才能

【7】

「うわぁー、広ーい!」
「確かに・・・凄いな、これは」
そこは、プールというには、ましてやスパというにはあまりにも大き過ぎる代物だった。
ドーム球場が一体いくつ入るのだろう、という広大な敷地の完全な全天候型の水のテーマパーク。
スパとプールは明確に区切られているわけではないが、そのどちらも
単体で充分に経営が成り立つぐらいの広さがある。
人は確かに多いが、それ以上に空間が広いので狭さは感じない。

だから、と黒田はタカを括っていたのだが、甘かった。

「おい、何あれ」
「・・・すげー」

見る人、見る人が姫華の体型を見て驚く。しなやかで且つ、巨大な筋肉を身に纏った爆乳美女。

水着の前方は、特大のバストがこれでもかと布地を押し上げ、大きく開いた背中には巨大な広背筋。
アンダーバストが既に男性ボディビルダーレベルなので、トータル的な胸囲は半端ではない。
下半身も、ラグビーボールをそのまま大きくしたような巨大な太腿によって形成されている。
にも拘らず、漏斗のように括れた腰回りが、逆三角形ならぬ逆三角錐体型を作り出していた。

その、超立体的な体型をダークブルーの競泳水着が包む。勿論、今日この日の為に誂えた特注品だ。
姫華の体型に合わせて立体裁断され、頑強で且つ、伸縮性に富んだ特製の生地で作られた最高級品。
かなり値は張ったが、姫華への"罪滅ぼし"を思えば、黒田にとっては安いものだった。


実は、姫華は今年、学校で水泳の授業を受けていない。

『スクール水着』とは、読んで字の如く学校で使う水着のことだ。そして、それには学校指定の業者が存在する。
だいたい、水着を新調する場合は水泳授業の一、二ヶ月前に注文する。
黒田も勿論、それに倣い注文していた。しかし、姫華の成長速度が著しく・・・いや、著し過ぎた。
注文した水着が届く頃には、もうそのサイズが合わなくなっているのだ。
当然、姫華に既製品が合うわけもなく、また特注品で再注文、の繰り返し。

姫華の学校は厳しく、指定業者のスクール水着以外で水泳の授業を受けることは許されなかった。
学校の言い分は、安全の確認されていない指定外の水着で事故があっては困る、というものだった。
黒田も掛け合ったものの学校側は頑なで、姫華は止む無く水泳授業を全て見学する羽目になってしまったのだ。

同級生が楽しくプールに入っているのをひたすらプールサイドから眺めるだけ。
姫華は口にこそ出さなかったものの、そんな体育の授業が楽しいわけがない。それも、約二ヶ月の間、ずっとだ。

現に今、姫華は自分に注目が集まっているのが気にならないぐらい、目を輝かせている。
指定のスクール水着では収まらなかった、成長過程とは思えない流麗で屈強な肢体。
もし、姫華が小学生と知ったら、周囲の人間は卒倒するかもしれない。


「・・・・・・・・」
「・・・? どうしたの、パパ」
黒田は、自分の身体を姫華の身体を見比べた。

さっきのジムや、それよりも普段から家で、姫華のラフな格好は見慣れている。
それに、闘技場でもこれに近い格好のコスチュームを何度となく見ている。
しかし、こうやって布一枚同士で衆目の中に立つと、否が応にも体型の違いが目立つ。
決して、黒田も体格が悪いわけではない。一般的な成人男性よりもやや逞しいぐらいだ。

姫華の体型が常人離れしている、ただそれだけなのだ。

「・・・いや、何でも無い」
「変なパパ。・・・ねぇ、それよりも私たちって他の人からどう見えるのかな?」
そういって、姫華が黒田の腕に自分の腕を回す。
言うまでも無く姫華の方が背が高いため、黒田の上腕辺りで腕を組む形になる。

「・・・ば、ばか、放っ・・・」
「答えるまで放してあげない♪」
姫華は恐らく、全く力を入れていない。
が、その肘に近くなるにつれて急激に太くなる前腕と、極太の上腕に挟まれる形で組まれた、
いや、文字通り、隙間無く挟み込まれた黒田の腕に、動かす余地など全く無かった。
もし、この状態で姫華が力を篭めれば、筋肉の隆起だけで黒田の上腕は粉砕骨折するだろう。
勿論、姫華はこう見えて、そうならないよう細心の注意を払っているのだが。

