢明なご判断をしてくださったものと大変感心していたのですけど…」
 ドムッ!!
「…でも、あなただけは違いましたのね」
 ドムッ!!
「………っっ!!」

 綾乃の手は信昭の後頭部を押さえつけ、もう片方の手は道着の帯をしっかりと握り締めて放さない。
完全にホールドされた状態での、ニーリフト地獄。
叩き込んでも体が浮き上がらず、その鍛え上げられた脚力から放たれる膝蹴りの衝撃は100%信昭のボディへと伝達する。
綾乃の手の下、膝の上で、何度も何度も信昭はプラスチック下敷きのごとく折り曲げられながら
自らの胃液で作った白い泡と大粒の涙で床に大きな水溜りを作って音の出ない絶叫を続けている。

「空手部をお仕切りになられる、主将の身分についておられた方ですから、
もう少し賢い方だと思っていましたのに…」
 ドムッ!!ドムッ!!
「あなたたったお一人ですわよ。このような身の程知らずで、愚かな行いをなさった方は」
 ドムッ!!ドムッ!!ドムッ!!
「特にあなたは、わたくしにあれだけ懲らしめられたではありませんか。お忘れではないのでしょう?」
 ドムッ!!ドムッ!!ドムッ!!
「それでも、過ちを繰り返そうとなさるのですわね、あなたは。
男の方の意地とおっしゃるのかもしれませんが、そういうことは実力が伴ってこそお口にできることではありませんこと?」
 ドムッ!!ドムッ!!ドムッ!!
「人一倍、理解力にお欠けのお方なのかもしれませんわね、あなたは。
そういう方のことを、なんと呼ぶがご存知ですこと?」
 ドムッ!!ドムッ!!ドムッ!!
「おバカさん、ですわ」
 綾乃のその言葉に、ギャラリーの新体操少女たちは一様におなかを抱えて大笑いしている。
美しい先輩の膝の上でボロ雑巾にされて泣いている小男が、まさにその通りに無様で愚かだから。

 ドムッ!!
 ドムッ!!
 ドムッ!!
 ドムッ!!
 ドムッ!!
 ドムッ!!
「ぐぎゃぁぁぁ…ぁ…ぁ…ぁ………!!」
 信昭は意識を保たされたまま、この世の地獄を見せられていた。
意識の糸がぷっつりと途切れるほどの衝撃で、眠りにつかせてくれたほうがどれだけ幸せだろうか。
しかし、落とさせてもらえない。
綾乃の清楚なお嬢様言葉に含まれる余裕たっぷりの雰囲気から、彼女が手加減をしているのが十分にわかった。
信昭を気遣っての手加減ではない。その逆だ。
彼女は1ヶ月前を含める今までの戦いで、信昭自身の痛みに対する許容量を把握してしまったようだった。
どこまでなら耐えられるか、どれだけの力で痛めつければ失神するか、もう綾乃には看破されている。
…つまり、綾乃は信昭を気絶に追い込まない程度の力で延々といたぶり続けているのだ。
内臓の奥深くまで重い衝撃を伝える膝の連打、2人の間の素質と鍛錬の量の違い、
周囲で見ている下級生を含める女の子たちの蔑みと哀れみの視線…
それらを、膝の上の身の程知らず男に意識を持たせたままじっくりと刻み込んでいく。
「よろしいですこと?お相手は、選ぶべきですのよ」
 ドムッ!!
 ドムッ!!
 ドムッ!!
 ドムッ!!
 ドムッ!!
 ドムッ!! ......

