専業主婦

「海外出張!?」
「あぁ、そうなんだ。急に決まってね」
夫は済まなそうに言った。

「どのぐらい行くの?」
「2ヶ月ぐらいかな」

「えぇっ、2ヶ月も!?」
「まあ、2ヶ月なんてあっという間だよ。この際だし・・・何かやりたいことでもやってみるとか」
新婚2年目。ようやく新婚生活にも慣れ、自分の自由時間を持てるようになって来た。
しかし、夫婦円満ということもあってか、夫以外のことに目を向ける気に中々なれなかったのだ。

「あの、駅前に出来たフィットネスクラブに通ってみるとかどうかな? だって、その・・・」
そう言って、夫は私の自慢の胸元をスルーして、お腹へと目をやった。

「ちょっ・・・もう!そんな目で見ないでよ〜」
私は、慌ててお腹を両手で隠した。


私は、世間一般でいうところの肥満体ではない・・・と思う。
胸は、自分でも自慢に思うぐらい大きい。だけどその分、腰回りにもお肉が付いちゃってる。

仕事は、結婚を期に寿退社。普段、夫以外で会う男性はせいぜいスーパーの店員さんぐらい。
専業主婦の立場にかまけて、ここのところ女磨きを怠っていた気がしないでもない。

「わかったわ。綺麗になって、帰って来たらビックリさせてあげるんだから」
「はは、期待してるよ」
そう言って、夫は海外出張に旅立って行った。


夫としては、ホンの軽い気持ちで勧めただけなんだろうけど、私だって頑張っちゃうんだから。

「でも、ああいうフィットネスクラブの入会金って高いんじゃ・・・」
なにぶん、初めてなだけに不安だ。
生活に困っているわけではないが、かといって他と比べてそれほど裕福というわけでもない。

「・・・そういえば」
私は、新聞の折込チラシに割引券が付いていたのを思い出した。

「・・・げ。うそ、こんなに高いの」
チラシには、入会金10万円、月謝3万円と書かれていた。
一般的な相場は知らないけど、ちょっとこれは高い気がした。

「最新設備を謳ってても、これじゃあ・・・・・ん?」
他のチラシに紛れて、一際目出つ文字で気になる言葉が書かれているチラシを見付けた。


『女性の為の、男を見返す理想的な"美しい身体"を作る美容食品。2ヶ月で貴女も素晴らしく生まれ変わります』

そのチラシにはそう書かれていた。よく読むと、どうやら健康食品のチラシらしい。

「・・・えーと、1日3食分の健康食品、トレーニング器具、マニュアルDVD、全部込みで月2万円!?」
入会金が無い分、こっちの方が安い。しかも、2ヶ月以上の購入だと、1ヶ月分が無料になるとまで書いてあった。

「食費も浮くし、家で出来るなら楽だし、こっちにしちゃおうかしら・・・」
食事でカロリー計算する必要もないし、断然こちらの方がフィットネスクラブに通うより楽なのだ。


注文をすると早速、次の日にはセット一式が送られて来た。

健康食品を3食採り、DVDに合わせてトレーニングをする。
食品そのものは、バラエティーに富んでいて、意外と美味しく飽きが来ない味だった。
DVDもわかり易く、トレーニングもやっていて楽しい。

「楽しみつつ、お腹のお肉も落とせるなんて、良い買い物したわ」
夫が居ない寂しさもあってか、私はトレーニングにどっぷりハマって行った。


2ヶ月後。


「はぁ〜、どうしようかしら・・・」
私は悩んでいた。そろそろ夫が帰って来る時間。

「あの人にどう説明しようかしら」
お腹の余分な贅肉は確かに落ちた。ポコっと膨らみ、弛んでいたお腹はもう見る影もない。

「・・・絶対、やり過ぎちゃったよね」
トレーニングはやればやるほど楽しくて、2ヶ月はあっという間に過ぎた。
健康食品の効果も覿面で、ここまで凄いとは思わなかった。
美しくシェイプされた肢体。それは確かに、私が望んだものだった。
夫も、この身体を見れば驚いてくれるだろう。絶対に驚かせる自信がある。

