才能

【8】

「・・・ふぅむ。なるほど・・・ほう、凄いな・・・」
沢村が、手元の資料に目を落としながら、独り言のようにそう言った。

黒田は、ジムの件の報告で沢村の元を訪れていた。
沢村は、関内からも報告を受けているからわざわざ来ることは無い、と一度は断った。
しかし、黒田は面と向かって報告したい、と敢えて足を運んだのだ。

「これだと実質、測定不能と変わらないな。まさか、あのジムの器具でもダメだとは・・・」
「はぁ・・・すみません」
黒田は何故か謝ってしまった。

「いや、攻めているわけじゃない。限界値がわからないだけで、どの程度以上の力があるかはわかったからな」
それはそれで意義のあることだ、と沢村は言った。

「身体の使い方を覚えさせる意味でも、何かやらせた方が良いとは思うが・・・。
 確か、一度試したがダメだったんだっけか」
格闘技を覚えようとしてコーチをK.O.してしまう、という話は既に沢村も聞いている。

「で、どうするんだ?」
「空手か、もしくはボクシングをやらせてみようとかと思いまして。後、水泳も」

「空手? 打撃系は組み手があるから無理じゃないか? ボクシングもスパーがあるだろう」
「ええ。だから、空手は型のみ、ボクシングはシャドーのみでやらせようかと・・・」
武道は何も、相手を倒すだけのものでない。『型』は基本であり、本質でもある。
『型』を繰り返し鍛錬し習得することにより、身体の使い方を覚え、精神力が鍛えられる。

「・・・なるほど。身体の使い方という意味での『技術』・・・か。良いアイディアかもしれないな」
「実はあの日、プールで一悶着ありまして・・・」
黒田はプールの一件を包み隠さず話した。

「・・・そんなことがあったのか。まあ、事の是非はさておくとして・・・。
 確かに、姫華嬢は力の使い方を覚えた方が良いかもしれないな」
"手加減出来ない"というのは現状、姫華にとってマイナスにしか作用していない。
プールの一件も、黒田の制止が遅ければ、相手を殺していたかもしれない。


「・・・で、だ」
そこで、沢村は一呼吸おいた。

「わざわざここに来たってことは、他にもまだあるんだろう?」
「・・・敵わないですね」
沢村の指摘に、黒田は身を竦めて苦笑いをした。

「獅堂組長から打診されていた、カジノの件か?」
「それもあります。後、姫華の今後のことも」

「決めたのか?」
「はい。カジノは、期間限定で受けようと思ってます」

「期間限定・・・? どういうことだ?」
「私や姫華が居なくても良いように、後釜の人材を育成して経営が軌道に乗るまで・・・三年ぐらいを目処に」

「カジノを辞めて・・・その後は?」
「まだ、姫華にも話していないんですが、アメリカへ渡ろうかと」
黒田は、姫華が水泳の授業に出られなかった件も話した。

『出る杭は打たれる』という言葉があるように、この国の人々は目立つものを嫌う。
良くも悪くも閉鎖的といえる。歴史を見ても、鎖国という政策からもその点は充分に伺えるだろう。

実際、ジムやプールでも姫華は目立っていた。いや、目立ち過ぎていたといっても過言ではない。
今は上手く黒田が庇護しているが、いつマスコミなどの好奇の目に晒されるとも限らないのだ。
黒田と居る時でなければ、姫華は外出もしたがらない。一人だと、目立つことがわかっているからだ。

自由の国、アメリカ。

世界中の様々な国の、色々な人々が住む、人種の坩堝。
そこでなら、姫華ももっと伸び伸びと自分を出せるかもしれない。黒田はそう考えたのだ。


「・・・ということだ」
黒田は、沢村に話した内容をそのまま包み隠さず、姫華に話した。


自宅。

姫華は相変わらず、大量の食事を採っている。
黒田の方が先に食事を終えたので、黒田から話を切り出したのだ。

「うん、パパの話はわかった。・・・じゃあ、私からは一つだけ質問」
食事の手を止めて姫華が神妙な面持ちで聞いた。

「・・・? 何だ」
「ずっと、一緒・・・だよね?」
縋るような、それでいて威圧感のある、そんな眼差し。

「・・・ああ。お前が望む限りは・・・だがな」
「約束・・・だよ? 約束してくれるなら、空手でも、ボクシングでも、水泳でも何でもやる」
そういって、姫華は再び食事を始める。心なしか、さっきまでよりも食事の進みが早い。

