テクニカルガール

そこは、とある総合格闘技の道場。



其処で練習生と思しき男が、『裸絞め』を極めている。
相手は何と、女性だった。

男は必死に締めている。
しかし一瞬、女性が首を揺すり、無理やり隙間を作る。そして、そこに腕を通す。

グイッ

「うぉっ」
男は締めていた腕を弾かれるように、裸絞めを解いてしまう。

「はい、皆さん。このようにやれば、裸絞めから脱出することも可能です」
女性は息も切らせず、淡々と説明した。

「・・・ぜぇ、ぜぇ」
むしろ、裸絞めを解かれた男の方が呼吸を整えるのに必死だ。

「今の格闘技界はパワーファイト全盛だと言われていますが、パワーが無くても、
 このように技術を駆使すれば、充分に闘うことが出来るはずです」
女性は身振り手振りで説明を交えつつ、熱弁した。

「・・・・・・・・」
それを聞いていた男たちは、一言も発せず、それに聞き入っている。
何か言いたそうな含みがあるのは気のせい・・・だろうか?

「では、今度は実際にやってみて下さい。私の手本通りやれば大丈夫ですよ」
そういって、女性は近くに居た一人の練習生を呼び寄せた。

練習生を座らせ、女性がその後ろに回る。

「私は徐々に力を入れるので、さっき私がやったように脱出して下さい。・・・では」
女性が、裸絞めの体勢に入った。

ぎゅ、ぎゅ〜〜〜〜〜

「ぐ、ぐぇ」
男は、一気に絞まる首の苦しさに耐え切れず、脱出どころではなくなっていた。

女性の腕を掴み、バタバタと暴れている。・・・しかし。

「・・・・・・・・」
パタッと、男の反応が止まる。落ちてしまったのだ。

「・・・あれ?」
女性は、あまりの反応の無さに、呆気に取られている。

「・・・あの。そいつ、もう落ちてるんだと思います・・・」
最前列で見ていた別の練習性が、そう進言した。

「・・・え、うそ」
女性は慌てて、締め落としてしまった練習生を介抱する。

「ごめんなさい、一気に締め過ぎてしまいましたね・・・。じゃあ・・・」
女性が、練習生たちを見回す。

しかし、誰も名乗り出ない。お前行けよ、いやお前が、といった感じで男たちは互いを見るばかりだ。

「そこのあなた」
女性はまた、別の練習性を自分の元へ呼んだ。

呼ばれた練習生は、まるで死刑宣告を受けた受刑者にように諦めの表情を浮かべた。

「今度は、この状態から始めましょう。これなら、抜け易いはずです」
さっきと同じ体勢だが、今度は絞められる側が片腕を最初から通した状態だ。

裸絞めとはいえ、頚動脈を直接絞めているわけではなく、腕がクッションになっている分、抜け易いはず。
・・・はずなのだが、そう思っている者は、少なくとも練習生の男たちの中には一人も居なかった。

「じゃあ、行きますね」
女性が、その腕に力を篭める。

ギュ、ギュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ・・・メキッ、メキメキ

「〜〜〜〜〜」
バンッ、バンッと、男が必死に女性の腕を叩く。ギブアップのサインだ。

「・・・・・もう」
仕方なく、女性が裸絞めを解く。

「皆さん、力は要らないんですよ? 力で抜けようとするから、却って絞まってしまうんです」
やれやれ、といった感じで女性が溜め息を付いた。

「・・・あの」
後ろの方に居た練習生が、恐る恐る声を上げた。

「・・・何ですか?」
「・・・あの、その・・・・・」
どうにも、ハッキリとしない。

「何でも言って下さい。どこか、わからないところがありましたか?」
「・・・いえ、そうではなく・・・・・」

「・・・・・?」
「・・・あの、コーチの・・・その"カラダ"で『力よりも技』って言っても、その・・・説得力が・・・」
練習生の男たちは皆、よく言った、という顔をしていた。うんうん、と頷いている者も居る。

その、コーチと呼ばれた女性の身体。
ひとたび立ち上がれば、練習生の男たちの誰よりも背が高く。
太腿は、競輪選手のように太く逞しく。
腹筋は、綺麗に六つに割れ。
二の腕は、Tシャツの袖をはち切らんばかりに盛り上がっていた。