いや、むしろ驚かせ過ぎてしまうかもしれない。
この"シェイプアップし過ぎた"身体を見れば、誰だって驚嘆の声を漏らすだろうことは想像に難くなかった。

「・・・無駄かもしれないけど、誤魔化せるだけ誤魔化してみるか・・・。今が冬で助かったわ」


ピンポーン。

今日は、宅配便が来る予定は無い。間違いなく、夫だろう。

「はーい」
と室内のインターホンを取る。カメラに映っているのは確かに、2ヶ月振りに見る最愛の夫だった。

「すまん、荷物が多いからドアを開けてくれ」
「ええ、わかったわ」
私は急いでドアを開けた。そこには大量の旅行鞄を抱えた夫の姿があった。

「ただいま、やっと帰ったよ」
「おかえりなさい。・・・あれ、ちょっと痩せた?」
夫の頬は、どこかこけていて線が細くなった印象だ。

「向こうの飯が合わなくて、さ・・・。体重も減ったよ。お前よりも痩せたかもしれないぞ?」
そういって夫は屈託無く笑った。見た目はともかく、元気みたい。

「話は後・・・よ。今はそれより、荷物を運び込みましょう。でも、どうしてこんな大荷物になってるの?」
心なしか、出張前よりも増えている気がする。

「得意先へのお土産とか買ってたら、荷物が増えちゃってさ〜」
「良いわ、一緒に運びましょう」
と言って、私は不意に目前にある一番大きなトランクを手に取った。

いわゆる、キャスター付きの特大サイズのトランク。
パンパンに中身が詰まっていれば女の私に持ち上がるはずのない代物だ。

しかし、ヒョイっといとも簡単に"それ"は持ち上がった。

「・・・? これ、一番大きな鞄なのに全然、中身入れてないの?」
片手で"持ち上がってしまった"トランクを、夫の目の前でブラブラさせてみる。

「・・・・・・・・」
「? どうしたの?」
夫は、唖然とした表情を私を見ている。
あれ、何処か私の格好が変なのかしら・・・? 上手く誤魔化せてると思うんだけど・・・。

「それ・・・そのトランク、中身詰め込み過ぎて、重くて重くて、必死にここまで引き摺って来たのに・・・」
「・・・! うそ」
この鞄、重いことは重いけど正直、片手で持てない程じゃない。私はそう思ったけど、もしかして・・・。

「・・・そ、そんなことより、外は寒いんだから早く中に入って。
 疲れたでしょ? 食事にする? それとも、お風呂にする?」
「あ、ああ。・・・そうだな、取り敢えず風呂に入ろうかな」
私は、夫婦に定番の台詞で何とかその場を誤魔化した。


夫が風呂に入っている間、件のトランクを開けてみた。

「・・・・・・・・」
これでもかというか、どうやって入れたのか、というぐらい中身がギッシリ詰まっていた。
実際、一度開けただけで、もう閉まらなくなっている。

確かに、これを引き摺って来たというのも頷ける。だとしたら、やっぱり・・・。

「・・・ふぅ。良い湯だった〜」
そうこうしている内に、夫が風呂から出て来てしまった。
夫はいつもカラスの行水で風呂はいつも10分と掛からない。
こういう時ぐらい、ゆっくり入って来れば良いのに・・・。

「おーい。なぁ、勝負しないか?」
「・・・勝負? 何それ」
夫はいきなり、わけのわからないことを言い出した。
良く見ると、手に風呂場に置いてあった体重計を持っている。

「お互い体重を量ってさ、重かった方が負け。勝った方の言うことを何でも一つ聞くっていうのはどうだ?」
「・・・・・・・・」
夫の魂胆が読めた。

風呂場で体重を量ったら思いの外、軽かった。で、私の今の"体型"を見て、自分の方が軽いと踏んだのだろう。
夫は、前々から事あるごとに小遣いアップを要求して来るのだ。
大の大人が一月遊ぶには充分な額を渡しているはずなのに、夫はそれだけだと足りないというのだ。
幾ら専業主婦とはいえ、こっちは家計を預かる身。おいそれとそんな要求に屈するわけにはいかない。