「全部やる必要は無いんだぞ? やりたい奴だけで良いんだ」
「う〜ん・・・どれも興味あるし、どうせやるなら全部やってみたい!」
姫華はやる気満々だと言わんばかりに、目をキラキラ輝かせている。

「習い事はまだ良いとしても、本当に学校は俺の言う通りで良かったのか? 自分で言っておいて何だが・・・」
遅くとも三年後という近い将来、二人は渡米する。

それを見越して、黒田は姫華をそのまま中学に進ませずにインターナショナルスクールに進ませようと思ったのだ。
英語の習得が主な目的だが、水泳の件もあるように閉鎖的な日本の学校は姫華には合わない。
黒田はそう判断したのだ。

「友達とも離れ離れになってしまうが、本当に大丈夫か?」
「友達って言っても、ちょっと話すクラスメイトが居るだけだし、大丈夫だよ♪」
そういって屈託無く笑う姫華を見て、黒田は何ともいえないような複雑な気持ちになった。

黒田は、姫華が虐められているという話は聞いていない。
事実、姫華に聞いても「クラスに虐めなんて無いよ」という答えが返って来る。
だが実は、黒田の違和感ともいうべき懸念は、あながち間違いでは無かった。

姫華に友達が出来ないのではなく、姫華が仲の良い友達を作ろうとしていないのだ。

姫華は、物心が付き始める十歳という年齢で黒田に拾われた。
それからは、少なくとも普通の小学生では味わえないような、そんな波乱万丈の二年間を過ごした。
身体の成長速度の著しい違いもあって、姫華はクラスメイトを同じ目線で見ることが出来なくなっていたのだ。
闘技場で、試合とはいえ対戦相手を幾度と無く殺して来た姫華にとって、それは仕方ないことなのかもしれない。


そして、小学校卒業を翌日に控えた、そんなある日。
その日は、昨今の異常気象のせいか季節柄にもなく気温の高い、日差しの強い日だった。


「黒田さん。今日、一緒に帰らない?」
「内藤くん」
帰り支度をしていた姫華にクラスメイトの男子、内藤将太が話し掛けて来た。

「良いけど・・・でも、急にどうしたの?」
「う・・・ん、いや・・・その」
聞き返す姫華に対し、将太は口篭った。どうにも、歯切れが悪い。

将太は、勉強も運動もそこそこに出来、ユーモアのセンスもあって、クラスの中でも人気者の部類だ。
スマートなタイプというよりはむしろ体格が良く、スポーツ刈りの如何にもなスポーツ少年といった感じ。
身長も小学生の平均よりも高く、女子受けも良い。

姫華と将太は、帰宅の方向が途中まで同じということもあり、集団下校でも同じグループだった。
そういった地理的状況もあってか、何度かタイミングが合えば途中まで一緒に帰ることも間々あった。
しかし、それもタイミングが合えばであって、面と向かって誘うのはそうは無いことだった。

「うん、良いよ」
姫華も、卒業式を翌日に控えているので、今日は習い事を入れていなかった。

姫華はあれ以来、空手・ボクシング・水泳をローテーションで通うことにしていた。
闘技場での試合が無い日は、ほぼ毎日といっても良いぐらいだ。
習い事を始める前は、黒田が居ない独りの時は勉強ぐらいしかやることがなかったので丁度良かったのだ。


「一緒に帰るのってかなり久し振りだね」
「う〜ん・・・そうかもね」
嬉しそうに笑う将太を見て、姫華もそれに合わせるようにして微笑んだ。

校門を出て、並んで歩く二人。
将太は、長袖のシャツに短パンと如何にも小学生らしい服装。
一方の姫華は、長袖で丈の長い厚手のワンピースを着ていた。勿論、このワンピースは輸入物の特大サイズだ。
ワンピースを着ると、姫華は太っているように見えるので結果的に、"着痩せ"しているように見える。
発達した広背筋と特大の爆乳バストで胸周りが広がるので、寸胴に見えて筋肉ボディのラインが目立たないのだ。

