恥辱の王者

 無敵のチャンピオン、21世紀の暴君と謳われるキックボクサー・長沢直人は今日も圧倒的な力を見せ付けた。
あらゆる打撃系格闘技の強者が集うイベント・V-1 GPのバンタム級決勝戦。
対戦相手に何もさせないまま、1ラウンドわずか0分46秒でのKO勝ち。
そのラッシュの勢いは誰にも手がつけられず、この階級はまさに直人の独壇場であった。

 1人では歩くこともままならず、セコンドに肩を借りながらよろよろと引き上げていく相手を見送るようにしながら
直人はボクシンググローブをはめたままの手でマイクを握り会場全体へとアピールを始めた。
「俺にかなう奴は、それ以前に俺とまともに勝負ができる奴はどこかにいねえのか!
どいつもこいつも弱くて話にならねえ…今日もあっさりすぎて欲求不満なんだよ、俺は!
今からでも十分相手になってやる!根性のある奴は今すぐリングに上がれよ!」
 高慢で憎々しいパフォーマンスであったが、それを会場中に納得させてしまうだけの実力がこの男にはあった…

 …しかし今となってはその言葉を、吐いた直人自らが最も後悔していた。
なぜあの時、あんな軽率なセリフを口にしてしまったのだろうと。
震える足元でフラフラと立ち上がりながら、全身を襲う激痛と迫りくる恐怖、自分の浅はかさに
直人の精神は崩壊寸前にまで追い詰められていた。
惨めに腫れあがった瞼で狭められた視界に入る映像が二重三重にぼやけたのち、ようやく1つにとらえられる。
とても楽しそうな笑顔で、装着された赤いグローブをチョイチョイと動かして手招きするスレンダー美女の姿が…

 あのマイクアピールの直後、何のためらいもなくロープをくぐってリングインしてきたのは、1人の女だった。
直人の出場したメインイベントでラウンドガールを務める予定だった、福原沙織。
男どもを奮い立たせるようなきわどい水着のみに身を包んだ彼女は、なんら気がまえることもなく切り出した。
「あなたが1ラウンドで終わらせちゃったから私の出番がなくなっちゃった。退屈しのぎに、相手でもしてくれない?」
彼女の行動に直人をはじめ、関係者、観客一同は一様に言葉を失った。
「おいおい、何考えてんだ姉ちゃん。いくらなんでも女はねぇ…笑わせんなよ」
「笑っちゃうのはこっちよ。何を調子に乗ってるの?チビ」
「なっ…なんだと!?」
「こんなガリガリのチビばっかりが集まる階級でちょっと優勝したぐらいで何威張ってるのって言ってるんだけど?
私から見れば、マッチ棒1本持ち上げて力自慢してるようにしか見えないわね。
井の中の蛙って、あなたみたいなののことを言うのよ。素晴らしい見本だわ」
 キューティクルの輝く長い黒髪を軽く払いながら、沙織はこともなげにそう言い放った。
人気No.1ラウンドガール・184cmものスラリとした長身を誇る沙織にとっては
目の前にいる、公称163cm/53kgのバンタム級チャンピオンはあまりに小さく写ったようだ。
彼女はその長身に加えて、コスチュームとして10cmオーバーのハイヒールまで履きこなしているのだから
両者の高低差はとてつもないものとなっていた。沙織は半ばうつむくようにして直人を見下ろしていた。
「こ、この…もう1回言ってみろ!」
「あら、まだバカにして欲しいの?
…何度でも、いくらでも言ってあげる。チビ。チビ。チビ。チビ。
そんな短い手足でこれまでよく戦ってきたことだけは褒めてあげてもいいかな。えらいえらい。
でもそれはあなたと同じぐらいのチビしか相手にしてこなかったからの話よ。
…どう?あたしに当てられる?ノミみたいなおチビさん」
「くっそぉぉぉ!女のくせになめるんじゃねえ!!」
 怒りに震えた直人はセコンドの制止も振り切って、水着姿の女めがけて猛然と殴りかかった。
 ピシィン!
「!?」
 一瞬直人は今起こった現象を理解できず、しばらく経過してから強烈な焦りを覚えさせられた。
目の前の女めがけて繰り出した渾身の右ストレートが、瞬時に軌道を変えられて外されたからだ。
しかもそれは、この女の素手が自分のグローブの甲を軽く叩いたことによるものだったことを認識した。
(俺のパンチが…女に弾かれた!?そ、そんなバカなことが…)
 焦燥に駆られた直人のはるか頭上から、憎い大女の声が降りかかってきた。
「そう、本当にやる気なのね。…それじゃ始めましょうか。
これからどうなろうと、私は一切責任は負わないからそのつもりでね。くすくす」
 その優しげな口調の中に、何か得体の知れない恐ろしさを感じ取った直人は、心の深い奥底で、かすかに震えた。