「・・・い、良いわ・・・よ」
少し逡巡したものの、私はその勝負を了承した。
勝てば、逆にこっちが夫に何か一つ、言うことを聞かせることが出来るのだ。

それに、幾ら夫が痩せたといっても男と女。身長も夫の方が高いし、筋肉量も違う。

・・・・・あれ? 私、前に体重量ったのっていつだったっけ?
それに、筋肉量って言うなら今の私は・・・・・。

「・・・あっ、やっぱり、ちょっと待っ」
「さぁ、て」
時既に遅く、夫は私の目の前に体重計を置いて、それに乗っていた。

「へへー、73s〜」
「う、うそ」
夫の身長からしたら、そこそこ軽い部類だ。確かに、出張前よりも体重が落ちている。

「さぁ、次はお前の番だ」
「・・・・・う」
渋々、私は服のまま体重計に足を乗せた。

ギュン!という効果音が聴こえて来そうなぐらい、凄まじいスピードで目盛りが動く。
目盛りはあっという間に、・・・100sを超えていた。

「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」

無言の空気に耐え切れず、私は慌てて体重計を降りた。

「ね、ねぇ! きっと、体重計が壊れているのよ。た、多分、そうなんだわ・・・」
「い、いや、でも俺の体重は普通に・・・」

「ねぇ! 勝負の方法を変えない? このままじゃ埒が明かないし」
「方法を変えるって、具体的には?」

「機械を使おうとするからいけないのよ。私とあなたで直に勝負すれば良いの。
 ・・・そうね。例えば、腕相撲とか」
「腕相撲? ・・・・・良いよ」
一瞬、夫はニヤリと笑ったのを私は見逃さなかった。

夫は背も高く、体格が良い上に学生時代は柔道をやっていた。
柔道家というのは得てして、腕相撲の強い者が多い。引き手の強さが重要なスポーツだからだ。

おそらく夫は、機械でケチを付けられるよりは、腕相撲の方がハッキリと勝負付け出来ると踏んだのだろう。
それは、夫自身が自分の勝ちを揺るぎ無いものと思っていることに他ならない。
素人の女と格闘技経験者の男。普通に考えれば、勝敗は火を見るより明らか。

しかし、私には一つの勝算とも言うべき、『予感』めいたモノがあった。
いや、今気付いたと言っても良いかもしれない。


程なくして、食卓に対面に位置取る形で座った。ここに食事が並んでいれば、何時もの食卓の風景だっただろう。
だが、本来なら食事が置かれるべきスペースには何も無い。あるのは、組まれたお互いの右腕だけ。

「長旅で疲れて帰って来て、更に風呂に入れて完全に緩み切った俺になら、勝てると思ったのなら甘いよ」
言われてみれば確かにそうだった。条件的にはこちらがかなり有利。

「だけど、まあ安心して良いよ。どうせ勝つのは俺だし。そのぐらいは丁度良いハンデだよ。
 キッチリ勝って、これで心置きなく小遣いアップだ」
ふぅ、と私は心の中で胸を撫で下ろした。

腕を組み合った時点で何かに勘付かれて勝負を御破算にされかねないと思ったからだ。
だけど、それも杞憂に終わった。後はもう、勝負するだけ。

「いつでも始めて良いよ」
夫は余裕からか、そう言った。

「・・・ん、と。じゃあ、レディ・・・ゴー!」
私は掛け声と共に力一杯、右腕を倒した。

ゴンッ!!

「痛っ!」
一瞬だった。次の瞬間には、夫の右手は固い、頑丈な食卓に叩き付けられていた。

「私の勝ち・・・よね?」
「い、いや! い、今のは無しだ! ちょっと、気を抜いてただけだ!」
余りにも呆気なく勝負が決まってしまったからか、夫は納得出来ないようだった。

「じゃあ、今のは無しで良いわ。これでさっきの体重計の分はチャラね。
 これで、1対1。次はもう恨みっこなし・・・よ?」
「あ、ああ。良いぜ」
夫は入念に右腕を解している。今度こそ本気だろう。