クラスでも高身長の将太だが、その姫華と並ぶと大人と子供ぐらいの差がある。
姉と弟か、下手をすると親子に見えてしまうかもしれない。現に、将太の頭は姫華の肩よりも下にある。
ランドセルを背負っていなければ、小学生同士の下校には見えないだろう。
尤も、姫華は肩幅が広いのでランドセルは片方の肩でしか持てず、背負うというよりは下げるといった感じだ。

「もう、卒業なんだね」
「うん、そうだね」
将太は元々、明るい性格でどちらかと言えば口数が多い方なのだが、今日は心なしか無口だった。

「・・・・・・・ン」
「・・・・・・?」
何かを決心したような将太の息遣い。

「黒田さん、僕らと同じ中学に行かないってホント・・・?」
「うん、ホントだよ。英語を勉強したいから、そういう学校に通うの」
将太は当然のように、姫華も地元の中学校に移るのだとばかり思っていた。そう信じて疑わなかった。
しかし、風の噂で耳にしてからというもの、本人に何度も確かめようとしたが出来なかった。
怖くて聞けなかった。そしてついに、卒業式前日までズルズル来てしまったのだ。
卒業式当日は当然、保護者が来る。一緒に帰るのは今日がラストチャンスなのだ。

「・・・やっぱり、そう・・・だったんだ」
「・・・うん」
将太の様子が明らかに普段を違うことは、姫華からも容易に見て取れた。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

「あの・・・さ、ちょっと聞いて欲しい話があるんだ」
「・・・何?」

「ここじゃ・・・ちょっと。少し、歩かない?」
「・・・良いけど」
姫華は最初、将太が歩きながら話を切り出すものとばかり思っていた。
しかし、将太からは一向に口を開く気配が無い。やがて、二人の帰り道の分岐点に差し掛かった。

「・・・ねぇ。少し、寄り道して行かない?」
「・・・・・良いよ」
姫華も普段なら断っているところだが、最後ということもあり、渋々OKした。

「・・・でも、どこに行くの?」
姫華の質問には答えず、将太は無言で前を歩いている。
一方の姫華も、将太が連れて行きたい場所のだいたいの目星は付いていた。
歩きながらでダメということは、人目に付き難い場所。となれば、その場所は自ずと限られて来る。

将太が進むままに付いて行くと、そこはやはり姫華が予想した通りの場所だった。


空き地。今となっては珍しい、広大な空き地。

勿論、完全な更地というわけではない。そこは元々、マンションが建つ予定だった。
基礎工事が終わり地上階部分の鉄骨がある程度まで組み上がった頃に、管理会社が倒産した。
途中まで組み上がってしまっているため、壊すにも費用が掛かるのでそのままになっているのだ。

立ち入り禁止の看板と衝立で表向き、出入り出来ないようにはなっているが、そこは小学生。
まるで自分の家にでも入るかのように、難なく敷地内へと入り込んでしまった。

「凄い。あんなところから入れるなんて知らなかった」
「前にクラスの何人かと探検してる時に見付けたんだ。他のクラスの子は誰も知らないと思うよ」
そういって、将太は得意気に笑った。

将太と一緒に見付けたというクラスメイトも、気味悪がってここにはあまり近寄らないと将太は言った。
現に昼下がりの時間帯にも関わらず、場所によってはかなり薄暗い。
開けている所も、廃材や鉄骨が置いてあって、どことなく不気味だ。
町中にある広大な、ポツンとした人の居ない空間。現代の怪談に出て来そうな、そんな雰囲気。

「大人はもちろん、子供も滅多に来ないから気分転換したい時とかにたまに来るんだ」
「ここのことを教えたかったの?」
何だそんなことか、といった感じで落胆した表情の姫華。
得てして、こういう秘密基地的な感覚は男子特有のもので、女子には如何せん理解し難い。

「違うよ」
それを遮るように、将太は慌てて否定した。
そう、将太の目的は姫華と二人きりになることであって、姫華のテンションを下げたいわけではない。

「黒田さ・・・いや、姫華さん!」
意を決したように将太が突然、大声を張り上げた。周りに反響するだけで、それを聞いているのは姫華一人。
将太は気を付けの姿勢、というよりは直立不動の状態で真っ直ぐ姫華を見た。

