ミス・シンプル

 立ち技格闘技の祭典と呼ばれる『P-1 WORLD』本日の最初の試合に出場する富山大紀は荒れていた。
現役の格闘家として、あまりに受け入れられないマッチメイクだった。
彼に今日組まれた試合は、第1試合のそのさらに前座、第0試合!
さらに対戦相手は、先月某所で行われた女子選手限定のボクシング大会・『ラブ☆アッパー』の優勝者、双葉理保!

「なんで俺がこんな試合に…」
 入場する間にも、富山はブツブツ言い続けていた。
「まあお前の気持ちもわかるが…TV中継がある大会という面で考えると、
視聴率のこともあって多少の色物は必要なんだよ。
競技性ばかり考えたストイックな組み合わせばかりじゃマニアしかついてこないんだから」
 この試合のことを告げられた日に、P-1統括プロデューサーの種川からはそう言われた。
つまり俺は…客寄せのそのまた引き立て役をやらされるということか!と富山は唇を噛み締めた。
種川からは直接言われはしなかったが…ナメられているということだ!

 事実、富山は同大会で華々しい活躍はしていない。トーナメントにも出場する常連選手ではあるものの、
派手なKOを飾るような有効な打撃をいつも見せられず、また守りに入っているようなファイトで
どの試合も退屈な展開の末、勝っても負けても判定。そんな選手だ。
『負けるにしてももっと派手にKOされれば少しはいい絵になるのに…』
『あいつはアグレッシブに攻めていかないからいつもグダグダなんだよ』
『しょっぱいくせに試合時間ばかり長くて眠い』
『あんなの出すぐらいならもっといい選手が…』
 格闘技マニアの間では散々な言われようだった。
そんな彼だから種川からも、また双葉理保の所属事務所からも軽く考えられたので、この扱いなのだろう。
富山相手なら大して怪我をする心配はない、そう思ったのに違いない。
プロの格闘家を…男を甘く見やがって!!リングに上がってから、富山の怒りはさらに燃え上がる。

 リングアナからの彼女の名のコールを受け沸きあがる場内、そしてそれに応える理保。
体を慣らすように軽いジャンプを繰り返す彼女が着用する鮮やかなスカイブルーのビキニは、
それが包んでいる95cmのバストの躍動に引っ張られて激しく上下する。それを見て、さらに場内は沸く。
(グラドルなんか、おとなしく実況の席の片隅で座ってりゃいいんだよ!)
 客席の熱狂をさらうグラビアアイドル、双葉理保の姿を富山は憎々しげに見ていた。
彼女のために用意された撮影会などのイベントでああしている分には何も言うつもりはない。
だがここは、格闘技をやるためのリングの上だ!
女子格闘技さえ認めるつもりはない、富山。加えてこいつはプロ格闘家でもないアイドル。
こんな女がグローブを着用してリングに上がろうということは、格闘技に対する冒涜とも受け取っていた。
富山は決めていた。後で空気読めないだの何だのと言われても一切構わない。
全力で倒して、こんなふざけた企画はP-1のリングには二度と持ち込ませないようにすると。
リングは選ばれた戦う男たちの崇高な場でなくてはならない…1分もかけずに排除する!

 ゴングが鳴ってから富山は猛然と打って出た。
「オイオイ、女相手だと随分強気だな!」
「こんな試合でマジになんなよお前!」
 あくまで第0試合として正式な戦いと見られておらず、ほとんど人気グラビアアイドルの双葉理保目当ての客から
本気になって打ち込む富山に囃し立てる声が飛ぶ。
だが彼はそんな言葉には耳を貸すつもりはない。こんな扱いの試合などとっとと終わらせて、
プロの男としての凄みを改めて見せ付けることが、本来の戦う場所への復帰へと繋がるのだと確信している。
(見ろ!これがリングに立つに相応しい、男のパンチなんだよ!)