「じゃあ、今度はあなたが掛け声を掛けて」
「あ、ああ」
そう言って、私は身構えた。後腐れないよう、最初の何秒かは『受け』に回ろうと思ったからだ。

実は、一度目の勝負で『予感』めいたモノは、既に『確信』に変わっていた。だからこその『余裕』。

「レディ、ゴー!」
掛け声と共に夫のフンッ、という力む声が聞こえた。

夫は多分、目一杯に渾身の力を腕に篭めて、私の右腕を倒そうと躍起になっている。
目を瞑り、こめかみに青筋が浮かび上がりそうなぐらい、必死の表情。

「ぐ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬ・・・」
「・・・・・・・・」
一方の私は、それを涼やかな表情で冷静に見ていた。
二人の腕は開始位置から微動だにしていない。

"これ"が、本当の効果だったのだ。

健康食品を使い始めて1ヶ月ぐらいして、身体の変化がアリアリと出るようになった頃。
その効果に、私は違和感を持っていた。

何故なら、ダイエットならここで終わりと言われてもおかしくないぐらい、効果が出るのが早かったのだ。
豊満なバストや、ヒップはそのままで、それ以外の無駄な脂肪。
その殆どが、1ヶ月という短期間で落ちてしまったのだ。
残り1ヶ月。もし、この現れた効果がまだ"途中"だったとしたら?

私はそこで、何度もマニュアルを読み返してみた。
"そこ"には本来、書かれているべき『言葉』は何処にも書かれていなかった。
チラシや、トレーニング方法などが書かれた何十ページにも及ぶマニュアル。
その何処にも、『ダイエット』という言葉は一切、書かれていないのだ。

しかし、私は別段、クレームの電話を入れたりするようなことはしなかった。
別に泣き寝入りしたわけではない。『男を見返す』という言葉、そこにある種の期待を感じたからだ。


専業主婦。

外で生活費を稼ぐ夫は主人であり、立場は女の私よりも上。それが当たり前になっていた。
勿論、夫婦生活に不満は無い。亭主関白というわけではないので、暴力を振るわれるということもない。
でも、だからこそ、何か一つ、夫よりも上回る部分が欲しかった。誇れる部分が欲しかったのだ。

期待通り、いや、期待以上の効果が今、目の前に現れている。
格闘技経験者であり、体格で勝る夫の渾身の力を今、余裕の力加減で抑え込んでいる私。
何処からともなく湧いて来る、えもしれぬ高揚感。何だか、私はどんどんと楽しくなって来た。

だって、2ヶ月前だったら瞬殺されていてもおかしくない腕相撲勝負を今、支配しているのは私なのだ。
今思えば、夫が引き摺って来たトランクを軽々と持てた時点で、結果は明らかだったのかもしれない。

「ぬぅ〜〜〜ん! ・・・・・はぁはぁ、はぁ」
私が自分の世界に入っていた間、夫はずっと力を入れ続けていたらしく、いつしか肩で息をしていた。

「・・・なぁ。いつの間にこんなに"重く"なったんだ?」
「・・・"重い"、ですって!? いくらあなたでも、その台詞は聞き捨てならないわ」

「だって、さ。何でこんなに重いんだろうと思ったら、良く見るとあっちこっち脂肪付き捲ってるじゃないか」
「・・・ちょっと! 私の何処に脂肪が付いてるっていうのよ!?」

「そりゃ、見たまんまだろう? そのセーター、二の腕とか、肩とか、背中とか、モコモコじゃないか。
 しかもそれ、良く見たら俺のじゃないか。太ってなきゃ、俺のサイズでそんなモコモコしないだろ」
確かに私は、一回り大きいサイズの夫のセーターを着ていた。

