■21世紀の男女関係(青春編)

第23話 優しい教育

7月に入り、朝から蒸し暑い日が続いていた。
家族が全員外出してしまった日曜日、剛はめずらしくクーラーをつけて、家にひとりでいた。
朝の新聞のテレビ欄に、とある番組タイトルをみつけて興味を持ったからだった。
いつもは見ることのほとんどないNHK教育テレビ。
剛が見つけた番組は「あなたも身を守れる! すぐに使える護身術」というものだった。
剛は、この2ヶ月で日に日に真由美と親しくなっていることを実感している。真由美からのキスもゲットした。
だが、それも嬉しい反面、なんとなく微妙な気分だった。
だいいち、男のオレが先に女子から唇を奪われてしまうなんて……。最初はからかわれているのかと思ったぐらいだ。
本当なら自分から真由美にキスしたかった。だが勇気がなかったのだ。
真由美はなにをやらせても剛よりできるスーパーウーマンだ。
スポーツでも勉強でも。そしていまやクラスの人望も一番だ。
剛は中3で学級委員を務めるほど活発だったが、そんな男の自信も真由美がこの中学にやってきてからは揺らいでいた。
この間の模擬テストのあとも、真由美にボート漕ぎでもリードされ、また自分が溺れたところを救ってもらうという失態を演じた。
それも、真由美にいいところを見せようと、自分がおばあさんを助けにいったはずだったのに……。
いちどぐらい真由美に自分をちゃんと認めさせたい。そんな気持ちは日に日に強くなっていた。
そうすれば自分から真由美に、自信を持って、このあいだのキスの返事ができるような気がしていた。
間接ワザで相手を倒す護身術というのは、前に映画で一度観たことがあった。
その映画ではまだ幼い少年が大柄な格闘技の選手を軽く片手で押し倒していたが、
小柄な人でも“気”の合わせ方ひとつで、大柄で屈強な男を簡単に倒せるのだということを知った。
そこでこの番組を見てみた。このワザをマスターしてサッとかければ、真由美にひと泡吹かせられるに違いない。
剛は番組をハードディスクに録画して、繰り返し繰り返し見た。

その夜、弟の武史が帰宅すると、部屋に呼んで、ワザのチェックのためにサッとかけてみることにした。
「ちょっと武史、話があるんだけどさ」 
「何の話?」
 そう近づいてきたところを、剛は、サッと一瞬で武史の関節をとってひねった。
 見事に決まった、と思った。
別段力を込めたわけでもない一瞬の気を合わせた関節技だったが、手首をとると武史は
「あっ!」
と声をあげ、態勢を崩して痛がったまま、なんの抵抗もできず剛の足元にくずおれた。
「ま、参ったよ!! アニキ、ギブ、ギブ」
まさに一瞬のことだったが鮮やかにひねりワザが決まったのだ。
兄弟でもどちらかといえば、スポーツ万能なのは弟の武史のほうだ。その武史から軽々とギブアップを奪って得意満面の剛。
「真由美にもこれで勝てる!」と妙な自信が湧いてきた。
「へへ、護身術の間接ワザさ」
「いつの間に覚えたの? マジで逃げられなかった」
「テレビで覚えたんだよ」
「スゲエな」
武史は目を丸くして驚いている。それでも剛は満足せず、弟を相手にもう一度ワザをかけさせてもらうと、
さらに何度も録画した番組を見て、ワザの精度を高めた。
そしてベッドに入ってからも、明日はどうやって真由美と出会い、どうやって技をかけようかと、
あれこれ頭のなかでシミュレーションしてみるのだった…。

翌朝、剛が通学路を歩いていると、いつものように
「ねえ剛! 待ってよ」
と真由美が追いついてきた。真由美は後方から走ってきて、剛の頭にバーンと勢いよく荷物でいっぱいの通学カバンをぶつける。
遠慮のないそのぶつけ方。それがこのところの真由美の朝の挨拶だった。
「痛えな、怪力オンナ」
「なに言ってんの(笑)、いつものことでしょ」
真由美は、剛と歩く毎朝のこの時間が楽しくてしょうがないといった感じだ。
だが剛は今日こそは真由美の隙をみて、あのワザをどこかでかけてやろうと狙っていた。
「(いまに観てろよ、真由美…)」
剛は真由美と歩きながら、どういうタイミングでワザをかけようかと彼女の身体の細部をチラ見する。
高い身長に長い手足。スラリとしたスタイルだから、ワザは案外かけやすそうだ。あとはタイミングだけだ。
いま、一気にかけてしまおうか? だが、
「どうしたの? 今日の剛、ちょっと変」
先に真由美に異変を気づかれてしまった。
「なに私のことエロい目で見てんのよ、制服の後ろでもやぶけてる?」
「そ、そんなことないけど……」
「じゃあ、なんなのよ。あんまりエロエロすると、剛のこと嫌いになるわよ」
と強い口調ながら、真由美は剛を信用して笑っている。心を許した剛の前では隙だらけだった。
これなら、いつでもワザをかけられそうだ。いつでもチャンスがあるのなら、急がなくてもいい。
あとでじっくり狙いをつけて実行しよう。剛はそう決めた。

