才能

【10】



「私が会長秘書を務めております、玖崎(くざき)と申します」
「玖崎さん、ですか」
黒田は、目の前の男から挨拶代わりに、と名刺を受け取った。


そこは、都内から少し外れたところにある、とある製薬会社の本社ビルだった。

その応接室。
黒田は、『会長に会わせて欲しい』と、確かにそうアポを取った。
だが、実際に現れたのは秘書を名乗る男だった。

玖崎と名乗った秘書。
普通、秘書という言葉を聞くと女性を思い浮かべてしまうが、玖崎は列記とした男だった。
歳は黒田と同じぐらいだろうか。ピシッとした黒いスーツに、横長の眼鏡。
眼鏡の奥の切れ長の瞳の眼光は鋭く、如何にも仕事が出来るといった風情だ。
黒田と同じような若さで大企業の会長秘書をやっているのだから、その有能振りも推して知るべし、か。

腕っ節ならまだしも、実務で目の前の男に自分は勝てるだろうか。黒田は何となく、そんなことを思っていた。
歳が近いとはいえ、顔は全然違うのだが、どことなく雰囲気のようなものが自分と似ている、黒田はそう感じたのだ。
しかし、目の前の男に個人的な興味は沸けど、用が果たせないというのであれば時間の無駄なだけだ。

黒田は、逆輝が使った筋肉増強剤に興味があってここを訪れた、というわけではなかった。
あの時、逆輝は具体的な会社名は口にしていないし、その程度の情報で黒田自らが動いたりはしない。

黒田が自ら動かなければならない、その理由は別のところにあった。

「会長は多忙のため、お会いになられません」
「しかし、確かにアポを・・・」

「会長が多忙な通り、その秘書である私も忙しい身です。こうやって時間を作るのも大変なのですよ。それに・・・」
「・・・それに?」
黒田自身も、忙しい身なのには変わりがない。そこを時間を作って来たというのに、無駄足だったというのか。

「貴方の疑問、その回答は既にここに用意してあります」
「・・・!?」
ここまで来た徒労を内心、嘆いていた黒田に、玖崎は驚くべき言葉を告げた。

「わが会長は聡明な方です。それでなくとも、『貴方』がアポを取って来たという時点である程度の想像は付きます」
なるほど、そういうことか。黒田は心の中で一人ごちた。

「しかし、だったら尚更、その会長に直接会わないことには・・・」
「その心配は要りません。私が貴方の知りたいことについてお答えしましょう。それで全て解決するはずです」
そういって玖崎が出した書類を見て、黒田はこの男の有能振りを見せ付けられる羽目になった。

それは、姫華の"本当"の戸籍が記された戸籍謄本とパスポートだった。

「住民票は上手く細工したのですが、さすがに戸籍そのものを弄るわけにはいかなったのでね」
「『弄れない』のではなく、『弄るわけにはいかない』ということですか?」
それは、暗に『弄ることそのものは可能だ』と言っているようにも聞こえる。
黒田の言葉に玖崎はほぅ、と小さく声を上げた。

「全ては『過程』、一時的なことなので住民票の改竄程度で済むと思ったのですが、ね。
 まさか、こんなに早い段階で海外へ連れ出そうとされるとは・・・。
 まあ、元よりこちらの落ち度ではあるので、そういった意味では『貴方』のような人で良かったと思っています」
「落ち度・・・とは?」
黒田は粗方の予想は付いていたが、敢えて訊いた。

「それでは、答え合わせをしましょう」
玖崎が話した内容は、正に黒田が聞きたかったこと、そのものズバリだった。

姫華を施設に捨てた両親。それは、ただの里親であって本当の両親ではなかったのだ。

姫華を産んだ『母親』は、故あって生まれて間もない姫華を里子に出した。
しかし、いつしか姫華が成長して戻りたいと言った時に戻れるよう、戸籍はそのままにしておいた。そういうことだ。

「・・・しかし、何故わざわざ里子に出したんです?
 その『母親』が会長その人なら、幾らでも育てる方法は在ったでしょう?」
「それは、そういう『実験』だからですよ」

「『実験』・・・? それは一体・・・」
「貴方には知る権利があります・・・が、薄々はわかっているのではないですか?」
黒田の想像。

姫華の母親は、大企業の会長。そして、その大企業を経営しているのは旧家の財閥だと聞く。
それはつまり、姫華の母親はその財閥の当主、もしくはそれに近い立場に居る人物だということだ。
少なくとも、娘一人を育てるだけの財力は持ち合わせているはずなのに、敢えて娘を外に出す理由。
それは恐らく、姫華の『体質』に起因しているのではないか。黒田はそう考えたのだ。

「姫華お嬢様が、財閥当主である会長のご息女というところまでは正解です。
 しかし、もし会長が姫華お嬢様を『扱いに困って外に出した』などとお考えでしたら、それは違います」
現に里親は姫華を投げ出した。しかし、会長に関しては玖崎は違うという。

「姫華お嬢様には双子の姉が居て、そちらは本宅で甲斐甲斐しく育てられている、と言えばどうですか?」
「なっ・・・!?」
さすがの黒田も、まさか姫華に双子の姉が居るとは思わなかった。

「つまりはこういうことです」
玖崎の説明で、黒田は自分が原因と結果を取り違えていることに気付いた。

姫華の『体質』が原因ではなかったのだ。
もっとわかり易くいうなら、会長、いやその財閥一族に宿る『血脈』の力。それが全ての元凶だった。

「ただ少しだけ、人より体質的に優れているというだけです。別段、普通の人間と変わりませんよ。
 優性遺伝子、劣勢遺伝子というのがあるでしょう? 要はそれだけのことです」
「・・・・・・・・」

