ミカとタケル



その日は彼にとって最悪の一日だった。
高校一年生川上タケル。学校から帰ってきた彼は自分の部屋に向かう途中、居間のソファーに見知らぬ少女が腰掛けている事に気がついた。
「あれ?」
お客だろうか。タケルが居間に入ると同時に、少女は遠慮がちに立ち上がり、「おじゃましてます」、と会釈をした。
「えっと、どちらさまですか?」タケルがおずおずと少女に質問する。
「、、、、、、え、うそ?、、、ほんとにわからない?」少女は微笑みながらそれに答える。
「、、、、、そうか〜。そんなに変わったか〜、、」ほとんど聞こえないほど小さな声で、少女は胸に手を当て独り言をつぶやく。
タケルは少女をじっと見つめた。髪型は長い黒髪を頭の後ろで纏めた、いわゆるポニーテール。
少しだけ吊り目がちな、だがそこまで気が強いようには見えない。そして、どこか懐かしい顔。背はタケルと同じくらいだろうか。
着ている制服は自分の高校のものではない。どこかほかの学校の生徒だろうか。
「、、、、、ほんとに?。わからない?」
「あ、うん、ごめん、ほんとに、覚えがないんですけど。」と、タケルは申し訳なさそうな顔で少女に告げた。
「ひどい〜。昔、よく遊んだじゃない。プロレスごっことかさ。お兄ちゃん。」
、、、、、、、、、、、、あ。
そこまで聞けば嫌でも思い出す。
「ミカ?」
「そうだよ〜〜〜」
そうだ。そういわれれば確かにミカだ。5年前まで隣に住んでいた。小学生のとき、よく遊んだ。間違いない。だが、、、
「お前、今、中学、、、、2年ぐらいだよな?」タケルは訝しげな顔でミカを見つめる。
「うん。そうだよ、お兄ちゃん。中2だよ。」クスクスと手で口を押さえて笑う。ああ。思い出した。こいつのクセだ。
でも、、、、中学2年?もう一度、ミカの全身を嘗め回すように凝視する。それはどう見てもタケルと同年齢、
いや、年上といっても差し支えない。確かに顔はまだあどけなさを残している。が、なんというか。
全体としての雰囲気というか、風貌というか、、、
「ちょっと〜。ひとのことジロジロみないでよお〜」ミカが絡みつくような視線に気づき、抗議する。
「あ、ごめん。いや、なんか、ミカずいぶん変わったなって、、この5年の間に。」
「う〜ん、そうかな〜。でも、お兄ちゃんはあんま変わってないね。なんとなく。」クスクスと笑う。
「え。それはあんまりだよ。小学生から今までずっと成長してないってのは。いくらなんでも。」と、タケルが非難の声をあげる。
「そうかな〜。まあ、確かに私は、、、、」と、ミカは一旦言葉を切る。胸に手を当て、こう言った。
「変わったよ。うん。」
タケルは気づかなかった。
「ところでお兄ちゃん、おばさんは買い物に出かけてるんだ。さっき留守番たのまれちゃった。」
「あ、そうなんだ。」どおりで家の中が静かなわけだ。しかし、いくらご近所で仲がよかったとはいえ、5年振りに再開した人間にいきなり留守番を頼むなんて、、、
「でね、いま、この家の中はわたしとお兄ちゃんの二人きりなの。」と、ミカが悪戯っぽくささやく。
タケルは何も気づいていなかった。



「ねえ、お兄ちゃん、、背、低くなった?」いきなり、ミカがタケルに失礼な質問を投げかけた。
「、、、え。」タケルはいきなり突拍子もない問いに、答えに詰まった。
「それは、ミカの背が伸びたんだって。」とタケルが当たり前の答えを返す。それにしても、さっきからミカの笑顔が気になる。
なんだろう。久しぶりに再開したからだろうか。そんなに自分に会ったのが嬉しいのだろうか。気になる。何か違う。何かが引っかかる。