 …そしてその予感は、的中していた。
ダメージが深く、おぼつかない足取りでヨロヨロと間合いを詰めて行く直人。
ファイティングポーズを取るも、グローブが震えている。
「ふふっ…まさかもう終わりなんて言わないでしょ?いくらチビの弱小チャンピオンとはいえ。
さぁ、私の顔はここよ。打ってごらんなさい」
 男子チャンピオンの直人に対し、ただのラウンドガールにすぎないはずの沙織が
まるで直人に打ちやすくしてやるかのごとく腰をかがめ、顔の位置を低くして覗き込むように挑発する。
「くぅっ…このおぉぉっ!!」
 ふらつきながらも力を振り絞って直人は沙織の顔面を狙いパンチを繰り出す。
「あらあら、振りが鈍い上に軌道のブレがひどいわねぇ…こんなパンチ、何千回振り回したって当たる望みはないわよ」
 ズンッ!!
「ぐぼぉぉぉ…」
 退屈そうな沙織の言葉とともに、彼女の赤いグローブが直人のボディを深々とえぐりこんでいた。
直人のパンチを楽々見切るたびに、沙織は嘲笑しながらその何倍もの強烈な返しを見舞ってくる。
軽量級の直人がこれまでの試合で受けた記憶のないほど、鋭く重いレバーブロー。
顎関節の稼動範囲を超えるほどに口を開いたまま悶絶し、膝から崩れうつぶせに横たわる直人。
これですでに、5回目のダウンだった。
今までの格闘技人生で相手に倒されたことなどほとんどない、天才の呼び声高かったはずの直人が…
静まり返る客席、リングサイドでマットを叩いて必死に声援を送り続けるセコンド、
そしてその情景がおかしくてたまらないかのように顔を見合わせてはくすくすと笑いを漏らす他のラウンドガールたち…

 必死に意識の糸をつなぎなおし、笑いの止まらない膝でようやく体を起こした直人の耳に、信じがたい言葉が入った。
「フィフティーエイト、フィフティーナイン!…あら、やっとお目覚め?
特別ハンデとして、あなたが起き上がるまでカウントを数え続けておいてあげたんだけど…
59まで数えてやっと、だもの。1分近くもおネンネしてるチャンピオンなんて見たことないわ」
 リングサイドで見守る、沙織の仲間の水着美女たちからいっせいに黄色い爆笑が沸きあがった。
衝撃と屈辱に直人は喉の奥で呻いた。…まさか、この自分がそんなに長い時間気絶させられていたなんて!
プロボクサーでもなんでもない、しかもただの女に…一体こいつは何者なんだ…直人は混乱に襲われた。
今までに打たれた箇所が時間の経過とともにますます腫れ上がり、視界が狭まっていく。

「さぁ、おいで」
 美しい長髪を後ろに払いながら、沙織は高い場所から悠然と見下ろして言った。
恐怖が背筋をゾクゾクと這い登り、直人は殴りかかる一歩を踏み出せない。
ガクガクと笑う足元は、もう負わされたダメージだけによるものではなかった。
「…来ないなら、こっちから行ってあげましょうか?」
 じれったそうにそう言うと、沙織はマットをハイヒールでコツコツと鳴らしながら
腰をくねらせるモデル歩きで一歩一歩悠々と直人に向かって歩み寄ってくる。
その姿にとてつもなく重い威圧を感じた直人は、もう平静を保つことなどできなくなっていた。
「うわああああーっ!!」
 精神を覆い尽くそうとする恐怖をごまかすように、直人はヤケクソ気味にラッシュを仕掛けていく。
動いていなければ、恐怖で発狂してしまいそうだったのだ。
しかし悲しいかな、スタミナが十分に残っていた時点での彼の攻撃も沙織にはかすりもしなかったのだから
今の、なけなしの力を振り絞っての弱々しいパンチ、キックが通用する道理はなかった。
「フフフ、そんな攻撃、仮に当たったってくすぐったくもないわ。当たったらの話だけどね」
 ビシッ、ドスッ、ズドォォ!!
「ぐ、ぇぇぇ…こ、このぉぉ」
「足腰がヨレヨレだから踏み込みが全然なってないわ。1発ぐらい、まともなのは打てないのかしら?」
 ガッ!ゴッ!バスゥッ!!
「ぁ…あががが」
「こっちはサービスのつもりで、手だけで勝負してあげてるんだから…少しぐらいいいとこ見せたらどうなの」
 ドムッ!ゴスッ!ビシ、バシイィィィ!!
「ぎゃ…ぁ…ぁ…ぁ……」

