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ファイル09.ボーイズドリーム

空手黒帯の男の子が、キックボクシングのジュニア大会に参加することになった。
対戦相手に決まったのは、なんと同じ年の女の子!
果たして彼は勝利を収めることができるのか?

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「おいっ立てよ。それでも高校生かよ。」
「こらっ、龍馬!生意気なこと言うんじゃないっ!」
「だって、弱すぎて練習になんないんだもん…。」

僕の名前は守山龍馬。
小学6年生だけど、空手の腕前は黒帯。
2年連続で全国大会にも優勝している。

お父さんが師範を努める小さな道場で毎日稽古をしているけど、
正直言ってこの道場には、お父さん以外練習相手になる選手がいない。
将来は憧れの虎次郎選手のように、強くて格好良い格闘家になるのが夢だ。

「キックボクシング?」

「あぁ、お父さんの知り合いにジムをやってる人がいてね。
 その人が、今度ジュニアの大会を開くらしんだ。
 それで龍馬にも出場してみないか?って誘ってくれているんだよ。
 どうだい?面白そうだろう?」

「う、うん、面白そうだけど。僕にキックボクシングなんてできるかな?」

「なぁに大丈夫だよ。空手と似たようなもんさ。
 虎次郎選手みたいになりたかったら、いつかはキックもやらなきゃいけないだろう?」

「まぁ、それはそうだけど…。」

「だろう。それなら早い方がいい。明日、早速申し込んでおくよ。」

「…うん、分かった・・・。やってみる。」

それ以来僕は、空手の合間にキックボクシングの練習も始めるようになった。
リングに慣れるため、近くのボクシングジムにも何回か通った。
最初は少し戸惑ったが、2週間もしたら大体コツが掴めて来た。
このレベルまで来たら、もう同じ小学生相手に負けることはないだろう。

試合を1週間後に控えた日。
お父さんが試合の詳しいことを聞いてきた。

「龍馬!来週の対戦相手が決まったぞ!獅子堂結衣さん。お前と同じ6年生だ。」

「ゆ・・・結衣?えっ???女の子…?」

「あっうん…、女の子らしいけど、向こうのジムでは一番強いって言ってたぞ。」

「嘘だろ・・・。女の子となんかやりたくないよ・・・。」

「仕方ないだろ。お前の相手になるのはこの娘しかいないって言うんだから・・・。」

こうして僕はあまり気乗りしないまま、試合当日を迎えた。

お父さんの車に乗って会場へと向かう。
控え室は30人ほどのちびっこキックボクサーで溢れかえっていた。

僕の試合は今日のメインイベント。
自分の試合まではまだまだ時間がある。
僕は観客席に下りて、低学年の選手の試合を見ていた。
プロの試合も行われる広い会場だけど、さすがに観客席はガラガラだった。

『結構みんなやるじゃん・・・。』

ちびっ子の試合を見ていて、僕は少し驚いた。
もちろん体は小さいし、力もスピードも全然足りない。
だけどキックボクシングの形は既に出来あがっている。
急ごしらえの僕より、基本がしっかりしているのは間違いない。

『僕もしっかり頑張んなきゃな・・・。』

僕は控え室に戻ってウォーミングアップを始めた。
2時間ほど掛けて入念に汗を流した。
そして新調した試合用の短パンを身に着けて、試合の準備は整った。


「はい龍馬、ヘッドギアだ・・・。」

「え、つけなきゃいけないの?」

「あぁ、ジュニアのアマチュア選手はヘッドギアをつけるのがルールだ。」

「仕方ないなぁ・・・。」

僕は渋々ヘッドギアを装着した。
そしてお父さんの持つミットを打って最後の調整。
そしていよいよ次の次が僕の番だ。

「さぁ行くか!」

「うん。」

僕はお父さんの後について試合会場へと向かった。

暗い通路を抜けてリングのあるフロアに出る。
リング上ではまだ前の選手の試合が続いていた。

僕はふと異様な雰囲気を感じた。
周りを見渡すと、観客席が超満員に膨れ上がっていた。
通路にも立ち見客がいて、会場は凄い熱気に包まれていた。

「お父さん!どっ…どうしてこんなにお客さんが来てるの?
 さっきまでガラガラだったのに・・・。」

僕は驚いてお父さんに尋ねた。

「あぁ、多分お前の相手を見に来てるんだろうな・・・。
 何て言ったって、キックボクシング界のスーパーアイドルだからな。」

「スーパーアイドル?」

「あぁ、お前には言ってなかったけど、獅子堂結衣って子は女子キック界で有名な選手なんだ。 
 小学生なのに、プロの大人選手を相手に次々とKO勝ちしていてね。
 顔もカワイイらしいが、お前も気合を抜いているとやられるかも知れないぞ!」

