トラブルシューター・麗香

「今日の仕事、もう一度確認してくれる?」
「はい…今日は店舗の賃料の回収です。M区の『相撲茶屋・大入』が1年間に渡って滞納している賃貸料金を
支払わせてもらいたいという依頼ですね。
かなり強引で、高圧的に支払いを拒んでいて手を付けられないそうです。
相手は元力士ですし、やはり素人ではなかなか…」
「ふぅん…ま、いつもと大して変わらないイージーなお仕事ね。
パパッと終わらせちゃって、遊びに行くわよ」
「社長…くれぐれも行き過ぎのないようお願いしますよ…」
「余計な心配はしなくていいの。さ、急ぎましょうか」
 グオォォォォォ……!!
「しゃ、社長…っ!そんなに飛ばしたら…ひぃっ」
「なぁに?この程度で飛ばしてるなんて言ったら車に失礼だわ。
それにしても、いつになっても怖がり屋さんなのね。毎日乗ってるのに…ほんと、かわいいんだから」
 2人を乗せた車が、野太い排気音を街に轟かせながら駆け抜けていく。


 一方、相撲茶屋・大入は開店準備を進めているところだった。
「まったく、こんな安い給料じゃやってらんねえよ」
「シッ!聞こえるぞバカ!」
 店の前の掃除を命じられていた若い従業員2人が手を休めて愚痴をこぼしている。
「でも親方はさ…俺たちの給料を安く抑える以外にもかなり悪どいことやってるみたいだぜ」
 従業員に自分のことを『親方』と呼ばせている経営者の男、それは大相撲の元小結・熊ノ若だった。
現役時代、その名の通り熊を思わせる毛深い巨体で有名だった力士、熊ノ若。
力にものを言わせる怒涛の寄りを武器に活躍、相撲取りとしては成功と呼べる地位にまで上っていった。
しかしひとたび土俵を降りればその私生活は乱れたもので、金銭トラブルの噂も絶えない男だった。
当然貯蓄などまともにしておらず、引退後に親方株を買えるはずもなく相撲界を廃業。ちゃんこ屋に転身する。
そこからこの相撲茶屋・大入を興したのだった。
表面上は元力士の名物店として繁盛しているこの店。だがその内情は胸を張れるものではない。
店の利益は経営努力によるものとは言えず、少ない従業員を安い賃金で奴隷のようにこき使うことが主な要素だった。
当然従業員の間には不平不満が渦巻いている。だがそれを面と向かって言える者などいない。
強面の大柄な元小結が相手だ。相手は何かを言う前から尻込みする。
それでも勇気を出して文句を言った若い衆も何人かは、いた。
だが結果はやはりと言うべきか、元幕内力士が素人を相手にするという配慮に欠けた熊ノ若の体罰により
どの男も無事では済まされず、怪我の賠償を求めることもできず逃げるように店を去っていった。
熊ノ若の部下への接し方は、現役時代に番付の低い弟子に対して行っていたしごきそのままだった。
相撲界の悪しき慣習をそのまま経営に持ち込む、悪徳経営者なのだ。
そして…

「オイ、口ばっかり動かしてんじゃねえよ」
「はっ!!お、親方!」
 内緒話をしていた2人の背後から、浴衣姿の熊ノ若がヌッと現れた。
現役時代から変わっていないと自称する185cm/145kgの巨体に浴衣の胸元や袖から溢れ出るような剛毛はまさしく熊だ。
「おめえら、好き勝手にあることねえこと並べ立ててくれちゃってよ。しごきが足りねえみてえだな〜」
「あわわ…」
甲一面にまで毛で覆われた分厚い手をバシバシと合わせながら近づいていく熊ノ若。
そこに、