「親子・・・かな」
「むー」
黒田の答えに、姫華は口を尖らせ、頬を膨らませて抗議のポーズを取った。

事情を知らない者がまともに見れば、黒田と姫華のペアを見て親子と答える者は居ないだろう。
黒田もそれはわかっていたが、そこを言及されても困るというのもあった。

「泳ぎを覚えたら、見方も変わるかもしれないぞ?」
「ほんと? じゃあ、頑張る!」
姫華はすぐに笑顔になる。

実は、姫華は泳げない。
黒田が引き取る前は、常にお腹を空かせている状態で、そんな状態ではまともに運動が出来るはずもなかった。
そして、黒田が引き取った後は、身体の成長が著し過ぎて、まともに水泳を習っていない。
闘技場での動きからもわかる通り、姫華の潜在的な運動能力は高い。開花したといっても良い。
ハッキリいって宝の持ち腐れ状態なだけで、泳ぎを覚えさえすれば泳げるはずなのだ。


「じゃあ、あそこでやるか」
黒田が視線をやった先、そこには流れるプールがあった。
だが、流れるプールといってもその規模が半端ではなかった。
広大な敷地面積の外側を囲うように、外周をぐるっと周る形で流れる様はまさに川といっても過言ではない。
その川幅も一定ではなく、狭いところは数m程度だが、広いところでは横幅が25mもあった。

中心部の趣向を凝らしたプール群に人が集まっているため、この流れるプールの人は疎らだった。
泳ぎを練習するには打って付けだろう。

「良し。この辺なら人も居ないし、丁度良いだろう」
「ホントだ。全然、人居ないね」
二人が入ったところはかなり広く、深さもそこそこで、どちらかといえば中級者向きなゾーンだった。
姫華の腰が水に浸かるぐらいだから、それなりの深さだ。泳ぎの練習には丁度良い深さともいえる。

「先ずは、浮くところからだな」
黒田が掌を上にする形で、姫華のそれぞれの手を掴む。姫華は逆に、掌を下にして黒田の手に自分の手を合わせた。
いうなれば、黒田は姫華のビート板代わりだ。

「よし、足の力を抜いて良いぞ」
黒田が、流れに身を任せるように、流れの方向に背を向け、そのまま後ろ方向に後ずさって行く。
黒田の先導もあってか、勢いに乗って来た姫華の身体が徐々に水に浮き始める。

「凄い! 浮いた、浮いた♪」
姫華は、自分の身体が水に浮いただけでもうはしゃいでいる。

黒田は最初、筋量の多い姫華の身体はなかなか水に浮かないのでは、と思っていた。
昔の姫華は黒田がそう思う通り、脂肪が付かず、筋肉が付いた状態で痩せ細っていたので水に浮かなかった。
それが、泳ぎの習得の妨げになっていたのだが、今の姫華は違う。
体脂肪率は低いがそもそもの筋量が桁外れなため、100s超の体重を考えれば脂肪もそれなりの量になる。
ましてや、競泳水着の中にスイカを2つも詰め込んだような爆乳である。浮きとしては充分だろう。

「姫華。次は、バタ足だ」
「バタ足って・・・こう?」
姫華が文字通り、足をバタバタさせる。しかし、大きな水飛沫が上がるだけで前進する気配が無い。

「そうなんだが・・・そうじゃない。足を前に蹴り出すんじゃなく、水を後ろに蹴って送り出す感じだ」
水を蹴るよりは漕ぐ。黒田は姫華にそう教えた。

「・・・こう?」
今度は、水飛沫が小さくなった。水を叩いていたのが、より水を漕ぐ形になった証拠だ。
そのせいか、姫華がバタ足で黒田を押すように前進を始める。

「良し、良い感じだ。脚の力を抜いて・・・そうだな、"しなやかに"って言えばわかるか?」
「んー、こんな感じかな?」
姫華が、バタ足を調整したその途端。グンッっと姫華の前進する勢いが強まる。
水面に上がっていた水飛沫は小さくなり、その代わりに後方にまるでスクリューのような水泡が出来ている。

