屈辱の柔道部室


一郎は柔道場の畳の上で目を覚ました。仰向けに大の字に寝転がり、ぼーっと天井を見つめている自分。いつものように、何度も何度も投げ飛ばされ、最後に締め落とされた事を思い出す。
一郎がこの高校の柔道部に入部してから、既に1年と半年が経過していた。
ひ弱な自分を鍛えたい。強くなりたい。そう思い高校入学と同時に柔道を始めた。
毎日、必至に練習した。頑張った。それは自分が一番よく知っている。
「だけど、、、、」自分の不甲斐なさに一郎は泣きそうになる。
この一年半の間、勝てたことは一度も無かった。

そう、彼女達に。

すぐ横で、3人の女子柔道部員たちがはしゃいでいる。
「ねえ、美紀、最近かなり腕力ついたんじゃない?組み合ったときかなり押され気味だったよ、私。」
「あ、わかる?このごろかなり筋肉ついてきたんだ、ほら。」
「あ、すごいじゃん。」
女子柔道部員の美紀が腕をまくる。別に細くも無く、太くも無い腕だ。
だが、ぐっと腕を曲げるとゴムボールのようなくっきりとした力コブが二の腕に浮き出た。
一郎は仰向けのまま、その光景を眺めていた。そのまま、美紀はぐりぐりと腕を動かす。
腕を少しだけ曲げて、少しだけ伸ばす。
そのたびに、美紀の腕に不自然にくっついている筋肉の塊がまるで生き物のように動いた。
「私はそんなにないんだよね、、腕の筋肉は。」
そういって、話を振っていた女子柔道部員の明美が同じように腕をまくり、ぐっと腕を曲げる。
たしかに美紀には及ばないが、それでも充分なほど確かな存在感を持つ力コブが浮き出る。
まるでレモンが二の腕にくっついてるようだった。
一郎は横目でそれを見て、自分の貧弱な体と比べ、とても悲しくなった。
そもそも、彼女達に勝てるわけが無い。
体を見れば一目瞭然だ。筋力も、瞬発力も、持久力も。全てにおいて、一郎は彼女達に劣っていた。
もちろん、あの娘にも、、、

「でも、美紀だって、涼子にはかなわないよね、、、」
「そりゃそうだって、、涼子は別格だよ。というか、卑怯。」
二人の女子柔道部員は、一斉に残る一人の女子柔道部員を見た。
隣に座っているツインテールの少女を。
「え〜。卑怯って、美紀先輩ひどい〜。」
ツインテールの少女が不満げな顔をする。
「だって、、ねえ、、あんたの腕力は反則だって。」
「ねえ、ちょっと見せてみてよ。涼子の力コブ。」
美紀が、ツインテールの少女を、涼子をせかす。
一郎も薄目で、ぼんやりと見つめた。毎日のように、自分を何度も投げ飛ばし笑顔で締め落とすその娘を。

無言で、涼子は袖をまくる。すっと腕を伸ばす。
別に筋肉ムキムキの腕でも、血管がそこらじゅうにほとばしっている訳でもない。
それは美紀や明美と同じ、普通の少女の腕にしか見えなかった。だが。
「えい。」
涼子が腕を曲げる。ぶりん。と。
腕が脈動する。二の腕の部分が不自然に隆起し、この幼げな少女の腕にあまりにも不釣合いな、
巨大な力コブが出現した。
「うっわ、、、、、すっごい」
「うひゃ〜。こりゃ強いわけだ、、、さっきも一郎君を片手で持ち上げてたものね、、、」
美紀も明美も、感嘆の溜息を漏らす。
「一郎先輩が軽いだけですよ。たいした事無いですよ。」
と、涼子が寝ている一郎の方を見る。眼が、合った。にやりと、涼子が笑った気がする。
一郎は慌てて目を閉じるが、遅かった。
「一郎先輩も、見せてくださいよ。」
涼子は一郎に近づき、腕を無理やりめくり上げた。

