■21世紀の男女関係(青春編)

第12話 武史の胸の内
 
 亜沙美の思いがけぬ優しさもあって、奈々子先生が課したモップがけの罰は、武史にとってバラ色の時間となった。
あれほど亜沙美のことを憎たらしいと思っていた武史だが、
早朝の体育館に突然亜沙美が現れた瞬間、不思議とそのわだかまりは消えうせ、
内出血をしていた右腕を隠すぐらいに、亜沙美の前でカッコをつけてしまっていた。
 だが、気持ちのいい時間は、そう長くは続かなかった。

 その日の1時限目のあと、武史は早くもクラスの男子たちにからかわれた。
朝のモップがけを亜沙美がこっそり手伝ったことがバレてしまったのだ。
「武史、ほんとは松永とデキてんじゃねえの? 
このあいだの掃除のとき、松永が武史のことを怒ったのも、お前がなんか松永にしたんじゃないかって言うもっぱらの噂だけど」
 こう言われては、武史もみんなに向かってキレるしかなかった。
「ふざけんなよ、あんな生意気な女、向こうから頭下げてきたって付き合わねえ」
 確かに今朝、亜沙美が手伝ってくれたのが嬉しかったことは事実だが、おれが亜沙美を好きだって? ありえない。
だいいち、身長でも運動能力でもクラス一番だった武史の栄光の座を、
亜沙美は転校してくるなり軽々と奪いとってしまったのだ。しかもそれを少しも悪びれもせず、今度はみんなの前で腕をねじ伏せるなんて。そんな気の強い女を好きになるはずがない、と武史は改めて自分に言い聞かせていた。
「正男、浩一、お前らだって、金曜日はオレと一緒に“女子のやつら、許せねえ”って怒ってたじゃねえか。
あの時の男子の怒りをもう忘れたのかよ……!」
 だが、みんなに囲まれて怒鳴りまくる武史の怒りに、他の男子はついてこない。
「まあまあ、武史、そう怒るなよ、松永だっていいとこあるじゃん。
武史にあやまりづらいから手伝って気持ちを示したんだと思うよ」
 冷静にそういうのは、ついこの間、女子にその立場を奪われそうになった学級委員長の和雄だった。
これだからガリ勉は信用できない。
どうやら、亜沙美がモップがけを手伝ったというだけで、男子はみんな、先週末の腹立ちをあっさり鎮めてしまったようだ。

 武史はその理由をわかっていた。それもこれも、亜沙美がボーイッシュだが可愛く、気は強いけど性格も良いせいだった。
そして何より、陸上部で練習している彼女は抜群にカッコいいのだ。
武史も何度か遠巻きにボーッと見たことがある。
1年生にしては背が高いのはもちろんだが、整列の時にほかの女子と並ぶと、誰よりも肩が張ってお尻が大きく、
いわゆるボン・キュッ・ポンの体型であるのがはっきりと分かる。
近くで見るとガッチリした逞しさに驚かされる長い脚も、意外なことにほかの女子より細くスマートだ。
無駄な皮下脂肪がついていないからだろう。
だが彼女が走ると、この脚がみるみる変貌し、力強さを増す。その魅力は多くの男子を虜にする。
同じクラスの大介や正男なんて、この間、放課後のグラウンドで短パン姿で走っている亜沙美のことを、
校舎の影からこっそりケータイで撮っていたぐらいだ。
そんなわけだから、亜沙美が転入してきて、女子たちがずいぶん威張るようになったとしても、
クラスの男子にも隠れ亜沙美ファンは急激に増えていた。

 昼休み、武史は今度は亜沙美のところに歩み寄り、「ちょっと」と廊下に連れ出した。
しかし、それだけでもクラスのみんなに注目されてしまうのがわかった。みんなの目がオレたちを追っている。
でも、気にしちゃいられない。
「亜沙美、お前、今朝のことしゃべっただろ」
「しゃべってないよ。自分で手伝ったなんて言うわけないでしょ」
「でも、みんな噂してるし」
「ごめん、体育館からバケツを片付けるところを偶然かをりに見られて」
「かをりがしゃべったのか!」
「でも、かをりを責めないで」
 亜沙美は心底謝っているようだった。
「ごめんね、かえっていろいろ言われちゃって…。私、手伝わないほうが良かったかもね」
 すると、
「そんなことないってば!」
 武史は、自分自身も驚くほど咄嗟に反応を返していた。
やはり心のどこかに、亜沙美に手伝ってもらって嬉しいという特別な気持ちがあることを、
武史自身もこのとき初めて気がついた。
……実は今朝、武史は、亜沙美との間にあるひとつの秘密を持ったのだった。
そのことがまた、必要以上に亜沙美を意識してしまう原因だったのかもしれない。
「でも武史くん、あのことは、かをりにも絶対言ってないからね」
 亜沙美がその秘密について、嬉しそうに耳打ちする。武史はなんと反応したらいいかわからず、ちょっとドギマギしたが、
ちょうどその時、かをりが遠くから
「亜沙美、奈々子先生が職員室に呼んでるよ」
 と叫んだので、
「アレ、あとでちゃんとメールで送るから」
 とだけ言い残して、亜沙美は走り去っていった。

