美沙 第5話

“うーん、いつもやられっ放しだし、何か良い反撃法は無いかなぁ…”
ブツブツ言いながら、一人暗くなった道を家に向かってゆっくり歩く。部活の練習で遅くなった祐志である。
“何やっても敵わないが、何かギャフンと言わせてやりたいんだがなぁ…”
ギャフンと言わせたい相手は、もちろん美沙である。
帰り道に本屋に寄る。毎月買ってる雑誌の発売日だからだ。それ以外に用は無いのだが、とりあえず店内をぐるぐる回る。
読書自体は嫌いじゃない。
“うーん、ん?”
ふと、ある本が目にとまる。ざっと立ち読みしてみる。
ざっと立ち読みのつもりが、いつの間にか集中してしまい、つい全部読みきってしまった。
“これだ!”
持ってきた小遣いの都合で、いつも買ってる雑誌を諦め、迷わずその本を購入する。
家に帰ると、食事も風呂もさっさと済ませ、部屋で夜中になるまで何度も読み返した。
“フッフッフ、これで美沙にマイッタを言わせてやる。”
祐志の野望は、大きく膨らむのだった。

その週末、黒い野望を胸に秘め、祐志は美沙の家に遊びに行った。
美沙の部屋で二人でくつろぐ。今日は美沙のレディースデー、エッチは無しだ。
何気ない雑談をするが、辛抱たまらなくなって、ついに祐志は切り出した。
「ちょっとここに座ってみて」
祐志は美沙をベッドに座らせると、ポケットからあらかじめ用意しておいた糸の付いた五円玉を取り出す。
そう、祐志が購入した本とは、『催眠術入門』だったのである。
「この糸を持って、五円玉をじっと見てみて」
祐志は美沙の横に座ると、五円玉を美沙の目の前に来るように、美沙に持たせる。
「五円玉をしっかり見てみて、じーっと」
いつに無く低い声で言う祐志。美沙はじーっと五円玉を見ている。
「その五円玉がだんだん左右にゆれてくる。ゆれーる、ゆれーる」
とゆっくり言う…、
しかし…、
五円玉はいくら待っても揺れない。おかしい…、暫くして、飽きてきたのか美沙がゆっくりと言う。
「んー、揺れないね。」
「おかしいなぁ…」祐志も言葉を返す。
美沙は立ち上がると、祐志の正面に立った。
「んとね…、両手をまっすぐ前に出してみて…」
祐志は言われたとおりに前に出す。
「今度はそのまま手を組んで人差し指だけ前に出してみて…」
手を組んで出してみる。ピストルを撃つ様な格好だ。
「人差し指の先をじーっと見てみて…」
人差し指の先をじーっとみてみる。言われたとおりに素直に行動する祐志。
「そのまま人差し指の先だけつかないように離してみて…」
離した。
「肩の力を抜いて指先がつかないように集中してね。」
集中する。指先はつかないように…、
「じーっと指先を見ててね、これから私が数字を数えていくと、だんだん人差し指がくっついてきます。」
指先はつかないように…、
「いーち、にーい、さーん」いつに無く美沙の声のトーンは穏やかだ。
祐志は自分の指先をじっと見てみた。するとだんだん人差し指が内側に動いていく。
離したいとは思っているのだが、人差し指同士は自分の意思を無視してゆっくりと近づいていく。だんだん汗もかいてきた。
祐志の抵抗もむなしく、美沙が9を数えるところで、人差し指は完全にくっついてしまった。
美沙は祐志の両手の外に軽く手をそえ、
「今度は、私が3つ数えると、この握った手は離れなくなるよ。いーち、にーい、さん!」
3の瞬間にちょっと強く祐志の手を握ると、ゆっくり祐志から手を離した。
祐志が手を離そうとすると美沙は強く畳み掛ける。
「ほら取れない、もう取れない。頑張っても取れない。」
祐志は確かに自分の手を引き剥がそうとするのだが、肩にだけ力が入り、その力が手まで届かない感じがする。
美沙の言うとおり取れなくなってしまった。
「あ、あれぇ?」
祐志はここに及んで自分が催眠術に掛かってしまったことに気がついたがもう遅い。美沙は、再び祐志の手に両手を添えると、
「私が3つ数えると、手は取れます。いーち、にーい、さん!」
手が取れた。良かった。ほっと一息つく。と、こっちが何か言う前に、美沙に目の前に人差し指を差し出された。
かなり至近距離だ。思わず、人差し指を見る。
「この指をじーっと見て」
じーっと見る。
「そのままじーっと見て」
まばたきもせずにそのままじーっと見る。次の指示が無いからじーっと見てる。
「じーっと見てると、だんだん目が疲れてきたね。」
うん、疲れてきた。
「どんどん目が疲れてくる」
うん、本当に疲れた。まばたきの回数が増える。
「だんだん目が開けられなくなってくる」
うん、開けるのも疲れてきた。
「そのまま、目を閉じて開けられなくなってくる」
目を閉じたまま開けられなくなった。
美沙は祐志の後ろに回ると、今度は耳元でつぶやく。
「今度は深呼吸してみて。ほーらいい気持ちになってくる」
深呼吸をするといい気持ちだ。
「深呼吸をそのまましてみて、そうすると段々からだの力が抜けてくる」
うん、体に力が入らなくなってくる。そのまま倒れそうだ。
「支えてるから大丈夫、そのままどんどん力が抜けてくる」
ベッドに腰掛けているのだが、上半身を今の体勢で維持するのも辛くなってきた。
美沙が体を支えるとゆっくりベッドに寝かせてくれた。もはや指一本動かせない。
「私が今から1〜10まで数字をゆっくり数えると、どんどん気持ちも楽になっていきます。ぼんやーりしてきます。
すごーく楽になってくるよ。ほら、いーち、にーい、さーん、しーい…」
そのまま10を待たずに意識を失う祐志であった。