 バシーン!!
 会場内に響いたその鋭い音は、鬼気迫る表情でラッシュを仕掛けていた富山のグローブではなく
その顔面から放たれたものだった。
間断なく繰り出していたはずの富山の左右の、どこを縫って打ち込んできたのか全くわからない理保のジャブが
富山の頬を激しく鳴らしていたのだ。
富山の膝が大きくガクンと落ちる。観客席はどよめいた。
(くそ、こんなまぐれ当たりが!)
踏みとどまって、またラッシュを再開する富山。これだけ攻めている自分は有効な打撃を奪えず、
先にこんな女に1発当てられたことは屈辱だった。
だからこそ余計に、二度とリングに上がりたくないと思うほど叩きのめしてしまわないと気が済まなかった。
少し距離が開いてリーチで上回る自分だけの間合いとなり、渾身のストレートを放っていく富山。
 ズバン!!
しかし次の瞬間には、またも理保のグローブが富山の顎を大きくすくい上げていた。
口とマウスピースの隙間から、赤い色の混じった唾液がいくつもの筋の糸となって宙に舞い上がる。
富山が放ったストレートを理保は巧みなスウェーでかわし、引っ込められていく富山の腕を追いかけるように
素早く1歩踏み込んでアッパーを放っていたのだ。
ドッと音を立てて、富山が横たわった。現役のプロキックボクサーが、グラビアアイドルに殴り倒された。
場内は驚き、理保への歓声、富山への罵声、爆笑が入り混じった異様な空気感を醸し出していた。

 膝を立てて身を起こしながら、富山は状況を理解するのに必死だった。
(な…なんでだ!?なんであの距離から俺のパンチが当たらないで俺が倒されてんだ!)
リングサイドでその様子を見届けている種川は心の中で呟いた。
(あいつ…本当に何も知らないみたいだな。『ラブ☆アッパー』がどんなレベルで行われてる大会なのかも、
そして先月試合したばかりの理保がこうして元気に今日のリングに上がってるのは、
その過酷なトーナメントの中をほとんどダメージを残さずに優勝した真の実力者だからだってことも!)

 最初のダウンから復帰後、富山のファイトに明らかな変化が見て取れた。
前蹴りを多用するようになり始めたのだ。それまではキックさえほとんど出していなかったのに。
「また逃げてんのかよ、富山!」
「アイドル相手に、だせー」
 客席から、富山の姿勢に対して半笑いの野次が飛ぶ。
彼女のパンチの間合いに入れさせないように、リーチに勝る脚で押しのけるような蹴りばかり出す、
彼女のパンチを恐れて逃げのファイトをしていることは早くも見透かされていた。
実際、理保は富山の前蹴りが来るたびに素早いステップで完全にかわしている。
こんな突き放すことが目的の蹴りなど、当たったとしても有効打にはならない。
『結局女を相手にしたって、腰が引けて攻めていかないチキンの富山は相変わらずか…』
静かになってしまった客席から伝わるプレッシャーに押されるように、富山は少し間合いを詰め、ミドルキックで攻める。
女同士のどんな大会で優勝したのか知らないが、こんな細い女はミドルがクリーンヒットすればすぐに黙る…と。
そう思い繰り出した右のミドルを、理保はグローブで踵を叩くようにして後ろから払った。
「!?」
 理保の捌きにより余計加速した富山の右脚。その勢いで軸足が滑り、ほとんど半回転してしまう富山。
そんな隙だらけの姿が、見逃されるはずがなかった。
 ボゴッ!!
 理保の強烈なパンチがカウンターで入り、富山はまるで素人のように顎を大きくのけぞらせてしまう。
そこにすかさず叩き込まれる、全くのノーガードであるボディへの一撃!
体を横向きにくの字にしながら、富山は崩れ落ちた。
カウントが耳に入る間、富山は半ば混乱をきたしていた。こんなボディブローが、あってたまるか!
ボディブローは長期戦に向け相手のスタミナを少しずつ奪うものではないのか…
それが…一発で立ち上がれなくさせられるなんて!
P-1本戦のリングで、男同士の戦いでもこんな重いパンチはもらったことがなかった。
なぜこんな細身のアイドルの腕から、こんな力が…

