■21世紀の男女関係(青春編)

第19話(番外編) 美女はみなフレンチがお好き(前編)

「う〜ん!!」
 奈々子は、目を覚ますとベッドにいた。
「痛いっ」
 その痛みのせいで、しだいに意識がはっきりとしてきた。
今日は嬉しい休日。何かとわずらわしい生徒たちもいない。
しかし奈々子は自分のベッドで目を覚ましたわけでもなければ、恋人といっしょにホテルにいるわけでもなかった。
何より、この激しい痛みは何なの?
「なんだか変な臭いがするわ」
 横たわったまま部屋の匂いを嗅ぐと、馬糞の悪臭がした。
「そうだ、私は落馬したんだったわ!」
 ここは奈々子が通う乗馬クラブのなかにある救護室だった。

 乗馬は奈々子にとって、三度の食事よりも夢中になれるスポーツだった。
スポーツなら何でもござれの奈々子は、いままでありとあらゆるスポーツを試してきたけど、何より気に入ったのが乗馬だった。
チームスポーツは苦手だ。テニスはうますぎて、なかなか相手になる友達がいない。陸上や水泳はしょっちゅうやるけど孤独なスポーツだわ。
その点、乗馬はもの言わぬ相手とのコミュニケーションが楽しい。
馬にも気の強い馬、優しい馬といろいろあるが、見ただけではその性格がわからない。
乗りながらお互いを知る。相手をなだめて優しくもするが、それだけでは馬になめられてしまう。
 だから時々は挑発もして、馬を強気に調教しなければならない。
 そういう過程をへて、お互いが良きパートナーになっていくのだ。
特に奈々子はちょっと生意気な暴れ馬が好きだった。頼りない優しい馬よりも奈々子に合っていた。
脚力が強い奈々子は暴れ馬を大胆に躾けることができる。
両脚の内腿の筋肉で締めつけて、そのパワーと熱量を馬に思い知らせてやるのだ。
すると奈々子の実力を認めた馬は、なんとか奈々子に許しを請うて、少しでも優しくして欲しいと対話を求めてくる。
暴れるのをやめて奈々子に甘えてくる。こうすることで、奈々子は暴れ馬との方が、上下関係のない同じ目線で会話できるからだった。
   
 レザーのスーツに、白い乗馬タイツで全身を包んだ奈々子がベッドから起き上がった。
「奈々子さん、無理しないで」というのは、若くて優秀なインストラクターの孝則だ。
ぴっちり太腿に密着したタイツが174cmと長身の奈々子の美脚をさらに強調している。その姿はなんと色っぽいのだろう。
孝則は最近、奈々子の魅力に参ってしまい、何かと誘いをかけていた。
同じ名前の女優のような、心を癒される爽やかな微笑み。
だが一転して、見事な運動神経と手綱さばきは男性のような思い切りのよさで、
そのギャップが醸し出す不思議な魅力にも魅入られていた。
しかも彼女を担当することは、自分の将来性にもつながる。奈々子は、身長では170cmの孝則よりも大きい。
だいたい大柄な人はあまり乗馬に向いていないのに、
それでも奈々子はこの教室でも難しいタイプの馬をいとも簡単に乗りこなせるのだ。
彼女の専属インストラクターになりたい。そして、あわよくば彼氏になりたい。
そうすれば、孝則自身のインストラクターとしての地位も保証されたようなものだった。

 担当医の診断は捻挫だった。たいしたことはない、という。
だが孝則は「このチャンスを逃すか」とばかり、最後まで付き添うと、
「落馬したのは僕の管理不行き届きでもあるのだし、送っていきますよ」と申し出た。

 奈々子は、クラブの外でお近づきになりたいという孝則の企みを十分にわかっていたが、
「(今は彼もいない身だし、ちょっと甘えちゃおうかな)」と思って承諾した。
「お詫びにフレンチなんか、どうですか?」という孝則。
そら誘ってきた! でも、こっちの思うつぼ。ようし、高めの料理をおごらせちゃおう。
「ホントに? 嬉しい! 私、フレンチに目がないんです」

 孝則は、あまり給料が高くないはずなのに、なかなか予約のとれない目黒の有名店で、かなり高額なフレンチをご馳走してくれた。
「感激! こんなにおいしいフレンチ、私、初めてかもしれない!」
 奈々子は素直に喜びを口にした。すると孝則は、ここのオーナーを知っているのだと自慢げに言う。
そのオーナーを紹介され、奈々子も“チャンス!”とばかりに名刺を差し出した。
こういうお店はオーナーと知り合いになっておけば、使い勝手がいいのだ。
奈々子はいつも中学生の生徒たちを相手にしているストレスも忘れて、孝則と明るくなんでも語らった。
なぜ馬を好きかという話から、休日の過ごし方、元カレの話、好きなミュージシャンやお笑い芸人まで、ざっくばらんに……。
そんな奈々子の明るい輝きが、ますます孝則を夢中にさせていく。
「(彼女のこの聡明さ、この性格の良さ、しかも美形で、大柄な迫力のあるナイスバディ! 
こんな女を逃したら絶対に後悔するな。よーし、せっかく食事までこぎつけたんだ。一気に今日決めてやるぞ!)」
 孝則の心にさらなる野心が芽生え、奈々子にさりげなくワインをついでいく……。
「このワインもおいしい!」
「そう、良かった。じゃあ、このパテはどう?」
「このパテも!トロけるようで最高!」

 奈々子は教師だから褒め上手。その女神のような微笑を炸裂させながら、
どんどん孝則を乗せて、次々においしい料理を可愛くせがむ。
孝則は奈々子の大食漢にちょっと焦りながらも、目的のためにはどんどんワインを勧めてくる。
奈々子はそんな孝則の計画をとっくに見抜いていたが、知らんぷりして付きあうことにした。
アルコールは、大学の体育会時代に徹底的に鍛えられていて底なしの強さだから全く心配がないのだ。
ここはちょっと可愛く、少し酔ったふりをしながら、おいしいものを食べつくしちゃおっと。

 店を出るとき、孝則は奈々子を先に店の外にうながした。チェックのとき、その金額に焦る様子を見られたくなかったのだ。
「(えっ? 6万円も?)」
 奈々子を落とす目的のためとはいえ、その代償はあまりに大きかった。
この金額を埋めるためには、いつもより10日は残業を増やさなければならないだろう。
しかし、もう終わったことだ。こうなったら、今日は何がなんでも彼女をモノにしなければ、と決意を新たにして店を出る。
店の入口のところで待っていた奈々子は、「おいしかった、ありがとう!」と微笑んで礼をいうと、ちょっとフラついていた。
「ちょっと酔ったかしら。外の風が気持ちよかったから、つい……」
 大柄な美女のこんな弱さにも、男はクラッとしてしまうのだ。
孝則は、ますます目の前の奈々子の虜になっていた。

(第19話 完)





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