「じゃあさ、お兄ちゃん。」
まるで、何かを楽しみに待っているような、、、、
「背、比べてみようよ。せいくらべ。昔よくやったじゃない。」と言い、一気にタケルに近づいた。それこそ、互いの吐息が聞こえるほどの距離まで。
「、、、、、、っ!」ミカの顔がタケルの顔に近づく。鼻と鼻が触れそうだ。形のよいミカの唇が嫌でも目に入る。
ミカの目が。ほんの少し微笑んでいる目が。タケルを捕らえて離さない。
「、、、、ほら、背を伸ばしてよ。」ミカの息がタケルの顔にかかる。まるで催眠術にでもかかっているかのような非現実感。
タケルは言われたままに姿勢を正すしかなかった。まるで身体検査を行うときのように。
そして得たものは、ミカのほうがタケルより5センチほど背が高いという事実だった。
「あはは〜お兄ちゃん〜ちび〜」ミカが満面の笑顔でタケルをからかう。手をポン、とタケルの頭にのせ、さらに挑発した。
「や、、やめろよ。」さすがに気の弱いタケルでも、年下の少女にここまでバカにされては憤る。ミカの手をつかみ、振り払おうとする。が、、、、、
「、、、、、、?」離れない。ミカの手はピッタリとタケルの頭に張り付いたままだ。両手でミカの手を掴みかかり、力づくで外そうと試みる。
が、ミカの腕は微動だにしない。が、それもすぐに終わった。ミカが自分から手を離したからだ。
「くすくす。ごめんね、お兄ちゃん。」と、ミカ。
「、、、、、、、、」タケルは答えない。怒っているからではない。何か、ミカに異質なものを感じたからだ。
自分が知らない何かが。それに、ミカの腕。見た目には別に細くも、太くもない普通の女の子の腕だったが、
触ってみて気づいたことがある。それは、異様に硬かった。
「それにしてもお兄ちゃん、、、、力弱いんだね。」と、ミカがまたタケルを挑発した。
「わたし私の腕外そうとしてたでしょ。わたし、ぜんっぜん本気出してなかったのにな。」クスクスと口を押さえてミカが笑う。
もう、タケルにも分かりかけていた。この笑いは、嘲笑だった。
「こ、、こっちも本気だしてなかったからだ。」タケルが強がる。中学生の女の子に負けるはずが。腕力で負けるはずがない。
「、、、、、、、、、ふうん」ミカが冷たい目でタケルを見据える。そして、おもむろに居間のテーブル前に座り、テーブルに肘を突く。
「じゃあ、どっちが強いか勝負しようよ。」と、ミカがタケルを誘う。それは、腕相撲の誘いだった。
「な、、、、バカらしい。」
「あれ?あたしに腕力で負けるのが嫌なのかな?そりゃそうだよね。中学生の女の子に腕相撲で負けるなんてね〜」
「、、、、、、、、、、、」
「まあ、お兄ちゃんも男だし、恥かきたくないもんね。勘弁してあげるよ。」いよいよ、ミカは本性を現してきた。
「、、、わかった。やろう。」ここまで言われて引き下がれるはずもない。タケルは憮然としながらもミカと対峙した。
「へへ〜もう、逃げられないからね〜」ミカが優しくタケルの手をとる。タケルはそのままテーブルに肘を突き、互いに体勢を整える。
「、、、、、ちょっと。」タケルはさっきのミカの腕の硬さがどうしても気になり、ミカの二の腕をつまんだ。だが、特に筋肉でカチカチでもないし、別に脂肪でブヨブヨでもない。
「、ちょ、やめ、、、、、く、くすぐったいっ」ミカが体をややねじりながら嫌がる。
「あ、、あれ?」おかしい。さっきは石のように硬かったのに。
「まあ、気にしないでよお兄ちゃん。はやくはじめよう。」
「う、うん」
