きんとれ!

 グイッ、グイッ…
(そんな程度で、今まで自信満々で見せつけようとしてたのか…)
 彼女は彼らに直接口では伝えなかったものの、その視線と行動から、蔑んでいるのは明らかだった。
「あ…ぁぁぁ……」
 そんな態度の彼女に対し男たちは、何も言い返すことさえできずただへたり込んで小さくなりながら、
彼女の腕で上下している2つのウェイトを見つめ続けるだけだった。
彼らがそれぞれ両腕での全力で、やっと頭上に差し上げることのできるバーベル。
それが彼女の片手に1つずつ握られ、反復して交互に持ち上げられては下ろされている。
…もし彼らが彼女を初めて見つけたときに抱いた下心をそのまますぐ実行に移していたら、どんな目に遭わされていたか…
安堵、恐怖、屈辱…様々な感情の入り混じった混乱に、男3人は全く立ち上がれない。
(…私より、ひ弱なくせに)

 そもそも、なぜ彼女はここまでのパワーを得るまでになったのか。話は遡る。

――――――――――

 音楽に出会い、新たな仲間や楽しみを得た秋山澪はその反面、新たな悩みも抱えることとなった。
肩凝りだ。
ベースという楽器がこんなに重量があり、長い時間持っているとここまで疲労が溜まるということは、
それまで音楽(演奏するほう)に触れることのなかった彼女には想像も及ばないことだった。
元々スポーツやトレーニングに全く縁のない文学少女だった澪だから、その負担はなおさらだ。
後になって聞いた話によれば、プロのミュージシャンでも重い楽器を抱えての演奏、またその過密スケジュールにより
体を壊して表舞台から去ってしまう人も少なくないと…
演奏を終えてベースを下ろした後も、ストラップの食い込み続けた肩や首筋の疲労はなかなか抜けてくれない。
軽音楽部の活動自体は楽しいことだが、これだけは耐えかねるものだった。

 ある日、学校帰りにふと立ち寄った書店で澪は偶然いいものを発見する。
『体のコリをほぐし軽快にする健康エクササイズ』
 どちらかと言えば熟年向け健康雑誌の記事であり、およそ女子高生の手に取るような書物ではなかったが
肩こりの悩みが本格化していた澪には、すがりつくようなものだった。
それを買って帰宅後、早速実行に移してみた。
それはいわゆるスロトレと呼ばれるもので、軽いストレッチなどをスローモーションで時間をかけて行うことにより
表面ではなく内側から体の強化を目指すものだった。
…それまでスポーツの経験がなかった澪には確かにきつかった。やっている最中にも何度もバランスを崩したし、
次の朝から数日間は筋肉痛もプラスされた。
痛かったが…それでも我慢してその後も続行した。継続すれば必ずいい結果が出ると信じ、励み続けた。
そして効果は出始めた。トレーニングによる筋肉痛は消え失せ、ノルマをこなしての疲労は日に日に感じられなくなってきた。

 自信を深めた澪は、買った雑誌のメニューを卒業する形で自己流のトレーニングを開拓していった。
腕立てで言えば回数を増やし、より負荷を感じる手の位置に変え、やがて支える手は片手になり、さらには指3本へと…
この頃には既に、元々の悩みの種だった肩凝りは解消されていた。
いや澪自身が、このトレーニングを始めたきっかけがそれだったことを、すっかり忘れてしまっている。
もっと大きな負荷を求めて自らを追い込んでいく鍛錬そのものに、澪は楽しみを見出していたのだ。
みんなでの軽音楽部の活動ももちろん楽しいが、1人でストイックに打ち込むこのトレーニングも
彼女の暮らしにはなくてはならないものへと変わっていた。