「会長は一族の中でも特に力が強いお方なのですが、研究者としても優秀なのです。
 しかし、だからこそ自らその謎を解明しようと努力されているのですよ」
一族に宿る『血脈』の力。

しかし、その実態は今一つ良くわかっていないのだという。
女性が、男性よりも遺伝子的に優れているというのは有名な話だが、一族においてもそうなのだという。
その発現する特性が、『ミオスタチン異常筋肥大』だということだ。
そしてその『ミオスタチン異常』も、その只の一面に過ぎないのだという。

「会長は双子を授かった時に、研究者の性なのかチャンスだと思ったそうです。
 双子でも、違う環境で育った者同士は似ないという。その差異が鍵ではないか、と考えられました」
「・・・そういうことですか」
黒田はやっと合点がいった。

人より優れた遺伝子を持つ一族の系譜。その優位性は女性にのみ受け継がれる。
では同じ女性同士では? 環境が違えば、双子であっても違うのだろうか?
その疑問が、姫華にとっての全ての始まりだったのだ。

双子の姉は温室で大事に育てられ、双子の妹は外界の荒波の中に放り出され・・・。

「あの里親夫妻は、わが社の研究員でしてね。外の環境で奔放に育ててくれるのを期待していたのですが・・・。
 充分な養育費を渡してあったのですが、まさかそれを持ち逃げするとは思いませんでした」
「初めて見た時、姫華は残飯を漁っていましたよ」
怒りをぶつける相手が違うとは思いつつも、黒田は自分を抑え切れないでいた。

「・・・それに関しては、黒田さん。貴方には感謝しています。
 裏社会に顔が利き、"ここ"に辿り着いたように頭も切れる。
 そんな貴方に拾われたからこそ、今の姫華お嬢様が在る。
 凡庸な、それこそあの里親のような人間では、姫華お嬢様は荷が勝ち過ぎたのでしょう」
大量の食事。異常なまでの筋肉の発達。そして、それに見合う以上の怪力。
確かに、姫華のクラスメイトだった将太のような一般的な感覚では、一番根っこの部分で付いていけないのだろう。

「会長は、『血脈』を受け継ぐの女の傍に立つ者、その者にも『資格』ともいうべき『才能』が必要なのではないか。
 そして、それはその"本人"にしか見抜けないのではないか、そうお考えなのです」
会長には会長の、姫華には姫華の、その傍に立つに相応しい人物が居る。そういうことなのだ。
そして、姫華に相応しい人物は、姫華自身にしかわからない。母親であっても、娘に誰が相応しいかはわからない。

具体的に明確な事象が起こるわけではない。
しかし、一族以外の者で、その一族の女の傍に相応しくない者が立てば、その者は何れその身を滅ぼす。
研究者夫妻の末路。黒田は敢えて言及しなかったが、見付かり次第、粛清が下されることは間違いないだろう。

「勿論、"私"や貴方がそうであるかはまだわかりません。いつか、"彼ら"と同じ轍を踏むかもしれない」
"彼ら"。それが誰を指すかは言うまでもなく。

「努々、油断せず。日々、是精進。要はそういうことですよ」
玖崎は自分にも言い聞かせるような、そんな自虐的な笑みを浮かべた。

では、姫華の父親は?

黒田はそう言い掛けた自分を制した。
恐らく目の前の男は、話すべきこと、話す必要があること、それらを選別して話している。
今になってもその話題が出ないということは、聞く必要がない、もしくは聞かない方が良い話なのだろう。

「姫華お嬢様には、これまで通り自由にして頂いて構いません。
 勿論、お嬢様が望むなら本宅に戻ることも可能です。これまでの養育費をお支払します。
 もし、このままお嬢様を育てて頂けるのでしたら、これからも定期的に援助をさせて頂きます」
「・・・しかし、それは」

「これは、会長たっての願いでもあるのですよ。せめてもの親心、とお思い下さい。
 ただ、三ヶ月に一度程度の頻度で良いので、レポートは提出して頂きますが・・・」
「あくまで、姫華は研究対象というわけか?」

「確かに、答えを用意しているとは言いましたが、私もあくまで秘書。
 会長のお心の中、その全てがわかるわけではありません。ご容赦下さい」
「・・・親子関係の問題、ということですか」

「逃げ口上と取って貰っても構いません。そこも含めて、お嬢様とじっくり話し合って頂ければ。
 渡米するも、本宅に戻るも、自由。親権に関しても、そちらの望むままに致しましょう」
「・・・わかりました」
そういって黒田は戸籍謄本とパスポートを受け取った。

「姫華を連れて来なくて正解だったな・・・」
そうして、黒田はその場を後にしたのだった。



「・・・というわけだ」
「・・・ふぅん」
姫華の素っ気無い返事。まるで興味が無いと言わんばかりだ。

いつもの食卓。いつもの風景。

「・・・それで?」
「それでって、お前・・・。姫華、お前が望むならもっと裕福に暮らすことも出来るんだぞ?」
黒田は姫華を引き取ってから、ひもじい思いはさせていない。
姫華のファイトマネーもあって、少なくとも今の生活でお金に困ることはない。
しかし、多感な思春期を親元で暮らすというのは、そういった物指しでは計れない部分がある。

「あー、何かショック・・・。まだ、パパがそんなこと聞いてくるなんて」
「い、いや、しかしだな・・・」
基本、食事中の姫華は機嫌が良いのだが、黒田の言葉で明らかにテンションが下がっていた。