「・・・・・・・・・。」

僕は少し嫌な予感がした。
女の子が相手ということで、少し油断していた自分を反省した。

そうこうしている間に前の試合が終わった。
次はいよいよ僕の番。

「赤コーナーより、守山道場、全国空手チャンピオン守山龍馬くんの入場です!」

「頑張れ!空手チャンピオン!」
「いい試合見せてくれよーーーっ!」

観客から声が掛かる。
マイクで呼ばれての入場は初めての経験だったが、少し照れくさかった。

リングに上がる僕。
バネの効いたリングは、すごく戦いやすそうだった。

「続きまして、青コーナーより、獅子堂結衣さんの入場です!」

「うぉーーーー!!!」
「待ってました!!!」
「結衣ちゃーーーん!!!」

名前を聞いただけで観客の熱気が一気に盛り上がる。
予想以上に凄い人気だ。

やがて通路から1人の女の子がゆっくりと歩いてきた。
フードついた黒いガウンを着ているので顔は良く見えない。
だけども凄い風格が漂っているのはヒシヒシと感じる。

『格好つけやがって・・・。』
あまりの格好良さに、僕はちょっとだけ嫉妬した。

さらに女の子の後ろから、セコンドらしき1人の男が着いてくる。
どこかで見たことのある男の人。
その顔を確認して、僕は心臓が飛び出るほど驚いた。

「虎次郎選手!!!!!!」
彼女のセコンドに付いていたのは僕が心の底から憧れる世界王者、虎次郎選手だった。

「虎次郎選手はな・・・、彼女の素質に惚れこんで、今は専属トレーナーをやっているらしいぞ。
 最近は自分の練習も放っておいて彼女の練習に付きっきりらしい・・・。」

「ゴクリッ・・・・・・。」

思いがけない憧れのスターとの初対面に、僕は舞い上がってしまった。
それと同時に獅子堂結衣という女の子のスケールの大きさに、少しずつ恐怖を感じ始めた。


僕は気合を入れなおして対戦相手を見つめ直した。
獅子堂結衣は慣れた様子でロープをまたぎ、僕の待つリングへと上がってきた。

そして全身を隠していたガウンを勢い良く脱ぎ捨てる。
小学生らしくない派手な演出に、会場のボルテージが一段と盛り上がった。

彼女と視線が合った。
初めて見る彼女の小さな顔に、僕は不覚にも『可愛いな』と思ってしまった。
正直、僕の学校にこんなカワイイ子は1人もいない。
今まであったことのないような、テレビに出ているアイドルみたいに整った顔だった。

背は僕より小さいが、それでも女の子としては大きい方だと思う。
全身が日焼けしていて、小麦色の肌がまぶしく輝いていた。

白くて短いボクサーパンツに黒いビキニタイプのウェア。
日に焼けた長い脚は、明らかに普通の女の子よりも逞しく見えた。
いかにも運動神経の良さそうな感じだ。

レフリーに促されてグローブを合わせ挨拶する。

僕の気持ちは既に切り替わっている。
彼女が女の子だからって手加減する気は全くない。
全力で勝ちにいくだけだ。

しかし僕にはひとつだけ気になることがあった。

「お父さん、あの子、ヘッドギアつけてないけど・・・。」

「あぁあの子はセミプロのライセンスを持っているからね。
 アマチュアじゃないからヘッドギアをつけなくてもイイんだよ。」

「ええっ!じゃぁ、ヘッドギアつけるのって僕だけ???」

「まぁお前がアマチュアで向こうがセミプロなんだから仕方ないだろっ。
 そんなことは気にしないでいいから、とにかくお前は試合に集中するんだ!」

「・・・・・・。」

女の子にハンデをもらっているようで、すこし恥ずかしい気がした。
そしていよいよ試合が始まる。

「カーーーン!」
お父さんに習った通り、僕は軽快なフットワークでリズムを刻んだ。
獅子堂結衣はリングの中央でほとんど動かない。
ムエタイ風の独特なスタイルで堂々と僕の攻撃を迎え撃とうとしていた。