「おっ、更に良くなったぞ。後は、顔を水に浸けてやれば完璧だ」
姫華が、水面に上げていた顔を水に浸けた。
今まで顔を上げていたためにやや斜めになっていた姫華の身体により、水平に近くなる。
姫華も慣れて来たのか、力を抜きつつもバタ足する勢いが更に強まった。

「良し・・・って、うぉ」
黒田の足は、いつの間にかプールの底から浮いていた。
姫華の推進力が、黒田の身体を浮かせているのだ。
成人男性一人分の重さの"ビート板"が丁度良い浮きであるかのように、どんどんと推進力を増して行く。

流れるプールとはいえ、その流水量は微々たるものだ。先導者を押し切って泳ぐなど、普通は不可能だろう。
単に、脚力が桁外れというだけではこうはならない。
一つ二つ、泳ぎのコツを教わっただけで、それを最適な形で実行する『才能』が姫華にはあった。
桁外れた膂力を、自然に、最適な形でその身体でもって行使する『能力』。
一般的に『運動神経』と呼ばれる『才能』も、姫華は並外れていたのだ。

徐々に増す速度は、いつしか凄まじいものになっていた。
黒田にはまるで、ジェットスキーの船首部分にしがみ付いているかのような感覚だった。

「お、おい・・・ちょ、姫・・・」
黒田は姫華に呼び掛けようとするも、当の姫華は顔を水に浸けた状態なので聞こえるはずもない。
息が切れれば水面に顔を出すはずだが、肺活量も凄いのか、一向にその気配がない。

それに、黒田は手を放すわけにもいかなかった。
姫華は恐らく、黒田を信頼し切っているのか前方を認識していない。
黒田が手を放した拍子に方向がズレて、プールサイドに激突するかもしれない。
ジェットスキーを思わせるほどの尋常じゃない速度で壁にぶつかれば、如何な姫華といえど怪我をするのは必至だ。

しかし。

ドゴォッ!!

「うがぁ!!」
「うぉっ!!」
男二人の呻き声。

バシャァァッン!

それと同時に水飛沫の音。

黒田は懸念した通り、"何か"にぶつかった。しかし、それは硬いプールサイドではなかった。
だが、不幸中の幸いというだけで、状況的にはむしろ悪い方だった。
黒田は背中から猛スピードで、遊泳していた他の一般客にぶつかってしまったのだ。

「あれー? もう、終わり?」
黒田がぶつかった衝撃でようやく、バタ足をやめた姫華が水面に顔を出した。
無呼吸でかなりの距離を泳いだはずなのに、ケロッとしている。

「痛ってぇ〜。 何だぁ!?」
「痛てて・・・す、すみません!」
黒田は、痛みを堪えながら慌てて、ぶつかったと思しき一般客に頭を下げた。
よく見ると、その一般客は角刈りで背が高く体格も良いが、それよりも恰幅の良さが目立つ。
筋肉質だが、それ以上に脂肪が付いている、そんな感じだ。

「おい、どうした!」
離れたところに居た、その一般客の連れらしき男二人が近付いて来る。
一人は坊主頭で、もう一人は天然パーマなのかモジャモジャ頭だった。だが、二人とも同じように恰幅が良い。

「何か知らねぇが、このオッサンが後ろからぶつかってきやがったんだよ」
そう言われて、黒田は「俺はまだ二十代だ」と反論しそうになるのを必死に堪えた。

「す、すみません」
再度、黒田が頭を下げた。理由はどうあれ、この場合は完全に黒田に非がある。
勿論、大元の原因は姫華だが、保護者としての監督責任は黒田にある。

「何だぁ? 俺たち、N大相撲部に対して良い度胸じゃねーか」
大男三人組は、自分たちを相撲部だと名乗った。
確かに、大学生からすれば黒田のような二十代後半の社会人は"オッサン"と称しても無理ないかもしれない。
しかし、黒田にとっては、こういう手合いが一番揉めたくないタイプの相手でもあった。

大学生で格闘技経験者。
身体は大人だが、立場は学生。下手をすると、今の姫華よりも身体と心のバランスに難があるかもしれない年代。
現に、大学生のスポーツ関係の部活での不祥事は枚挙に暇が無い。
当然、大半の大学生はそんなことは無いのだが、悪い方にバランスが振れている場合、タチが悪いのも事実だ。
端的に書けば、分別がなっていなくても何とかなってしまう最後の数年間。
そこに、格闘技という"力"が更に慢心や傲慢を齎す。