「私はパパとアメリカに行きたい。それだけは絶対に変わらないよ」
「そう、か」
そうだな、と黒田は優しく答えた。

「・・・あ、でも。親権も戸籍も、そのままの方が都合が良いかも」
「そのまま、ってことは今のままってことか?」
黒田は姫華の身元引受人であって、戸籍上の親子関係は無い。

「そりゃあ、確かに後々、家督を継ぐなんて話になった時のことを考えればその方が良いが・・・。
 でも、都合が良いって何だ? 将来的には財閥を継ぎたいのか?」
しかし、姫華には双子の姉が居るという。財産分与的には少しややこしいことになるかもしれない。

「うーん、そーじゃなくて・・・。パパがわからないなら良い」
姫華はつーんとそっぽを向いてしまった。

「・・・? まあ、お前がそういうなら・・・」
「まだまだ"時間はある"し、パパがわかってもらえるまで諦めないんだから」
黒田には聞こえないよう、姫華は小声でそう呟いた。


あれから、時が経ち。

インターナショナルスクールは、飛び級制もあって予定よりも早く課程を終えた。
空手、ボクシングは、組手、スパー以外で学ぶことが無くなったからと早々に辞めてしまった。
水泳は良い汗が流せるから、と今も定期的に通っている。

課題だった力加減も、生卵を片手で割れるぐらいにまで進歩した。
それまでは、生卵を潰さずに割ることが出来なかったのだ。

「パパ、食後のマッサージをしてあげる」
今では、黒田にマッサージを施せるぐらいになったのだ。

「いや、今日は良いよ」
「ダ〜メ」
食器を片付けようと立ち上がった黒田を、姫華は背中から抱えるようにして抱き上げた。
さすがに、こうなってしまっては黒田には為す術がない。
姫華が半ば"強引"に、黒田にマッサージをするのが夕食後の日課になっていたのだ。

「・・・わかったわかった。わかったから、自分で立って行・・・・・んぎゅ!」
黒田が言い終わるよりも早く、姫華が黒田の身体を抱えたまま引っくり返した

未だ成長過程の姫華は、今でも徐々に身長が伸びている。
黒田をギリギリ、床に足が着かない状態で抱きかかえる。すると丁度、黒田の顔が爆乳と同じ高さになる。

「むが! もが! ・・・ぷはぁっ!! だから、こういう運び方はやめろとあれ程・・・」
姫華がその怪力を以って無理矢理、爆乳を触らせるのがバストアタックなら、
差し詰め、顔を無理矢理圧し付けるのはおっぱいプレスと言ったところか。

黒田が姫華のそのおっぱいプレスを味わうのは一度や二度の話ではなかった。
姫華がマッサージをやると言い出してから少しでも出遅れると、こうやって必ず捕まる。

水泳だけは続けているせいか、姫華の身体のキレは更に増した。黒田はそれを、言葉通りの意味で体感していた。
タンクトップタイプのスポーツブラ越しに、その感触を直に肌で感じているからだ。
マシュマロのように柔らかく、それでいて餅のような弾力がある、そんな極上の爆乳バスト。

姫華の食事量は相変わらずで、食べた大半は筋肉に変換されるが、
身長の伸びに従うように、バストやそれ以外の全身にも程よく脂肪がコーティングされていった。
必要以上に体脂肪が落ちることは無いが、必要以上に贅肉が付くことも無い。
玖崎によれば、これも姫華の、強いては一族の『血脈』の特性の一つだという。

正しく、神が定めた黄金律に従うように、姫華は美しく成長していた。
顔立ちも大人びて、少女のようなあどけなさは薄まり、大人の色香を漂わせている。
こうやって抱き上げられ、爆乳の感触を味わっていると、"酔い"そうになる自分を黒田は感じていた。
肉体的には兎も角、精神的には十五になるかならないかの年端も行かない子供。
そんな姫華に、酔って溺れてしまうのを黒田は必死に堪えていたのだ。

「うふふ♪」
そんな黒田を知ってか知らずか、姫華は黒田を"ベッド"の上に解放した。

「おい、何でベッドなんだ」
マッサージは、リビングの余ったスペースに敷いてあるトレーニング用マットの上でやるのがいつものことだった。

「気が変わったの。前から思ってたけど、パパって私のカラダに欲情してるでしょ?」
「・・・な!? ば、おま・・・」
図星だったのか、黒田はいつの冷静さを欠き、しどろもどろになっている。

ベッドは姫華用に誂えた特別製で、大人二人なら普通に横に並んで寝ることが出来るキングサイズだ。
しかし、さすがに姫華と大人もう一人、となると横に並んで寝るスペースは無かった。

姫華は、四つん這いの格好でベッドに乗り、そこでやっと黒田を解放したのだ。
つまり、黒田が仰向けになり、それに上下で向かい合うように姫華が跨った格好になる。

「・・・最初から計算してたな」
「へへへ♪」
ニンマリと笑う姫華。黒田を抱き上げて引っくり返した時からそのつもりだったということだ。

「姫華、退いてくれ」
「・・・ねぇ、パパ。私の胸、触りたい? 触りたいなら・・・触っても良いんだよ?」
仰向けにベッドに横たわる黒田の眼前には、姫華の爆乳がドンと圧し迫っていた。

大胸筋という土台が発達している為、その巨大さにも関わらず、
普段から、立っている状態でも垂れることなく前方にドンと突き出している爆乳バスト。
それが今、重力に引かれるようにスイカが二つ、黒田へと迫っているのだ。
姫華が少しでも姿勢を低くすれば直ぐ様、おっぱいプレスが再開されることになる。