『まずは僕のパワーを見せてやる!!』
僕はそう思って力任せの左ストレートを放った。
挨拶代わりの一発。

しかし彼女は、僕のパンチを右手1本で軽々とガードしてみせた。
そして次の瞬間、僕の視界は突然闇に覆われた。

「パーーーン!!」
獅子堂結衣の放ったカウンターの超高速左ジャブが僕の顔面を捉えていた。
動き出しすら見えない驚愕のスピードだった。

「パンッ!パンッ!ドフッッッ!!!」
続けて放たれる獅子堂結衣のコンビネーションパンチ。
左右のフックからのボディーブローが的確に僕にヒットした。
可愛い顔からは想像できない華麗なボクシングテクニックを前に、僕は何も抵抗できなかった。

『…でも彼女のパンチは軽い…。スピードにさえ惑わされなければ大丈夫だ。』
僕はそう思いながら反撃のチャンスを狙おうとした。

しかしその直後、僕は自分の考えが甘かったことを痛感させられる。
ボディーブローを受けて体勢が崩れた僕の顔面めがけて、彼女の豪快なコークスクリューパンチが火を噴いた。

「シュッ…ダーーーーン!!!!!」

女の子のパンチとは思えない破壊力。
僕の体は勢い良く後方に弾き飛ばされた。

足がもつれながらも、ロープに助けられて何とか踏ん張った僕。
最悪のダウンこそ免れたものの、全身からは一気に冷や汗が湧き出てきた。

『あんな可愛らしい女の子に、どうしてこんなに強いパンチが打てるんだ!』
僕は驚きのあまり獅子堂結衣の顔を見つめ返した。

彼女は相変わらずクールな表情のまま。
日焼けした健康的な肌には、まだ薄っすらとした汗すら浮かんでいない。


『ん・・・???血の味がする・・・。』
僕は妙な味覚に気が付いた。

「ストップ!メディカル!!」
レフリーが試合を止めて医師団を呼んだ。
どうやら僕は鼻血を出してしまったようだ。

お医者さんが僕の鼻をチェックしてワセリンを塗る。
試合開始早々女の子に殴れれて鼻血を出してしまった僕。
なんとなく格好悪い。
そんなバツの悪いタイミングで、お客さんの会話が耳に聞こえてきた。

「結衣ちゃんはやぱり強いね。男の子相手でも勝負にならないみたいだ。」
「今のパンチもヘッドギアがなかったら多分KO(ノックアウト)だよね。」
「結衣ちゃんの強さはまだまだこんなもんじゃないよ。」
「空手のチャンピオンって聞いてたから、もっと相手になるかと思ったけどな・・・。」

さっきのパンチで彼女が強いことは分かった。
でも・・・。

『女の子なんかに負けてたまるか!!』
鼻血の治療が終わると、僕はもう一度気合を入れなおして彼女と向かい合った。

試合開始直後と同じく、僕は軽快なフットワークでリズムを刻んだ。
しかしどうも様子がおかしい。
横と後ろには動けるが、どうしても前に進めない。
獅子堂結衣の迫力に押されて、僕はズルズルと後退りしてしまった。

『ちっくしょう・・・・・・。』
攻めたくても、体が本能的に逃げてしまう。
気が付けば僕はコーナーに追い詰められていた。

あまりにも消極的に逃げ回る僕に、獅子堂結衣は少しだけ怒った表情を見せた。
そしてお仕置きでもするように、彼女は鋭いローキックを僕の太腿に炸裂させた。

「ピシッ!!!」
甲高い音が会場に響く。
柔らかくしなって襲い掛かってくる彼女の脚は、まるで超合金のように固かった。
僕はあまりの痛さに、胃液を吐き出しそうになった。

