■21世紀の男女関係(青春編)

第10話 1年B組の変革  (6月2週目のこと)

 週末の土曜日。武史が遅く起きてリビングに降りていくと、父親の清太郎はソファーに横たわって大リーグの野球中継を見ていた。
父は働き盛りのサラリーマンで忙しく、平日は毎日12時すぎにならないと帰宅しないので、
武史は週末ぐらいしか顔をあわせることがないが、ここ2年ぐらいで父は太ったなぁと思う。
おそらく帰宅して深夜に飲むビールや、駅前の屋台でよく食べてくるというラーメンのせいに違いない。
そのうえ、母の美世子が「あまりごろごろしてると、ますます太るわよ」と注意しても、
週末の休みはいつもこんなふうにTVを見ている。
今年39才になる父は173cmで80kg。高校時代は水泳部のキャプテンだったらしいが、
今は皮下脂肪のついたお腹のあたりがやや重たそうだ。

 朝練のくせが付いていて、いつもは早起きの武史が、今日は遅く起きたのには理由があった。
兄の剛が模擬テストに出かけてしまってから起きたかったのだ。
兄と顔を合わすと、昨日の亜沙美との出来事をつい愚痴ってしまいそうだった。
でも思い出せば思い出すほど、自分がみじめになる。できるだけ兄と話すことを避けたかった。
 
 亜沙美をはじめて見た時、武史はあまりの可愛さにハートを打ち抜かれた。
だから、夜、家に遊びにきた時や、陸上部で一緒に走るように言われた時は、とても夢心地だった。
 だが、そんな想いはたった2日で無惨にも砕け散った。
亜沙美と陸上部で対決して負けてからというもの、それまでのクラスでの武史の人気と輝きは、すべて亜沙美にとって代わられようとしていた。
可愛くてカッコいい亜沙美のはつらつとした魅力と実力は、たちまちクラスのみんなを虜にしてしまったのだ。
 そして決定的な出来事が起こった……。

 きっかけは小さな言い争いだった。
 クラスでは、放課後の掃除は5つの班が班ごとにまとまって教室、ロッカー、廊下、トイレなどを
曜日ごとに持ち回りでやることになっていた。
武史が班長の4班は武史のほか、正男、浩一の男子3人、弘美、律子、かをり、亜沙美の女子4人の計7名がメンバーだ。
ところが一昨日のこと、掃除時間になっても女子たちが教室に戻ってこない。
仕方なく、班長の武史たち男子3人だけで掃除を始めたのだった。
 班の女子のうち、律子、亜沙美を除く2人が教室に戻ってきたのは掃除も終わりのころ、
実は女子たちが遅れたのには、その前の体育の時間に律子が倒れて保健室に運ばれてしまい、
女子のみんなが心配して付き添っていたという事情があったのだが……。
遅れたことを問いつめた武史に、その事情を堂々と話し、少しも悪びれた様子もなく
「しょうがないじゃん」と開き直ったような態度の副班長・弘美に武史がキレてしまったのだ。

 武史がキレたのには伏線があった。
もとを正せば、キレたきっかけは、先週亜沙美にグラウンドで負けたあと、教室に戻ってきたときに偶然聞いてしまった
クラスの女子たちの声だった。
 廊下から教室に入る寸前、「武史って、だらしねぇ〜」という弘美の大声が聞こえ、
続いて女子たちの「アハハハ」というバカにしたような笑い声が廊下までこだました。
武史が教室に入ると、女子たちは静まり返ったように黙り、その場をつくろっていたが、
副班長の弘美だけが「フフッ、武史くん残念だったね。今度は亜沙美に勝ってね」と白々しい言葉を吐いたのだ。
さっきは率先して「だらしねぇ〜」と笑っていたのに…。
 それからというもの、副班長・弘美の武史に対する態度は豹変した。
これまでは「ね〜、武史く〜ん」と甘えるような口調で女子の相談事を持ちかけてきていたのに、
相談はぜんぶ亜沙美にするようになった。そして、ことあるごとにナメたような口調で話し掛けてくるようになったのだ。
そこへきての、おとといの「しょうがないじゃん」という発言。しかもそのあと、弘美はかをりにこう言ったのだ。
「掃除は男子が済ましといてくれたみたいだよ。超ラッキーしちゃった!」
女子から男子に対して、ひとことの詫びも御礼もないことに武史はキレた。
「ひとことぐらい、謝れよ」
 だが武史があまりに強い調子で怒鳴ったものだから、弘美とかをりは猛烈に男子に反発してきた。
「何よ! そんなに偉そうに言うこと? 律子が授業中に倒れたのよ。
むしろ、私たちに“大変だったね”ぐらいの思いやりを示すべきじゃない?」
 すると、この女子のすごい剣幕に、最初は武史に同調して、
「ほんとだよ」「ひとことぐらい謝れよ」と言っていた正男と浩一までがビビりだした。
 もともと中1といえば女子の方が体格がいい。武史の班でも、小学校からスポーツ好きだった166cmの武史はともかく、
正男と浩一はいずれも身長150cm台。
対して4人の女子はすべて160cm台で、亜沙美の168cmを筆頭に、律子は160cm、弘美は163cm、かをりは165cmもあった。
 亜沙美が転校して来るまでは、身長が一番高く、力でもスポーツでも一人秀でていた武史が自然と人望を集め、班長に選ばれたが……
身長でも運動能力でも武史を超える亜沙美がいる今となっては、女子が圧倒的に勢いづくのも当然と言えば当然だった。
153cmの正男と158cmの浩一は、腕組みして睨みつける弘美とかをりの前で、
まるで小動物のように弱々しく肩を震わせて、シュンとしてしまった。
 そこに最後まで保健室で律子の面倒を見ていた亜沙美が戻ってきた。
亜沙美は、睨み合っている武史と弘美の様子に
「いったい、どうしたの?」とキョトンとしていたが、事情を聞くと、
「そうだったの。武史くんたち、ごめんね」とあっさり一言謝って、
「さあ、つまらないことでぶつかってもしょうがないでしょ。二人ともよしなさい」と諌めるように言った。
 亜沙美にこう言われては、女子も男子も引き下がるしかない。だが、この一件がこれで終わるはずはなかったのだ。

 翌日のホームルームで、弘美が担任の松島先生に、ある提案をした。
「もうすぐ、このクラスになって3か月になります。
そこで提案なんですが、前にクラス委員の選挙をやったときには、まだ松永さんがいませんでした。
でも活発な松永さんに何かの役割をやってほしいという人も多いと思うんです。ですから、委員選挙のやり直しを提案します!」
 女子生徒たちはいっせいに拍手した。
(第10話、完)





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