でもそれは、自分の服だと体型を隠せないからだ。
端から一目瞭然では、夫を驚かせるという当初の目的が果たせない。

「思い切り、驚かせてあげるんだから!」
この夫の不用意な一言が私に火を点けた。

先ずは準備段階だと言わんばかり、私は夫の右腕を倒して行く。
さっきとは違い、ゆっくり、ゆっくりと力の違いを見せ付けるように、時間を掛けて倒して行く。

「え? ・・・う、そ、ぐ、がぁ・・・あぁぁっ!?」
夫は呻き声のようなものを上げ、必死に抵抗するが、徐々に倒れて行く右腕を一瞬たりとも止めることが出来ない。

「・・・く、くそっ!」
何と、夫は恥も外聞もかなぐり捨て、空いた左手を私の手の上から自分の右手に添えた。

女の私が右腕一本、男の夫が両腕で腕相撲という勝負になった。
丁度、45度ぐらいの角度で両者の腕が止まる。

「何て"重さ"だ! 両腕でやっとなのか」
「あ〜! また、"重い"って言った!?」

実は、力が均衡したから止まったわけではない。敢えて、私はワザと止めた。
夫が、左手まで持ち出して来たから、面白くなって来てちょっと悪戯心に勝負を盛り上げようと思ったのだ。

「ねぇ、あなた」
「・・・何だ? 両手を使っちゃダメなんて言ってないぞ」
夫は、この期に及んで見苦しい言い訳をしている。

普段は格好良い夫だと思うけど、この時ばかりは幻滅しそうになった。
この際だから、これからの夫婦生活でのお互いの立ち位置を示しておくのも悪くないかもしれない。

「元柔道家なんだから、受身ぐらい取れるわよね?」
「え?」
夫は今、私の右腕を全体重を掛けて押し返そうと必死になっている。
逆に言えば、私の遣りよう一つで、夫の体勢はどうとでもなるということなのだ。

ぐい、と私は一度、組み合った右手を開始位置、つまり食卓に対して直角にまで引き戻した。
夫は、自分の力が勝ったと勘違いしたのか、ここぞとばかりに更に私の右腕に体重を預けて来る。

しかし。

「それ♪」
「え、え、え」

バゴンッ!!

夫の両手が食卓に叩き付けられる衝撃音と同時に、勢い余って夫の身体は一回転して床に叩き付けられた。

「うぐぁ!!」
夫は、床に転がされて呻き声を上げている。

全体重を私に預けていたんだから、当然の結果だ。

「・・・い、痛て・・・て」
「どう? これで文句無いわよね?」
床にへたり込む夫に私は歩み寄って勝ち名乗りを上げた。

「た、体重の重さで勝っただけじゃないか!」
さすがに、この台詞には私もカチンと来た。

「まだわからないのなら、良いわ! 見せてあげるから、ちゃんとその目で見なさい!」
そう言って、私は徐にセーターを脱いだ。

「・・・げ!? 凄・・・」
夫は口を開けながら唖然としていた。

それも無理はないだろう。セーターの下にあったのは、ブラを付けただけの私の素肌、肢体。
セーターを着膨れさせていたのは、中に着込んだ服でも、まして脂肪などでは決して無かった。

体格で勝る夫が全体重を掛けてもビクともしなかった理由は最早、一目瞭然だった。


無駄な脂肪が落ちシャープになった前腕。肘に行くに連れて太くなって行く腕は上腕でピークを迎える。
伸ばした状態でさえ、ハッキリとわかるぐらい盛り上がった塊のような力瘤。
そこから肩、僧帽筋と筋肉の隆起による山脈が続く。

それでいて元々、大きかったバストは然程その大きさを失わず、
大胸筋の土台で以前よりも更に前にドンと突き出し、その迫力を増していた。
キュッと括れたウェストには、綺麗に六分割された腹筋が深い溝を作っている。

「バストは少し小さくなっちゃったけど、それでもこれだけ脂肪が落ちて筋肉が付いたのに
 この大きさを保っているのは我ながら凄いと思うわ。
 その代わり、持ってる服が着れなくなっちゃったけど・・・ブラもゴムで継ぎ目を繋いで何とか着けてる状態だし」
実際、服は夫のをこうやって借りて何とか着ていたけど、さすがにブラだけはどうしようもなかったのだ。

「・・・でも、ビックリしたでしょ?」
「ビックリなんてレベルじゃない! 何だよ、その身体!?」

「あら、失礼な言い方ね。綺麗だと思わない?」
女の感性で見ても、私は自分の身体を綺麗だと思った。

ボディビルダーのようなゴツゴツしたのとは違う、艶かしい女性的なボディラインを残したシャープな筋肉美。
本来、必要な脂肪まで落としてしまうボディビルや、"細さ"のみに注視した無理なダイエットとは違う。
削るべきところは削り、残すところは残した、高次元でバランスの取れたハイブリッドボディ。