 何十発、叩き込まれたであろうか。
やがて綾乃は、膝蹴り台とも言うべき両手の戒めから信昭を解放すると、
グロッキー状態で自力では動かない信昭の髪を掴んで引きずり、強引に正座させた。
「そんなおバカさんのあなたでも十分にお分かりいただけるように、
心を込めてたっぷりとお教え差し上げます。鍛えられた女の力、それから恐ろしさを」
 両手を後ろに組んだ綾乃が、高い位置から体を折り曲げ信昭の顔を覗き込みながら
育ちの良い丁寧な言葉遣いのまま何やら不気味な台詞を口にした。
その奥に血も凍るような冷たさを感じ取り、見上げながらガタガタと奥歯を鳴らして震える信昭に
綾乃は弱者を慈しむような優しげな微笑を浮かべて、言った。
「本来ならこういう弱いものいじめのような行為は本意ではないのですけれど…
あなたのためでもありますの。いわゆる、愛の鞭だと思って…お受けくださいませ」
 パァンパァンパァンパァンパァンパァンパァンパァンパァンパァンパァンパァンパァンパァン!!
「ぶぎゃああああああああああっ!!」
 清らかな言葉で堰を切ったかのように、信昭の顔面に綾乃の美脚が大洪水となってうなりを上げた。
超高速顔面足ビンタ。1ヶ月前の悪夢が、再び蘇ったのだ。
右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左右左!
往復するごとに確実に勢いを増していく妖精の長い脚からの鞭の嵐。
抜群のバランス感覚で、綾乃は左足1本で立ったまま右足の甲の往復で打って打って打ちまくる。
美しい素足に、信昭の顔はますます醜く脚用のパンチングボールと変形していく。
 ビシバシボゴズドグシャベキャァァッッ!
 叩き込まれる蹴りの音がますます凄惨なものに変わっていく。
一発ごとに180度ねじれて吹き飛びそうな、血染めの信昭の顔。
だが、止まらない…綾乃はここでも信昭の耐性を見切り、ギリギリのところで痛めつけ続けているのだ。

「…あっ。もしかしたら、そういうことでしたのね!」
 突如として信昭に対する足ビンタ地獄を中断した綾乃が、何かをひらめいたように笑顔を見せた。
ドチャァという音を立て、その足元にミートボールと化した顔の信昭が力なく崩れ落ちる。
磨かれた床に、水風船を落としたように血しぶきが広がった。
……終わった。
「どうしたって言うの?綾乃。急に…」
「麗奈さん、わたくしにはわかりましたの。この元主将さんが、これほどまでに必死になられていた理由が。
この方はきっと、誰よりもこの場所に愛着をお持ちでいらっしゃったのだと思いますわ。
今はもうわたくしたちの第2練習場ですけど…きっと、空手部の道場だった頃が思い起こされて仕方がなかったのでしょう」
「…で?」
「わたくしに、良い考えがありますの」


 さらに1ヵ月後。
傷が癒えた信昭は、新体操部女子一同からのこれまでにもない大爆笑で迎えられた。
「新入部員の方をご紹介いたしますわ。こちらが、これからわたくしたちのマネージャーとして力になってくださる、
戸口信昭さん。皆さん、お顔はご存知ですわよね。
今までは、雑用は1年生の皆さんにご協力いただいていたのですけど、それでは1年生の皆さんの練習時間が割かれてしまい
部のレベルアップの妨げとなっていましたわ。
でもこれからは、3年生の信昭さんが練習場のお掃除や用具のお手入れやお片付け、レオタードのお洗濯などの雑用を
全て引き受けてくださいますわ。
特に信昭さんは、第2練習場に特別の思い入れを持っておいでですので、いつもピカピカにしてくださるはずですわ。
そうですわよね?信昭さん」
「は、はぃ…」
 集合した新体操部女子数十名の前に、綾乃に引っ立てられた信昭がうつむきながら蚊の鳴くような返事をした。
「お声が小さいですわね。気合をお入れなさい」
「はい!!」
 傍に立つ綾乃から尻を膝で小突かれ、信昭はまるで電気ショックでも与えられたかのように直立して大声で返事をし直した。
その情けない姿に、全ての女子部員からの大笑いが降りかかる。
空手部の主将まで務めた男として、それはあまりにも恥辱にまみれた姿だった。
3年生の男子でありながら、1年生の女子よりさらに下の地位で雑用を全て押し付けられる奴隷のような身分。
さらに、そこで働く上で義務付けられたのは他の女子部員と同じタイプのユニフォームの着用だった。
長袖の、超ハイレグレオタード。
男が着用すると、変態的以外の何物でもないそのコスチュームで、彼は部活開始から終了まで過ごさなければならないのだ。
「くすくす、なんて惨めな姿かしら。これなら、たとえ男としていきがっても何の格好も付かないでしょうね。
練習のじゃまにならせないどころか、部の道具として使用するなんて考えたものね。
ナイスアイデアだわ、綾乃」
「ふふ、それほどでもないですわ、麗奈さん」