そして、運悪くも黒田の懸念は当たってしまっていた。

「謝ったぐらいで済むとでも思ってんのか?」
こう言ったのは、近寄ってきた二人の内の一人の坊主頭。当事者でもないのに既に脅し口調になっている。

「何だ? 良く見たら彼女連れかよ。いい気になってんじゃねーぞ」
更に、残りのモジャ頭が続く。

「え!? もっかい言って!」
意外にも、三人目の言葉に食い付いたのは姫華だった。

「「「あん?」」」
三人が一斉に姫華に向く。

「!? おい、凄ぇーぞ。オッサンの後ろでよく見えなかったが、メチャクチャおっぱいでけー!」
「おお、マジだ。凄ぇ!」
坊主頭とモジャ頭が姫華の爆乳に気付いて、目を血走らせている。

どうやら、さっきまでの場所よりも深いらしく、水面は丁度、姫華の鳩尾辺りに来ていた。
姫華の爆乳がやや水に浮く形でゆらゆらと揺れている。

「ねぇ、私たちってどう見える?」
姫華はそんなことはお構いなしに、胸の前で両手を組んで目をキラキラさせている。

「あん? アンタはこのオッサンの彼女じゃねーのか?」
「だよね? やったーーーっ!!」
モジャ頭が答えるや否や、姫華は喜びを身体全体で表現するかの如く、跳び上がった。

「「「っ・・・!!!!?」」」
しかし、そのジャンプが半端ではなかった。

何と、姫華の足が完全に水面から飛び出しているのだ。
姫華は、ポーズ的には万歳の格好をしているので、腕は勿論、脚も伸ばしたまま。
今の水面は、姫華の鳩尾辺りだから少なく見積もっても水深130pはあるはずだ。
溜めを作ったとはいえ、助走も付けない垂直飛びでその高さを飛んだことになる。
陸上ならまだしも、130pもの深さの水の抵抗がある状態でここまで飛べる者が果たして居るだろうか?

姫華の足首が丁度、黒田や男たち三人の目線と同じぐらいになったところで、姫華はやっと自由落下を始めた。

ドボオォォォン!!!

プールに向かって何かが墜落したような、そんな特大の水飛沫。

「うぇっ・・・ぺっ・・・この!」
「何しやがる、このアマ!」
「がはっ・・・良い度胸してんじゃーか」
思い切り水を引っ被った男三人が、着水した姫華を思い切り睨み付けた。
このままだと"危ない"と思った黒田は、男たちと姫華の間に立ち塞がる。

「何だぁ? オッサン、てめぇは後回しだ。どけっ!」
角刈りが有無を言わさず掌底気味に張り手を放った。

ドカァッ!

「ぐぁ!」
まともに喰らった黒田が横に吹っ飛ぶ。

「パパ!」
姫華が慌てて黒田に駆け寄る。

「・・・パパ?」
「ヒャハハハ、"パパ"だってよ!」
「もしかして、彼女じゃなくて援交だったりするんじゃねー?」
男三人は再び、ヒャハハハと下品な嘲笑を黒田と姫華に向けた。

「パパ、大丈夫?」
「・・・ああ、大丈夫・・・だ」
さっきの張り手は運悪く、黒田の顎を捉えていた。
脳が揺らされたせいで黒田は軽い脳震盪を起こし、姫華が支えていないとプールに沈んでしまいそうだった。

「パパ、プールサイドで少し休もう?」
そういって、姫華は黒田を抱きかかえた。

「おい! 待てよ」
「何?」

「ぶつかった挙句、水までぶっ掛けておいてそのまま行く気かよ?」
「・・・良いわ。私も話があるし、あっちの人の居ないところに行きましょ」
そういって、姫華はプールサイドの更に先にある、森のようなゾーンを見遣った。

そこは、森をイメージした休憩ゾーンなのだが、プールやプールサイドからは死角になっている。
森の中に入ってしまえば、外から様子を伺うことは出来ない。姫華は敢えて、そこを指定した。