「好きです!! 付き合って下さいっ!」
姫華が今までに聞いた将太の声の中でも、恐らく一番大きな声。そのぐらい、気合いの入った言葉だった。

「・・・ありがとう。私のこと、そんなふうに思っててくれてたんだ」
「っ! ・・・じゃあ」

「・・・でも、ごめんなさい」
「・・・・・え」
頭を下げて謝る姫華を、信じられないような目で将太は見た。

「そんな、どうして! どうして、僕じゃダメなの?」
「内藤くんのことは嫌いじゃないよ。・・・でも、ダメっていうならクラスのどの男子でもダメ・・・かな」
姫華は真面目に、真剣な眼差しでそう答えた。

「私はクラスの誰とも付き合えない。私を名字じゃなく、名前で呼んで良いのは一人だけ・・・だから」
姫華は、将太が今まで見たことのないような、優しい笑みを浮かべていた。

「姫・・・あ、いや、黒田さん・・・・・」
それが、自分に向けられたものではないことは、将太にもわかった。
自分が見たこともないような優しい笑みを向ける相手が居る。視線の先に誰を見ているのだろう。
ただ、その事実はどんな拒絶や謝罪の言葉よりも、将太の胸に突き刺さった。

「本当に、ごめんなさい」
姫華は再び、将太に頭を下げた。姫華にとっても告白を受けたのは初めてで、どう断って良いかわからないのだ。

「うぅん。こっちこそ、変なこと言っちゃってごめん」
そういって、将太は苦笑いした。

「でも、内藤くんって他にも仲の良い子が居たと思うし、クラスの女子の人気も高いのに・・・。
 目立たない私なんかのどこが良かったの?」
「目立たない、なんてことないよ。黒田さんを気にしてる男子はいっぱい居るよ」
一杯、というのは将太がやや誇張した表現だが、実際に姫華を気にしている男子が他にも居るのは確かだった。

「・・・うそ!」
「ホントだよ。背が高くて胸も大きくて・・・黒田さんみたいにスタイルが良くて格好良い女の子なんて早々居ないよ」
今度は逆に、姫華が将太の言葉が信じられないという表情をしている。

「他の子はどうしても子供っぽく見えてしまうんだけど、黒田さんは違ったから・・・」
将太は、姫華の落ち着いた大人びたところに魅かれた、と言った。

姫華は確かに、同年代と比べても活発な方ではない。
幾ら身長が伸びようが、筋肉が付こうが、本質的な性分は変わっていない。
そして、そこが将太や他の一部の男子を魅き付けたのだろう。

「・・・でも、私・・・。みんなは気付いてないのかもしれないけど、こんなに筋肉モリモリなんだよ?」
長袖のままだとただ太いだけ、といった感じのシルエット。姫華は、そのワンピースの袖を捲った。

将太の前に曝け出された右腕。細い手首から肘にかけて急激に太くなっていく前腕。
そして、その前腕を遥かに上回る隆起を見せる上腕。姫華の腕は、これでもかというぐらいメリハリがあった。

「・・・ゴクッ。・・・し、知ってたよ!」
生唾を飲み込む音が聞こえたかと思うと、将太は上ずった声で誇らしげに言った。

「水泳はずっと見学してたし、体操服もずっと大きめな長袖のを着てたからわかりにくかったけど・・・」
僕はずっと見てたから、と将太は言った。

「もしかして、こんな身体・・・好きなの?」
「うん、凄く綺麗だと思う」
将太は恥ずかしがることもなく、素直にそう言った。

「ありがとう。面と向かってこの身体を褒めてくれたのは内藤くんが二人目だよ」
姫華は嬉しそうに笑った。

「二人目・・・か。もし、僕が一人目だったら、どうなってたかな?」
「わからない。"今"じゃない状況なんて想像も付かないし。・・・でも、同じ返事をしたと思う」

「・・・そっか」
残念そうに、そう将太は呟いた。

「・・・じゃあ、僕以外の男子でもダメっていうのはそういうことだったんだね」
「うん。でも、それだけが理由じゃないよ」

「・・・見せてあげるね」
「・・・えっ?」
そういうと、姫華は足元にランドセルを置き、おもむろにワンピースを脱ぎ始めた。
背中のファスナーを器用に降ろし、あっという間に脱いでしまった。

「っ・・・!? すご・・・」
初めて間近で見る姫華の肢体に、将太は驚きと興奮を隠せなかった。

ワンピースの下は、いつものタンクトップタイプのスポーツブラとスパッツしか着けていなかった。
綺麗に小さく畳まれ、ランドセルの上に置かれたワンピース。
将太は今、そのワンピースに目の前の"モノ"が収まっていたとは到底思えなかった。
脱出マジックのように何か"タネ"があるのでは、そう思ってしまうほどに"それ"は凄まじかった。

