Serious fight

リングの上で美少女と言う表現が相応しい白く繊細な顔の少女が力強い視線で対戦相手の男を見つめていた。
少女の名前は天使ヒカル。高校生になったばかりではあるが、
本人にその気さえあればプロボクサーのライセンスを直ぐにでも取得できる実力の持ち主である。
しかし、ヒカル当人は自分が強くなった証として執心していたのはプロのライセンスではなく
リングの対角線上に立つこのジムで若手一番と言われている青年を倒すことだった。
ヒカルと青年は今まで何度となく拳を交えてきたが互いに本気になる事なく過ごしてきている。
いや、正確には本気にならない青年に対しヒカルも持てる力を発揮する事がなかったと言うべきだろう。
真剣にならない相手に対して自分も真剣になっても仕方がない。
ヒカルはそんな思いを抱いていたがある少年との試合でその考えを改めさせられた。
その少年はヒカルが自分よりも強いと判っていながら全力でヒカルに向かってきた。
そして、ヒカルもそんな少年に本気で応えた。
試合の結果は言うまでもなくヒカルの圧勝。だが、その試合はヒカルにとって勝利以上の意味をもたらした。
自分が本気になれば、相手も本気になる。その事実に気付いたヒカルは
今日こそ青年との真剣勝負を果たすつもりだった。

試合開始のゴングが鳴ると同時に二人はリングシューズとリングが擦れる音を
響かせ互いに間合いを計りつつ相手の出方を探る。
ヒカルは今日も青年から手を出してこない事を確認すると自分から手を出した。
いつもの形式ばかりの技の応酬ではない。そんな事をアピールするかの如き鋭いジャブをヒカルは何度も繰り出す。
タイする青年は普段と様子が違うヒカルに戸惑う事無く冷静にスウェー、ダッキング、ブロッキングを駆使して防御する。
しかし、ヒカルのキレのあるジャブが青年の防御テクニックを上回りその顔を捉えた。
ヒカルは更にジャブを繰り出し青年の動きを止めると右ストレートを放つ。
その一撃は青年にクリーンヒットすると脳を激しく揺さぶった。更にヒカルは左フック、右アッパーを繰り出す。
青年は右頬と顎に続けざまに打ち抜かれ咄嗟にガードを上げた。
そんな青年に対しヒカルはガードの薄くなったボディを攻め立てる。
左ボディフックで肝臓を抉り、更に右左右とボディアッパーで青年の鳩尾、胃、腎臓を圧迫する。
並の男なら苦しさの余り顎を下げるヒカルのコンビネーション。
だが、青年もこのジムで若手一番と言われるだけあってその猛攻に耐え抜き後退を試みる。
そんな青年に対しヒカルは深追いをせずにその場に踏みとどまった。

再び、間合いを計りリングの上を動き回る二人。次に動いたのは青年だった。
青年は未だに余裕があるのか普段のスパーリングの様に力を抜いたパンチを繰り出す。
ジャブ、ストレート、フック、アッパー、様々なパンチを上下に打ち分けながらあくまでも牽制に徹する青年。
そんな青年のパンチをスウェーとダッキング
、フットワークを駆使しながらかわし次の一手を考えるヒカル。
この青年から本気を引き出すにはまだまだ足りない。そう思い至ったヒカルは
青年をダウンさせるべく青年の動きを見極めた。
その機会はそれ程、時を置かずに訪れた。青年は不用意に右ストレートを繰り
出すのを見極めたヒカルは僅かに軸をずらしながらカウンターの右ストレートを打ち出した。
ヒカルの拳が真正面から青年の顔面を捉える。そして、その右はただのストレートではなかった。
身体の各関節の捻りに加え、拳を更に捻り込む事によって威力を倍増させたコークスクリューブロー。
青年の攻撃が手加減したものとは言え、カウンターで放たれたフィニッシュブローは
青年の脳を激しく揺さぶるには事足りた。
しかし、ヒカルはそれだけでは満足せず、念入れと言わんばかりに左アッパーで青年の顎を叩き上げ、
身体が伸びきったところへ左右のフックを叩き込んだ。
続けざまに激しく脳を揺さぶられた青年は一時的に身体機能が麻痺させられ、
身体を反転させながらリングへと俯せにダウンした。
即座にカウントが始まるとヒカルはこれだけやればこの青年も本気にならざる
を得ないだろうと考えながらニュートラルコーナーへと下がる。
その瞬間、第一ラウンドが終了した事を告げるゴングが鳴らされた。