「悪いが、子供の胸に興味は・・・」
「・・・うそ。いつも、私の胸に顔を埋めて興奮してるくせに」

「それは! お前が、勝手に・・・」
「あー、興奮してることは否定しないんだ?」

「・・・姫華、そういう冗談は関心しないな」
「私、本気だよ。パパは気付いてないのか、気付いててはぐらかしてるのか、どっちかはわからないけど」
姫華が身体を足の方向にズラす。まるで教会にある吊るされた鐘のように、姫華の爆乳がブルンと揺れた。
ちょうど、黒田の顔の真上に姫華の顔が来る形になった。

「ねぇ、パパ。私のこと、好き・・・?」
「ああ、好きだよ。勿論、娘として、だ」
それを聞いて、姫華は少し憂いを含んだ、複雑な感情の篭った微笑を浮かべた。

「・・・私は。パパのことは、パパとしても勿論、男の人としても大好きだよ」
「・・・・・・・・」

「・・・うぅん、パパとしてよりも、男の人として想う気持ちの方が大きい」
「・・・・・・・・」

「・・・ねぇ。パパから見て、私のカラダって綺麗・・・?」
さっき、『欲情する』かどうかを扇情的に聞いたのとは裏腹に。
恐る恐る、黒田の反応を窺うように、気持ちを確かめるように。
『欲情』という言葉が本能を意味するものなら、『綺麗』という言葉が意味するものは・・・。

「それとも、胸が大きくても、こんな筋肉モリモリの身体なんて・・・ダメ?」
姫華は自分の身体と、真下に横たわる黒田の身体を見比べた。
目の前の男の人は、自分の太腿よりも太い腕を持つ女をどう思うだろうか。
自分の胴よりも太い太腿を持つ女をどう思うだろうか。

「ダメじゃない。姫華、お前の身体は充分、綺麗だよ。ただ・・・」
「・・・ただ?」

「今はまだ、お前を女として見られないだけだ」
「"今は"って、いつになれば女として見れくれるの?」

「それは身体だけじゃなく、精神的にも女として一人前になったら、だな」
「・・・でも、それってひょっとして、"可能性"はあるって思って良いんだよね?」

「・・・ああ。でも、それはこれからのお前の頑張り次第だ」
黒田はそう、諭すように姫華に優しく、語り掛けた。

「・・・うん、わかった」
黒田の気持ちがわかったからか、やけに姫華はアッサリと引き下がった。

「でも、それって少なくとも今の私の身体は、パパも大人の女として見てくれてるってことだよね?」
「まあ、そうだな」

「お試しで抱くだけ抱いてみるっていうのはどう? 今なら優しくしてあげるよ? 大丈夫、痛くしないから♪」
姫華は黒田に跨ったまま、扇情的に身体を揺らしてみせた。筋肉が躍動し、爆乳が揺れる。
身体の部位全てが強調されたかのような、そんな極上のボディ。

「冗談でそんなことを言ってるようだから、まだまだだって言ってるんだ」
「も〜、冗談じゃないのに〜」
ぷ〜と口を膨らませる姫華。

「それじゃあ、尚更ダメだな。それにまだ腹上死はゴメンだしな」
「・・・フクジョウシって?」
黒田は、"男が女の腹の上で死ぬことだ"とそのままの言葉で説明した。

「私、パパを抱き潰したりなんて、絶対にしないよ?」
「その心配もあるが、お前は腕力だけじゃなくスタミナも無尽蔵だからな。体力付けないと、俺の方が持たない」
そういって、黒田は苦笑した。現に、黒田は今まで姫華が疲れて肩で息をしている場面を見たことがない。

「でも・・・確かに、三年前ならベソ掻いてただろうから、そういう意味ではお前も成長したんだな」
「そうだよ。私、もう子供じゃないもん」
姫華はプイッと顔を背けた。

「よし! そこまで言うならちょっと試してやる」
馬乗りの体勢の姫華の顔に、黒田は身体を少し起こすようにして自分の顔を持って行った。

「・・・!! んむ!?」
姫華は一瞬驚いたが、直ぐにトロンと恍惚とした表情になる。

黒田が姫華の唇を奪い、口腔内に舌を捩じ込んだのだ。
半ば無理矢理のフレンチキス。本来、フレンチキスとはこういったディープキスのことをいう。

「・・・ん、あ・・・」
初めて味わう黒田の舌技。姫華の口腔内で舌と舌が絡み合い、糸を引く。
生まれて初めて味わう、快感。いきなりの快感に、姫華はしばしの間、されるがままになっていた。やがて・・・。

「・・・パ・・・パ、ダ・・・メ、ちか・・・抜け・・・」
ドスンという音と共に、黒田の身体の上に姫華の巨体が降って来た。

「・・・ぐあ!」
100sを軽く超える姫華の巨躯。半ば潰れ気味の爆乳の感触を胸に味わう余裕もないぐらいの重量。

「おい、姫華! お、重・・・」
「パパ、ごめ・・・でも、力、入んなくて・・・」
恍惚と上気させた顔を火照らせながら、姫華は黒田の胸の上でハァハァと肩で息をしていた。

何とか、半ば強引に姫華から身体を抜いた黒田は、そのまま姫華を仰向けにベッドに寝かせた。

「どうだ、落ち着いたか?」
「あ、うん。何とか・・・」
黒田はコップに汲んだ水を横たわる姫華に飲ませてやった。

「・・・でも、パパ・・・凄い。こんなの・・・初めて」
まだ若干、顔が紅潮しているがだいぶ落ち着いたようだ。

「いきなり悪かった。まさか、こんなふうになるなんて・・・」
力が抜け、肩で息をしている姫華を見るのは、黒田も初めてだった。

「生まれて初めて私を本気でダウンさせた相手がパパだなんて、嬉しい」
「変な喜び方をするな」

「それに、ファーストキス・・・」
「・・・あっ」
姫華が途端、ポッと頬を染めた。

「これって、私が成長したら"この先"もしてくれるってことなんだよね?」
「まあ、お前が今みたいにならずに耐えられるようになったら、だけどな」

「うん、私じゃまだパパには敵わないってわかったし、まだまだ頑張らないと」
「"向こう"に行ったら、キスなんて挨拶だからな。慣れるまで大変だぞ」
といっても、さすがに自由の国でも、挨拶でディープキスはしない。