「、、、、、、後で嫌ってほど教えてあげるから。」
「え???」
次の瞬間、タケルの手に激痛が走った。ミカが信じられないほどの握力でタケルの手を握り締めたのだ。
「ぎゅっ♪ぎゅっ♪」
「い、、、いいいいいいいいいいいっ!!!!!!!」声にならない声。激痛。悲痛。手がグシャグシャに握りつぶされるほどの圧力。
「ほら、もう始まってるよ〜」とミカがいい、その言葉どおりに徐々にタケルの腕がテーブル側へと倒れていく。
「なっ、、、、」既にミカはタケルの手を握り締める事を止めたようだが、そんなことは関係なかった。
ミカの腕力はタケルを遥かに凌駕していた。初めから勝負は決まっていたのだ。タケルは必死にこらえようとするが、
その圧倒的なパワーの差を埋めることは到底不可能だった。
「ほらほら〜。どんどん腕が下がっていくよ。何とかしないと。」
「どうしたの?もっと力込めないと。」
「顔、真っ赤だよ〜お兄ちゃん〜」
そんなミカの言葉はタケルには届かない。既にタケルの腕は限界だった。オーバーワークにより、
がくがくとタケルの腕が震え出す。筋肉が悲鳴をあげる。
「、、、ねえ、どうしたの?なんか、震えてるよ。お兄ちゃん。」ミカは残酷にも、腕とテーブルの角度が45度の位置でピタリとその攻撃を止めた。
だが、タケルにここから逆転できるような余力は残ってはいない。
そして、タケルはミカを見た。信じられない。ミカは、使っていない左手で頬杖をついていたのだ。
ミカとタケルの目が合う。そして、嘲笑。それは言葉にならないほどの決定的な、絶望的な力の差だった。
「もう限界?疲れちゃったの?」
何を言われても、
「それでも男なの?お兄ちゃん、情けないな〜」
何を、言われ、ても、
「それにしても、ほんっと弱いね。可哀想になってきちゃった。」
何を、、言われても!
「うあああああああああああああああああああ!」
タケルは暴挙に出た。左手を無理やり右手に被せ、両手でミカの腕を引き戻し始めた。
「あらら〜〜〜そういう卑怯なことしちゃうんだ、お兄ちゃん。」ミカの顔がやや引きつる。
だが、なんと言われてもかまわない。どんな手を使ってでも、勝つ。
タケルは最後の力を振り絞って、全体重を傾けるようにミカの腕にのしかかった。
「うう、、さすがに、、キツイかも、、それ〜」腕の角度は勝負開始位置である90度の位置にまで戻っていた。
「ああああああああああっ!!!!!」雄叫びを上げ、体ごとミカの右腕に覆い被さる。既に腕相撲ではなかった。
「ああ、負けちゃう〜負けちゃうよ〜〜」今度はミカの腕がどんどん下がっていく。60度。45度。30度。
「ああ〜や〜め〜て〜〜〜え♪」そして、ピタリと止まった。テーブルに触れるか否かの位置。そしてタケルは気づいた。
おかしい。何かがおかしい。そして次の瞬間。
「うっそぴょ〜〜〜〜ん♪」一気に。ミカの右腕は恐るべきパワーでのしかかっていたタケルの体ごと引き上げ、そしてテーブルにタケルの手の甲を叩きつけた。
「ううっ!!」タケルは痛みで身をよじり、その場に倒れこむ。ミカは傍らに立ち、哀れみの目で敗者を見下ろした。
「ねえ、お兄ちゃん、、、、わたしに腕力で勝てると思ってた?」くすくすと、また笑う。
「こんな貧弱な腕でさぁ。」ミカはまだ倒れているタケルの腕を掴み、無理やり立ち上がらせた。
「うっわ〜。ほんと貧弱だね。お兄ちゃんのカラダ。腕とか木の棒みたいにポッキリ折れちゃうね。」そういって、掴んだ腕に力を込める。
「ああああ!や、、やめ、、、、、あああああ!!」タケルはミカの腕から逃れようとするが、できるはずもない。