 ボボボボボボボ……!!
「な、なんだ?」
 熊ノ若の脅し文句を遮るかのように響いてきた重低音。
店の前の駐車場に、鮮やかなレッドのフェラーリF430が滑り込んできた。
「オイオイ、店はまだ準備中だぞ。開店は夕方…」
 騒々しいエンジン音が止んだフェラーリに近づこうとしていた熊ノ若の足がそこで止まる。
左側のドアが開いてアスファルトに下ろされた足に履かれた細く高いピンヒール。
その上の脚がまっすぐに伸びると、低い車体からは想像もできないほど高くそびえる女が現れた。
少し遅れて反対側の助手席のドアから、対照的にとても小さく貧相な体つきの男が降りてくる。
熊ノ若も、彼に恫喝されていた2人の下働きも、スーパーカーから降りてきた長身女に目が釘付けだった。
その背の高さを考慮に入れても長すぎると思えるほどの、スラリとした美しいラインを見せる脚は、
付け根から数cmのところまでしか覆っていないタイトミニスカートから、ほぼその全てをさらけ出している。
鮮烈な赤のミニスカスーツに、そろいの色の10cm高ハイヒールパンプスでコツコツと足音を鳴らしながらその女はやってくる。
ちゃんこ屋とはとても縁のなさそうな、キャリアウーマン風美女が。

「はじめまして。あなたが相撲茶屋・大入の店主、熊ノ若さんね」
「そ、そうだが…あんた客じゃねえのか?」
 言いながら、熊ノ若は違和感を覚えていた。
女を見上げて会話するなど、幼少の頃の母親相手か小学校時代の担任ぐらいしか例がなかった。
中学時代から周りの人間はほとんど見下ろしていた大男の熊ノ若。
それが、今目の前に立っている若い女はどうだ。
下駄を履いている自分より遙かに背が高い。仮に両者とも裸足だとしても、明らかにこの女のほうが…

「申し遅れました。私、こういう者です」
 目の前の男にファーストコンタクトで屈辱感を与えた長身の女は、さらに歩み寄り名刺を渡す。
「何、『オフィス麗』の橘麗香…?で、どこかの会社の人間が何の用なんだ」
「この店舗、地主さんに支払う賃料を随分滞納なさってるそうですね。この立地で1年近い滞納とのことですから、
かなりの額になっているそうですけど…できれば本日中にお支払いいただきたいと思いまして」
「あーあー…悪いけど払えないんだよねえ。なんつっても、上がりが少ないもんだからさあ」
 熊ノ若は小指で鼻をほじりながら答える。もちろん収入が少なくて払えないというのは大嘘だ。
これまで取り立てに来た誰もが、腕っ節の強い自分に対して強く出られなかった、
また今日の相手が女と思って完全にナメてかかっている様子だ。
「貸し主のN地所さんから、今月こそはどうしてもとこちらに依頼がありまして」
「ふーん…べっぴんな姉ちゃんよこして、色仕掛けで払わせようとでも思ったのかね」
 タイトミニのスーツを身に纏った麗香の長く伸びる脚をなめるように見回しながら口元を緩める熊ノ若。
「でも残念だなあ、払いたいのは山々なんだけど肝心のこれがね…」
 パァン!
「!!」

 その場にいる麗香以外の全ての人物が開いた口を塞ぐことができなかった。
金がないとシラを切りながら手で金のサインを作ろうとしていた熊ノ若の頬を、突然麗香の平手が鳴らしたのだった。
「なっ…何しやがんだ、こいつ!」
 当然、逆上する熊ノ若。
「あなたのお店については、既にこちらで調査を済ませています。かなりの利益を出されているそうですね。
従業員の待遇などに関しては、今回こちらが関与することではありませんので置いておくとして…
本来支払うべき店舗の賃料、また機材のリース代までも無視して利益として回していらっしゃると。
正当な理由なく支払いを拒むことは許されませんよ」
 全て本当のことを言われているのだが、所属していた相撲部屋の出世頭で大きな顔をしていた熊ノ若にとって
素人の、しかも女にいきなり手を上げられたことはとても収まりのつくことではなかった。
「このアマ、喧嘩売りに来たのか!!」
「とんでもない。ただ、N地所さんからは多少手荒な行為に及んででも今日中に取り立ててもらいたいとの依頼ですので」
 怒りに燃え上がっている元力士の熊ノ若を前にしても、いたって冷静で事務的な口調のままの麗香。
「しゃ、社長…」
 麗香の乗り付けたフェラーリの陰に隠れるようにしてオドオドとした様子の小男が、
麗香の暴走を食い止めるわけでもなくただ所在なさげにしている。
「フフ、心配しなくていいわ。この手の輩は口で言っても無駄だから、ちょっとね。
君はいつも通りにそこで待っててくれればいいの」
 麗香は熊ノ若から視線を外して振り返ると、付き添いの小男にそう告げて一つウインクを送った。
「あ、これも申し遅れましたが彼は私の秘書を務める横田彰人です。私共々よろしくお願いいたします」
「知るかそんなもん!!俺にこんな真似してただで済むと思うんじゃねえぞ!!」