「ダ、ダイエットしてたんじゃなかったのかよ!」
「私も最初はそのつもりだったの。でも、私がやってたのは実は違った。ダイエットなんかじゃ無かったの。
 上手く言葉では言い表せないけど、巷で流行ってるダイエットなんかとは比べ物にならないのは確かよ」
私は夫の前で、いろいろなポーズを取ってみる。

「・・・悔しいんだったら、腕相撲で勝ってみれば?」
右腕を曲げてみた。
力を入れずにただ曲げただけの上腕。にも関わらず、上腕の塊がモコッと更に大きく盛り上がる。

「・・・う」
見たこともないような大きな力瘤に、夫はたじろぐ。

今まで、私に遠慮があったのかもしれない。男である夫に、女である妻の私は勝てない、そんな思い込み。
でも、たった2ヶ月鍛えただけで、私は夫の力を上回ってしまった。
絶対的な存在だと思っていた夫は今、床にへたり込んでいる。

夫を見初めた私の目は間違っていなかったとは思うけれど・・・・・ちょっと、情けないかも。

「取り敢えず、お小遣いは半分ね」
「えぇっ!? ちょ、待っ・・・」

「勝ったら、負けた方が何でも言う事を聞く約束よ」
「・・・で、でも」

「嫌なら、何度でも受けて立つわよ。床に寝そべって全体重を掛ければ、少しは良い勝負になるんじゃないかしら?」
「・・・わ、わかった。やってやろうじゃないか」
さすがにここまで馬鹿にされるのは、夫も我慢ならなかったらしい。夫は覚悟を決め、床に腰を下ろした。

腕だけの勝負ならまだしも、夫が全体重を掛けて来るつもりなら、
最初から床でやった方が、食卓でやるよりは多少なりとも良い勝負になるだろう。

私も夫と向かい合う位置で寝そべり、夫に向けて右腕を立てた。
力の加減に関係なく、私の腕は曲げるだけでその上腕には塊のような力瘤が盛り上がる。
それを目の当たりにした夫からは、緊張のせいかゴクッと生唾を飲み込んだ音が聴こえた。

「・・・どんな格好で勝負しても構わないよな?」
「・・・? ええ、良いわよ?」
両手を使う以外にまだ何かあるのかと思ったら何と、夫は驚くべき行動に出た。

腕を立て、差し出した私の右手を取らず、夫は何と私の右側に移動したのだ。
そして私の右側に座り、私の右手を自分の両手で抱え込むようにして握った。
それはまるで、戦闘機パイロットが操縦席で操縦桿を握っているかのようだった。
勿論、それはそんな格好の良いモノでは決して無い。
そもそも、お互いが直角になるように座ってやる腕相撲なんて聞いたことが無い。

「・・・呆れて何も言えないわ。まあ、良いけど」
「う、うるさい! これで勝ったら今度こそ、小遣いアップだ!」
夫はそう息巻いた。

夫はさっき、小遣いが半額にされたことを無かったことにするらしい。折角、お情けで半額に留めてあげたのに・・・。

「良いわよ。その代わり、負けたら今度は小遣い全面カットだからね」
「っ!? ・・・く、くそ! 俺が勝てば良いだけだろ! 行くぞ!」
それが開始の合図だったのか、夫が両手に力を篭め始めた。

