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ファイル13.伝説の女空手家

極真空手史上初の女性館長、黒川志乃子。
表舞台に初めて登場する彼女の実力は果たして…。

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私は今、2人しかいない女子控室で師匠の着替えを手伝っていた。

それにしても何と美しい体だろう。
女の私が思わず見とれてしまう。

39歳と言う年齢を感じさせない張りのある肌。
大人の色気を漂わすメリハリの利いたボディライン。
形が良いバストに引き締まったヒップ。
脚はやや筋肉質なもののモデル並みの長さがある。

黒川志乃子。
この美しい体の持ち主は、極真空手史上初めての女性館長。
若くして亡くなった父の跡を継ぎ、今は正剛会館の全国120道場を束ねる存在でもある。

「これで良しっと。」

黒帯をキュッと締めて着替えが完了。
凛々しい空手着姿が良く似合っている。

「美紀ちゃん、飲み物ちょうだい。」
「はーい。」

私は特製のスポーツドリンクを手渡した。
志乃子はそれを一気に飲み干す。

「ごめんね美紀ちゃん。こんなことに巻き込んじゃって。」
「とんでもない。私は志乃子さんと一緒にいれてすごく嬉しいんです。」

これは私の本心だった。
私にとって志乃子は空手の師匠であると同時に憧れの存在。
男を寄せ付けない圧倒的な強さと、他の女を嫉妬させるずば抜けた美貌。
まさに私の理想とする女性だった。

そんな志乃子さんが私を巻き込んでしまったと言うイベント。
極真ファイティングフェスティバル――――。

円形リングの中で戦うフルコンタクト空手の大会。
この大会に志乃子が参加するなんて、私は想像だにしなかった。

「空手は心身を鍛えるためのものよ。相手を倒すための道具ではないわ。」

志乃子は常にそう教えてくれた。
だから私もこれまで、空手の大会には一切出場してこなかった。

しかし黒川志乃子と言えば誰もが知っている伝説の女空手家。
コアな空手ファンの間では、男子選手を押しのけて彼女こそが最強だと言う者さえいる。
大会プロデューサーにとっては、どうしても出場させたい選手だったのだろう。

「空手が心身を鍛えるためのものだというのなら、それを試合で証明して見せて下さいよ!」

そんな言葉に彼女の心が動いた。
結局1億円という破格のファイトマネーと極真空手の健全な普及に尽力すること。
そして対戦相手として最強の空手家を用意することを条件に、彼女は大会参加を了承した。

「はぁ…。結局お金に目がくらんじゃったのかな……。」

試合を目前に控えていると言うのに、志乃子はまだ愚痴をこぼしている。
私にしか見せない可愛らしい一面。
そんな彼女も私は大好きだ。

「黒川さん、試合でーーっす。」
「ふぅっ……」

ついに呼び出しが掛かった。
志乃子はひとつ大きなため息をつくと、立ち上がって首を大きく回した。

「やるしかないかっ…」
「志乃子さん、頑張って下さい!」

こうして彼女はリングへ上がった。


5万人を超える満員の観衆。
セコンドの私も興奮で鳥肌がたつ。

対戦相手はロシア出身の極真空手ヘビー級チャンピオン、アレクセイ=ロマノフ。
身長2メートルを超える巨体と太くて長い手足。
デビューから2年とキャリアは浅いが、無敗のまま頂点に上り詰めた勢いもある。
間違いなく最強の対戦相手だ。

観客の多くはこの闘いを無謀な挑戦だと思い込んでいる。
ただでさえ男女の間には埋めることのできない運動能力の差がある。
加えて身長差25センチ、体重差50キロの試合など単なる見世物に過ぎないと思っていた。

それでも私には分かる。
こんな男では、志乃子の相手にはならない。
恐らく志乃子自身もそう思っているはずだ。
『鍛え方が足りない男ね』って。

「始め!」
「押忍!」

試合が始まった……

「ズボッ!」

アレクセイの逞しい腕から繰り出される強烈な突きが、志乃子のふくよかな胸に突き刺さる。

『うわぁ…』

思わず目を背けたくなるような迫力。
私なら一発で倒されてしまいそうな衝撃。
さすがにパワーだけは超一流のようだ。

「はっ、はっ、はっ、はあーっ」
「ズボッ!ズボッ!ズボッ!ズボーーーッ!」

アレクセイの突きが止まらない。
力強い突きが次々と唸りを上げる。
対する志乃子は防戦一方。
アレクセイの勢いを躱すのがやっとの状態だ。
志乃子が負けるはずないと信じている私だが、ほんの少しだけ不安が頭を過ぎった。