「まあいいや。勘弁してあげる。」ミカが腕を放す。
「とりあえずこれでわかったでしょ。わたしのほうが全然強いってことが。」と、ミカ。
「、、、、、、、、、、」タケルは黙っている。黙ってミカを睨んでいる。
「これからお兄ちゃんはわたしの子分だね。」ミカが微笑む。
「昔はお兄ちゃんが親分でわたしが子分。でも、今日からは逆だね。お兄ちゃん♪」と、ミカが言ったその刹那。
「嘘だ!!!!!」わけのわからない事を叫びつつ、不意にタケルはミカに飛びかかった。こんなことがあるはずがない。嘘だ。トリックだ。そのままミカを押し倒して、、、、、、
「、、、、、お兄ちゃん、何してるの?」
「、、、、、、、っ」ミカの腰にタックルをくらわし、そのまま床になぎ倒す、、、はずだった。
「ねえ、何してるの。」、、、、、、、動かない。ミカの腰にぶらさがったまま、微動だにできない。
まるで、大木を相手にしているようだ。信じられない。
「うおおお!」やけになったタケルは、ミカの腹に渾身のボディーブローを叩き込む。ドムッ!ドムッ!肉を叩く音が木霊する。
「お兄ちゃん、、、そういうことするんだ。女の子を殴っちゃうんだ。」ミカの目が少しだけ細くなる。
「はあ、、はあ、、、」まるで効いていない、、、、いや、そんなはずはない。きっと腹に何か入れているんだ。さっきの腕相撲だって、何か機械を腕に、、、、、
「そーゆー人には、お仕置きしなきゃね。」そういって、ミカはタケルを正面から抱きかかえた。
「これ、ベアハッグっていうんだよね。昔、プロレスごっこしてたときお兄ちゃんにやられたっけ。」と、ミカがつぶやく。
そして。
「、、、、うわあああああああああああ!!!」タケルが叫ぶ。ミカが凄まじい腕力でタケルを締め始めたのだ。
背骨が折れるほどの衝撃と痛み。もうタケルは半狂乱だった。
「どう?女の子に抱っこされて気持ちいい?くすくす。」ミカは痛みに顔を歪めるタケルの耳元で囁く。
「もうちょっと本気出してもいい?なんか手加減してるのめんどうなんだよね。」さらに締め付ける力が増す。
「は、、、、は、、、、が、、、、」
「おっとっと。ごめんごめん。ちょっとやばいかな。」慌ててミカが手を離すと。その場にへなへなとタケルが座り込む。
「じゃあ、これで最後ね。」ミカがタケルの胸元を掴む。そして、軽々と片手で吊り上げる。
「あのね、わたし、肉体改造手術ってのを受けたんだ。」
「それでね、こんなに強くなったの。ほら、触ってみて。」ミカは空いている手でタケルの手を掴み、自分の二の腕を触らせる。
「どう、すっごく硬いでしょ。」だが、タケルにはわからない。既に気を失う寸前だった。
「力出してないときは普通なんだけどね。」
「私の中学にね、結構この手術受けた女の子いるんだ。まあ、今度紹介するね。ッて、、、聞いているの?」
「、、、、、、、、、う、、、、」
「まあ、いいや。じゃ、ほんとに最後。」ミカが拳を握る。硬く硬く。
「さっき腹にパンチしてくれたお返しね。」ミカがゆっくりと拳をかかげ、
「いっくよ〜」一瞬、ミカの腕が消えた。ゴンッ!!!!!!とすさまじい音が響き、体をくの字に曲げたタケルが
宙を舞い、そのまま後ろのテーブルに落下した。そのまま動かない。
「まあ、手加減しといたから。本気で殴ったら」くすくすと。
「死んじゃうもんね。」笑った。




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