「・・・へへ、良いぜ。邪魔が入らない方が良い」
角刈りは相変わらず、下卑た笑いを浮かべている。

「パパ、ちょっとここで休んでてね」
何と、姫華は黒田を抱えたまま、つまり両手が塞がった状態でプールからプールサイドへとジャンプして上がった。
そして、少し離れた場所に黒田を横たえた。

「お・・・おい、やめ・・・」
黒田は立ち上がろうとするが、目眩がして思うように立ち上がれない。

「パパ、大丈夫だよ。"あの時"と違って、今の私は冷静だよ。
 ただ、幾らこっちが悪くても、先にパパを殴ったのは向こうだから、ちょっと懲らしめて来るだけ」
そういって、姫華は薄く笑った。黒田は、倉庫の一件が脳裏を過ぎった。
しかし、思うように身体を動かすことが出来ない黒田に、今の姫華を止める手立ては無い。

「いくらチンピラみたいでも、あいつ等は堅気だ。それだけは忘れるな」
「うん、わかった♪」
黒田が"危ない"と思ったのは、このことだったのだ。勿論、危ないのは姫華ではなく、相手の男たちの命。
倉庫の時とは違い、確かに今の姫華は冷静だ。しかし、いつ何が切っ掛けでキレてしまうかわからない。

黒田は自分の不甲斐無さを後悔しつつも、今はおとなしく身体を回復することに専念することにした。
数分も横になっていればすぐに起き上がれるだろう。それから駆け付けても間に合う・・・はずだ。

程なくして、姫華と男たち三人は森の中で対峙した。
そこは、円形の吹き抜けになっている空間で、三人掛けのベンチと一台の自販機がポツンと置かれていた。
姫華たちが居る森があるプールのゾーンは、プール全体を見ても端の方に位置していて、ほとんど人が居ない。
さらにその隅っこの森となれば、人が来ないのも当然だった。

「さぁて、どうしてくれるんだ?」
角刈りの男が、先頭に立って姫華に問い掛けた。

「パパを殴ったことを謝って」
「ああ!? 何言ってんだ?」
「てめえらが先にぶつかって来たんだろうが」
角刈りの後ろに居た、残りの二人も続いた。

「パパは謝ったでしょ。だから、今度はあんたたちが謝って」
「・・・てめぇ、いい加減にしねぇと・・・」

「・・・謝ってくれたら、手加減してあげる」
クスッと姫華は、冷たく妖しい笑みを浮かべた。

「あん? 今、何つった?」
「手加減してあげるって言ったの」

「手加減だぁ? てめぇ、一体どういう・・・」
「まあ、待て」
坊主頭が凄むのを、隣に居たモジャ頭が制した。

「んー。 見たところ、確かにおねーさん、凄い身体してるけど・・・」
モジャ頭が、姫華の筋肉ボディを上から嘗め回すように見る。

「・・・だからって、俺たちN大相撲部のトップ3を相手にしようってのは、ちょっと無謀じゃねーかな?」
ククク、とモジャ頭は笑った。

身長は、姫華が目線一つ分高いぐらいだから、この三人もそれなりに高身長ということになる。
しかも、筋肉より脂肪が目立つとはいえ、姫華に負けず劣らず体格が良い。単純な横幅ならこの男たちの方が広い。

「んー、そーかな」
姫華は、意に介さないというよりは、全く理解出来ていないといった感じだ。
そもそも、小学生の姫華に大学がどうだとかいった物言いが理解出来るわけがない。


そういった経験・キャリアでいうなら、今まで姫華は遥かに格上の相手と幾度と無く闘っている。
元世界チャンピオンのボクサーやプロレスラー等の格闘家たち、相対したその全てをリングに葬って来た。

その闘った中には元関取も居た。その時はお互い、まわしを着けての相撲ルール。
姫華は、いつものリングコスチュームの上からまわしを着けたので、条件は同等。
その元関取は体重が200sという超巨漢で、身長・体重共に姫華を上回っていた。
元関取に有利なルールということもあって、前評判も悪くなかった・・・が、その結果は呆気ないものだった。

決まり手は、『腰砕け』。

姫華は最初の数分、受けに徹するつもりでがっぷり四つに組んだ。
良い勝負に見せようと、姫華は上手を取りに行った。ただ、それだけだったのだが・・・。

想像以上に分厚い元関取の腰周り。相撲に特化した、分厚い脂肪と筋肉。それが仇となった。
姫華はその怪力をもって、相手の腰周りの脂肪や筋肉を物ともせず、上手を取りに行く。
姫華は何とか、相手の背骨辺りのまわしを掴むことに成功し、そのままリフトアップして観客を沸かせようとした。