上腕、広背筋、そして爆乳が彩る大迫力の上半身。そこからまるで漏斗のように括れた腰。
上半身のせいで細く見えてしまうが、恐らくは将太よりも遥かに逞しいお腹には綺麗に六分割された腹筋。
漏斗から再び広がりを見せる臀部から伸びるのは、巨大化したラグビーボールのような極太の太腿。
男性的な力強さと、女性的なしなやかさという両対極な感想を抱かせる、そんな完璧なボディ。

「・・・別に、隠してたわけじゃないんだけど・・・。やっぱり、恥ずかしいから」
と姫華ははにかんだ。

「ホントは凄く恥ずかしいけど、この身体を綺麗って言ってくれたお礼に、少しだけなら触っても良いよ」
「ホントに!?」
満面の笑顔で喜びを表現する将太に、今だけ特別だよ、と姫華は苦笑しながら釘を刺した。

ぺたぺた、ぺたぺた。

「きゃ、くすぐったい」
「あ、ごめん・・・」
将太は気を遣ってかなりソフトタッチで触ったのだが、却ってそれが姫華にはこそばゆかったらしい。

「変に力抜くぐらいなら、思いっ切り力入れてくれた方が良いかも」
「あ、うん。わかった、じゃあ・・・」

ぐいぐい、ぐいぐい。

「・・・凄い、硬いゴムみたい。・・・それに、腹筋ってここまで凄くなるんだ・・・」
将太は、姫華の腹筋の間に指を入れてみた。爪の部分がほとんど隠れるぐらい溝が深い。


69 :デアカルテ:2009/10/23(金) 17:13:05


「腕も・・・凄い・・・」
だらんと力なく伸ばされた状態にも関わらず、大きく隆起している上腕。

「ぶら下がってみる?」
姫華が肩の高さで右腕を水平に伸ばす。

「え? 良いの?」
姫華の意外な提案に二つ返事でOKした将太は、その上腕にしがみ付いた。
姫華の拳は上を向いているので丁度、力瘤に両手でしがみ付く格好になる。

「足、浮かせても良いよ」
姫華の言うがままに、将太は足を浮かせた。足は浮かせるために曲げたが、腕は伸ばしたまま。
つまり、将太の体重はまるまる姫華の上腕に掛かることになる。
にも関わらず、姫華の真っ直ぐ伸ばした右腕はまるで固定された鉄棒のように微動だにしない。

「お、重くない・・・の?」
「重くないよ。ほら♪」
驚く将太を見てニヤリと笑うと、姫華は何と、そのまま右腕を折り曲げた。

モリモリモリッ!

ただでさえ山のような力瘤が一回りも二回りも大きくなり、隆起した高さの分、更に将太を持ち上げた。

「う、うわぁっ!?」
思わず将太は手を離してしまう。ドスンと、地面にお尻を打ち付け、尻餅を付いてしまった。
将太からすれば、掴まっていた鉄棒が急に上方向に動いたようなものだ。

「ふふふ、あははは」
「もう〜、酷いや」
ははは、と将太も思わず笑ってしまう。

「でも、今のが見せたかったことなの?」
「うぅん、今のはただのサービス。だって内藤くん、ケーキ屋さんでケーキを前にした子供みたいな顔してたもん」
図星を刺された将太は、ただただ苦笑するしかなかった。


「・・・これから見せるのが、本当の理由」
急に真剣な顔付きになると、姫華はスタスタと歩いて行く。釣られて、将太も後を追い掛けた。

そこは、廃材置き場だった。

固めたまま放置されたコンクリートや鉄骨、雨ざらしで口が開いてそのままにされたドラム缶。
幾つもの廃材が、マンションを建てる途中でそのまま作業が放置されたことを物語っていた。


「取り敢えず、これかな」
姫華はそう言い放つと、大きなドラム缶に近付いて行った。

「ねぇ、これって動かせる?」
「えっ。これ・・・を?」
姫華に呼ばれて、将太はドラム缶の前に立った。

それは高さが約1mぐらいの、よくある円筒形の鋼鉄製のドラム缶だった。横面には『200』と書かれている。
ちなみに、ドラム缶の上面は『天板』と言い、下面は『地板』と言う。
『天板』にある『大栓』と呼ばれる注入口には栓が無く、口が完全に開いたままになっている。
長い間、雨ざらしだったのか、開いた『大栓』から雨水が溜まったのだろう。少なくとも、油の臭いはしない。
僅かな太陽光が水面で反射しているその様子だと、かなりギリギリまで水が溜まっているようだった。