月曜日はグラウンドで全校朝礼がある。その朝礼のあと、剛は下駄箱付近の廊下で真由美を待ち伏せした。
鉢合わせしたら、ふい撃ちのように護身術の関節締めワザをかけて、「ざまーみろ!」と言ってやるつもりだった。
そこへ真由美がやってきた。剛は下駄箱脇の狭い通用口に真由美を手招きした。
「剛、何してんの。もしかして私のこと待ってたの? なに?」
真由美は朝からいつもとは違う剛の様子にちょっと顔を赤らめた。告白でもされるのかと思っているようだ。
「ウフフ、何よ」
「……」
「早く言いなさいよ」 
真由美はわけもわからず照れている。剛はまじめな相談でもするように真由美に近づいた。
そしてワザを…と思ったが、同じクラスの萩原美紀が絶妙なタイミングで「ねえねえ真由美〜、ちょっといい?」と寄ってきた。
真由美は一瞬、剛の話を聞くために美紀を遠ざけようとしていたが、
剛のほうがふたりきりでコソコソしているのを見られて、
慌てて「あっ、オレは後でいいから…どうぞ」と、美紀にその場を譲ってしまった。
何を言いだすのか密かに期待していたらしい真由美は、剛に向かって露骨に「何よ、いくじなし」というような顔をした。
剛は、こうして、またワザをかけるチャンスを逸してしまった。

さて、次のチャンスはいつかなぁと思っていた剛だが、その機会は意外と早く訪れた。
2時間目の授業が終わったとき、朝の一件を気にしていた真由美のほうから、誘い出されたのだ。
剛はクラスメートの目を気にしたが、真由美はそんなことも気にせず、剛の腕をつかんで「ねえ、ちょっと話があるの」と連れ出した。
剛は真由美に連れ出されて校舎の屋上に出た。
「ねえ、朝、何か私に用だったんでしょ。話してよ。気になって授業に集中できないし」
そういって剛に迫る真由美。剛はまわりを気にした。屋上には誰もいない。真由美にワザをかけるには絶好のチャンスが訪れた。
真由美のほうは、剛がやたらと周囲を気にしているのを見て、完全にコクるのだと思いこんでいる。その心の隙も剛には好都合だった。
真由美がさらに寄ってきたので、剛は関節ワザの狙いを定め、真由美の腕に手をかけようとしたが、
その一瞬、真由美は恥ずかしがってスッと後ろを向いてしまった。思わずズッコケる剛。
企みは見破られてしまったかもしれない。
だが、幸いなことに真由美はまったく気づかずに、またこちらに振り向いてきた。
「ねえ、話してよ……えっ、いったい何よこれ! 痛っ、やめて!」
やったー! タイミングもワザも完璧だった。剛はついに真由美に一矢を報いたのだ! やったぞ!!
剛は言いようのない快感に浸った。
「ううっ…痛たた」
真由美は完璧にワザを決められ面食らっている。いつのまに、こんなワザを覚えたの?という顔だ。
これで満足して、もう放してやっても良かった。
だが、せっかく真由美をギャフンと言わせたのだし、このまま彼女が耐えられなくなって、
「参ったわ、私の負けよ」というところまで見たかった。
剛は締めワザを、しばらく緩めないことにした。