その瞬間、グチャグチャグチャッ・・・という何かが潰れる異音。

姫華の極太の両腕が元関取の腰に減り込み、腰周りはいつしか元の半分ぐらいの細さになっていた。
あんこ型、というよりは球体に近い体型だった元関取は、瓢箪のような体型に整形されていたのだ。

姫華が持ち上げて元関取の足が宙に浮いたと同時に、姫華のまわしを取っていたその両腕がダランと垂れ下がった。
口から大量の血を垂れ流し、白目を剥いている。既に息はない。

上手を取るという過程が、脂肪を磨り潰し、筋肉を押し潰し、内臓を圧し潰した。
それは最早、技ですらなかった。
本来、『腰砕け』とは相手が技を掛ける前に膝を着いてしまう『非技』のことをいう。
しかし、姫華は結果的に文字通りの『腰砕け』で以って、元関取を斃してしまったのだ。

いくら大学生で強かろうが、それが何人いようが、姫華にとっては勝敗を判断するレベルですらない。
如何に、相手を殺さずに、黒田を殴ったことを謝らせるか。姫華が考えるのはその一点のみだった。

「おにーさんたちっておすもうさん?・・・みたいだけど、前にやった人よりは弱そうだし、三人一緒で良いよ」
「あん? どーいうことだ?」

「んー、おすもうでも良いし、殴り合いっこでも良いしー」
姫華が話すたびに、男たちの額に青筋が増えて行く。

「・・・あ、でも殴り合いっこだと手加減出来ないからダメかも・・・。でも、やらずに逃げるのはダメだよ♪」
パパを殴ったことを謝るまでは逃がさないから、と姫華は付け加えた。

「ねーちゃん。あんたの言ってることが電波過ぎて何言ってるのかよくわかんねーけどよ」
角刈りが姫華を睨み付ける。

「喧嘩売ってるっていうのだけは良くわかった」
「まあ、三人同時で良いって言ってくれてるんだ」
「お言葉に甘えさせてもらおーぜ」
角刈りに、残りの二人も続いた。

「先ず、俺がぶちかまして押し倒すからその後、お前らは両手を抑えろ」
「「おう」」
角刈りが残り二人にそう指示し、低く身構える。それは、正に相撲の仕切りそのものだった。

両拳を地面に一度だけ擦り付けるようにして、角刈りは一気に姫華目掛けて突進した。
恐らく、100sを超すであろう角刈りが棒立ちの姫華にぶつかる。

ドスン!!

「・・・え?」
それはまるで、稽古場にある柱にぶつかったかのような感覚だった。思わず、角刈りは顔を上げる。
そこには、きょとんとした表情の姫華。

「くそ! 足が滑って、威力が無かっただけだ!」
そういって、角刈りは何度も何度もぶつかり稽古のように、少し下がってはタックル、を繰り返す。
しかし、棒立ちであるはずの姫華はビクともしない。

「・・・こうなりゃ!」
痺れを切らした角刈りは、柔道の双手刈りのようにタックルしたまま姫華の両腿を掴んで押し倒そうとした。
だが、やはり姫華は倒れるどころか、一向に動く気配が無い。

「う・・・そ、なん・・・で」
姫華のアトラス神のような頑強さが信じられず、角刈りは一旦、姫華から離れる。

「おにいさん・・・もしかして、それで本気・・・?」
姫華は可哀相なものを見るような、そんな憐憫の目で角刈りを見る。
実際、姫華がアマチュアと遣り合うのはこれが初めてだった。ここまで弱いとは思わなかったのだ。
今まで幾度と無くプロと相対し、それらを例外なく斃して来た姫華にとって、アマチュアなど赤子も同然だった。

「もういいや・・・ねぇ、張り手ってこれで良いのかな?」
「・・・え?」
その時、既に姫華は右手を"パー"の形で掌を角刈りに向けていた。
身体は使わず、あくまで腕だけで後ろに振り被る。

ドゴォッ!!!