 その秘密とは……あのモップがけを終えた後、体育館で亜沙美はケータイを取り出して、武史のことを撮ろうとした。
「おい、何してるんだよ」
 武史が言うと、こういったのだった。
「撮っちゃダメ? 武史くんの写真」
「なんで?」
「なんでって、まじめにモップがけしてる武史くん、ちょっとカッコ良かったから」
「オレのこと、おちょくってんのか? バカにしてるだろ」
「そんなことないよ。……本当にそう思ったのに」
 ちょっとガッカリした様子の亜沙美を見て、武史も黙ってしまった。
「(本当にオレを撮りたかったのかな?)」
 そりゃ武史だって男として、女の子に“カッコいい”と言われるのは決して悪い気はしない。
 ましてや武史の写真をケータイに残そうとしているのだ。普通なら無条件でOKするところだ。
でもその相手が、最近、天敵の亜沙美だけに、からかわれているとしか思えなかったのだ。
“その気になったバカ武史”なんて文字を乗せられて女子たちに一斉送信されないとも限らない、と。
「じゃあ提案……」
 沈黙を破ったのは亜沙美のほうだった。
「何?」
「ふたりでお互いに撮ろうよ。武史くんも私を撮って。それならいいでしょ? ダメ?」
 思いがけない提案だった。一緒に撮れば文句はない。
それに……武史も、大介たちのコソ撮り行為を横目でみながら、本音では亜沙美の写真を撮りたいと思っていたのだ。
だが、なんと運の悪いことか!……武史は今朝、いつもより慌てて家を出たせいで、ケータイを忘れてきたことに気がついた。
これではお互いに撮り合うことができないから、やはり亜沙美に写真を撮らせるわけにはいかない。
武史はこんな日に限ってケータイを忘れたことを悔やんだ。
「オレ、ケータイ忘れたから、やっぱりダメだ」
 武史の本音は「亜沙美にケータイで写真を撮ってほしい」のだったが、
最初にああ言ったものだから、いまさら「撮っていいよ」とも言えなくなってしまった。
すると今度、亜沙美はこう提案した。
「じゃあ私のケータイでお互いに撮らない? 私が武史くんを撮るから、そのあと武史くんが私を撮って。
私の写真はあとで送信してあげるから」
「ホントだな?」
「もう、疑り深いなぁ武史くん。心が狭い!」
 そうしてふたりは写真を2枚ずつ撮った。亜沙美は自分がしてほしいポーズを武史にさせ、武史も同じように要求した。
武史は2枚のうち1枚を、亜沙美の全身が入るように少し離れて撮った。
亜沙美の長くてカッコイイ脚をちゃんと収めたかったからだ。
亜沙美はそのことになんとなく気づいて、「ふ〜ん、武史くんってそうなんだ」と笑ったが、武史は気にしなかった。
好きなポーズを撮ろう、と最初に提案したのは亜沙美のほうなのだから…。
 そして最後に……亜沙美は急に武史に寄り添うようにすると、長い腕を伸ばしてケータイをできるだけ遠くにし、ふたりの2ショットを撮った。
「ほら、笑って。撮るわよ!」
“カシャッ”
 まさに早朝の罰がプレゼントしてくれたような、<ふたりだけの記念写真>だった。
「亜沙美、ちゃんと送れよ、オレのところに」
 亜沙美はニコニコして、「もちろんよ」と言うと、武史をからかうように言った。
「ねえ、武史くんもホントは前から私の写真欲しかったんでしょ? 
よく、私が走ってるとこをこそこそ撮ってる男子がいるけど、それよりもずっとお宝よ。
なんたって私公認の一枚なんだから(笑)」
「お前、撮られてるの気がついてたの?」
「大介くんとかでしょ? いやらしいわ。
でもいちいち怒ってても練習の気が散るし、どうせケータイであの距離じゃ、ボケボケの写真しか撮れないだろうから、
もう放っておくことにしたの。先生も何かあったら、とっちめてくれるって言うし」
さっきまで、圭介や光男が亜沙美の練習姿をケータイで撮っていることを批判した武史だったが、
実はこうして<自分だけの亜沙美>をゲットしてしまったのだった。
けれど、それは誰にもいえなかった。

 家に帰ると、武史は一目散にケータイに飛びついていた。
亜沙美の写真が早く見たくてたまらない。着信メールのリストに“秘密だよ”というハートの絵文字つき着信が3件あった。
それぞれ亜沙美ひとりの2枚と、2ショットの写真がちゃんと届いていた。メッセージは「大事にしてね」。
武史はすぐに亜沙美のアドレスを、わざと“天敵”と登録した。
送られてきた写メールの亜沙美は、とびきりの笑顔で、いつにも増して可愛かった。
ああ、むちゃくちゃに生意気で憎たらしい亜沙美なのに、
写真のなかでは武史に寄り添うようにして、こんなに可愛く写っているのだ。
武史の胸はざわめいていた。亜沙美には陸上で負けて、力でもかなわないというのに、
武史はそんな眩しい彼女の前で、どんどん好きになる気持ちを抑えられなくなっていく。
彼女の溌剌とした魅力にKOされていく。目をつぶると亜沙美の顔をはっきりと思い浮かべることができる。
 武史はもう、何がなんだかわからなくなっていた……。

(第12話・完)





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