■21世紀の男女関係(青春編)

第26話 学年主任の憂鬱

 終業式の日。3年の学年主任の山本宗太は、ひとり教員室でボーッとしたままお茶をすすっていた。
いつになく目の下に大きな隈ができている。昨夜、眠れなかったせいだった。
若くして、受験を控えた3年生の学年主任を務める宗太は、真面目で努力型の優秀な教師だった。だからプライドも人一倍高い。
だが昨日はそのプライドもズタズタにされた一日だった。
3年の受験対策は、A組からD組の各担任と宗太の5人が務め、
宗太と男子担任2名がおもに男子を、女子担任2人がおもに女子を指導している。
そして、3年全体の総責任者も宗太だった。
昨日、模擬テストの校内受験者の成績が発表され、3年生各自がその成績を持ち帰って帰宅した。
その直後から、宗太のデスクの電話は鳴り止まなくなった。
学年主任の宗太を名指しして電話をかけてくる親たちの、宗太に対する罵倒のかずかず。
ことに母親たちの言葉使いの悪いことといったらない。
「ウチの子の成績がこんなに落ちるなんて、担任を変えてもらえないかしら?」
 このぐらいのクレームは序の口だった。
 なかにはパニック状態になって、「主任のお前が責任取って、いますぐ辞めろ」だの「もう、死ね」だのと、叫ぶ親もいた。
確かに今回のテストでの成績に3年男子の親は驚いたことだろう。男子の成績はそれほど急激に下降したわけではない。
だが多くの女子の点数が急上昇したために、相対的には女子に抜かれ、男子生徒の校内順位がかなり落ちてしまっている。
その凋落ぶりは目を覆いたくなるほどだった。
女子だけの成績向上に、
「学校では、女子にだけ贔屓してるんじゃありません?」という親もいた。
しかし、これはウチの中学に限ったことではないのだ。実は全国的にもその傾向が出始めていた。
女子の著しい成績上昇と男子の成績低下。その理由はわからない。
しかし、宗太はその原因の一因が、こうしたモンスターペアレンツの母親たちにあると思っていた。
女子がどんどん逞しくなっていく一方で、いまだ乳離れの出来ないようなマザコン男子は年々増えている。
お前らの育て方が悪いんだ、と言ってやりたい。だが、いまの世の中はそういった暴言を許さないのだ。
そんなことを言おうものなら、宗太が10年かけて築いたいまの地位が崩れ去ってしまう。

宗太は中学のころは理系の研究者になりたかった。影響を受けた先生がいたからだ。
その夢を目指して一生懸命勉強した。あまり身体が丈夫でなかった宗太は、自分の弱点を勉強で補おうとした。
一流国立大学に入学したのも、その夢をより確実なものにするためだった。そして一流企業への就職を試みた。
だが、就活ですべて落とされてしまった。健康診断でどうしてもひっかかってしまうためだった。
宗太は泣く泣く夢を変えた。ならば、あの時、宗太に目標を与えてくれた理科の教師になろう。
挫折をバネに宗太は再出発を心に決めた。俺は教師として一流になろう。
そして出世して、最後は校長になって理想の学校を作ろう、と。
そのために10年間頑張り、33歳を迎えた昨年春、異例の大抜擢で2年の学年主任に。
そして今年はそのまま受験を控えた3年生全体を指導し、受験対策の責任者でもあったのだ。
それがどうして、こんなことに…。しかも男子ばかりが…。
その原因は分からないが、女子たちの成績急上昇を考えてみると、
最近この学校全体に、異様なまでの女子のエネルギーが満ちていることは否定しようがなかった。

