スパーリング

東京都郊外。
とある雑居ビルの一フロアをぶち抜いた格闘技ジム。
そこではこれから現役プロ選手とプロを目指すジム生によるプロ練習が始まろうとしていた。
「先日の試合で怪我をした俺に代わって打撃と関節技の基礎指導に吉原選手があたる事になった」
正座しプロ練習開始を待つ練習生を前に左肘のテーピングが痛々しい男、
このジムに所属するミドル級国内Aクラスで上位ランクを保持する多田がそう告げる。
その言葉が終ったところで男の隣に控えていた女性が一礼をし自己紹介を始める。
「先程、多田さんから紹介していただいた吉原泉です。よろしくお願いします」
吉原が挨拶を終えると同時に練習生達が困惑しはじめた。

吉原泉。
全日本空手選手権四連覇の後、ミミ吉原のリングネームで新日本女子プロレスに在籍。
プロレスラー時代は空手の打撃を封印し関節技の魔術師という異名ではトップイベンターの一人として知られいた。
その後、総合格闘技へと転向、封印していた打撃技を解放し、
関節技を更に熟成させ女子総合格闘技バンタム級現世界王者として君臨している。
そんな選手がこのジムに所属しているのは皆、知っていた。
だが、そんな世界レベルの選手がプロを目指す練習生や国内ランクの選手との練習に参加する事に困惑は当然と言えた。
それと同時に世界レベルとは言え女子が男子に指導すると言うことに抵抗がある者もいる。
「女に何が教えられるって言うんスか?」
そんな抵抗感を一人の青年が代表するかの様に口に出した。

そう言ったのは先日、ウェルター級国内Bクラスで新人王に輝いた松山だった。
「そう来るとは思っていましたけど、まさか同僚の口から聞くとは思いませんでしたね」
松山の言葉に対し穏やかな笑みを浮かべその表情に相応しい口調で切り返す吉原。
「まぁ、わたしもすんなり認められるとは思っていませんでしたから……
今からスパーリングなんてどうですか?」
相変わらず穏やかな笑みを浮かべたまま松山に対し啖呵を切る吉原。
その口調も先程と全く変わらない。
その表情を見つめる松山。
「それで良いッスよ、俺は。それじゃ、さっさとアップしてちゃっちゃと終らせましょ」
吉原の問いに戯けた口調でそう答える松山。
松山のその態度には女の格闘技なんて所詮は飯事だという態度が滲み出ていた。

ウォームアップを終え、ヘッドギア、オープンフィンガーグローブにニーパッド、
レガースを着けた二人はリングへと上がる。
「それじゃ総合ルールで五分一ラウンドだ。ただし、俺みたいに怪我をされてはたまらないからキャッチが入った時点で、
いったんグラップル解除。五分でキャッチを多く取った方が勝ちだ。
打撃ダウンは直ぐに止めるからな。その時は勿論、ダウンを奪った方が勝ち、良いな」
対峙する二人の間に立ち、左肘にテーピングをしたレフェリー役を買って出た多田がそう言う。
その言葉に二人は頷いた。
吉原の表情からは笑みは消えているが穏やかさは相変わらず消えていない。
対する松山も余裕の表情を浮かべていた。
「それじゃ、始めます」
そんな二人にタイマーをセットした練習生が声をかける。
二人はその言葉と同時にファイティングポーズを取った。

試合開始のタイマー音が二人の耳朶を振るわせると同時に軽く拳を合わせ間合いを取る。
バンタム級とウェルター級、その体重差は少なく見積もっても一四キロ。
更に身長百六十センチの吉原に対して松山の身長は一七八センチと二十センチ近い差がある。
そんな体重差と身長差をどう吉原がはね除けるのか、練習生が固唾を呑んで見守る中、
松山が先に攻撃を仕掛け始めた。
リーチの長さを活かし遠間からローキックと鋭くコンパクトなパンチを放つ松山。
対する吉原はローキックをバックステップですかし、パンチを僅かにはたいて
軌道をそらすパーリングで捌きながら攻撃を封じる。
そんな吉原に対し松山は痺れを切らしロングフックを打った。
吉原はそのロングフックを身を低くしてかわしながら松山の懐に飛び込むと
目標を失った腕を取り背負い投げを放つ。

松山の視界が急激に反転する。
次の瞬間、背中に強い衝撃を受け同時に肺が圧迫され呼吸が乱れた。
衝撃と呼吸の乱れに松山の動きが僅かな時間だが止まる。
そして、吉原にその時間は次の攻撃に移るには十分すぎるものだった。
吉原は投げると同時にキープしたサイドポジションから身体の位置を変え、
松山の腕の付け根を太腿に挟み込む。
そして、ふくらはぎで松山の顔と身体の位置をコントロール。
両腕で松山の腕を一気に引き伸ばし腕ひしぎ十字固めの完成させた。
その速さに、練習生達から感嘆の声が漏れる。
「キャッチ!」
多田がそう告げると吉原は技を解き立ち上がり松山から距離を置く。
松山も吉原が距離を置いたところで遅れて立ち上がった。
再びファイティングポーズを取る二人。