「えー!?」
と驚く姫華を見て黒田は悪戯っぽく笑った。

「ハハハ。だがまあ、そんなに焦らなくたって良いさ。俺の隣は空けておくから」
「・・・! ・・・うん!!」
髪を優しい手付きで撫でてくれる黒田に、姫華はこれでもないというぐらいの満面の笑みを浮かべた。


そしてついに、闘技場での姫華のラストステージの時がやって来た。

闘技場には、デビューから全戦全勝全KO、致死率90%オーバー、再起不能率100%。
完全無敵の絶対王者、姫華が立っていた。

そう。
自由の大地、第二の新天地に向けて飛び立つ前の、最後の仕事。
姫華にとっては勿論、黒田にとっても最後の仕事。

これが終われば、二人揃って渡米することになっている。今日が、姫華の闘技場での引退試合なのだ。

観客は姫華の引退を惜しみつつも皆、納得していた。
高い致死率を誇る姫華とは誰も闘いたがらず、もう試合が立たなくなって来ていたのだ。
ファイトマネーを釣り上げるにも限界があった。
黒田と姫華自身の事情がなくても、この世界でステップアップするには海外進出は規定路線と言える。

そういう意味では、今日の試合は引退試合であると共に、海外進出への前哨戦とも言える相手。
嘗てのハリスのような表舞台の経験者ではなく、裏の格闘家。

海外にも当然、地下格闘技は存在する。むしろ、"向こう"が本場といえよう。
その"本場"から招聘した、一線級の裏格闘家。その名もデーモン三兄弟。

海外ではいろいろな、在りとあらゆる闘技場が存在する。
地下、裏、といった冠が付く以上、日常的に人死が出るものの、それ以外は多種多様。ルール、形式も様々。
デーモン三兄弟は、その中でも取り分けハードな、武器あり格闘の出身だった。
銃器以外であれば、どんな得物でも使用可というルール。
人数も、タッグマッチやバトルロイヤルなど、その形式も多岐に渡る。

デーモン三兄弟は、"そこ"の本年度の総合チャンピオン。
個人で闘って良し、組んで闘って良し、という三人が三人共、万能の格闘家。

ハリスとは違い国内での知名度は皆無な上に、黒田自身もVTRで観た程度の情報しかない。
そういったものに縋るしかないぐらい、姫華の相手が居ないということもあるが、その不確定さが不気味とも言える。
鬼が出るか蛇が出るかは、この目で見てみないと姫華はおろか、黒田にもわからないのだ。

だが、三人全員が2m、130sという巨躯を誇る。三人共に頭髪を剃っているのか、スキンヘッド。
スキンヘッドのせいもあってか、三人並んだ迫力は姫華と相対しても申し分無いものだった。

長男、アレックス・デーモン。
そのパワーで振り回す鎖付き鉄球は文字通り、相手を容赦なく叩き潰して来た。

次男、ブライアン・デーモン。
鋼鉄製の重い長棍をまるで手足のように使いこなし、的確に相手の骨を砕くテクニシャン。

三男、チャック・デーモン。
ゴツゴツとした頑丈そうな鉤爪の付いた鋼鉄の手甲を嵌め、巨体に似合わず俊敏でトリッキーなスピードタイプ。

似通った体型とは違い、パワー・テクニック・スピードと、三者三様のバトルスタイルだった。


姫華とそのデーモン三兄弟が闘技場中央で見合っている・・・というわけでは実は無かった。

姫華とデーモン兄弟の間には、一台の自動車が置かれていた。車種はスタンダードタイプのセダン。

全長470p、全幅180p、全高150p、車体重量1400s。

さすがに広い闘技場も、セダンが置かれていると狭く感じる。

「何これ」
姫華は聞かされていなかったのか、さすがに面食らっている。

「お嬢ちゃん、聞いた話だと俺たち三人を同時に相手するって言ったらしいな」
英語でそういったのはアレックス。当たり前だが、親日家というわけではない三兄弟は日本語が話せない。
仮に話せたとしても、姫華に伝わるように日本語でわざわざ話すなんていう気概は持ち合わせていない。

「極東の島国にわざわざ来てやったら、小娘が舐めた口きいてくれるじゃねぇか」
ブライアンが続く。

「せっかくの高ギャラに免じて、俺たちのパワーをデモンストレーションしてやるよ。
 そうすりゃ、俺たち三人を同時に相手しようなんて気はなくなるはずだ」
最後を締めたのはチャック。

「本当はトラックを用意しろって言ったんだがな、狭いから無理だと言いやがった。
 こんな狭くて窮屈なところは、お前を斃してさっさとおさらばだ」
姫華に伝わってないと思っているからか、そういって三人はハハハと哄笑した。

「まあ、見てな」
アレックスがそういって他の二人に合図すると、三人がセダンの回りに取り囲む。

アレックスがテールバンパー。ブライアンがフロントバンパーの右側。チャックが逆の左側バンパー。
三人が丁度、三角形になるような位置取りでセダンに取り付いた。
そして、バンパーの下に両手を入れると、一気に気合いを入れる。すると・・・。