 直人が1発空振りする間に、沙織のグローブが3発4発と直人の顔面、ボディを激しく鳴らす。
しかし沙織の笑顔から、彼女は最大限に手加減して男をいたぶっているのが誰からもわかった。
彼女がもし本気でかかっていれば、開始30秒もかからないうちに直人は二度と立ち上がれないように
マットに這わされていたはずだ。
できるだけダウンさせないように、小さな、それでも切れの鋭いジャブで直人をもてあそび続ける沙織。
今の直人は、獰猛な肉食動物に玩弄される哀れな子鼠だった。
男子プロキックボクサー、しかも現役のチャンピオンが、悩殺コスチュームを身に纏った細身の女に、
しかもハイヒールも脱がないままの女に遊ばれ、いいように叩きのめされる異常な光景に
セコンドももはやかける言葉さえ失って、ただその惨状に凍り付いてしまっていた。

 いつしか直人は、口から真っ赤に染まったマウスピースをだらしなくこぼれ落としていた。
まっすぐ立っていることさえできない。たった今までバンタム級で無敵といわれていた誇り高き王者の姿も
どこかへ消え失せ、転倒しそうにヨロヨロと後ずさって力なくコーナーポストにもたれかかってしまった。
拳を作って胸の前で構える余力すら残っておらず、ただ1本の棒のように寄りかかる情けないチャンピオン。
「あら、史上最強のチャンピオンさんの怒涛のラッシュはもうおしまい?
…そう。じゃ、今度は私の番よ。日ごろのボクササイズの成果、見せてあげましょうね」

 そこから先は、格闘技ではなかった。
抵抗する気力、体力を失った男を長身美女が一方的に打って打って打ちまくる凄惨な処刑ショーだった。
「軽量級のか弱い男の集まりでも、一応チャンピオンだから少しは骨があるかと思ってたんだけど…」
 ズドッ、ズドッ、ズドッ、ズドォ!
「やっぱりこの程度だったのね。実力に差がありすぎたみたい。悪いことしちゃったかな」
 ビシバシバキボゴォォッ!
「それにしても、弱いわねえ。男って、勘違いしやすい生き物なのかしら?」
 ドゥッ、ドゥッ、バゴォォォ!!
「弱い男同士でしか戦わないから、自分の弱さがわからないんでしょ。お山の大将、ってまさしくこのことだわ」
 ボスッ、バグッ、ズバアア!!
「私たちがプロポーション維持のためにやってる日頃のジムワークのほうが、何十倍もハードでしょうね」
 ズドドドドドドォォォォッッ!!

 ガードするスタミナさえ奪い去られて、直人は遥か上から降り注ぐパンチの集中豪雨にまみれて泣かされ続けた。
コーナーを背にしていては、ダウンして逃れることすら許されない。
沙織のグローブが顔面に炸裂し、コーナーポストを後頭部で強烈にノックさせられて
反動で前へと戻った顔面を逃さず沙織のもう片方の拳が襲う。
みぞおちに突き刺されば大きくくの字にうずくまらされたところにすかさず沙織の、フォローするように
繰り出されたアッパーに真下から拾い上げられて再び棒立ちへと戻され、そしてラッシュは再開される。
もはや直人は、コーナー付近に設置されたただのパンチングボールに過ぎなかった。

 百発にも届こうというパンチの雨を浴びせられた直人の顔面は、隆起した表面のいたるところがザクロのように裂け
鮮血で真っ赤に染まっては大粒の涙で洗い流され、そしてまだやまぬ拳の暴風雨にまたも真紅に染め上げられていく。
打ちのめされまくった直人の顔面はすでに元の人相がわからなくなるほどに歪み、
猛烈な内出血によりパンパンに膨れ上がり、ケチャップを塗りたくられた青黒い球体へと姿を変えていた。
「だんだん、殴りやすい形になってきたわね。あなたには、そんな顔がお似合いよ」
 ビシッ、バシッ、ズドォン!
「もしなんだったら、私たちラウンドガールで使ってるジム専属のサンドバッグとして使ってあげてもいいわよ」
 ボゴッ、ベキャァァ!!

 フィニッシュとばかりに、初めて込められた渾身の力で沙織の右、左フックのコンビネーションが火を噴くと
円形だった直人の顔面は大きく湾曲、口から真っ赤に染まった前歯、奥歯がまとめて8本放たれ宙に舞った…



おわり


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