『痛っーっ!!!』
こんな痛みを感じるのは久しぶりだった。
まだ空手を初めてすぐの頃、お父さんに本気で蹴られた時のことを思い出した。
骨と筋肉が悲鳴を上げている。

すぐに蹴りを受けた左足が痺れ始めた。
痛みは治まったものの、思い通りには動かなくなってしまった。
軽快なフットワークはもう使えない。

そんな僕をつまらなそうな表情で見上げながら、獅子堂結衣は再びローキックを放ってきた。
腰が回ったコンパクトでシャープな蹴りが、今後は僕の右足を直撃した。

「パシーーッ!!」
凄い威力。
今度も半端じゃなく痛い。
僕はあまりの苦痛に顔を歪めてしまった。

すぐに膝が震えだす。
もう両足に力が入らない。
たった2発のローキックだけで、僕は立っているのがやっとの状態になってしまった。

そんな満身創痍の僕に、美少女は顔色ひとつ変えずに襲い掛かってくる。

僕は怖かった。
女の子のことをこんなに怖いと思ったのは初めてだった。

僕より背も小さい。
顔も飛びっきり可愛らしい彼女だが、キックボクシングの実力は紛れもなく本物。
彼女のローキックで逃げることすら出来なくなった僕は、もはや彼女の獲物でしかなかった。

獅子堂結衣は軽く左右のパンチを打ったあと、リズムに乗って3発目のローキックを放った。

「パチーーッ!!」
「っうっ・・・、ドタッ・・・。」

「ダウン!!!」

今の僕に彼女の蹴りが耐えられるはずがない。
僕は右足を押さえながらマットに倒れ込んだ。
獅子堂結衣は倒れこんだ僕を澄んだ瞳で見下すと、淡々と自分のコーナーへと戻っていった。

試合開始早々のダウン。
たった3発のローキックだけで、僕は立っていることが出来なくなってしまった。

正直恥ずかしい・・・・・・。
これだけの大観衆の前で、可愛い女の子に蹴り転がされてしまうとは…。
男として、空手チャンピオンとして、この上ない屈辱だった。

それでも僕は力を振り絞って何とか立ち上がった。
両足に力が入らない。
まるで生まれたばかりの子馬のような状態だが、僕はファイティングポーズをとって戦う意思を見せた。


「ファイト!」
試合が再開される。
獅子堂結衣が間合いを詰めてくると、僕は再びとてつもない恐怖を感じた。

『大人しく寝ていれば、もう痛い目に遭わないで済んだものを・・・。』
彼女の考えていることは何となく理解できた。

僕は最後のチャンスに賭けていた。
彼女は次のローキックで勝負を決めに来る。
僕が満足に動けないことも知っているから、恐らく油断したまま攻めて来るだろう。
その隙をついて僕の得意な左上段突きを当てることができれば・・・、一発逆転だ!

僕はタイミングを計った。
思ったとおり彼女は淡々と間合いを詰めてきた。
緊張感は見られない。
完全に油断している。

いよいよ獅子堂結衣が僕の射程圏内に入ってきた。

『今だ!!』
僕は残る力を振り絞って渾身の突きを放った。
風を切り裂きながら唸りを上げる必殺の左上段突き。

しかし僕の拳は無残にも空を切った。
彼女は軽く首を右に傾けるだけで、楽々と僕のパンチを躱してみせた。

これまで空手の試合では感じたことのないスピード感覚。
彼女は初めて見る僕の必殺技を、余裕で見切って見せた。

もはやハッキリした。
僕は獅子堂結衣に勝てない。

技術、パワー、経験。
すべてのレベルが格段に違う。
身長の差、ましてや男の子女の子だなんて、ほんの僅かな差にしか過ぎないことが分かった。

「パシッ!!」
「ドッ・・・ドタッ・・・」

「ダウン!!!」
4発目のローキックを受けて、僕は再びマットに這いつくばった。

「弱っ…。」
獅子堂結衣はボソっとそう呟いた。
あまりにも簡単にダウンしてしまう僕に、手応えのなさを感じているようだ。
そのままつまらなさそうに自分のコーナーへと戻っていく。
観客は全員総立ちで拍手を送っている。