何と、徐々にでタイヤが浮き始め、遂にセダンが完全に持ち上がってしまった。
三人掛かりとはいえ、1400sの重さのセダンが宙に浮いているのである。
単純に割っても一人頭、430s。凄まじいパワーだった。客席からもどよめきが漏れていた。

「どうだ、俺たちの凄さは? 言葉がわからなくても、充分に伝わっただろう?」
セダンを下ろし、力瘤を盛り上げるアレックス。

しかし。

「それのどこが凄いの?」
「「「!!?」」」
姫華は三人に伝わるよう、"英語"で話し掛けた。

「どういうことだっ!?」
三人はあまりにも意外な言葉に、姫華が英語を話せたことにまで頭が回っていない。
勿論、姫華の英語はインターナショナルスクールの成果だ。伊達に飛び級していない。

「その車、あんまり重そうじゃないのに、ちょっと持ち上げただけじゃない」
「重そうじゃない・・・だぁ!?」
「このお嬢ちゃん、もしかしして・・・ただの馬鹿なのか?」
「ギャハハハ」
三人の哄笑を気にも留めずに、姫華はセダンに横側、ちょうど前と後ろのドアの間付近に立った。

車体の下に両手を入れると、ん、と少し力んだ。

すると、何と、徐々にではあるがセダンの車体が持ち上がって行く。
片輪状態とはいえ、軽々しく、しかも少女が持ち上げられるような重量ではない。
それは、実際に持ち上げた三兄弟にもわかっていた。しかし。

「・・・ん」
姫華は軽く吐息を漏らすと、中腰まで持ち上げたセダンを下ろしてしまった。

「・・・び、ビビらせやがって」
「所詮、お嬢ちゃんじゃ無理なんだよ」
「さっさと諦めて、ごめんなさいしちまいな」
「ちょっと持ち難いかも・・・」
三兄弟の罵詈雑言など意に介していないとばかり、セダンの前で思案顔をしている。

「んー、潰した方が早いかな・・・」
「・・・潰・・・す?」

「オジサンたち、危ないから離れてた方が良いよ」
そういうと、姫華はセダンのルーフ(屋根)の上辺りまで腕を伸ばし、まるで照準を合わせるように両手を組んだ。
合わせた両手をそのままに、それを振り被り、一気に"それ"をセダンのルーフ目掛けて振り下ろした!

ドゴオォォォンンンッッッ!!!!!

まるで、迫撃砲が炸裂したかのような、そんな衝撃音。

セダンの全高は150p。平均身長に換算すれば、おおよそ12歳の子供の平均身長と同じ。
それだけの高さがあった筈のセダンのルーフ部分が、今やその半分ぐらいの高さになっている。

姫華の全力のハンマーブロー。その余りに強大な威力は、セダンをV字に変形させていた。
強化ガラスであるはずの窓ガラスは全て吹き飛び、座席部分が完全に潰れてしまっている。
もし仮に人が乗っていたとしたら、それこそ一溜まりも無かっただろう。

しかも、それで終わりではなかった。

姫華は、潰れた車体の下に再び手を入れた。そして、V字の頂点部分を中心に向けて、両手に力を篭める。

グギギギ・・・ギャリギャリ・・・

まるで、破壊されたルーフ部分が"折り目"でもあるかのように、セダンが折り畳まれて行く。

グギャギャギャ・・・

既に、姫華はセダンを持ったまま立ち上がっている。しかし、セダンへのプレスはまだ続いている。
徐々に、車体の前部分と後ろ部分が合体して行く。程なくして、セダンの二つ折りが完成した。

「んー、まだ持ち難いかな・・・」
二つ折りになったセダンを抱えた少女は、更に驚くべきことを口走った。

姫華は、二つ折りのセダンの片面を上にして再び置いた。

「・・・この辺、かな?」
さすがに高さが足りないのか、今度は両膝を地に着いた格好で"照準"を合わせた。

ドゴオォォンンンッッッ!!!

中腰だったからか、さっきよりはやや衝撃音は小さかったが、それでも"折り目"を付けるには充分な威力だった。
姫華はそれを再び、クロワッサンでも作るかのように、折り曲げた。

全長470p、だったはずのセダンは既に横の長さが1mほどの鋼鉄製のミルフィーユになっていた。
縦・横が1m、奥行きが180pの鋼鉄のミルフィーユならぬ、クロワッサン。
尤も、製法がクロワッサン、多層構造がミルフィーユに似ているというだけで実際は只の巨大な鋼鉄の塊なのだが。
上面が1m四方、高さ180pのドラム缶、もしくは鉄柱とと言った方が見た目的には正しいかもしれない。
ただ、重さはかつて姫華が持ち上げたドラム缶の7倍は優にある。

「うん♪ これで、持ち易くなった」
1400sの鉄柱を抱きかかえるようにして持ち上げていた。

「・・・う、嘘だ・・・ろ」
「そんな、軽々と持てるようなもんじゃ・・・」
さすがの三兄弟も顔面が蒼白になっている。

「? 軽々じゃないよ? 普通に重いけど、まあ持てるって感じかな?」
「・・・な、そんな馬鹿な・・・」

「信じられないなら持ってみる?」
「・・・え?」
姫華は、チャックに向かって歩み寄る。

アレックスは鉄球、ブライアンは鉄棍を武器として持っている。
三男のチャックだけ、装着型の鉤爪なので手が空いていると姫華は判断したのだ。

「う、嘘・・・や、やめ・・・」
後ずさるチャックよりも、1400sの鉄柱を抱える姫華の近付くスピードの方が速かった。

「く、くそ! こうなりゃ、もう試合開始だ!」
チャックはいきなり、近付く姫華にその鉤爪でもって切り掛かった。
しかし、姫華の抱えている"物体"が大き過ぎたこともあり、冷静さを欠いたチャックは"それ"に切り付けた。