逃げられない。一郎は観念し、上半身をゆっくりと、憂鬱な気分で起こした。
「ほら、一郎先輩。腕、曲げてみてください。こうやって。」
涼子はしゃがみ、自分の腕の筋肉を一郎の目の前でわざとらしく誇示する。
「男の意地、見せてくださいよ先輩。いつも後輩の私に投げ飛ばされて、締め落とされて、くやしくないんですか?」
しぶしぶと、ゆっくりと、一郎は腕を伸ばし、そして曲げた。
力をぐっと込める。力いっぱい込める。
だが、もともと貧弱な一郎の腕は、わずかに二の腕の部分に膨らみを持たせただけだった。
力コブと言えるほどのものでもない。
「先輩、それで力入れてるんですか?二の腕、ぜんぜん盛り上がってないんですけど。」
涼子からの嘲りの声に、ぐっと、顔が紅潮するぐらい力を込める。が、無駄だった。
ここ近年、男性の肉体的な能力は前世紀に比べ大幅に下降していると言われている。
それに比べ、女性の肉体的能力は飛躍的に増大しているとも言われる。
これを学者たちの一方的な推論だと一笑に伏す者も多いが、
事実、この高校のように女子生徒達が中心となり、かつ
女子のほうが男子より強い運動部は、日本全国で確実に増えていた。
「、、、、一郎君、ほんとにそれ、」
美紀が言葉を失う。
「、、、、、全然力コブになってないよ、、それ、、、」
明美も唖然とした。屈辱だった。
一郎は、"女子より腕力が劣っている"という明確な証拠を、眼前で叩きつけられているのだ。
「先輩、、、ほんとに貧弱ですね。ここまでひ弱だと思いませんでした。」
涼子がぐっと、一郎の二の腕を掴む。
「これっぽっちの筋肉しかないんだ、、、、うわ〜、、、」
涼子がまるで汚物を見るかのような視線を一郎に向けた。

「私の、触ってみます?」一郎の手を掴み、涼子は自分の力コブを触らせた。
「どうですか?これが、先輩と私の力の差そのものなんです。」
涼子は一郎の顔を見た。余裕の笑みを浮かべて。
「先輩が私に勝てないのも無理の無い話ですよね。そう思いませんか?」
涼子はわざと、わずかに腕を上下に、左右に振る。
一郎が掴んでいる涼子の腕の筋肉がその度に脈動する。巨大な球体が揺れ動く。
それは、一郎にはまるで縁の無い世界の出来事だった。
「いくら柔道の理念が柔よく剛を制すだと言っても、、、、
ここまで圧倒的なパワーの差があるんじゃ、そんなもん関係ないですよね。」
更に、涼子はぴっったりと、自分の体を一郎に重ね合わせた。
腕と腕。体と体。脚と脚。
顔と顔が触れそうな距離。
「ちょ、、ちょっと、、涼子、、、」
美紀が驚く。
「一郎先輩、、ほら、感じません?」
美紀の驚きの声を無視し、涼子は一郎に語りかける。吐息がかかるほど近くで。
びくりと一郎が体を震わす。突然の出来事に、パニック寸前だ。
一郎は男子にしては背が低めなため、涼子と背は同じくらいだ。胸には二つの柔らかい感触が。
鼻に涼子の生暖かい吐息を感じる。が、それ以上に感じるのは。涼子の、鍛え抜かれた肉体だった。
腕も、脚も、体も。一郎とはまるで違う。
極限まで鍛え抜かれ、圧縮された全身の筋肉が、見た目には普通に見えるその肢体に、
はちきれそうなほどぎゅうぎゅうに詰まっている。自分のひ弱な体とは比較にならない。
密着したまま、涼子は一郎の手を取り、さっきと同じように腕を曲げた。今度は両手だ。
両腕に巨大な球体が隆起する。
「こうすると、よくわかりますよね。一郎先輩と、私の腕の筋肉がどれほど違うのか。」
一郎もはっきりとわかっていた。密着した腕と腕。だが、まるでそれは別物だった。
逞しく、強靭な涼子の二の腕と、ひ弱で、今にも折れてしまいそうな一郎の腕。情けない。
おそらく、涼子はその気になれば自分を、赤子の手をひねるようにねじ伏せる事ができるのだろう。
あまりの肉体の差に、あまりにもかけ離れた自分と涼子との肉体に。
努力などでは到底埋める事の出来ない、圧倒的な肉体能力の差に。一郎はうなだれた。
悲しかった。涙がこぼれる。
「そんながっかりしました?」
涼子が、密着したまま一郎に声をかける。
「鍛えればいつか私にも勝てるんじゃないかって思ってたんでしょ?」涼子が笑う。
「人間、あきらめが肝心ですよ。」
そのまま、涼子は流れるような動作で一郎の懐に潜り込み、襟を掴む。
次の瞬間、一郎は背中から畳に叩きつけられた。涼子が背負い投げを決めたのだ。
さらに、一郎の首に涼子の腕がまとわりつく。裸締めだ。
「おやすみなさい、ひ弱な先輩。筋肉ムキムキになって、私に勝つ夢でも見てください。ふふふ。」
涼子の腕に力がこもる。一郎の視界が白く染まっていく。
泣きながら、鼻水とよだれを垂れ流して一郎は絶望の底へと落ちていった。





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