「凄い、水が溜まってて底が見えないや。こんなの動かせないよ」
将太は、『天板』の縁を持って揺すってみるがビクともしない。
僅かに伝わった振動で水面が多少、揺らぐ程度だ。波すら立たないので水音すらしない。

それもそのはずである。

横面にある『200』とはつまり、200リットルのこと。もし仮に、水で満載とするならそのまま200s。
鋼鉄製のドラム缶そのものの重量はだいたい30sだから、合計で230sということになる。
とてもじゃないが、小学生に動かせる重量ではない。

「・・・だよね。じゃあ、ちょっとだけ離れてて。濡れちゃうといけないから」
「・・・え。濡れる・・・って?」
将太には、姫華の言っていることの意味がわからなかった。しかし、次の瞬間。すぐにその意味を理解した。

姫華はしゃがんでドラム缶の真ん中辺りに腕を回すと、スクッと立ち上がった。
ドプン、とドラム缶の中の水が大きく波打ったのか、『大栓』からいくらか水飛沫が飛んだ。

「え」
将太は姫華の言葉を理解したのと裏腹に、目の前で起きたことが理解出来なかった。

力んだ様子も、踏ん張った感じもしなかった。ただただ自然に、姫華は立ち上がった。
少なくとも、将太にはそう見えた。しかし、確かに、目の前の筋肉隆々な少女はドラム缶を抱えて立っている。
水で満たされた、230sのドラム缶。水は言うまでも無く、流体である。波打ち、動く。
鉄骨や固まったコンクリートとは違う。水は本来、"重心が安定しない"のだ。
水で一杯にしたバケツと、同じ重さだけ砂を入れたバケツ。どちらがより持ち難いか、その答えは明白だろう。

中で波打ち、重心が安定しない230sのドラム缶。
姫華はそれを顔色一つ変えず、いや、むしろ涼しい顔で持ち上げた。
中の水も立ち上がった衝撃で波打っただけで、今は水飛沫一つ上がる気配は無い。
安定していた。それはまるで、ただ大きいだけのぬいぐるみを抱えているかのような自然な体勢だった。

「・・・え? あれ?」
将太は確かに、"確かめた"。目の前の大きなドラム缶が、自分の腕力では到底動かないことをちゃんと確認した。
230sもの重量の物体。小学生の自分が動かせなくて当然だ。それが『現実』だ。
しかし、目の前で起こっていること。それは、将太が今まで見たどんな現実と照らし合わせても該当しない。

確かに、姫華は身長が高く、筋肉も凄い。それは将太もわかっている。
力瘤なんて自分の頭ぐらいある。筋力が半端ないことぐらい、容易に想像が付く。
しかし、だからといって。230sもの重量が力も入れずに果たして、持ち上がるものなのだろうか。

姫華がワンピースを脱いだ時、一瞬だがまるで、手品を見せられたような感覚に陥った。
現実にトリックが紛れ込んだような、そんな違和感。それと同じモノを将太は今、感じている。
目の前で起こっていることなのに。手品やトリックの類で無いことは間違いないのに。
将太が今まで感じて来た現実、そういった常識の埒外。姫華は、『そこ』に立っているのだ。

「まだ何もしてないのに、このくらいで驚いちゃダメだよ。腰を抜かすのはまだ早いよ?」
姫華がやれやれといった感じで動かない将太から距離を取った。

「・・・へっ?」
将太は姫華に言われるまで、自分が地面にへたり込んでしまっていたことに気付かなかった。
いつの間にか、無意識の内に腰を抜かしていたのだ。
しかも、将太自身まだ気付いていないが、さっきから片言の言葉しか話せていない。
そんな将太の緊張を破ったのは、ドラム缶から発せられた"悲鳴"だった。

グギギギ・・・グギョ・・・メキョ・・・メキメキ・・・バキャッ・・・ガコッ・・・

姫華の剛腕のプレスによって、水が詰まったドラム缶の"胴"が拉げ、凹んで行く。
凹みが深くなるにつれて、ドプッ、ドプッと『大栓』から噴水のように大量の水飛沫が上がる。