「ぬ、ぐ、あ、あ、が、あ・・・!」
全体重、全身全霊を掛け、私の右腕を引き倒そうと憤怒の形相で必死になっている。

「〜〜〜♪」
しかし、私はそれを鼻歌混じりで持ち堪えた。いや、耐えるというほど大袈裟ではなく、ただそうしている、そんな感じ。

まるで、腕拉ぎ十字固めに移行しようと必死な総合格闘家のような体勢の夫。
片や、寝そべって物思いに耽っているかのようなリラックスした状態の私。

力を意識して入れていなくても、私の腕の筋力は夫を支えるには充分だった。
渾身の力の夫と、弛緩した私の筋力が釣り合っているというのは何とも言えない快感だった。

「あ〜、気持ち良い♪」
あ、ヤバ。つい、声に出ちゃったけど、まあ良いか。現に、必死な夫は私の呟きなんて聴いちゃいない。

勝負を付けるだけなら一瞬で行けるけど、それだと面白くないし、ただ耐えてるだけなのも退屈だった。
そこで私はちょっと押し負けてみた。

「・・・ぐ、お?」
一瞬、夫の顔が輝く。しかし、直ぐに元の開始位置まで戻す。

「・・・ぐ、が、が!」
垣間見えた光明に縋るように、夫は一層、必死になる。

筋力トレーニングしてみてわかったことだが、トレーニングは高重量による高負荷よりも
程良い重量を何度も反復させて負荷を掛ける方が良い、ということだった。
今の状況はそれに合致していた。

開始位置から45度、ワザと倒され、そこから逆に(夫から見て)135度の位置にまで持って行く。
夫からすれば、勝ち掛け、負け掛けの間を行ったり来たりで良い勝負だと思わされてるはずだし、
私からすれば、"生きたウェイト"で楽しんでトレーニングが出来る。正に、一石二鳥だ。
いや、これで力の差を見せ付ければ一石三鳥か。

しかし、10分ぐらい経過した頃だろうか。さすがに夫が疲れを見せ始めた。
所々で夫の腕の力が抜けるので、危うく勝ってしまいそうになる。
いや、まあ元々、勝つつもりなんだからそれはそれで別に良いんだけれど・・・。

風呂上がりなのに汗を掻いて息を切らせている夫を見て、何だか可哀相な気分になって来た。
一方の私も、反復運動のせいか上腕に血が巡り、そのせいで体温が上がり徐々に汗ばんで来た。
心なしか、さっきよりも力瘤が二回りは大きくなっているような気がする。
夫もそれに気付いたのか、それとも状況がおかしいことに気付いたのか、怪訝な表情を浮かべている。

「・・・なぁ」
ついに、夫は手を止めてしまった。

「・・・え? 何?」
私は慌てて、惚けて見せたがどうやら遅かった。

「もしかして、最初から手を抜いてた?」
「・・・えーと、あ、あはは」
もうこうなっては、笑って誤魔化すしかない。

元々、遣り込めるつもりだったのだから強気で良いんだけど、何だか興が冷めてしまったのだ。

「俺の負けだよ。さっきは、『重い』とか『そんな身体』とか言ってすまなかった」
夫は負けを認めたのか、潔く頭を下げた。本来はこんな感じで、素直で良い人なのだ。

「わ、わかれば良いのよ」
私もヒートアップしていた手前、照れもあってか勝者なのについ、顔を逸らしてしまう。

「・・・でも、随分と物分かりが良いのね」
「さすがに、これだけ全力でやってダメなら、ね。それに、その力瘤・・・」
夫は、私の上腕をまじまじと見た。

「目の錯覚かもしれないけど、勝負が長引いた分だけ力瘤が大きくなってた気がするんだ。
 それ見てさ、もしかして勝負とは名ばかりの呈の良いトレーニングになってるんじゃないか、って思って」
・・・う、鋭い。まあ、さすがにバレバレか。

「ごめんなさい・・・って、何で勝った私が謝ってるのかしら。でも、勝負は勝負よ」
「ああ、わかってる。取り敢えず、今月の小遣いはカットで良いよ」

「・・・取り敢えず?」
「勝負は、何度でも受けて立つんだよね? また、機を見てリベンジだ」
そういった夫の顔は爽やかだった。さっきまでの険悪な雰囲気はもう無い。

さすが体育会系。こういったところはサッパリしていて切り替えが早い。
私としてもそれは望むところだった。

「ええ、いつでも受けて立つわよ♪」
私も、それに笑顔と"力瘤"で答えた。

「・・・は、はは。こ、今度は、勝て・・・・・ると良いなぁ」
夫は"それ"を見て、青褪めながらそう呟いた。

そういえば、夫が帰って来てから、夫の目の前では初めてだったかも・・・。


・・・パンプアップした状態での、全力の力瘤を作って見せたのは。

それから私たちの間では、腕相撲が定期的な夫婦のスキンシップの項目の一つに増えたのだった。


おわり





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