担任のクラスを持つ教師たちが各クラスで通知表を配っている間、教員室はガランとしている。
自分の周囲に誰もいないのを確認すると、宗太はひとりでキレていた。
「くそーっ、くそーっ!!」
山本宗太はデスクにシャープペンシルの芯を押さえつけ、何度も力を込めて折った。
そしてやり場のない怒りでデスクを蹴飛ばし、八つ当たりした。
半ノイローゼ状態だった。
するとふいに、そんな宗太の背中に大きく暖かい手が添えられたのだ!
しまった、誰かいたのか。嫌なところを見られてしまった、と宗太は思ったが、
その相手は宗太の態度を気にすることなく、優しく声をかけた。
「宗太センセー、元気出してください。いつも尊敬してる宗太先生がそんなだと、私までつらくなっちゃいますから!」
 そう明るく励ましてきたのは、1B担任の松本奈々子だ。
「あれ、奈々子先生のクラスは?」
「いま通知表を全員に渡して解散したところです。さあ、夏休みだわ!」
 ホームルームをどのクラスよりも早く終え、奈々子はさっさと教員室に戻ってきたのだった。
宗太はいかにも奈々子らしい速さだなと思った。
 奈々子はこの春24歳の若さでウチの学校に来て、いきなり担任を任された新人教師だった。
いまの時代、普通はこんなに若い教師だと生徒のイジメの対象になりかねないのだが、奈々子は違った。
ハッキリとした物言いとテキパキとした行動力で、たちまち生徒たちの支持を得た。
教員たちの間でも奈々子は若いのに将来有望な教師だ、と評判が高まっている。
「また親たちからの電話ですか? 大丈夫。
模擬テストの結果なんて、次のテストで挽回すれば親たちはな〜んにも言わなくなりますよ」
 そう言って、10歳も年上の宗太を励まし、その肩を遠慮なくポンポンと叩いた。
だが、そんな行為も爽やかな奈々子がやると嫌味がない。
 だが、正直なところ、宗太は奈々子が苦手だった。
 それは宗太のちょっとしたコンプレックスから来ていた。
 宗太は身長168cmと、男としてはやや小柄だ。対して奈々子の大きいこと。
初めて会った日、思わず身長を聞いたら174cmだといっていた。そのうえ、よく5cmぐらいのパンプスを履いている。
廊下ですれ違うと10cm以上も上から会釈されるのだ。
 しかも奈々子のモデルのような美貌とボディラインときたら……。
確か教頭先生が、奈々子は一流私立大学の体育学部出身だといっていたが、
その言葉を裏付けるような肩幅と、胸と尻の張り出し具合は健康美そのものだった。
 さっきだって、ポンポンと肩を叩かれたとき、奈々子は軽く叩いているつもりだろうが、どれだけ力感を感じたことか。
そうとう腕力がありそうだ。
 そう、奈々子は子供の頃から身体が弱かった自分にないものをすべて持っていた。
健全な肉体、そこに宿るパワー、そしてポジティブな精神力。
 それらは勉強一筋でここまで頑張ってきた宗太がどうしても得られないもの。
 それを先天的に備えているまだ24歳の奈々子が怖かった。
10年間、優秀な教師として認められ、34歳の若さで3年の学年主任に抜擢された自分だが、
10歳も年下の奈々子にすぐ追い抜かれてしまう気がした。
そんなことを思うと、ますます奈々子に対して卑屈な態度になってしまう。
「奈々子先生はまだ1年の担任だから気楽でいいですよ。僕は運が悪いんです。
よりによって、僕がはじめて3年生の学年主任になった今年の男子に限って成績が落ちてる。
しかも高校受験まであと半年だというのに、学年女子との平均点の差がここに来て12点も出るなんて! 信じられませんよ。
やっぱり僕の力不足なんですかね」
「そんなに悲観することないです。入試までまだ半年あるじゃないですか。
12点差なら挽回可能ですよ、なんとかなりますって。
1年生も先月、全国公開テストをやりましたけど、ウチの学校の男女の平均点差は15,7点もあったんですから」
まさか! 宗太は耳を疑った。1年生はもっと男女の学力差がついているというのか。
「それは男子が上? 女子が上?」といちおう確認してみた。
「もちろん女子ですけど……(笑)。しかもウチのクラスなんかもっとひどくて女子と男子の差が26点ですよ。
だから12点なんて悩むうちに入りませんよ」
 なんということだ! 一概には言えないが、26点差といえば偏差値にして20は違うだろう。宗太は目の前が真っ暗になった。
しかし、この若き美人教師は何も悩んでいないように見える。
そればかりか、まるでこの状況を楽しんでいるかのようだ。それでいいというのか? 何も手を打っていないのだろうか? 

