■21世紀の男女関係(青春編)

第22話 男のプライドのために

ふたりの乗ったボートは、ようやく池の淵の船着場にたどりつこうとしていた。
真由美のパワフルなオール捌きによって、信じられないような速さでここまでたどり着いたのだ。
「剛、Gジャン、ありがとうね」
真由美は汗を拭きながら、Gジャンを持っていてくれた剛に感謝のことばを言った。
しかし、剛にはいささか屈辱だった。真由美が必死にオールをこいでくれている間、
自分が出来たことといえば真由美のGジャンを持ってやることぐらいだったのだ。これでは男のプライドがすたると思った。

ところが……ようやく岸までたどり着いたとき、どこからともなく悲鳴があがった。
池で老夫婦を乗せたボートからおばあさんが転落し、ボート上のおじいさんが助けを求めて必死の声を出していたのだ!
「ちょっと。助けないと…」
 また、すかさず行動しようとしたのは真由美のほうだった。
だが、真由美にオールを奪われて打ちひしがれていた剛は、水泳にはそこそこ自信があった。
ここは自分が頑張らないと、ますます真由美にナメられてしまう。
「ようし!」
すかさず名誉挽回とばかりに池に飛び込んで助けにいく。真由美も思いがけない剛の行動力には目を細めた。
「(なんだ、剛もなかなかやるじゃないの。)」
 そこには真由美のまだ知らない剛の男らしさがあった。
剛がおばあさんの溺れている地点に向けてぐんぐん泳いでいくのを真由美は目で追った……つもりだった。
だが、なにかがおかしい。冷静になってみると、剛のスピードは折から吹いてきた風に煽られてまったくあがっていない。
おばあさんのところに、なかなか行き着かないのだ。相手は助けを待ちながらも、もはや一刻の猶予もないようすだ。
剛とおばあさんの様子を心配そうに目で追う真由美、
「(ああ、見てられない!! ここだけは剛に花を持たせてあげたかったんだけど……。)」
そうつぶやくと、すかさず、長身を活かしたダイナミックなフォームで池に勢いよく飛び込んだ。
力強く豪快な真由美のクロール。そのスピードは剛とは比較にならない速さだった。
後方から、あっという間に剛に追いつき、あっさりと追い抜くと、
まずはおぼれていたおばあさんに声をかけ、水上で抱きかかえた。
そのあと、剛の助けを借りて二人で岸まで運ぼうとしたのだが……
おばあさんを抱いたまま剛のところまで泳ぐと、剛もいつのまにか意識が朦朧としているではないか?
「も〜う、肝心の時にまったく頼りにならないんだから!」
真由美はおばあさんを抱きかかえたまま、「剛、剛……しっかりして」と呼びかけた。
だが、相変わらず彼の意識がしっかりしてこないことを確認すると、
意を決して、剛の横っ腹に力強い肘鉄を見舞って完全に気絶させた。
「(剛、ごめんね)」と心のなかで詫びる。
完全に気絶させたほうが相手の身体から余計な力が抜けるので、抱きかかえるのが楽なのだ。
こうして真由美は剛のことも抱きかかえ、力強いキック泳法で二人を見事に岸まで運んできたのだった。