「『ただでは済まさない』ですか。つまり、お支払いいただけるということでよろしいでしょうか」
「ふざけんじゃねえ、この女!」
 頭に欠陥を浮かべた熊ノ若が突進してくる。だが、しかし…
 ドダッ!
「あら、乱暴なんですね。小結にまで上られたスポーツマンさんが」
「こ、こいつ!」

「な…何だ!?」
「今、こかされたよな?親方が」
 その異常事態に、様子を見守ることしかできない若い従業員たちは目を疑った。
元小結の怖い主人が店の前で素人の女と喧嘩を始めたことが既に非常なのだが、
その男が女相手に…転ばされて尻餅をついている!
しかもどのように転倒させられたか、周りの男たちも、倒された熊ノ若本人もまるで把握できずにいた。

「ごめんなさい。なんだかゆっくり近づいてこられたもので、いやらしいことでもされるのではないかと
少し警戒しすぎてしまいました」
 わざとらしく頭を下げる麗香。
「ゆ、ゆっくりだと…」
 熊ノ若は最初から全力でかかっていったのだ。現役時代から得意だった立合いの要領で。
「申し訳ございません。私、嘘をつききれない性分なものでして…
遅いものを速いとか、弱々しいものを強烈だとか痛いとか言っておだてるのは苦手なんです」
 それを聞いて熊ノ若はますます頭に血が上った。
「てんめえ…もう勘弁ならねえ!!」
 その厚い手で風を起こしながらの、大振りの張り手を繰り出す熊ノ若。
しかしその先には既に麗香の姿はなく、空振りでバランスを崩しぐらついたところに
膝裏に足を当てられ、浴衣の襟をつかまれてまた驚くほど軽く熊ノ若は路上に転がされてしまう。
「重ね重ね申し訳ございません。あまりにスローで、お待ちしていられないものですから」
 地面の高さとなった熊ノ若を真上から見下ろしながら、麗香はさらに怒りの火に薪を追加するような台詞を投げかける。
「く…、くそーっ!!」
「先ほどより動きが落ちていらっしゃいますね。無理はなさらないほうがよろしいかと」
 ズダン!!
「ぐっ…は」
 側面から足を引っ掛け、今度は浴衣の帯を持って捻り倒す麗香。
元プロの相撲取りが…スーツ姿の女に相撲で負けてしまう形となった。
出会って早々恥をかかされた上、三度にわたって投げられ地面に横倒しにされるという屈辱の塗り重ね。
だが熊ノ若にとっての惨めな体験は、この程度では終わらない。

「あなたは現役時代と体型が変わっていないことがご自慢と伺っています。でも、それは間違いですよ」
「何だと!?」
「単に体重の増減がないというだけのことで、体の仕組みとして劣化なさっているのは間違いございません。
引退なさって稽古の必要がなくなってから、不摂生していらっしゃるんですね。
筋肉がなくなって、それが贅肉に変わっていらっしゃるだけですよ。
失礼ながら言わせていただくと…ただの肥満ですね」
「こいつ…何様のつもりだ!偉そうに説教たれてんじゃ…!」
「無駄ですよ、豚ノ若さん」
 カッ! ドズン!!
「ぐうっ!!」
 この大きく、太く、重い熊ノ若が麗香の軽い足払いで半回転、側頭部からアスファルトに着地した。
「大丈夫ですか?今、頭を打たれましたね。決して私はお怪我などさせるつもりはないのですが、
基本の受身もお取りになれない方だとは思いませんでしたので…大変失礼いたしました」
 決して浅くはないダメージを続けて負わされ痛む体を引きずりつつも、
この女の丁寧な言葉こそ使っているものの明らかに遠回しで、時には直接バカにしている言い方がいちいち癪に触り
男として許せない思いから、熊ノ若はなんとしてもと麗香目掛けて突っかかっていく。