ガキン、という鉄と鉄の甲高い衝突音。
それに呼応するように、やっと試合開始のゴングが打ち鳴らされた。

「私、"これ"持ったままなのに、良いの?」
「はっ! 別に構わねーよ! そんな重い物持って、まともに動けるわけがない。
 ギタギタに切り刻んでやる! 兄貴たちは手を出すなよ!!」
チャックは残りの二人を制すると、鉤爪で切り付ける。何度も何度も切り付ける。
だが、1400sの鉄塊が邪魔で姫華にまで鉤爪が届かない。

「もう一回だけ聞くけど、本当に"これを使って"も良いの?」
「うるせー。使えるもんなら使ってみろ」
チャックのその言葉に呼応するように、姫華は何と、その"鉄塊"を頭上高く持ち上げた。

「馬鹿か! ボディがガラ空きだぜ。それにそんな重いものを鈍器代わりに振れるかよ」
姫華の空いたボディ目掛けた、チャックの鉤爪による突き。

ドム!

おおよそ、刺突音とは思えないような、むしろゴムを殴ったかのような、そんな"打撃"音。
鉤爪は確かに、突き刺さっていた。ただ、薄皮一枚の皮膚を貫いただけで、分厚い腹筋を貫くには至らなかったのだ。

「・・・う、嘘・・・」
唖然とするチャック。その顔を、大きな"影"が覆っていた。

姫華のボディがガラ空きになったのは、姫華が持っていた"鉄塊"を持ち上げたからに他ならない。
では、その"鉄塊"は今、何処に在るのか? 姫華に一撃を喰らわせたチャックは今、何処に位置しているのか。
"高さ"の概念に目を瞑れば、それは全く同じ位置と言って、差し支えないだろう。
そして今、その"高さ"が"鉄塊"への運動エネルギーに変換された。

姫華は重いと言いながらも軽々しく扱っていたが、それは紛れも無く圧縮された1400sの鉄塊。
"それ"がセダンのままであったなら、1u当たりの重さ、圧力はせいぜい165sといったところだった。
だが今は、その1uに1400s全てが圧し掛かっている。

ドグチャ。

肉が潰れる鈍い音と共に、闘技場の中心辺りに、1uの面を持つ、高さ180pの"塔"が打ち建てられた。
"塔"の下からは、筋骨逞しい腕と膝から下と思われる脚が"生えていた"。

「「チャーーーックッッ!!!」」
アレックス、ブライアンの絶叫。

慌てて"塔"に駆け寄り、必死にチャックを救出しようと"塔"に手を掛けるが、持ち上がる気配が無い。
それもそのはずで、三人掛かりでやっと持ち上がったものが二人で持ち上がるわけが無い。

「よくも、チャックを!」
「このぉっ、許さねぇっ!!」
アレックスとブライアンは"塔"を持ち上げるのを諦め、それぞれの武器を手に取った。

「あれ? 諦めちゃうの? "それ"どけたらまだ間に合うかもしれないよ?」
「う、うるせぇっ!」
近付く姫華に、アレックスが鉄球を構える。

「チャックを殺ったこと、死んで償わせてやる!」
アレックスは、渾身の力を篭めて姫華目掛けて鉄球を放った。

サッカーボールの2倍はあろうかという巨大な鉄球がゴゥッ、と呻りをあげて飛ぶ。
しかし、姫華はガシッと、まるでドッヂボールのように難なくその巨大鉄球をキャッチしてしまった。

「なぁっ!?」
驚くアレックス。

今まで多くの対戦相手を葬って来た鉄球。その砲弾をまさか、キャッチされるとは思っていなかったのだ。
アレックスの手には、鉄球に繋がっている鎖。
これで、間接的ではあるが、姫華とアレックスが鎖で繋がれたことになる。

「くそっ!!」
アレックスは鉄球を取り戻そうと必死に引っ張る。

「ん? 何してるの? 引っ張り合いっこ?」
だが、当の姫華は全くそれを意に介していない。

「良いよ、引っ張り合いっこだね」
そういって、姫華は鉄球を"左手一本"で持ち、両手で鎖を持っているアレックスと対峙した。

それを見て、アレックスもブライアンも驚愕した。
サッカーボールの倍はあろうかという巨大鉄球。それを片手で掴んでいるのだ。
バスケットボールを片手で掴むのとはわけが違う。重さも、大きさも、バスケットボールの比では無い。

アレックスは両手で『柄』を持ち、姫華から鉄球を奪い返そうとするが、姫華が持つ鉄球は微動だにしない。
両者の間にピンと張られた鎖が、二人の力の拮抗を証明していた。
両手でしっかりと柄を握り締めて引っ張るアレックスと、片手で鉄球を鷲掴みにしている姫華。

どちらが状況的により有利かは誰の目にも明らかなのに、必死の形相のアレックスと汗一つ掻いていない姫華。
シチュエーションのアドバンテージを埋めて余りある膂力の差。
それが絶望的なものであることにアレックスはようやく気付いたが、それは最早手遅れだった。
姫華が鉄球を振りかぶっていた。当然、鎖が姫華の方に引っ張られるのでアレックスが前につんのめる。