 ヨロヨロしながらようやく立ち上がった富山は、リングの中央に立つ理保の周りを
グルグルと回りながら様子を伺うようになっていた。精神的に劣位に立っていることの表れだ。
理保が少しパンチを打ち出す構えを見せれば、それだけで過剰に反応して大きく後ずさりしてしまう。
客席からは笑い声さえ聞こえてくる。女の子相手に怯えている男の姿と間違いなく見える状況なのだから仕方がない。
「く…くそっ…!」
 バカにしている客を黙らせたい富山だが、そのために本当に倒さなければならない目の前の女に対して、足が出て行かない。
まごつくばかりの富山に対し、理保から一気に間合いを詰めてきた。
想像をはるかに上回る速いフットワークで、富山は逃げ遅れた。
 パンパンパン!ボズゥ!!
「ぐ…ぼぉぉ」
 後手後手に回ったガードでは絶対に間に合わない高速のジャブで顔面に焼け付くような衝撃を加えられ、
そこから再びボディへのショートアッパーが深々とめり込んできた。無数の汗の玉が飛び散る。
富山は口からマウスピースをこぼし、下から2段目のロープに座り込むようにしてゆっくりと沈んでいく。
早くも、3度目のダウンだ。
カウントが進む中、いつしか場内には『理保コール』が巻き起こっていた。
大声援をバックに、理保はなかなか起き上がってこない富山を待ちわびている様子で
退屈しのぎのようにシャドウボクシングをしている余裕ぶりだ。

「レ…レフェリー!!そのグローブ調べろ!!」
 富山は完全に立ち上がるより早く、そんな叫び声を上げていた。
本職の格闘家でもない女がこんなパンチを打てるはずがない、グローブに何か仕掛けをしているのに違いない!
だがその訴えを、レフェリーは聞き入れない。そうしたチェックは試合前に既に終わっていると。
「ファイト!」
 レフェリーの指示がとてつもなく無情なものに、富山には聞こえた。
そんなすっかり逃げ腰の富山目掛けて、理保が左右のステップワークを駆使しつつ襲い掛かる。
2発の重いボディブローでスタミナを奪い去られている富山にそれから逃げる足運びは、もうできない。
「ラブ☆アッパーのリングじゃ、1ラウンドでこんな何回もダウンする人なんていなかったですよ」
 あくまでエキシビションとして軽く胸を貸してあげる立場であるはずの富山に、
理保が拍子抜けしたような言葉を投げかけた。
「こ、このっ!!」
 瞬く間に接近していた理保に怯えきり、富山は残りの力を振り絞って出せるだけのパンチ、キックを放つ。
しかしそれは相手を倒せる打撃にはならなかった。
ほとんど、虫を怖がる子供が手足を振り乱して追い払おうとしているようなものでしかない。
「言っちゃっていいですか?そんなんじゃ、勝てませんよ」
 ズドドドドドドドドドドドォォォォッ!!
 それまでのお遊びをやめたかのように、理保のパンチが堰を切って押し寄せた。
『ラブ☆アッパー』の大会で並み居る強豪女子選手たちを退けてきた、『ラブリーダンス』と呼ばれる
ジャブとフックの複合ラッシュが、コーナーに追い詰めた富山を悲鳴付きのサンドバッグに変えていった。
正面から複数の相手に機関銃で処刑されるかのように、1発1発で不恰好に踊る富山。
『ボコボコにする』という言葉はこのためにあるのではないかと言えるほど、赤黒いマリモのような顔面となった富山は
挙句にはヨタヨタと両手でロープを掴み、身を丸めてほぼ背中でパンチを受け続けるような無様な姿だった。
「私、もっと強い人のほうがよかったな」
 ズンッ……
 エキシビションどころか、グラビアアイドル双葉理保の生きたミット打ちショーに変わってしまった試合の最後は
今夜3発目となったボディアッパー。
富山の爪先が大きく浮き上がるほど腹部を大きく突き上げた理保の拳。
膝から潰れて顔面でマットを叩いた、手を付かない土下座のような体勢で動かなくなった富山に
カウントはもう意味を成さなかった。


 常連選手にただの1発も当てさせず、たった1ラウンドで完全KOしてしまった理保への歓声は、
結局その後行われた本戦を含めて、その日一番の盛り上がりとなった。
ストイックに強さを求める格闘技たるP-1が、1人の水着アイドルに敗北した歴史的汚点となった日だった。


 おわり





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