「みっ…澪!!何だこれえっ!!」
 ある暖かい日の部活中、ついに幼馴染で部活仲間の律にそれを発見された。
練習中に暑くなり、ブレザーを脱ぎブラウスだけになったところでついにそれは第三者の目に触れることになった。
厚手のブレザーだったからこそ目立たなくて済んでいた肩幅の迫力、ブラウスの袖に余裕のない腕周りを
初めて自分以外の目に披露してしまったのだ。
自分自身は毎日これと向き合っているので、その少しずつの変化に気付かなかったのだが…
薄着になった澪をなかなか見る機会のなかったほかのメンバーたちには衝撃的な姿だった。
「すご〜い…」
「中に何が入ってるの?」
 唯も紬も楽器を放り出して、澪の豪腕を興味津々に見つめ、指で突付いて硬さに驚き、手で作った輪で腕周りを測ろうとする。
こんな筋肉の膨張ぶりは、同じ女子高の運動部にいる生徒でさえまず見かけないものだった。
「ちょっと…肩の具合が悪かったから…」
 周りのみんなの驚き方に逆に戸惑いながら澪は、言い訳みたいに理由を口にする。
それを言ってから、元々はそういう動機で始めたんだったと今更思い出す澪だった。
「え〜??肩凝りだからってこんなとこまで鍛えないだろ、普通〜」
 律は澪の腰に抱きつくようにして、ブラウスの上から指で澪のおなかをなぞる。
服の生地越しにも硬さが伝わる腹筋には、指の通り道を教えるかのように縦の深い溝が刻まれている。
同時に、回している自分の腕に伝わる背筋のゴツゴツとした触感にも律は未知の胸騒ぎを覚えていた。
体全体を鍛えたほうがバランスがいいと思った澪は、普段から胴、下半身にもエクササイズを重ねていたのだ。
「あの…そろそろ離れてくれないかな……」
 元々臆病で恥ずかしがりの澪。体育会系顔負けの体を持つようになったとしても、
こうしてみんなに見つめられたり、ベタベタくっつかれて観察されたりするのは苦手だった。

 …一度人目に触れたところで何かが吹っ切れたような澪はそのうち、自宅で自分の体だけ使うトレーニングに
満ち足りないものを感じるようになり、より大きな負荷を求めてジムを覗いてみることにした。
部活のためにみんなで楽器を買いに行った日以来の高揚感が、そこにはあった…

――――――――――

 そこで話は、今日に戻る。
今日も丁度良さそうな器具を物色していた澪のもとに、軽薄そうな男3人組がやってきた。
「君、スタイルいいね〜」
「君は初心者だろ?トレーニングでわからないことがあったら、相談に乗ろうか」
「俺たちは筋トレに関してはエキスパートだからさ」
 彼らのかけてきた声に反応して振り向いた澪は、
「キャッ」
 次の瞬間には目を背けていた。
無理もない。男と間近で向き合うこともほとんどなかった澪の前に現れた男たちは、全員ビキニパンツ一丁だったからだ。
ほとんど裸と変わらない男3人に取り囲まれるのは、恥ずかしがり屋の女子高生にはたまったものではない。
彼女のそんな反応に気を良くしたのか、調子に乗って男たちは包囲する距離を狭めてくる。
「へへへ、もっと近くで鑑賞してもいいんだぜ」
「どうよ、俺たちの自慢のボディ」
 筋トレのエキスパート…彼らはそう自称したが、正直なところそれはハッタリだった。
確かにボディビルをやっているのには間違いないが、本気で打ち込んでいる人間に比べれば彼らは半人前にも満たない。
美容目的でジムにやってくる、それほど筋肉に詳しくない女性を騙す程度のものだ。
少し見栄えのいい肉体で女を引っ掛けていい気になっている、適当な男たちだった。

「俺たちは別に取って食おうってわけじゃないんだし…ほら、こっちを…!」
 声をかけながら彼女の肩に手をかけた瞬間、その男の言葉と動きが停止した。
「おい、どうした?」
 仲間の男が呼びかけるまで、その男は固まったままだった。
手に伝わった、中身のぎっしり詰まった分厚い感触。
(ど、どういうことだ!?中に何か入れてるのか?)
 肌を露出しない、厚手で長袖のトレーニングウェアに身を包んでいる澪。だから外見ではわからなかったのだ。
声をかけたこの少女の、鍛えられ方が。