その後、眠ったり起きたりを繰り返され、祐志は完全に美沙の言うままの行動をさせられることになってしまった。
しかも、眠ったり起きたりを繰り返されればされるほど、掛かりやすくなってしまうようだ。
最後に綺麗に覚醒させてもらった後、美沙は祐志に言った。
「あのね…、催眠術って、その前の段階が大事なのよね。」
黙って続きを聞く。
「いきなり五円玉みたいな小道具を出されても怪しむでしょ?」
なるほど、そう言われてみればそうだ。
「それに祐志、今日は普段と雰囲気が違ったし。」
ああ、完全に見透かされてる。やっぱり今日も完敗だったか。
「あ、最後に一応言っとくけど…」
「何?」祐志は聞く。
「私に催眠術かけようとするのはやめてね。」
「なんで?嫌いなの?」
「いや、そうじゃなくて、催眠に掛かってるときは、力を抑える自信が無くなるから。」
「あっ」祐志も気付いた。
「手を握ってみてと言われて、祐志の手を握り潰しちゃったりしたら大変でしょ?」
そう言われてみればそうだ。ここにきて、祐志は今日の行動が自分の命に関わる可能性が有った事に、今更ながらにぞっとした。
もうやめようと思った。美沙は、
「これって楽しいね。また祐志を実験台にしちゃおうかな?」
「もう勘弁してく…、」
ふと目の前に美沙の人差し指が出される。
「ハイ、じっと見て!」
思わずじっと見…、あっ、しまった。
「だんだん目が閉じてくる…」
美沙の指先を見ながら、祐志は今度こそ言うとおりにならないよう、精一杯抵抗する。
「ほら、目が開けてられなくなってくる…」
あぁ、ダメだわ。目が開けてられない。祐志の目は意思に反して完全に閉じてしまった。
「ほら、すーっと楽になってくる…」
穏やかに意識が無くなっていく祐志、意識を失う最中の短い時間で、祐志は美沙に対して、心地よい劣等感を強めるのだった。


つづく





inserted by FC2 system