「確認しておきますが、私は決してあなたとダンスを踊るためにお邪魔したのではありません。
滞っているお支払いをいただきに…」
「うるせえ、このっ!!」
「ですので、早く取ってきてください」
 ドゴッッ!!
 フラつく足取りで突っ込んでくる熊ノ若を、麗香の長い脚での豪快な後ろ胴回し蹴りがえぐった。
10cmのヒールを履いていることが信じられない体捌き、美しい円を描いた挙動のソバットが
向かってくる145kgの肉の固まりを大砲のように弾き飛ばした。
 ガッシャアアアン!ガラガラ……
 くの字の砲弾と化した熊ノ若は猛スピードで吹き飛び、相撲茶屋の店内に突入してけたたましい物音を立てた。
それを見送りながらカツンとヒールを下ろし、黒く輝く長い髪を払いながら麗香は溜息をついた。
(おとなしく払うものだけ払えば、痛い思いしなくたっていいのに…
あんな脂肪まみれのデブが私に何かできると本気で思ってるのかしらね。理解力のない豚の相手は疲れるわ。臭いし。
こんな仕事さっさと終わらせて、遊びに行きたいんだけど)

「て……てめえ〜!!」
 奥の厨房から熊ノ若の唸るような怒声が響いてきた後、何やら物騒な物を持って入り口に顔を出した。
大きな魚の頭を落とすのに用いるような、分厚い包丁だった!
「親方!そんなもの持って何をする気ですか!やめてください!」
 厨房の料理長だろうか、中年の男が熊ノ若の行き過ぎた行為を阻止しようとすがりつく。
「うるせえ!」
「がはっ!!」
 だがその男が熊ノ若の怪力にかなうはずもなく、簡単に放り投げられて店内の大きな柱に激突、気を失った。
刺激されて興奮しきった熊のように荒い鼻息、鬼のように真っ赤に染まった顔。
怒り狂って正気を捨てた熊ノ若を制止できる男など、店の関係者には存在しない。
「社長…!あんな武器なんか出されたらシャレになりませんよ!」
「君は黙って見てればいいって言ったでしょ」
 この危険な状況にもただ気を揉むことしかできない無力な秘書・彰人に目をやることもなく麗香はそれだけ告げて、
モデルのように腰に手を当てたまま目の前の肥満男を見据える。

「そんなものでどうにかなさろうなんてお思いなんですね。
見ていて差し上げますから、どうぞお試しになってください」
 武器として使えばとてつもなく凶悪な物となる大きな包丁を持った大男を前にして全く動じることのない麗香。
さらに彼女の口から出る最大限に見下した言葉に、熊ノ若はためらいもなく包丁を振り上げる。
「死ねやコラー!!」
「社…!!」
 彰人が社長と叫び終わるよりも前に、事態は大きく変わっていた。
熊ノ若が大きく構えて振り下ろしたと思った包丁が、店の天井に突き刺さっている。
自らの手から武器が消え去っていることに気づいた熊ノ若の視界を、さらに接近した麗香の長身が覆う。
上から注いでくるのはまだ出会った当時と何も変わらない事務的な視線のまま。だがその中に宿る冷たいオーラを
かつて格闘技の世界に身を置いていた熊ノ若は感じ取り、これまでにない感情が芽生え始めた。
…怯えだ。