「はっ、はっ、はっ…」

アレクセイの突き、さらには強烈な中段蹴りが志乃子に襲い掛かる。
彼女は鍛えられた腹筋で彼の突きを受け止めると、中段蹴りは右腕でガードした。
大きな相手の攻撃を受けながら一歩も後退しない志乃子。
流石は伝説の女空手家だ。

「シュッ、シュッ!」

試合が中盤に差し掛かり、ようやく志乃子の反撃が始まった。
志乃子の風を引き裂く鋭い突きが、アレクセイの厚い胸板を直撃する。

疲れのためか、やや動きが鈍くなったアレクセイ。
試合はここから壮絶な打ち合いとなった。
セコンドの私も自然に力が入る。

両者は一歩も引かない。
体ひとつ大きなアレクセイを相手に大健闘を見せる志乃子。
女空手家の予想外の頑張りに、会場は大いに湧いている。

志乃子の下段蹴りでアレクセイの巨体が転がった。
バランスを崩してのスリップ。
レフリーはそう判断した。

しかし私は気付いていた。
これはスリップなんかじゃない。
志乃子の蹴りに耐え切れず、アレクセイは自分から倒れてしまったのだ。

スリップから立ち上がるアレクセイの顔からは滝のような汗が流れ落ちている。
対する志乃子は試合前から変わらないクールな表情。
試合の形勢は完全に逆転していた。

試合終了が迫る。
ここで動きの止まったアレクセイを志乃子が一気に攻め立てた。

「シュッ、シュッ!シュッ、シュッ!」

鋭い突きが逞しい腹筋に突き刺さり、重い蹴りが頑丈な太腿を撃ち付ける。

サンドバック状態となってしまったアレクセイ。
観客は志乃子の強さと美しさを前にすべての言葉を失った。
胴着の下から覗くグレーのスポーツブラが女の色気を放っていた。

「ブーーッ!」
「それまで!!」


試合が終わった。
最後はアレクセイを追い詰めた志乃子だったがKOするには至らなかった。
両者あわせて1000発近い突きが繰り出された壮絶な試合が幕を閉じた。

『すげぇ…』
『最後はあのアレクセイを滅多打ちだぜ…。』
『やっぱり伝説は本物だったんだ…。』

観客はただただ志乃子の強さに驚いていた。

しかし判定は無情なものだった。
1−2でアレクセイの勝利。
試合の序盤で一方的に攻め込まれた点がポイントに影響したようだ。

『まさか…志乃子さんが負けるなんて…。
 あと1分あれば間違いなくKOで勝てたのに…。』

私は悔しかった。
心の底から悔しかった。
志乃子が負けるなんてまったく考えてもいなかったから。

それでも志乃子は笑顔を見せて観客の声援に応えている。
男子世界王者を相手に試合では敗れたが、精一杯戦ったという満足感が漂っていた。
観客の拍手を受けながらリングを去っていく志乃子。
私は悔し涙を浮かべながら、そんな彼女の後ろを着いて行った。