「うっおぉっと、と・・・・・」
体勢が崩れそうになるのを何とか耐えた、その時。

「それ♪」
「・・・え?」
巨大な鉄球が持ち主の元を目掛けて、猛スピードで迫って来ていた。

それが、アレックスが最期に見た光景だった。
アレックスが投げ付けた時とは比べ物にならない超剛速球と化した鉄球は、その身体ごとアレックスを吹き飛ばした。

アレックスの身体は、地面に着地した後も数mもの距離を転がり、ようやく停止した。
アレックスの上半身は既に人の形を保っておらず、鉄球には肉片らしきものが血と一緒にベッタリと付いていた。

残るは次男のブライアン、ただ一人。
ゴングが鳴ってからまだ10分と経っていない。
姫華の実力を誰よりも知る黒田も、まさかここまで一方的な展開になるとは思っていなかった。

「オー、ノー! オーマイ、ゴーッド!!」
ブライアンは大粒の涙を流しながら、両手で頭を抱え、膝を付いてへたり込んでしまった。

「何、今更泣いてるの?」
「オォーウ・・・」
一歩、一歩と近付く姫華に、ブライアンは泣きながら懇願するように見上げた。

「オジサン、最初の威勢はどこ行ったの? それに今まで命賭けで試合して来て、同じようにやって来たんでしょ?
 今更、命乞いなんてみっともないよ。プロならプロらしく、ちゃんと最期までやろうよ」
「ノー! ノー!」
ブライアンは往生際悪く、首をブンブンと振って一向に闘おうとしない。
ブライアンは心が折れ、完全に戦意喪失してしまっていた。

「あ、良いこと思い付いた」
姫華の視線の先、そこにはブライアンの武器である鉄棍があった。2mを優に越し、重さも半端ではない代物だ。
しかし、姫華にとってはそれも木の棒以下の重さでしかない。ヒョイッと片手で持ち上げるとその端を両手で持った。

鉄棍、姫華の腕と身体で簡易的に作った輪っか。それに、姫華はへたり込んだブライアンの身体を通した。

「・・・な、何を・・・」
たじろぐブライアンを尻目に、姫華は鉄棍をブライアンに巻き付けるように折り曲げ始めた。

「・・・お、俺の鉄棍が・・・」
ブライアンは、自分の身体の胴回りに合わせるように変形して行く自分の得物の行く末をただ眺めるしか無かった。
程なく、姫華の両手、つまり鉄棍の両端がブライアンの腹筋辺りで交差した。

「立って」
「は、はい!」
姫華の一言に、まるでそれが上官の命令でもあるかのように、ブライアンは立ち上がった。
生殺与奪の権利は姫華にあるのだ。

「このまま嬲り殺しても詰まんないから、チャンスをあげる」
「・・・チャンス?」
一瞬、ブライアンの表情が明るくなる。

「そ、チャンス。私がこれからこの"輪っか"を締めて行くから、あなたはそこからエスケープ出来れば勝ち。
 たった、それだけだよ。ね、簡単でしょ?」
「〜〜〜〜〜っ!!」
ブライアンは、嫌々をする駄々っ子のように首を左右に振った。

ブライアンは昔、TVショーで観た人気画家がやっていた絵画教室を思い出していた。
その画家は、手法を説明しながらいとも簡単に綺麗な絵を描き、視聴者に向かって決まってこう言った。

『ね、簡単でしょ?』

ブライアンは決まって、『全然、簡単じゃねぇよ』と内心、そう思った。

そうやって現実逃避をしていたブライアンは、自分の身体の痛みでハッと我に返った。
気付けば、鉄棍と身体の間には全く隙間が無い状態まで締まってしまっていた。

姫華は、硬いはずの鉄棍がまるでただの縄でもあるかのように、一定のペースで締め上げて行く。

「ウォォォォォォッ!!」
奇声のような叫び声を上げながら、ブライアンは姫華に対して殴り掛かった。

バシッ、バシッという乾いた打撃音。殴っている場所も、パンチのフォームもてんでバラバラ。
打撃が効果ないと思うや否や、今度は何と、姫華の身体を両手で押して引き剥がそうとし始めた。

ブライアンは、両脚で地面に踏ん張り、両手で姫華を全力で押す。
しかし、ブライアンの全身全力よりも、姫華の腕力の方が上回っているのは最早、明白だった。

既に、鉄棍はブライアンの腹筋に減り込んでいる。苦しさからか、ブライアンの顔が紅潮している。
そんなブライアンはお構いなしに、姫華は規則正しいペースで鉄棍を締め上げて行く。

あまりの苦しさにブライアンは地団駄を踏み、駄々っ子のように暴れ、最早まともな抵抗も出来ない。
鉄棍は、腹筋だけでなく背骨をも締め上げていたのだ。まるで、大蛇が獲物を締め上げるかのように。

ボキボキッ・・・グジュ・・・グジュジュ・・・

背骨が折れ、"中"から"中身"が潰れるような音が聴こえて来た。
それと同時に、ダーッと大量の鮮血がブライアンの口から零れ出して来た。

「キャッ」
吐瀉物を避けるように、姫華はつい、鉄棍を持っていた手を放してしまった。

ドサッ。

砂時計のように無理矢理、胴体を変形させられたブライアンが前のめりに倒れ込んだ。
結果的とはいえ、命乞いをしたブライアンが三人の中で唯一、前のめりに斃れたのは皮肉なものだ。

結局、最後の最後まで、いつも通りの横綱相撲だった。
姫華らしい、完膚なきまでの試合運び。


ワァァァァァ!!! という、地鳴りのような歓声。

行くな、行かないで、というような悲鳴のような叫び声も聞こえて来る。

姫華は、少し名残惜しそうに、それでも嬉しそうに声援に応える。



歓声は、いつまでも鳴り止まなかった。


おわり





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