「お見えになりましたか?今の」
「あ…あああ…」
 熊ノ若には、まるで見えていなかった。
なぜ自分が今まで握りしめていた包丁が、あんな高いところに刺さっているのか。
一体、何が起こったのか。
正解は麗香の鋭い前蹴りが一閃し、熊ノ若の握っていた包丁の柄を真下からスコンと蹴り抜いたのだったが、
その答えが麗香の口から発表されることはない。
ただ黙って見下ろしてくる彼女を前に、熊ノ若は口をパクパクさせて挙動不審に陥っていた。目も泳いでいる。
持ち前の巨体と相撲の経験は用をなさず、逆に繰り返し投げ転がされる始末。
最後の手段として持ち出した得物も、何の役にも立たずに手から奪われた。
…自分が通用しないことを今更にして悟った熊ノ若は今、犬に例えるなら尻尾を股間に巻き込んでガタガタ震えている、
そんな状況だった。
「私個人的にはあなたのようなどうしようもない方は
二度と二本の脚で立って歩けないようなお体にして差し上げたいところですけれど、
あなたには今後のお支払いのためにも、くれぐれも業務に差し支えない程度に懲らしめてほしいとの依頼ですので…
今日中のご入金があれば、延滞分の料金加算は少し痛い目を見ていただければそれで結構とのことです。
N地所さんからの寛大な取りはからい、感謝してくださいね」
 凍てつくような蔑みと怒りを内包しながらの敬語口調がかえって熊ノ若を硬直させる。
処刑宣告のような言葉とともに麗香が引き締まった美しい片脚をスッと上昇させると、
これから己が身に降りかかる災厄を感じ取った熊ノ若の、普段出ないような甲高い絶叫が店内にこだました。

 ボゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴォッ!!
 悪質な滞納に対する、麗香流の懲罰が始まった。
ピンヒールを履いたままの右足で立ったまま、左足の雨が熊ノ若を襲う。
足の甲、踵をあらゆる角度から叩き込み、熊ノ若のダブついた肉体で鈍く重い音を間断なく奏で続ける。
いつしか熊ノ若の浴衣はボロボロに切り刻まれ、半裸の145kgが美脚の激流に弄ばれるようにして宙に浮き続けていた。
周りで見ている男たちは声も上げられない。
何重にも何重にも打ちのめされてより肥大していく熊ノ若の全身。パンパンに膨れ上がらせる中で、
手足と目の周りだけは避けてあげる麗香。
今日以降も働かせるためと、この蹴り地獄の恐怖を最後までその目に焼き付けさせるためだ。
驚異的な格闘と加虐センスが備わった麗香だった。
100発をゆうに超えるキックの嵐で熊ノ若を腫れダルマにした麗香は仕上げとばかりに熊ノ若を1発強く蹴り上げ、
アクロバティックに軸足を入れ替えてサッカーのボレーシュートのように右足での強烈な回し蹴りを放った。
 ズゴン!!
 フィニッシュのひときわ重い一撃に熊ノ若は芸術的なトリプルアクセルを披露しながら店内を飛行し、
壁に全身を叩き付けた後ズルズルと背中を擦りながら力なく正座の姿勢となった。
所要時間にして30秒前後、その中での100発超の空中ハイヒール全身蹂躙という荒技にさらされた熊ノ若。
麗香が選んで狙った標的の、胴体、額、頬のみがスズメバチの巣のごとくボコボコに膨張し、
細く高いヒールが食い込んだ深い痕跡もミツバチの巣のごとく至る所に刻まれている。
おそらく向こう1年間は、今日のこの惨劇がフラッシュバックする悪夢で目を覚ますはずだ。
「あなたは、これまでに取り立てに来られた方々にも乱暴なことをなさっていたそうですね。
ご自身が同じような目に遭ってみて、いかがですか?お金の恨みは、怖いものですよ」
 少しおちょくるようなニュアンスを含んだ麗香の言葉と、彼女がまた歩み寄ってくるヒールの足音を耳に入れると、
熊ノ若は激痛に軋む体に余計な負担をかけるようにガクガクと震えながら、
助けてください許してください助けてください許してくださいと呪文のような素早い繰り返しを
聞こえることのないか細い声でただただ続けていた。
闘争心などとうに失われている。決してたてついてはいけない相手に調子に乗ってしまった己の無知を
今頃後悔する以外に何もできない。

「さて、ついでですよ。これからは一日もお支払いの遅れることのないよう、いい子になる魔法をかけて差し上げます」
「ひっ、ひ……ひぃぃ」
「動かないでくださいね」
 ビュッ!!
 また1発、熊ノ若の動体視力では到底追えないスピードで麗香の赤いパンプスが蹴り出される。