 真由美は一瞬、剛のワザに驚いていた。
だが合気道のたしなみもある彼女は、すぐに事のなりゆきを理解して、冷静に対処した。
まず、自分の全身から力を抜いて筋肉を弛緩させた。
多くの場合、護身術のワザをかけられた人間は、力で対抗しようとして、さらにガッチリとワザをはめられてしまう。
だが、いま剛がかけた間接締めワザは合気道と同じ原理だった。気を合わせ、相手の力を利用してくるので、
かけられた側が力を抜いてしまえば効果を殺すことができるのだ。
真由美は自分の力を抜いて、剛の締めワザの効果を殺すと、やられているフリをして、しばらくある事を考えはじめた。
………………………………………………………………
 剛はどうして、いきなり私にこんなことをしたのだろう?
 真由美はちょっとショックだった。いつも優しくしているのに……。キスもしたのに。
だが、玲子たちや母との日常会話から、その原因が思い当たらないではなかった。
つまりそれは、日本の男とは、女が考えている以上に、「男が女を守るもの」というプライドに縛られているということだった。
もちろん、それは世界中の男性に必要な紳士的なたしなみだ。アメリカにいるときも男子は女子をよくガードしてくれたものだ。
しかし欧米の女性は、男性と対等にものを言ったり、ときには闘うし、男性もそういう強い女性を普通に受け入れている。
ところが日本では「男が女を守る」という考えが、どうやら曲解されていて、
「男が女に負けるのは恥ずかしい」という考え方になっているようだ。
おそらく剛もそんな古臭い考えにとらわれて、いつも真由美の前で弱さを見せまいと頑張っているのだろう。
このあいだボートに乗ったとき、なかなかオールを譲らなかったのも、そのせいだ。
真由美と剛がデートすると、よく真由美が最後に剛を助ける形になってしまう。
真由美は剛が好きだから、そうしているのに、それがこういう形で返されてしまうのは寂しかった。
だが、きっと剛もつらいのだ。真由美はここは怒らず、つとめて優しい態度で剛に接しようと決めた。
ただ、だからといって、ここでワザと負けてやるのだけは良くないことだと思った。
それは剛という人間をバカにした行為だわ。そろそろ私の力をやさしく思い知らせて、剛の考え方を徐々に改めさせなければ……。
このまま何も変わらなければ、今後、剛とはいいカップルになれないかもしれない。
彼を少しずつ正しい考え方の男に教育していくことが大事ね。
でも、まずは怒ったりなんかせず、女の包容力を示そう。優しく、優しく……。

一方、剛は、真由美の底知れぬ我慢強さに舌をまいていた。
間接締めワザをかけてから、もう2分近くも経っただろうか?
かけて30秒ぐらいしたころから、真由美は力なくぐったりとした様子になったが、それでも、まだギブアップとは言わなかった。
こんなにガッチリと締めているのに、どうして持ちこたえられるんだろう?
すると、しばらくまったく動こうとしなかった真由美が少し動いて、
「ねえ、どうしてこんなことするのよ」
と小声で言った。その声はちょっぴり悲しそうだった。
 もう許してやろうか? でもやっぱり、いままで何一つ真由美に勝っていないので、今回だけは「参ったわ」と言わせたい。
その初志は成し遂げたい。
「ギブアップすれば、いつでも離すよ」と剛は言った。
だが、真由美は首を横に振った。
「そういう勝ち負けみたいな考え方って嫌。だっておかしいでしょ。私は剛のこと好きなのに……。
だからギブアップはしないわ。ごめん」
 すると、ぐったりしおれていた真由美の腕や脚、いや全身に力が復活し始めた。
2分間近くも間接ワザをかけられて、どこにこんな力が残っていたのだろうというぐらいの強い力が!
「こんなことされるのは嫌なの、だから…」
 剛は思わず鳥肌がたった。

 真由美は“言葉”では優しく謝りながら、“身体”では反対の行動に出た。
口で言っても分からない“子供”を躾けるのには、無言の圧力がいちばん効果的だ。真由美はとうとう実力行使に出たのだ。
ワザで押さえ込まれていた腕を力まかせにスルリと抜くと、慌てた剛の体勢が崩れた。
その隙にすばやく剛の腕を逆手にとらえてしまう。力に勝る真由美ならではの早ワザだった。
真由美は、左手を剛の右手とガッチリと組むと、右手では剛の左手首を力強くつかまえた。
真由美の大きな左手、その組み合った指先から、剛の右手を握りつぶすような握力が発揮され、
同時に右手では剛の左腕を楽々とねじあげていく。
「許してね」
身長で勝る真由美は、握力と腕力を同時に示し、強い肩の力で、上から剛を押しつぶすように体重をかけた。
剛は男の意地でなんとか耐えていたが、真由美の力で一方的に屋上におさえつけられた。
だが、悔しくてたまらない剛はそれでも真由美の身体を放そうとしない。
すると、
「もう、いい加減にあきらめて!」
真由美の爽やかな制服のスカートがひらりと翻ったかと思うと、剛の太腿のあたりを筋肉の発達した下肢でバシッと蹴った。
明らかに手加減した一撃だったが、やはり真由美のキックの威力はそれでも凄い。剛はへなへなと真由美の足許にへたりこんだ。
痛そうに顔をゆがませて、真由美の股の下から懇願するように彼女を見上げる剛に、真由美はまた言った。
「ほんとうにごめん」
そういって、決着をつけたのだった。
「じゃあ、もう授業始まるし、わたし先に行くからね!」
と屋上に剛を置き去りにして、真由美はその場を立ち去っていった。