バキバキ・・・グゴガッ・・・ゴキャッ・・・グギギ・・・メキッ・・・メキッ・・・

姫華は相変わらず涼しい表情をしている。一切の力みすら感じ取れない。
姫華からすれば、ただ"腕を閉じているだけ"なのだから当然だ。
その証拠に、その圧縮は常に一定のリズムを崩さず、むしろ機械的でさえあった。

ベコン!という大きな破砕音と共に、姫華のプレスが止まった。
ドラム缶の"胴"は既に、姫華の両腕と腹筋の間で厚みが感じられない程にまで圧縮されていたのだ。
爆乳がドラム缶の上半分を押し返していたので、全体で見ると『くの字』に折れ曲がっている。

だが、そこで終わりではなかった。次に姫華は、『天板』に右手を、『地板』に左手を添えた。

「まさか」
そう将太が言い終わらない内に、再び発せられた破砕音が将太の言葉を掻き消す。

グギャギャギャ・・・グキャッ・・・ベキャッ・・・グゴガッ・・・ゴキャッ・・・

さっきまでよりも一段は甲高い、ドラム缶の"悲鳴"。
鋼鉄とはいえ、円筒形に整形された鉄板を押し曲げるのとはワケが違う。
一度、横方向に潰れて拉げた鋼鉄のドラム缶を、今度は縦に圧し潰そうというのだ。

「う・・・そ・・・」
将太の眼前で、更に『非現実』は続く。

ベキャッ・・・メキャッ・・・グキャッ・・・ゴキャッ・・・メキャッ・・・ゴキャッ・・・

それまでと同じように機械的で一定なペースで、"ドラム缶だったモノ"が縦に圧し潰されて行く。
『天板』と『地板』がまるで磁力で引き合うかのように、徐々にその距離を狭めて行く。

再び、ベコン!という大きな音。それは、『天板』と『地板』が一枚の厚い鉄板に圧縮された音だった。

「多分、これなら内藤くんでも持てるんじゃないかな?」
汗一つ掻いていない涼しい顔で、姫華は将太の目の前に"丸い鉄板"を置いた。
地面にへたり込んだままだった将太は何とか両膝を着き、両手で"丸い鉄板"に手を掛けた。

「・・・う、重い・・・・・む、無理」
地面から数p浮かせるのが精一杯だった。数p浮かせただけで、落とすとドスンという音と共に砂埃が舞った。
水が完全に抜けたとはいえ、30sの鉄板であることに変わりはない。


「次はこれかな」
姫華が次に持ち出して来たものは、更に将太の度肝を抜いた。

H形鋼。H形鋼(エッチがたこう)とは文字通り、断面が『H』形の形鋼である。
『H』形に鉄板を整形した構造用鋼材で、土木・建築用の柱・梁・基礎杭等に使われる。

『H』のどの辺も同じ長さで、10pより少し長いぐらいだろうか。それが約5m。
そんな長い鉄骨を、さも木の棒か何かでも持つかのように、姫華は片手で持って来た。
重心に近い真ん中辺りを掴んでいるとはいえ、そもそもこれは人が一人で持てるようなものなのだろうか。

「・・・それを、どうする・・・の?」
半ば青褪めた顔で、将太は恐る恐る姫華に聞いた。

「ふふ、椅子を作ってあげようと思って。だって内藤くん、ずぅーっと腰抜かしたまんまだもん」
「い、椅子・・・? それ・・・で? どうやって?」

「まあ、見てて」
未だに起き上がれない将太に、姫華はクスッと笑って言った。
姫華は、鉄骨の右端から1mぐらいのところを両手で掴むと、グニャッと折り曲げた。

「・・・っ!?」
最早、驚き過ぎて言葉にならない将太を尻目に、姫華は逆の左端も同じようにグニャリと折り曲げた。
よく見ると、折り曲げた部分は手形らしき指の跡が付いている。力任せに握って折り曲げた証拠だろう。