「ファイト!」
二人が構えを取った事を確認すると多田が再開の合図をする。
「次はわたしから行かせて貰いますよ」
吉原は松山にそう告げると一気に間合いを詰めた。
先ずは軽いジャブとローキックを巧みに立ち位置を変えながら放ち松山を攻める。
対する松山は何とか防御を試みようとするが防ぎきれずにいた。
そこへ吉原のミドルキックを放つ。
ようやく吉原の打撃に目が慣れてきた松山はそれをガードしようと腕を下げた。
その瞬間、吉原の脚が一気に跳ね上がる。
松山は腕を上げ頭部を守ろうとしたが、かなわず吉原の脚が松山の側頭部に炸裂した。
それは極真系のブラジル人に使い手の多いブラジリアンキックと呼ばれる変則上段回し蹴りだった。
更に吉原は松山に対し、蹴った脚を降ろさず中段回し蹴り、上段横蹴りを連続で繰り出す。
吉原の変幻自在の蹴りが次々と松山をとらえた。
総合格闘技において蹴り技はバランスを大きく崩し不利と謳われているが吉原にはその常識が通用しない。
松山はそう判断すると一端、間合いを取り仕切り直す事した。

大技の後と言うことが幸いし、松山は何とか吉原の制空権からバックステップで脱する。
そこへ吉原が身を低くし飛び込んできた。
タックルが来ると判断した松山はそれに備え、腰を落とす。
だが、そんな松山の頭部を吉原のクロールフックが捉えた。
三度、頭部へ強烈な打撃を受けた松山は膝が落ちそうになるの堪え立ち続けた。
そこへ吉原のローキックが松山の足下をすくう。
大きくバランスを崩しそのまま倒れる松山。
松山はダウンを取られるのではないか、と冷や汗をかいたが多田はダウンを告げなかった。
そこへ吉原がマウントを取ろうとしてくる。
対する松山は何とかそれを防ごうと蹴り上げるが、それは吉原にあっさりとかわされた。
松山が拙いと思った瞬間、吉原はその脚を両手、両足で抱え捻り込みながら自ら倒れる。
吉原の膝十字固めが完成し、激しい痛みを松山の膝が襲った瞬間に多田がキャッチの宣告をした。
その宣告に従い吉原は技を解き、立ち上がり構えを取る。
吉原の表情にはまだ、スパーリングが始まる前の穏やかさが残っていた。

もはや、誰の目にも勝敗は明らかだった。
打撃、関節技の精度と速さ、体格差に怯まず自分の持てる技術を冷静に行使する精神力。
この場にいる者の殆どが吉原の闘いぶりに階級差と言う概念の無い格闘技本来の姿を見ていた。
ただ一人、その事実を認めていない松山は起き上がる途中の姿勢から、
獲物へ飛びかかる獣の様な姿勢と形相で吉原へタックルを繰り出した。
それを制止しようとする多田。
吉原は多田を一瞬、視線を向けてそれを制すると仰向けになりながら松山のタックルに潜り込んだ。
松山は吉原に対して覆い被さりマウントを取ろうとする。
誰もが吉原がガードポジションからの攻防を展開すると予想した
だが次の瞬間、吉原の脚が松山の首に絡みつき、腕が引き伸ばされる。
何の攻防もなく一瞬の内に三角締めを極めた吉原に対し、練習生達の拍手が沸いた。
松山はその拍手が徐々に遠い世界のものになる様な錯覚に陥りながら意識を失う。
三角締めで落ちた松山から吉原は技を解き、立ち上がると多田に近づいた。

「すいません、あのまま続けても納得してもらえそうもなかったので落としちゃいました」
吉原はそう言うとちょっとだけ悪戯っぽい笑みを浮かべた。
吉原の笑みに多田は、自分もこの松山の様に吉原に食って掛かっては落とされたり、
KOされた過去の日々を思い出し苦笑した。
吉原の背後から松山の呻き声が響く。
「加減したから大丈夫だとは思いますけど……一応、医務室へ連れて行ってあげてください。
練習はわたしが見ますんで」
吉原はヘッドギアを外しながら多田に告げる。
「それから、多田さんの怪我が治ったら練習、久しぶりに見てあげますよ。
この間の試合、わたしが教えてあげた事、忘れてましたから」
吉原の言葉に多田は再び苦笑する。
「昔みたいに落とされたり、KOしないと約束するなら歓迎させて貰うよ」
吉原の強さが文字通り骨身に染みている多田は吉原の誘いにそう答えた。


おわり





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