真由美が何事もなかったかのようにクラスに戻ると、そこに萩原美紀がやってきて楽しそうに耳打ちしてきた。
「真由美〜! 私いまちょっとだけ見〜ちゃった。剛を黙らせた真由美のキック、かっこ良かったよ〜!」
なんと屋上での一部始終を美紀に覗き見されていたようなのだ。真由美はあわてて、美紀の口元を手で押さえた。
「やだ、ミキちゃん、なんで見てたの?」
「だって真由美にさっきの続きの話があったのに、なかなか戻ってこないんだもん。
屋上に呼びにいったら剛とワケ有りっぽい感じだったから、駆け寄れなくて…。そんで、偶然のぞき見しちゃった」
「とにかく、屋上で見たことは黙っててよ。剛のためにも」
だが美紀は、そんな真由美の制止もお構いなしに、その後も仲良しメンバーのなかでべらべらとおしゃべりを続けたのだった。
玲子、久美子、ひとみらの仲良しメンバーは羨ましそうに、美紀の話に聞き入った。
「いいなあ、真由美は気軽にキックを試せる男子がいて」
 女子たちみんなは、真由美の男子に媚びない強さにも憧れていたが、
それ以上に真由美と剛が気軽になんでも言い合えるような仲であることを、とても羨ましがっている。
「ねえねえ、やっぱり付き合ってるの?」
「そんなんじゃないけど…」
 真由美は否定する。剛とのことは、まだみんなには内緒だった。
「でも、イイ感じに見えるなぁ…」
「そうそう」
「ほら、最近、ドラマでよくあるじゃない?『佐々木夫妻の仁義なき戦い』でも小雪が強い奥さんでさ、
ずるいことした吾郎ちゃんをハイキックしてたし、『猟奇的な彼女』でも田中麗奈が剛くんを毎回キックしてたりして。
ああいうのって何かいいよね」
「これからの恋愛に必要なことだよね。女子も男子のいいなりになるんじゃなくて、
あくまで対等につきあっていくことは大事よ」というのはいつも強気の玲子。
「スカッとしちゃう」
「映画でも、そういうの多いし…」
「そうそう、『ラブ・ファイト』とかさ」
「それ知ってる、北乃きいが出てるやつ」
「あと『少林少女』とか、『僕の彼女はサイボーグ』とか、女が男を守る話が最近流行ってるじゃない?」
「ああいうの見てると、ウチらもクラスの軟弱な男とか、キックして喝を入れてやりたくなるよね〜」
「なるなる!」
「ドラマのなかとかでは、女子が男子より強くても当たり前なのに、どうして現実はそうならないんだろう?」
「やっぱり現実には、学校で、女らしくとか男らしくとか言われちゃうとさ〜、
男子にはいちおう優しくしとかなくちゃと思うじゃない?」
「でも、最近、私たちも真由美のとこのジムとかで鍛えてるし、本気でやったら負けないわよね」
「私もそう思う。家でダンベルとかやってても、ここ1ヶ月ぐらいで凄く力ついたと思うもん」
「そうよね、一度、私たちのパワーを見せてやりたいわ」
「一応、男子を立てているのは、わたしたち女子の“思いやり”なんだってことを、そのうち気づかせてやらないとね〜(笑)」
 3人のますますエスカレートする会話に、真由美はちょっと困った顔をしてこう言った。
「まあまあ、そんなに男子に対抗心を持たなくてもいいんじゃないの?」
だが、活発な学級委員の玲子が猛然と反論した。
「真由美はもう自分の力がよく分かってるし、剛のような“標的”がいるからいいのよ。
私たちだって、そろそろ自分の力を試したいものね〜」
「そうよそうよ、ジムの成果も試したい!」美紀も同調する。
「標的だなんて。私、剛のことをそんなふうに思ってないけど…」
「でも結果的に剛をいつもやり込めてるじゃない。
主導権を握ってる真由美を見て、いつもカッコいいなあって、私たち思ってるのよ」
 そんな気のない真由美はただただ苦笑するしかなかった。
 その後、玲子、美紀、ひとみたちは結局、「私たちもがんばって標的をつくればいいのよ」ということになった。
真由美にとっての剛のように、ふざけあいながら、合法的にキックできる相手を作ればいいのだと…。
3人は、クラスの男子たち、バレー部の俊夫や、ガリ勉の啓太、雄吉らの名前を上げながら、
誰が誰を手下にしようかなどと、コソコソと話し合い始めた。
 そんな話で大いに盛り上がっているうち、授業開始のチャイムがなってしまった。
(第23話 おわり)





inserted by FC2 system