神の拳を持つ少女

熊本県下のとある繁華街。
そこである諜報機関に所属する職員達が一人の少女を捜していた。
何れの男も営業マンや工事の作業員、警備員に扮しさりげなくそこを通るブレザーに
キュロットスカートと言う制服姿の少女の顔を確認している。
そこへ身長百七十センチ程で少々肩幅が広い事を除けば長身に見合った見事なプロポーションを持ち、
前髪の一房を金色にそれ以外の部分を茶色く脱色した不良風の少女が通りかかる。
キリッと引き締まった凛々しさと気の強そうな表情が印象的で、
その手にライダーグローブを嵌めた少女を認めた一人の男が回りの男達へ目で合図を送る。
営業マン姿の男は訪問先が少女の向かう方向と同じであるかの様に装い後を追い始め
作業員等に扮した男達は休憩を装いダミー会社の社用車で待機する。
やがて営業マン姿の男が携帯電話を取り出し、得意先へ電話をするかの様に仲間達へと連絡を入れると
少女の通った道から逸れた。
そこへ警備会社の車が通りかかる。
その運転席と助手席には先程、車に乗り込んだ男達が居た。
そうして男達は交代で少女を尾行し、少女が人気のない森林公園へと入ったところで再び集結した。

少女は公園の広場に入るとそこにあった自動販売機で缶コーヒーを買うとゆっくりと飲み干した。
そこへ十数人の男達が姿を現す。
「人前じゃ出来ない話をするには良いところだろ?」
少女はその男達へとそう告げると不敵な笑みを浮かべた。
「さすがは田代香織さん。気付いておられましたか…私は佐伯と申しまして、ある
方から貴女をお連れする様に言われておりまして…同行して貰えないでしょうか?」
佐伯と名乗った営業マン姿の男は香織に対しそう応える。
「もし、嫌だと言ったら?」
佐伯の言葉に香織は鼻で笑うとそう返した。
「では、力ずくでも従っていただきますよ」
佐伯はそう言うと手を挙げた。
それを合図に佐伯の部下達が前へと出る。
そんな男達へ向かい香織は走り始めた。

佐伯の男達の間を香織は走り抜ける。
香織は男達とすれ違う度に神速の拳を繰り出した。
次々と倒れていく男達。
腹部を押さえ血の混じった胃液を吐出した者、鼻を潰され顔の下半分を赤く染めた者、
折れた歯を口の端から流れる血溜りに埋没させていく者、気を失っている者、
辛うじて意識はあるが身体の自由が利かない者、その姿は様々だが何れも香織の拳の前に一撃で戦闘不能に陥っていた。
そんな香織にただ一人残された佐伯が問いかける。
「成程、それが神の拳の所以ですか?」
香織はその言葉に初めて構えを取った。
「こんなもん、まだまだ序の口だぜ」
そう言うと佐伯へと向かい再び走り始める。
そんな香織に対し佐伯は拳を振るう。
しかし、その先に香織の姿はなかった。
拳を振り抜いたままの姿の佐伯の顎から脳天へと衝撃が走る。
それは佐伯の拳を屈んでかわし、伸び上がる勢いを利用した香織のアッパーが彼の顎を捉えた証だった。

仰け反った佐伯に対し香織は左右の拳を次々と打ち込んでいく。
それらは全て佐伯の腰から上、全ての急所をことごとく穿っていた。
香織の拳の乱舞の前に異様な舞踏を舞う佐伯。
その顎をもう一度、香織は渾身の力で打ち上げる。
佐伯の身体は軽々と吹き飛び土煙を上げ地面へと叩き付けられた。
だが、佐伯は何事もなかったかの様に起き上がると構えを取る。
着衣が乱れ、所々に綻びが生じているがその身体には傷ついた形跡は見られない。
「その格闘能力、流石です。整備員として五一二一小隊へと配備されたにも関わらず
人型戦車のパイロットに抜擢されただけの事はありますね。
あれは単に操縦技術が優れているだけではその性能の全てを発揮できませんからね」
佐伯は無表情にそう言うと香織へと飛びかかった。
次々と香織へ向かい佐伯は突きと蹴りを繰り出す。
「お前、強化人間だな」
佐伯が矢継ぎ早に繰り出す攻撃をかわしながら香織はそう言う。
「ええ、その通りです。貴女は、数多くの幻獣を滅ぼし絢爛舞踏を送られた決戦存在です。
その貴女を強制的に連行する事になるのなら彼らの様な少々、腕の立つ者では役不足である事は予想できましたからね」
佐伯はそう語りながらも攻撃の手を緩める事はなかった。
意識を保っていた佐伯の部下で何とか動ける程度には回復した者は、
自分が留まっている次元と遥かに違う攻防に手出しも出来ず傍観している。