既に両足が完全に痺れている僕は、彼女のローキックを痛いとは思わなかった。
ただバランスを崩されてダウンしただけ。
それでも今回は再び立ち上がる意欲が湧いてこなかった。

恥ずかしい・・・。
女の子にまた蹴り転がされてしまった。
頑張って立ち上がっても、どうせまた簡単にやられてしまう。
このまま大人しく負けた方が惨めな思いをしなくて済む。
僕はリングに横たわったまま10カウントを数えていた。

「頑張れ!立つんだ龍馬!」
コーナーからお父さんの声が聞こえてきた。

「あと20秒でラウンドが終わる!もう少し頑張るんだ!!」

『20秒?そうかっ! もうすぐ第1ラウンドが終わるんだ!』

僕は元気が湧いてきた。
休憩を挟めば流れが変わるかもしれない。
痺れる足を何とか動かして、再び立ち上がる。

カウント9…。
観客も僕の粘りに声援を送ってくれている。
レフリーが僕の戦闘意欲を確認する。
僕の眼はまだ死んでいない。


「ファイト!」
試合再開。

この時点で1ラウンド残り時間は10秒余り。
次の攻撃に耐えることが出来れば、インターバルが待っている。

僕は獅子堂結衣の動きに集中した。
クールな表情を浮かべたまま彼女が近付いてくる。

怖い・・・。
これほどまでに恐怖を感じたのは人生で初めてだった。

彼女が5発目のローキックを放ってくるのは明らか。
問題はそれが右なのか、左なのか。

僕は彼女の脚を注視した。
これまでに僕を2度も転がしてきた健康的な脚。
足の爪にピンクのペディキュアが塗ってあるところに、女の子らしさを感じた。

彼女が間合いを詰めてくる。
右か・・・。左か・・・。

『右だ!!』
僕は彼女の動き出しを見逃さなかった。
獅子堂結衣は左脚を踏み出し、腰を捻りながら右脚で蹴りを放ってきた。

『よしっ!!!』
僕は初めて彼女の動きに付いていった。
彼女の蹴りに合わせて左足を構える。

これなら耐えられる!
僕はそう思った。

しかしすべては彼女の計算だった。

『あれっ??』
僕が驚いたときにはもう手遅れ。

わざとゆっくりと振り上げられた彼女の右脚は、僕を嘲笑うかのような高さにまで達していた。
僕の目前には彼女の右膝が迫っていた。

『ヤバイッ!!』
そう思った瞬間に、僕の首筋を衝撃が襲った。

「ゴキッ!!!!!」
会場内に低い衝撃音が響く。
僕の頭の中には、その何倍も大きな音が鳴り響いた。

彼女の健康的な右脚は、脛の部分で僕の首筋を捕らていた。
首が横に曲がるほどの完全なる直撃。
その衝撃で僕のヘッドギアは大きく横にずれた。

全身から一気に力が抜ける…。
そして僕の視界はみるみる闇に覆われていく・・・・・・。
ブラックアウト=失神・・・。

『あれっ…。一体何があったんだ…』

意識が戻ったとき、僕は自分がリングに横たわっているのに気付いた。
視線の先には健康的な女の子の脚があった。

『あっ、そうだ…。僕は彼女のハイキックで倒されたんだ…。』

一瞬の失神を経て、僕はすぐに記憶を取り戻していた。
なんとか起き上がろうと試みるものの、体には全く力が入らない。
彼女の華麗なキックは、僕の運動能力を完全に奪い去っていた。
僕にはKO負けを受け入れるより他に仕方がなかった。