 綾乃の思い付きによる、最悪の屈辱規則だった。
しかし、その発案者である綾乃に二度にわたって半殺しにされた信昭が逆らえるわけがなかった。
長身新体操美少女・綾乃の蹴り地獄、ハイレグレオタード妖精の滅多打ちの鞭は
信昭の心から復讐、反逆の芽を一つ残らず摘み取ってしまったのだ。
今彼に残されているのは、女の子たちの鍛え抜かれた長い脚に対する恐怖心のみ。
皮膚を裂き、肉を腫れあがらせる蹴りの嵐への怯えを重ねて刷り込まれたことにより、
信昭は今こうしてレオタード少女たちの大群を前にしているだけで目を泳がせ、ビクビクおののいているのだった。
もう、格闘技の世界に長年打ち込んできた男の姿は、見る影もない。
今ここにいるのは、女の子と同じ格好を強制され、年下の女の子たちにも顎でこき使われる運命を背負わされ
それでも自らの意思で逃げ出すことも許されない、哀れな奴隷男でしかない…

「信昭さんは、まだお分かりにならないことも多いことでしょうから、1年生の皆さんは優しくご指導差し上げて。
瞳さん、よろしくお願いいたしますわね」
「はーい!」
 綾乃に瞳と呼ばれた、蛍光イエローのレオタードに身を包んだショートカットの少女が前に歩み出る。
信昭はその彼女の顔を見て、またも顔面を蒼白させた。
…そう、2ヶ月前の空手部が襲われたあの日、部に代々伝わっていた分厚い木の看板を一蹴りで真っ二つに割って
捨ててしまったあの少女だったのだ。
「あたしが1年生の中心として、君にマネージャーのお仕事を指導することになったからよろしくね。
ついておいで!」
 屈託のない笑顔で腕を引く瞳に、信昭はこれから食肉にされる家畜のようなうつろな目をして引き連れられていく。
「君のほうが年上なんて、そんなことは一切関係ないからね。あたしたちのほうが先輩なんだから。
もちろん、君のほうからあたしたちにため口なんて一切禁止だからそのつもりでね。
早く一人前に働けるマネージャーになってもらわないと困るから、ビシビシ鍛えさせてもらうわ。
いい年して覚えが悪いようだったら、あたしたちの蹴りが飛ぶから覚悟しなさい。
麗奈さんや綾乃さんたちほどじゃないけど、あたしたちもみんな君なんか足元にも及ばないくらいのレベルだから
間違っても変な気持ちなんて起こさないようにね」
2年も下の女の子に先輩のような口調で浴びせられるその言葉にも、信昭の反応はただただ卑屈なものだった。
決して逆らってはいけない相手であることを、体に覚えこまされてしまっているからだ。
「もしよかったら、特別に君にもあたしたちの練習、体験させてあげてもいいよ。
きっと1時間も持たないと思うけどね。君たちの空手ごっこと違って、超ハードだから」
 本来なら憎くてたまらない敵であるはずの瞳に、ただ低頭して連れて行かれる信昭。
それに付き添って、1年生の女子全員がきゃいきゃいと笑い声を響かせながら歩いていく。
練習場の照明でテカテカと輝くカラフルなレオタードの美少女軍団の中で、
キツキツの純白レオタードを体に密着させ、尻の一端と短い脚をさらけ出した小柄な信昭がひとり不恰好に際立っていた。


おわり




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