勝手に「小さすぎる僕」3

学校の帰り、電車を降りて改札に向かっている時、急に後ろから首根っこを捕まれた。
「ウグゥッ」
「ねぇ、今帰り?」
見上げると、先日の朝、有香と呼ばれていた小学生の女の子が見下ろしていた。
「今日ヒマ?ちょっとウチ寄ってよ。勉強、判らない所があるの。」
「あ、あああ…」
言うが早いか、彼女は僕の腕をガシッと握って歩き出した。
「い、いたた…は、放してください…」
きつく握られている上に、彼女の歩幅で一緒に歩くと、情けない事に僕は小走りになってしまう。
せめて腕を放して欲しいと思った。
「どうしたの?痛いの?ゴメン。でも、なんか人混みの中で迷子になっちゃったら大変だから我慢してね。」
駅前のスーパーで何かセールが有るのか、ちょっと混み気味だったが、
さすがに「迷子」は無いだろうと思ったので、彼女の腕を振り解こうとした。
しかし僕の力では彼女の手から逃れる事は出来そうになかった。
20分位、彼女に引きずられる様な格好で歩いただろうか、彼女の家に着いた。
「ただいま〜」
「おじゃまします…ハァハァ…」
半分足が地に着かない様な格好で引きずられていたので、僕は息が切れて、心臓も大きく脈を打っていたが、
彼女を見ると汗一つかいていない様だった。彼女にとっては普通に歩いていても、
自分には大きな運動になってしまった事に、小学生の彼女との体格差に改めてショックを受けていた。
部屋に通されてベットに座った。
「今日はママが居ないの。ジュース持ってくるから、ちょっとまっててね。」
一人になっている間、彼女の部屋を見渡した。本棚に学習机、壁にはアイドルのポスターや時間割が貼ってある、
ごく普通の、小学生の女の子の部屋だった。何となく違和感を感じていたのは、
女の子の部屋を見慣れていないからだったからだろう。
「ゴメンねぇ、はい、これでも飲んで。」
ジュースを差し出し、彼女は僕の隣に並んで座った。
ジュースを飲みながら彼女を見た。澄ました顔でジュースを飲む彼女の顔は、
さっきまで僕を引きずっている時よりも近くにあって、意外と大きさは感じなかった。
そのまま視線を下に移した。短めのスカートから伸びた白くて長い足は、何か雑誌のグラビアを見ている様で、
隣に並ぶ僕の細くて小さな足と比べると、上半身以上に僕との大きさが際立ち、大人と子供といった感じで情けなくなってくる。
「えっ、えーと、勉強、何が判らないんです…か?」
僕はおずおずと尋ねた。
「うん。数学なんだけどね。机の上にあるんだ」
彼女の部屋だからという事もあるだろうけど、落ち着いた彼女と、上がりまくっている僕、
精神面でも圧倒されている様で益々落ち込んできた。それにしても小学生だろう。
数学ってなんだよ、と思いながら机の上を見ると、中学2年生用の教科書と問題集が置いてあった。
「え?数学?」
「うん。私の学校って、修得度別学級になっていて、試験の点数によってクラス分けされるんだ。
私のクラスは、2年ほど進んでいるから数学なの。」
そう言うと彼女は立ち上がった。さっきまで下に有った顔が、ののの…とせり上がり、
アッという間に再び僕を圧倒する大きさになった。
「数学って言っても、まだ中学生レベルなんだから、もちろん高校生のお兄ちゃんには簡単だよね?」
腰をかがめて僕と同じ目線になり、ニコッと笑いながら僕の額を指で弾いた。
「た、多分…」
僕はちょっと伏し目がちで答えた。実は僕の学校のレベルは、地域では最低レベルだし、
それに数学はとっても苦手だったのだ。もし教える事ができなければどうなるのだろう…
不安で再びドキドキし始めた。
「それじゃぁまず、これなんだけど…」
椅子に座った彼女の横に立って、彼女の開いたテキストを見た。
こ、これは…苦手だった問題だ…
「これってさぁ、これからこうしたら、答えってでるかな?」
「うん…と、そ、そうだねぇ…これから、あの公式を…」
「え?そーなんだー、この定理つかったらいいんだー」
彼女は、試す様な目で僕を見た。
「う、うん、そ、そうなんだ。これからさぁ」
「私、そのやり方知らなーい。ちょっと解いてみて!」
えっと、あの、これを、こうして…
「へーっ。さっすが高校生!そうするんだなー。」
よし、できた、と思うけど…
「高校生の回答ってこうなんだね。あの、この公式からさぁ、なんでこの価をだしたのぉ?」
「え、え、えっと、こ、これが…」
「声が小さくなってるよ」
「あ、あの、この定理が…」
「その定理って、この公式とどういう関係?」
「その、すなわち…」
「なんかドンドンと私から離れてない?」
「いや、その…」
「もう、声も小さいし、こっちに来なさい!」
「あ!?」
腕を捕まれて引き寄せられたかと思ったら、ひょいと持ち上げられ、膝の上に座らされてしまった。
僕の顔の隣から、彼女の顔が出てきた。
「もう。基本が判らないまま高校生になって、これで勉強判るの?だからさぁ」
彼女の勉強を見るつもりが、反対に彼女に勉強を教えて貰っている。確かに判らなかった事も判ってきた。
しかし、小学生の女の子に半ば無理矢理連れられて、彼女の膝の上で、彼女から勉強を教えて貰う僕…、
彼女の香りに包まれながら、情けなくて頭が真っ白になってきてしまった…



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