姫華の、棒立ちのまま腕だけを使った文字通り、"手打ち"の張り手。
しかし、その"手打ち"の張り手でさえ、あまりの速さに角刈りには見えなかった。

角刈りの巨体が飛んだ。

宙を舞った角刈りの身体は、後ろに居た残り二人を巻き込んでやっと着地した。

「・・・痛ってぇ・・・な!?」
「・・・痛ぅっ・・・・・げぇ!」
坊主頭とモジャ頭は揃って声をあげた。勿論、角刈りを受け止めた痛みからだけではない。

たった一撃。たった一発。
それなのに、角刈りの顔面はフルラウンドを闘ったボクサーのように腫れてボロボロだった。
両目の瞼は腫れ、既に目が開かない状態だし、鼻は明らかに折れて潰れていた。
半開きの口からは、折れた歯がポロポロと零れている。よく見ると、前歯がほとんど残っていなかった。

「ひ、酷ぇ。よくも・・・!」
「あ、おい!」
坊主頭の静止も聞かず、モジャ頭が姫華に向かって駆け出した。
怒り心頭のモジャ頭は、相撲などお構いなしに一心不乱に拳を振るう。

「あれ? おすもうじゃなくて、殴り合いっこにするの?」
姫華は、上半身のスウェーバックだけでパンチを躱す。

「く・・・この!」
顔面に当たらないと見るや、モジャ頭はボディ目掛けてパンチを繰り出す。

ドム。ドム。

硬いタイヤを殴っているような、そんな打撃音。

ドム。ドム。ドム。

「くそ! 何で効かねぇんだ・・・はぁはぁ」
幾らパンチを当てても、姫華は平然としたままで効いた感じがしない。
むしろ、立ったままの姫華よりも、パンチをしているモジャ頭の方が息が荒い。
尤も、上質のゴムのように硬く柔軟性のある姫華の腹筋は、この程度のパンチは何千発だろうと効きはしない。

「おにーさん、頭良いね。確かに、お腹なら何発でも耐えられるもんね。じゃあ、姫華も・・・」
姫華はニッコリと笑って、拳を"軽く"握る。体幹は使わず、腕だけでパンチの体勢を取る。
さっきの張り手と同じく、姫華が出来得る限りギリギリまで手加減した"優しいパンチ"。

ドゴォッ!!!

モジャ頭の脂肪で出張った腹に姫華の拳が減り込み、その衝撃でモジャ頭の足が宙に浮いた。
アッパー気味だったので後ろには吹っ飛ばず、その場に両膝から着地。

「うげおぉぉぉぉぉ!!!」
ビチャ、ビチャ、ビチャ。モジャ頭の口から、胃の内容物と思われる吐瀉物が止め処なく溢れ出る。

「・・・うわぁ、気持ちわる〜い」
その場に充満する異臭で、姫華は初めて後ずさった。
モジャ頭は、自分の吐瀉物とキスをする形で前のめりに倒れ込み、ピクピクと痙攣している。

「・・・な、何だ、この女! お、俺には無理だ!」
残る最後の一人、坊主頭が踵を返し逃げようとする。しかし。

「逃げちゃダ〜メ♪」
「ひいぃ!」
いつの間にか、姫華は坊主頭の前に回り込んでいた。
さすがに一足飛びとはいかなかったが、三段跳びの要領で一瞬にして回り込んだのだ。
身構えるわけでもなくただ立っているだけの姫華に、坊主頭は猛獣を前にしたかのような恐怖を感じた。

「ゆ・・・許じで」
あまりの恐怖に耐え切れず、腰が砕けヘナヘナとその場にへたり込む。

「あ、謝る・・・いえ、謝りまずがら許じでぐだざい」
既に涙声だ。

「ん・・・じゃあ、ちゃんと謝って」
「彼氏ざんを殴ってずみばぜんでじた・・・。もう二度とちょっかいかげだりじないので許じでぐだざい」
坊主頭は、地面に頭を擦り付けるように土下座をして謝った。

「それじゃ、"手加減"してあげるね」
「・・・へ?」
土下座したまま顔を上げた坊主頭を、姫華はのど輪で左手一本で持ち上げた。

「ぐ・・・ぐるじ・・・・・ゆ、許じでぐれるんじゃ・・・」
姫華は力を入れていないが、自分の体重が負荷となるため、坊主頭は苦しみで顔が歪む。

「だから、言ったでしょ? "謝ったら手加減してあげる"って」
姫華は冷徹に、そう言い放った。元より、姫華に許すつもりなどないのだ。
それに、さっきの二人以上に手加減するなど、どのみち今の姫華には無理だった。