宗太は持ち前の真面目さから、原因を追究し、奈々子に対策を立てさせるべきと思った。
そういうアドバイスを与えることで、自分の経験を伝えられれば、奈々子も宗太をさすがだと思うだろうし、
宗太自身も奈々子へのコンプレックス解消につながる。
 さっそく宗太は尋ねた。
「どうしてそんなに差がついたんでしょう。原因を考えましたか?」
「さあ、まだ1年目の私にはどうにも判断が…」
奈々子の反応は鈍く、彼女はこう言い訳した。
「でも、まあ私自身はそれをあまり深刻に考えずに、まだ彼らは中1ですから、
目先の点数ばかり気にして勉強するばかりでなく、もっと運動をしなさい、と言うようにしてるんです。
そのほうがきっと彼らの将来に……」
「そ、そんな無責任な! それにいまのモンスターペアレンツどもが、そんな言い訳許してくれませんよ」
「大丈夫。そんな親たちの言うこと、私は気にしませんから。
宗太先生は周りの反応を見すぎるから付け込まれてしまうんだと思います。あら、私、偉そうにすみません」
 奈々子は宗太を気遣いながら、しかしやはり性格なのか、10年以上の先輩に対してもハッキリと指摘し、こう続けた。
「それに……」
「それに何です?」
「実を言うと、それ以後、私の言いつけを守って運動をよくやっているのは女子ばかりなんですよ。
男子は余裕がないのか、親が塾ばかり行かせるのか、なかなか言うことを聞いてくれない。
それでも期末テストで女子はもっと成績が上がったんです」
 宗太はもう返す言葉がなかった。結果的に、奈々子の指導通りにした女子が成績を上げたというなら、反論のしようもない。
 黙りこくってしまった宗太を気にして、奈々子のほうから言葉をかけてきた。
「ごめんなさい、私、体育会系なんで、思考が単純なんです(笑)」
「い、いや、そんなことない。ちなみに奈々子先生は、体育学部のご出身とか?」
「はい」
「スポーツは何を」
「中学では陸上部、高校ではテニス部でしたけど、そのトレーニングのために腕力をつけなきゃと思って水泳を始めたら、
そっちのほうが面白くなって、大学では水泳を主に…」
 宗太は奈々子の迫力のある身体つきの理由がわかった気がした。
「でも、教職のための準備もあったので、もう1年ほどは運動不足なんですよ。
だから体力が半減しちゃって。筋肉もぜんぜん落ちちゃった。ほら」
 そう言っておどけながら、右の二の腕を曲げて力瘤を作ってみせた。確かに奈々子の二の腕はうっすらと盛り上がったが、
男ほど硬い力瘤ではない。だが、それほど力を込めずに軽くポーズしているだけのようにも見えた。
「大学のときは毎日5キロ泳ぐのをノルマにしていたのに、今は週末のジムでしか泳いでないんだから駄目ね(笑)。
その代わり、今年に入ってから乗馬を始めたんですよ。これがなかなか楽しいの」
 宗太はあきれるように聞いていた。
就職してから何もスポーツをしていない自分からすれば、それで“運動不足”などと言われるのは嫌味だった。
「週末にそれだけやってれば充分でしょう。僕なんか何もしてませんよ」
 そう言って、宗太は無意識のうちに自分と奈々子の身体つきを見比べていた。
腕力で勝負したら、奈々子に軽くねじふせられそうな気がする。そんな感想を口にしようとして、グッと飲み込んだ。
そんなことを言ってセクハラと思われたら困る。
 だが、意外にも奈々子のほうからはっきりと指摘されてしまった。
「宗太先生も何か運動されたほうがいいですよ。見るからに弱そうですもん(笑)」
 宗太はプライドをえぐられた気がした。奈々子に逆セクハラされている気分だった。
「奈々子先生、強そうだなあ(笑)」
 宗太も精一杯の余裕をつくろいながら皮肉を返す。
すると奈々子は“デリカシーのない言葉!”と言いたげにちょっと宗太を睨みつけると、
その美しい顔を近づけて、宗太の耳元でこう囁いた。
「そんなこと言うと、今度、力づくでいじめちゃいますよ。ウフフ」
 宗太はあせって奈々子の顔を見上げる。
奈々子は「冗談ですよ」とおどけてみせたが、その目は獲物でも見るように輝いていた。

終業式の一日の業務を終えると、宗太はある場所に向かっていた。
それは、駅前近くのカラオケボックス。真面目な宗太の数少ない息抜きの手段は、大好きなカラオケだったのだ。
前によく行っていた店はお気に入りだったのだが、週末に何度か、生徒やその家族と出くわすことがあったので、落ち着かなかった。
ようやく発見したのがこの新しいボックスだった。
ここなら心置きなく、爆発できる!
宗太は、学校での悩みをここで発散せずにはいられなかった。
生徒たちの成績低下、親たちの怒り、そして奈々子に思い知らされる身体的コンプレックス。
そのどれをも忘れ去る時間が欲しい。そう思った。
さっそくブースに入ると、大好きなブルーハーツの「リンダリンダ」を歌いだした。
宗太世代の心を熱くするヒット曲。静かなイントロから絶叫するようなメーンボーカル部分に入ると、
日ごろのイライラを叩きつけるように歌った。
だが……ふと気がつくと、そんな宗太の様子をドアの外から観察している者がいた。
それは……。
(第26話おわり)





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