助けられたおばあさんは、真由美の手を握って感謝した。
ボート上でオロオロしていたおじいさんも自分が何もできなかったことを恥じて、真由美に頭を下げ、感謝した。
その横にはもうひとり、剛が寝かされている。
おばあさんがいう。
「気絶してるのは、あなたの彼氏なの?」
「ええ(笑)、男のくせにだらしなくて、すみません」
「ウフフ、あなたが謝らなくてもいいのに。それにしてもあなた、大したものね。
私をここまで助けて、そのうえ彼氏も抱えて…。ぜんぜんそんなふうには見えない可愛らしいお嬢さんなのに」
恥ずかしくて何もいえず、顔をあからめる真由美。
「いえいえ、ほんと、最近の女の子は男の子よりずっと頼もしいわ」
「そんなこと言われると、照れちゃいます」
そこで「うーん」と横に寝かされていた剛が起きてきた。
「あれ、オレはいったい?」
「剛、大丈夫?……どこまで覚えてたの?」と真由美。
「ええと、おばあちゃんを助けようとして思わず飛び込んだけど、あとは朦朧としていて、実は覚えてないんだ。
でも、おばあちゃんがここにいるってことは、ちゃんとオレ助けられたのかな?」
剛はなにも覚えていないようだ。おばあさんが半ば呆れたように笑って説明した。
「ありがとう! あなた、剛くんって言うの? あなたが私を助けてくれたのよ。すごい勇気だったわ」
 おばあさんは、なぜかまったくのウソをついた。
「そうか、よかった! まあ、おばあさんひとりぐらい軽いもんですよ」 
 何も知らない剛はひとり鼻高々だ。その反応を見て、おばあさんはこう付け加えた。
「だけどね……あなたは最後、岸までたどり着けずに気絶しちゃったのよ」
そう言って、真由美にウインクした。一部始終を見ていたおじいさんが本当のことを言おうとしたが、
おばあさんは睨みつけて黙らせる。
「そうしたら、今度は、このお嬢さんが飛び込んでかけつけてくれて」
「真由美が…」
「そのあと、あなたと私の二人を抱えて、岸まで泳いでくれたの」
「えっ、二人を抱えて…」
「そうよ。だから彼女にも感謝しないといけないわね。あなたも凄いけど、彼女はもっと凄いんだもの」
驚く剛の表情に、真由美とおばあさんは顔を見合わせながらニコニコしていた。
「でも剛がおばあさんを助けて途中まで必死だったから、それを見て、私も頑張れたんだと思う」
 真由美の言葉が剛の胸にしみる。そして、剛もなんとか真由美の前で男のプライドを見せられたのだと思うと、勇気が湧いてきた。

別れ際、おばあさんは剛のいないときを見計らって、真由美にこういった。
「あなた、このだらしない彼氏のこと、好きなの」
「はい」
「まあ、どうして?」
「私、ちょっと頼りないところがあるほうが好きなんです。彼に頼られるのも、なんか気持ちいいって言うか……
私って変ですか?」
おばあさんは、「あらまあ」という顔をして、こう続けた。
「少しも変じゃないわ。まあ時代が変わったということなのね。いまは女のほうが強い時代だから、それでもいいのよ」
「私も、そう思います。これからは女子が男子を守ってあげないと…」
「じゃあ、しっかり守ってあげるのよ」
「はい」
「でもね、ひとつだけ忠告! あなた、さっき見てたら、ひとりで頑張ってボートを漕いでいたでしょ。
あれじゃ、彼氏の男のプライドが形無しになっちゃうわよ」
おばあさんは転覆するまえに、真由美たちのことを偶然見ていたのだった。
「ときどき、さっきのように花を持たせてあげることも大事。男ってプライドばかり高いんだから(笑)、
そこをうまく利用して、ちゃんと彼を操縦しなさいね。人生の先輩からのアドバイスよ」
「はい、ありがとうございます」
 真由美はおばあさんから、ひとつ学んだ気がしていた。
 おばあさんは別れ際、今日の御礼に「今度うちに遊びにいらっしゃい。なにか相談事があったら乗ってあげるわよ」
と言って、一枚の名刺をくれた。そこには「高乃旗恵子」とあった。なんてめずらしい苗字だろう。
真由美が知る限り、この苗字を持つ人は、有名な民自党の幹事長の高乃旗五郎と、このおばあさんぐらいだった。

その夜、公園からの帰り道、剛は真由美と話しながら歩く。
「真由美、オレとおばあさんを抱きかかえて、岸まで……」
「きっと、火事場のバカ力ってやつよ」
「凄いな」
本当に凄いと思った。剛には逆のことが出来るだろうか?
「さっきから驚いて感心ばかりしてるけど、その前に御礼のひとことぐらい言ってよね」
「ありがと」
と、あまりに素直な剛のひとことに、また照れる真由美だった。すると剛が訊いた。
「ところでさあ、抱えて泳いだって言ってたけど、どういうふうに」
真由美はそのときのポーズをジェスチャーした。剛をしっかりと胸に抱きとめ、
彼の呼吸と体温を確かめながら泳いでいたのだ。剛はそれを見て…
「ねえ、それマジ? オレ、何て時に気を失ってたんだろう。せっかく身体を密着できたのに……
真由美の胸も感じられたのかな…」
 その瞬間、バシッというものすごい音がした。
真由美が剛の頬に平手をくらわせたのだ。
「もうっ、剛ったら!」
(第22話、おわり)





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