突然、香織は佐伯の攻撃を回避するのを止めた。
そこへ佐伯の突きが襲いかかる。
だが、香織はその拳を掌で無造作に受け止め、佐伯の腕をねじり上げた。
佐伯が綺麗な円を描き投げ飛ばされる。
「全く、これだから人型戦車のパイロットは恐ろしい。まるで息でもする様にこう
言った事をやってのける。しかし、私には効きませんよ」
再び地面に叩き付けられた佐伯は先程と同じ様に立ち上がった。
「そろそろ、マジで行かせて貰うぜ」
香織が宣言すると拳を覆っていたグローブの隙間から青い光が漏れ始めた。
「今から見せてやるよ…お前が言う神の拳って奴を」
香織は宣言すると同時に佐伯との間合いを一気に詰めた。
一撃で幻獣を葬る拳を瞬く間に数十発と繰り出す香織。
香織の拳は佐伯の身体の至る所へ吸い込まれていく。
その度に佐伯の骨が砕け、彼の身体を内側から爆ぜる様な衝撃が襲い、強化人間独特の白い血を撒散らした。

香織がその手を止めると佐伯は派手に吹き飛ばされ立木に激突し地面へと落ちる。
だが、香織は油断無く佐伯に対し構えを取っていた。
損傷が激しく例え強化人間といえども満足に動ける状態ではない佐伯。
しかし、それでも身体の至る所から血を流しながら立ち上がる。
「素晴らしい…この力…是が非でも…持ち帰らなければ…なりません」
喉を濡らす血に噎せ返りながら佐伯はそう言うと任務を果たすと言う妄執に突き動かされ香織に向かっていった。
「だったら、好きなだけくれてやる」
香織は聞いた者が凍り付くような口調で告げると、輝く右の拳で佐伯の鳩尾を力の限り突き上げた。
佐伯は身体を折り曲げ泳ぐエビの様に吹き飛び、公園のシンボルである数百年の樹齢を持つ大樹へ激突する。
その衝撃で大量の呼気と夥しい量の血を口から吐き出した。
今の一撃で内臓に重い損傷が生じたことは想像に難くない。
佐伯は大樹に背を預けたまま崩れ落ちそうになる。
そこへいつの間にか佐伯との距離を縮めた香織が左の拳を彼の顎へ目掛け振り上げていた。

再び大量の血を吐き出す佐伯、その顎は完全に変形し誰が見ても砕かれている事が容易に理解出来た。
だが、香織はまだ止まらない。
青く輝く拳で佐伯の急所を的確に打ち抜く。
その度に佐伯は血を口から迸らせ、その肉体が破壊された事を告げた。
遂に香織の止めと言わんばかり放った右ストレートが佐伯の顔へと文字通り埋没する。
佐伯の身体が一瞬、強張り直ぐに弛緩する。
香織が佐伯の顔に埋没した拳を引き抜くと彼は完全に崩れ落ち、大樹が倒れる轟音が響く。
香織と佐伯の超人的な攻防を傍観していた彼の部下はその惨状と香織が放つ圧倒的な存在感に怯えている。
「お前ら…帰ったらアタマに伝えとけ。俺はお前の言いなりにはならねぇってな。それから、
俺を脅すつもりで仲間に手を出たらお前等を一人残らずぶっ殺す」
香織は佐伯の部下の一人に歩み寄るとその胸倉を掴み軽々と引き寄せ、目をのぞき込みながら冷たく宣言する。
一見、不良少女が一人の男を脅しているかの様な光景。
しかし、実態は史上最強の決戦存在からの宣戦布告だった。
胸倉を掴まれた男は滑稽な程、過剰に頷くと香織は彼を突き飛ばす。
突き飛ばされた男は震える声で他の意識のある者に引き上げるように指示を飛ばした。
彼らは未だに身を苛む痛みに耐え、爆発に巻き込まれた様な姿の上官や未だ意識の戻らない同僚を回収しその場を立ち去った。


おわり





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