 この頃には彼らに肉体に対し目が慣れたのか、澪は彼らを直視できるようになっていた。
…いや、それは単に恥ずかしくなくなってきたからだけではない。大したことがないと思えたからでもあった。
風呂上りに鏡に映った自分の体と比べてみても。
(威張って、見せびらかすようなもの?それが)
 澪は男たちに直接は言わず無言のまま、近くにあったダンベルを手に取った。
…軽く。
「!!」
 男たちは目を疑った。そのダンベルは、自分たちがようやく持ち上げてカールできる重量のものだ。
それを、ラックから小物一つ取り出すように持ってくるなんて。
澪は開いた口がふさがらない男たちを尻目に、
「…これだと、少し軽いな」
 小声で独り言を呟くと、物足りなさそうに指先でクルリと回した。
暇を持て余した学生が、授業中にペンでも回すかのように。
「な…なに…!」
「ど、どうなってんだ…」
 男たちが全力でようやく扱える、いや正直に言えば最近はナンパにばかり重点を置いてトレーニングはサボリがちだから
扱えるのかどうかもわからないそのダンベルを、指で弄ぶ女。
そんな様子に驚いて、今さっきまでの調子のいい軽口が叩けなくなっている男たちを見た澪は
(まさか、この程度の重さでこんなこともできないで、自慢のボディとか言ってたんだ)
 それまでの人生で他人に対して向けたことのない、格下の相手を侮る視線を投げかけつつ、
数回転させたウェイトをまた軽く元のラックに戻すと…

(私は、恥ずかしくて隠してたのに!)
 こんな連中相手に恥ずかしがる必要もないと思ったのか、自分により一層の自信が持てたのか、
澪は意を決して厚いウェアを脱ぎ捨てて見せた。
「なっ……!!」
 男たちはもう言葉で驚くこともできなくなり、急に彼女の目の前で裸を晒していることを恥らい始めた。
幅広く横に張り上にも盛り上がった肩、抱き締められれば背中から二つ折りにされてしまいそうな上腕・下腕、
そして下手に触ろうものなら指を食いちぎられることさえ想像してしまう腹筋の深い溝。
タンクトップ一枚になった澪の呼吸に合わせて、それぞれが男たちを威嚇するように蠢いている。
首から上のおとなしげな美少女と同一人物とは到底思えない頑強、獰猛な筋肉の脈動。
こんな女の前で、自分たちはこんな貧相な肉体を自慢げに見せつけながら調子に乗った言動を繰り返していた…
あまりに格好悪すぎる…まるで脱がされた女の子のように、体を手で覆いながら逃げていこうとする惨めな男たち。

 だが澪は逃がしてくれなかった。すごすごと引き揚げようとする男3人の前に立ちはだかると
彼らの反応を楽しまんとばかりに、さらに重いウェイトを持ち出して持ち上げる様を見せ付けてやる。
さっき、あられもない格好で恥ずかしがらせてくれた男たちへの仕返しのように。
力の違いがはっきりわかったことで、少し意地悪な復讐をする余裕さえ生まれたのだった。
「トレーニングの仕方、教えてくれますか?」
 グイッ、ググッ。
 内気な少女を思わせる控えめな小声。しかし反面、その下では巨大な力瘤が盛り上がる。
本来両手で扱うバーベルが澪の手に2つ持たれ、ダンベル体操と勘違いしているかの如くハイペースで上げ下げされる。
「ひっ……!」
「ご、ごめんなさい……」
「許して、ください…」
 彼らは腰が抜け、もう自力で逃げ出すことさえできない。
もし彼女にその気になられたら、抵抗も逃走も無駄。全くなす術がないのだ…


おわり





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