一分間のインターバルの後に第二ラウンドが開始される。それと同時に青年は
猛攻を開始した。ヒカルは青年の攻撃をかわしながら期待に胸を膨らませるが
その攻撃は第一ラウンドのそれに比べれば力が入りスピードも乗っている。だが、
冷静さがなく怒りに満ちた大振りの攻撃ばかりだった。
出来れば、冷静な青年と勝負をしたかった。それがヒカルの本音である。だが、
相手の感情をコントロールできると言う事は精神的に優位に立っている事だと
ヒカルは自分に言い聞かせ青年の攻撃に対しカウンターパンチを浴びせていった。
そのカウンターパンチは意外な事に青年の怒りに冷水を浴びせるかのような
効果を発揮した。次第に青年の目に冷静さが宿ってくる。
それに比例するかの様に青年の攻撃も無駄がなくなり鋭くなっていく。
そして、その事実にヒカルも気付き青年の一挙手一投足に対して集中力を注ぎ込み攻撃を見極めた。
遂に、青年は完全に冷静さを取り戻した。第一ラウンドのダウン、そして今までの
カウンターパンチによるダメージを感じさせない見事な動きでヒカルと対峙する青年。
しかし、ヒカルの攻撃の鋭さと防御の巧みさも増していた。
相手が強ければ強い程、その強さに合わせて即座に自分を高めていく。
それはヒカル自身が全く気付いていない才能だった。
そして、それがヒカルの成長の源であると同時にこの青年が
ヒカルと本気で対峙する事を避けてきた理由だった。だが、青年はもう後戻りが出来なくない。
それは青年の思いに関係なくヒカルがこのリングに立ち本気で闘う事を決めた瞬間に決まっていた。

試合は第二ラウンドを終え、第三ラウンドへと突入した。青年の拳の鋭さは
過去最高のものと言っても過言ではない領域に達しておりヒカルの回避は常に紙一重と言った状況にある。
だが、ヒカルはそんな状況を楽しんでいた。青年の拳が自分の眼前を、こめかみギリギリを勢い良く通過し、
その風圧で髪がなびき衝撃波で肌が焼ける様な感触を感じる度にこのジムので一番、
優秀な若手だと目される青年の攻撃を見切っているのだと実感する。
自分の繰り出した拳が当りの深さに関係なく青年を捉えると自分の攻撃が
青年の防御を上回る技倆を持っているのだと確信する。
その二つはヒカルが求めていた自分の強さの証へ一歩、一歩、近付いている証明だった。
一方、青年はヒカルの攻撃と防御を目の当たりにする度に少女の才能に対する怯えが増していく。
それは岩に染み入る水滴の様に青年を浸食し始めた。
遂に染み入った水が岩を砕く瞬間が訪れた。それはヒカルの鋭いジャブをかわそうと青年は身を捩らせた時だった。
青年の回避が遅れヒカルのジャブが青年の頬を切り裂く。
それと同時に青年は攻撃の手を納め防御に徹し始めた。
そんな青年に対し、ヒカルは攻撃の手を緩めない。しかもその攻撃は青年の防御の穴を的確に貫いた。
ヒカルの拳は青年の脇を腹部を抉り内臓を蝕み、頬を、顎を、こめかみを、
鼻を打ち抜き顔を歪ませ、衝撃が皮膚を波立たせ脳を激しく揺さぶる。
やがて、青年はコーナーへと追い込まれただ、ヒカルにひたすら打たれるサンドバックと化した。
第三ラウンドの終了を告げるゴングが鳴り響く。それは青年のリング上での最後を告げるゴングでもあった。
ヒカルが攻撃の手を止めると同時に青年はコーナーポストへともたれかかりそのままずり落ちた。
「オマエ…本当は弱かったんだな」
ヒカルは冷ややかの青年にそう告げる。青年は薄れゆく意識の中でその言葉を聞くと
君は無限に強くなれるからだと絶望の言葉を心中で呟き意識を手放した。


おわり





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