 ビタッ。
「ぁ………!」
 目に留まらない速度で繰り出された麗香の脚は怯えきった熊ノ若の顔面までわずか数mmのところで制止していた。
もし麗香があとコンマ1秒でもそのタイミングを遅らせていれば、
熊ノ若は頭蓋骨で最も脆いとされる目と目の間に位置する骨を粉砕されて、パンプスの爪先が頭部にめり込み
後頭部から脳みそを噴出させて即死だったに違いない。
麗香の特別な気遣いにより、目を見開いた状態でその紙一重のスリルをとくと味わわされた熊ノ若。
命だけは勘弁してもらえたことに気づいた安堵感から熊ノ若は全身の力がゆるみ、途端に涙が、鼻水が、小便が、
堰を切って体から溢れ始めた。だらしない声を上げる大男の股間に、アンモニア臭と暖かい水溜まりが広がっていく。
今後このような真似をしたらどうなるか、何よりも説得力のある忠告となった。

 トラブル収拾代行業・オフィス麗の仕事は今日も無事に、そして鮮やかに終了した。
相撲茶屋・大入が今日まで滞納した賃料数百万円、耳をそろえて納めさせた麗香は
今日もありふれたお仕事を終えたという何気ない足取りで、彰人の待つ車へと戻ってきた。
「社長…」
「だから言ったでしょ、こんなのはいつも通りの楽なお仕事だって。
彼もしっかり反省してくれたみたい。来月からは期日までにしっかり、払うものは払ってくれるわよ」
「な、なんでそんなことが…」
「目を見ればわかるわ。さっきまで生意気だったのに急に牙を抜かれた男は、ああいう目をするものなの。
彼、今日からもしヒールを履いた女の人がお客さんとして来たら、店の奥から出てこられなくなるくらいの
いい子ちゃんになってるかもね」
「……」
 もう彰人は何も聞くことはできなかった。
これまでにも数々の、難題とされてきた事柄を引き受けて容易に解決させてしまった麗香の言うことだから。
依頼人の意向に合わせて、軽く脅す程度から一年の入院、また対象の男が二度とその仕事に関わる気を持てなくなる程度にまで
自由自在にコントロールしながら黙らせる恐怖の女エージェント・麗香の口から出ることだから。
「フフ、それにしても一丁前の口きいてる男が現実を思い知らされていくプロセスって、いつ見ても面白いものね。
だんだん弱気な涙目になっていくところ、何度見届けても飽きないわ。天職よね、本当に」
 これまでの仕事を思い出しているのか、嗜虐的な笑みを浮かべながら麗香は彰人の肩を抱いていた手を下ろしていき
背中を伝って尻を揉みしだき、身を少し屈めて彼の耳元に甘く息を吹きかける。
「はっ…ぁぁ……」
 軽くちょっかいを出す程度のタッチで、彰人はガクンと全身の力を奪われフェラーリの赤いボディに寄りかかってしまう。
「フフフ、普段のお仕事で強がってる男のメッキを剥がしてあげるのももちろん楽しいけど、
君みたいにか弱くて素直な男の子も素敵よ。それでこそ私のパートナーだわ、ア・キ♪」
 つつぅっ、くりくりっ…
「はぁっ…い、いけません、しゃ、ちょぉ……ああ〜!」
 ついさっきまで大男をぶちのめしていた猛女と同一人物とは思えない繊細な指先は、
鳥の羽先のようなくすぐったさをもたらす絶妙なテクニックで彰人の背中をなぞり上げ、乳首をつまみ、転がす。
格闘のみならず、こんなやり方で男を人形のように無力化する技術さえも麗香は持ち合わせているのだ。
「おっと、いけないいけない。お楽しみは帰った後でね。
依頼元にこのお金、渡してこなくちゃ。行くわよ、アキ」
 刺激して高めておきながら生殺しにし、脱力しながら悶えている彰人を軽く抱えて助手席のドアを開け、
バケットシートに荷物のように放り込んだ麗香。
続いて運転席に自らが乗り込むと、また独特の野太いエンジンサウンドを響かせて豪快に発進させた。


おわり





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