「誰も許してあげる、なんて言ってないよ。それに、パパを殴っておいて許してもらおうなんて・・・甘過ぎ」
「・・・う、そ・・・。それに、俺は殴ってな・・・ぐぁ!」
姫華の左手に力が入る。

「パパを嗤ったのも同罪だよ。それにその言い訳って・・・全然、反省してないよね? 死にたいの?」
「ぐ・・・ぎ・・・ぎ」
姫華の左手の指一本一本が坊主頭の首に食い込んで行く。
それに呼応するように、坊主頭の顔から血の気が失せて行く。

その時。

「姫華!」
姫華が振り返ると、回復したのか黒田が立っていた。

「・・・!? パパ!」
「先ず、そいつを放すんだ」

「でも・・・こいつ、パパのこと嗤ったんだよ?」
「そのことはもう良い。それだけやれば充分だ」
黒田は辺りを見回す。

顔面を潰された角刈り。
吐瀉物に顔面を突っ込んで痙攣しているモジャ頭。
そして今、姫華に絞め殺されようとしている坊主頭。

「・・・ふぅ、これも俺の監督不行き届きか」
と黒田は一人ごちた。

「姫華、俺はもう大丈夫だ。それに、元はといえばぶつかった俺が悪いんだ。もう放してやれ」
「はぁ〜い」
やや不満気ではあったが渋々、姫華は坊主頭を解放した。
地面に尻を打ち付け、咳き込む坊主頭の前に黒田がしゃがみ込む。

「悪かったな、学生さん。俺も悪かったが、お前たちにも非がある。ここはお互い、痛み分けってことでどうだ?」
黒田は一発。角刈りとモジャ頭でそれぞれ一発ずつ。数だけで見れば痛み分け、と言えなくもない。
その一発を喰らった方の被害を考慮しなければ、だが。

「お前たちが後々、警察沙汰にしようなんてことがないように・・・一つ、良い事を教えてやろう」
「・・・え?」
坊主頭はドキッとした顔をした。どうやら、図星だったようだ。

「俺と姫華はな、恋人同士じゃない。まして、援交でもない」
「・・・・・」

「あいつが俺をパパと呼んだ通り、俺と姫華は正真正銘、親子だ」
義理だがな、と黒田は心の中で付け足した。

「しかも、姫華はああ見えてまだランドセル背負ってる小学生だ」
「・・・!?」

「お前たち、確か大会が近いんじゃなかったか?
 小学生の女の子にやられたなんて知れ渡ったら・・・どうなるだろうな?」
「・・・・・」
図星を指されたことと、意外な事実を知ったショックで坊主頭は動揺を隠し切れない。

「笑いものになりたくなかったら、今日のことは社会勉強だと思って心に閉まっておくんだな」
じゃあな、と黒田は立ち上がり、姫華を連れてプールを後にした。



帰り道。

「ねぇ、パパ。あれで良かったの?」
「ああ、何事も遣り過ぎは良くない」
あの後、直ぐに着替えて退散するように二人はプールを出た。

「もっと、泳ぎたかったのに・・・」
姫華はむくれていた。さすがにあのまま、あの場に居続けるのは不味いと黒田は思ったのだ。

「それに、また否定してたでしょ?」
「何をだ?」
黒田は、敢えて惚けてみせた。

「もう、わかってるくせに・・・」
「ははは、冗談だよ。そう見られたいなら、もっといろいろ勉強しないとな」
黒田はそういって、まだ乾き切っていない姫華の頭を撫でた。
姫華の方が背が高いが、黒田にしな垂れかかるように姿勢を低くしているので丁度良い高さに頭があったのだ。

「姫華、今日はすまなかった。時間を作るから、また一緒に泳ぎに行こう」
「ホント!? やったーーっ」
姫華は例の如く、その驚異的なジャンプで、身体全体で喜びを表現した。


「・・・姫華には、"ここ"じゃ狭いのかも・・・な」
黒田はただ漠然と、そう呟いていた。


つづく





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