「土台はこんな感じかな?」
日曜細工でもやっているかのように軽やかな口調で姫華は作業を進めて行く。
残った真ん中の3m部分を器用に折り曲げ、窪みを作って行く。

「はい、出来た♪」
『M』字というよりは、『凹』形に近い形で鉄骨を整形した簡易椅子。製作時間はものの五分と掛かっていない。

「座ってみて♪ 内藤くんの為に作ったんだから」
「・・・あ、う・・・ん」
誇らしげに胸を張る姫華。ドンと突き出した爆乳バストがユサッと揺れる。
しかし、そんな天然のセックスアピールも、今の将太には気付く余裕は無かった。

将太は言われるがままに恐る恐る、姫華お手製の鉄骨椅子に座ってみる。
紛うことなく、手触りは想像した通りの鉄骨。軽く拳で叩いてみると、ゴンゴンという硬い乾いた音がするだけ。
実はプラスチックか何かの素材で、見た目だけが鉄に見える、といったことはなかった。
尤も、プラスチックには鉄のような粘性は無いので、曲げるとその部位は折れてしまうのだが。

座ってみて気付いたが、折り曲げた部分は全て手形が付いて細くなっている。
全ての角は折り曲げ易いように握り潰されていた、ということだ。

将太は、背筋に薄ら寒いものを感じていた。
それは、冷たい鉄に触れているからではないことは、将太自身もよくわかっていた。

「じゃあ、特等席で見ててね」
「・・・え? まだ、あるの・・・?」
そんな将太はお構いなしに、姫華のショーは続いた。
固まったままのコンクリートをパンチで打ち砕き、角材を太腿で挟み潰した。

「は・・・はは、は・・・ははは」
将太は、乾いた笑いを浮かべることしか出来なかった。

「・・・でも、それが・・・理由なの?」
恐る恐る、しかし意を決して将太は疑問を口にした。

「・・・ねぇ。今までのって私、全力だったと思う?」
「え?」
将太は、姫華の質問の意味がよくわからなかった。

全力。力一杯。言われてみると確かに、そういった単語はさっきまでの涼しい表情の姫華には結び付かない。

「例えば。例えばだけど、仮に私に凄く嬉しいことがあったとして。
 それで喜びのあまり、私が内藤くんに抱き付いちゃったらどうなると思う?
 ちょっとしたことで喧嘩したとして、それで思わず殴っちゃたりしたら?」
「・・・・・あ」
ようやく、将太は姫華が目の前で見せていたことの意味に気が付いた。一気にサーッと血の気が引くのを感じる。

水を満載したドラム缶を抱き潰す腕力。鉄骨を握り潰す握力。コンクリートを打ち砕くパンチ力。
それらがもし、自分に振るわれたら。ドラム缶や鉄骨やコンクリートよりも脆弱な自分など一溜まりも無いだろう。

「"このぐらいのこと"は、私にとっては軽くやれちゃうことなの。全力なんて要らない。
 ちょっと気を抜いた状態でも、軽くやれちゃう・・・」
「・・・・・・・・」

「私の一番の人はね、私が抱き締めて殺しちゃうかもって時でも、『私に殺されるなら構わない』って言ってくれたの」
「・・・・・・・・」
さすがに、今の将太にそこまでの覚悟は無い。小学生ということを鑑みれば、それは致し方ないことだろう。

「た、確かに・・・僕には無理・・・かも・・・あはは」
将太は、またしても乾いた笑いを浮かべることしか出来なかった。

実際に怖いと思ってしまった。姫華に対して恐怖を感じた。その事実は消せない。
今更、どんな言葉を取り繕ったところで、それは全て嘘になってしまう。


二人は再び、最初に入った秘密の入り口のところまで戻って来た。

「じゃあ・・・ここで、お別れしよう」
「あ、うん」
既に帰り道を外れているので、二人の帰り道は逆方向だった。

明日は卒業式。登校すればそのまま式が始まり、終わればそのまま保護者と合流し、卒業。
二度と同じ教室で学ぶことはない。まともに二人きりで話が出来るのは、恐らくこれが最後。

「・・・あ」
「・・・?」
何か言おうとしたが、将太は言葉が出て来ない。

「うぅん、何でもない。・・・ば、ばいばい」
「うん、ばいばい」
将太はそのまま振り返ることも出来ず、来た道を戻って行った。


「・・・ちょっと、遣り過ぎちゃった・・・かな? でも、変に未練が残るよりは良いよね?」
姫華は、遠ざかる将太の後姿にごめんね、と呟いた。

そして、将太と同じように一切振り返ることなく、そのまま家路に着いたのだった。


つづく





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