女子控室に戻ってきた2人。

「お疲れ様です…」

私は元気なく志乃子に声を掛けた。

「美紀ちゃん、飲み物ちょうだい。」
「……」

私は無言のまま特製のスポーツドリンクを手渡した。
志乃子はそれを一気に飲み干す。

「どうしたの美紀ちゃん、元気がないわよ。」

試合に負けたというのに明るい顔をみせる志乃子に私は本音をぶつけた。

「志乃子さんは、試合に負けて悔しくないんですか?」

私は涙ながらに訴えた。
それをみた志乃子が笑顔を見せる。
私でもあまり見たことのないようなとびっきりの笑顔。

「私、美紀ちゃんのそういう一生懸命なところ好きだなぁ…」

志乃子は私を抱きしめてくれた。
私は彼女の空手着で涙を拭いた。

「美紀ちゃん…。ちょっとテレビを付けてくれないかな。」
「テレビですか??」
「ええっ…。美紀ちゃんにも今日の試合の意味が分かるわ♪」

私には何が何のことかさっぱり分からなかった。
志乃子の言うがまま、控え室テレビのスイッチを入れる。

テレビでは、志乃子に勝ったアレクセイの勝利セレモニーが中継されていた。
防衛したベルトを受け取り、賞状を渡される。
さらに副賞の品々をもらって記念撮影に応じる。
いつもと変らない表彰風景。

しかし何かがおかしい。
それはアレクセイの表情。
試合が終わって5分近く経つというのに、顔面は蒼白で大量の汗が流れ落ちている。

『なんかおかしくねぇ??』
『妙だわねぇ…』
観客もざわつき始めた。

しかしセレモニーは淡々と進行していく。
アナウンサーと通訳がリングに上がり、勝利者インタビューが始まった。

「観客の皆様お待たせいたしました。
 見事勝利を収めました、アレクセイ=ロマノフ選手です!
 まずは見事な判定勝利、おめでとうございます!」

「……………」

「おめでとうございます、アレクセイさん!」

「……………」

マイクを向けても返事が返ってこない。
通訳も困っている。
アレクセイの顔はますます蒼白になっていく。
明らかに様子がおかしい。

「だ…大丈夫ですか?」

アナウンサーが尋ねた瞬間、アレクセイの巨体が急に波打った。

「ごわっ!」
「きゃーーーーーーーーーっ!!!!!」

口から大量の吐血。
そのまま白目を剥いてマットに倒れこむアレクセイ。
全身が小刻みに痙攣している。

「大丈夫か!!、誰かスタッフ!救急車だ、救急車を呼べーーーっ!!!」

会場は大パニック。
テレビの前の視聴者たちも、思わず目を背けたくなる映像だった。

テレビの中継がプツリと途切れる。
画面には「しばらくお待ち下さい」のテロップが流れていた。

あまりの映像に呆然となった私。
志乃子はすべてを知っていたかのように着替えを始めた。

黒帯を解き空手着を脱ぐ。
女の私も見とれてしまう美しい体が露になる。
色白の肌はそのままで、試合のダメージなどまったく感じさせない。
彼女は全裸のまま下着を手にすると、シャワー室へと歩いていった。

「鍛えてもないのに試合になんかに出るから、こんなことになるのよ…。」

歩きながら志乃子はそうポツリと呟いた。

救急病院に運び込まれたアレクセイは、そのまま7時間にもおよぶ緊急手術を受けた。
翌朝、治療に当たった医師団が記者会見を行った。

「アレクセイ選手の病名は、全身打撲に全身の骨折および多臓器不全。
 命が助かったことが不思議なくらいの重症です。
 胸部から腹部に掛けては至るところが内出血を起こしており、炎症は背中にまで達しています。
 肋骨、胸骨はほとんどが粉々の複雑骨折、大腿骨や上腕にも大きなの骨折が見られます。
 内臓にも傷害が出ておりますが、幸運にも急所を外れているので命に別状はありません。」

医師団の説明を聞いた取材陣は愕然とした。
ここに来て初めて伝説の意味を理解したのだ。

「伝説だ…。やはり伝説は本物だったんだ!!!」

結局最強王者アレクセイは格闘技界から引退。
『極真ファイティングフェスティバル』も翌年からの中止が決定した。

翌朝。
志乃子は何事もなかったかのように朝の稽古に励んでいた。

私も普段通りの練習を心掛けていたが体が熱くて仕方がない。
大学チャンピオンの先輩に頼んで組み手の相手をしてもらった。

「ぐほっ…」
「がはっ!!」

年上の男子大学生チャンピオンをボコボコに滅多打ち。
彼は恐らくこの先一週間、痛みで手が上がらないだろう。

私はこれでも志乃子の一番弟子。
このくらいのことは簡単にできる。
でも私が目標とする志乃子は、遥か先を走っている。


おしまい





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