『それにしても恥ずかしいや…。
 これだけの大観衆の前で、同じ歳の女の子にボコボコにされたなんて…。』 

背後でレフリーがカウントを数えている。
僕を倒した彼女は、コーナーでロープに両腕を置きながら余裕の表情で僕を見下ろしていた。

汗ひとつかいていない可愛らしい顔は、試合開始前と変わっていない。
彼女が、何となく手加減しながら戦ってくれていたのにも、僕はうすうす感じていた。

『僕はあんなカワイイ女の子に手加減されながら弄ばれたなんて。
 まったく恥ずかしくて仕方ないや・・・。』

穴があったら入りたい気分だった。

「ナイン・・・・・・、テン!!!」
「カンカンカンカンカーーーーン!!!」

僕のKO負けを告げるゴングが鳴り響いた。
結局のところ、手も足も出ない完敗だった。


「龍馬!大丈夫か?」

「う・・・うん大丈夫。ちょっと頭がフラフラするけど・・・。」

「無理して動かなくていい。もうすぐ担架が来るから。」

リング上に横たわる僕と、付き添って看病してくれるお父さん。
そんな2人の隣では、獅子堂結衣がレフリーに高々と右手を掲げられていた。

やがて僕は担架に乗せられてリングを降りていく。
ちょうどその頃、満員の観衆に促されて獅子堂結衣がマイクを握った。

「今日は相手がすごく弱かったので手加減しましたけど、
 次はアメリカのプロ選手が相手なので、負けないように全力で頑張ります。
 みなさん、応援よろしくお願いします。」

観客の前で堂々と宣言されてしまった。
手加減している女の子に何度も蹴りころがされて、最後は失神までしてしまったなんて。
僕のプライドはガタガタに崩れ去り、眼には薄っすらと涙が浮かんできた。
獅子堂結衣・・・、本当に恐ろしいほど強い女の子だった。

控え室に戻ってしばらく経ち、僕はようやく普通に歩けるようになってきた。
恐らく僕とお父さん以外の関係者たちは、最初からこの試合の意味が分かっていたのだろう。
僕は、彼女の噛ませ犬として呼ばれてきただけだったのだ。

体は動かせるようになったが、お父さんも僕も精神的にはまだ放心状態にあった。
そんな時、控え室のドアが開いて、ひとりの男性が入ってきた。

「虎次郎選手!!」
僕は一瞬だけ試合のことを忘れてしまった。

「ナイスファイト!今日は良い試合だった。」
「ありがとうございます・・・。」
僕は虎次郎選手の社交辞令に、少し恥ずかしそうに答えた。

「本当に良い試合だったぞ。キミは将来強くなれる。」
「どっ・・・どうも、ありがとうございます・・・。」

しつこいように僕を褒めてくれる虎次郎選手。
だけど今日の試合はどう見ても一方的な敗戦。
良いところなんて何一つなかったはずなのに・・・。

僕は虎次郎選手の言葉の真意を図りかねていた。
そんな怪訝そうな顔をしている僕に、虎次郎選手は言葉を続けた。

「今日の試合の結果を気にすることはない。今日は相手が悪すぎただけさ。」
「はっ・・・はい。」

そして虎次郎選手は僕のすぐ傍に近寄ると、耳元に口を当てて小声で話し始めた。

「ここだけの話だけどなっ・・・、実は俺も、結衣には歯が立たないんだ。」

「ええっ????」

「半年前まではパワーで押し切って勝てたんだが・・・。最近はもうだめだ・・・。
 幾ら力任せに攻めていっても、あの蹴りを食らって出足を止められたら一環の終わりさ。
 あとはサンドバッグみたいにボコボコにやられてリングに転がされる。
 アイツはムキになると、参ったって言うまで倒れても容赦しないからな・・・。
 まったく、あんな可愛い顔した女の子のくせに、とんだ化け物だよ・・・。」

僕は息が止まるほど驚いた。
小さな小学生の女の子に世界チャンピオンが敵わないなんて、そんなことが本当にあるのだろうか?
正直嘘じゃないかと思った。

そんな不思議そうな顔を浮かべる僕を見て、虎次郎選手はズボンの裾を捲くった。
虎次郎選手の両足は、青い痣だらけで痛々しかった。

「昨日、結衣とスパーリングしてやられた痕さ。
 彼女に痛めつけられるおかげで最近は試合もできやしない…。
 なぁにでもな、彼女には勝てなくても、世界チャンピオンにはなれる。
 目標を見失わずに、これからも頑張れよ!」

僕は虎次郎選手と固い握手を交わした。
彼は格好良い笑顔を見せながら、僕の控え室から去っていった。

おしまい





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