「・・・え、うそ・・・みんな、そう思ってたの!?」
「・・・・・・・・」
練習生の男たちは一切、答えなかった。しかし、それは無言の肯定であることは明白だった。


「え〜〜〜〜〜〜〜」
コーチの驚きの声は、練習場一杯に響いていた。



【2】



ガラッ。

突然、入り口の引き戸が開く音が道場に響いた。

「・・・あの! 待って下さ・・・」
「うるせぇ!」
止めようとしている練習生を振り切り、大男がいきなり道場に押し入って来た。

「あんたがここの先生か?」
大男はズカズカとコーチに近付くと、不躾に聞いた。

「ええ、そうですが・・・」
「・・・へぇ。あんたみたいな女がねぇ・・・・・」
明らかに、指導者が女と知って品定めをするような、そんな目線。

「あなたは新規入会の方ですか?」
「・・・ん? あ、まあ・・・そんなところだ」
大男は何かを思い付いたのか、ニヤリと含み笑いをした。

「俺ぁ昔、路上で慣らした口でして。あんたが先生だってんなら、ちょっと腕を見せてくれちゃぁ貰えませんかね?」
「・・・え、それは・・・・・。あ!」
コーチは手をポンと叩いて、何かを思い付いたような仕草をした。

「良いですよ。軽くスパーリングをしましょう。大丈夫、怪我させないようにしますから」
「へへっ、話がわかる」
練習生たちを前に、コーチと大男が向かい合う形になった。
背の高いコーチよりも、大男の方が頭一つ分ぐらい大きい。

「さぁ、いつでも構いませんよ」
「・・・じゃあ、行くぜ!」
棒立ちのコーチに向かって、大男はいきなりタックルを仕掛けた。しかし。

ドム。

コーチは、仁王立ちしたまま難なくそれを受け止めた。

「皆さん、さっきも言った通り、格闘技に力は要りません。
 重心を落とすという技術さえ知っていれば、自分よりも体格の大きな相手のタックルも受け止められます」
「ぐ・・・く・・・」
大男はコーチの腰にしがみ付くようにして力を入れるが、コーチは微動だにしない。

(なあ・・・おい、"仁王立ち"してて『重心を低く』、とか関係なくね?)
(だよ・・・な。俺なら多分、一瞬で吹っ飛ばされてる・・・)
それを見た練習生たちが小声で話していた。
少なくとも、練習生たちから見て、コーチは腰を落としているようには見えない。

「くそっ! なら、これはどうだ!」
コーチの腰にしがみ付いたまま、大男はその腕に力を篭め始める。

『ベアハッグ』、熊の抱擁。熊ような大男らしい、似合いの技といえよう。・・・だが。

「・・・う〜ん。そんな力だけの『ベアハッグ』なんて決まりませんよ」
「・・・・・な」
コーチは、自分よりも体格の良い大男に抱き締められながら、ケロンとしている。

「『ベアハッグ』は、きちんと"技としての掛け方"を知らないと本来の威力は出ません」
そうアドバイスすると、それを実践するかのように、コーチは大男の腰にその豪腕を回す。

「・・・先ず、こうやって相手を持ち上げます」
まるで、練習生たちにわかり易く技をレクチャーするように、ゆっくりとその巨体を持ち上げた。

「・・・なっ!?」
大男は、クラッチしていた両腕を無理矢理引き剥がされ、持ち上げられてしまう。

「ぐ、ああぁぁぁっ!!」
大男は、足をバタつかせながら、締め付けられる痛みに悶える。

「『ベアハッグ』は、このように相手を持ち上げ、その体重を利用する立派な『締め技』です。
 力が要るのは相手を持ち上げる時ぐらいで、技さえ掛けてしまえば後は、力なんて必要ありません」
そういって、コーチは練習生たちに向かってニッコリと笑った。

(なあ・・・そもそも、その"持ち上げる"こと自体が大変なんじゃね・・・?)
(だよ・・・な。それに、あの大男を抱え続けられるのも力が無いと無理・・・だよな)
練習生たちは相変わらず、小声で話している。
今のレクチャーで同じ事を実践出来る者が果たして、この場に居るだろうか?

「ぐ、が、あぁ・・・あ」
大男は何とか脱出を試みようとするも、足が浮いた状態では満足に力が出せない。

「ちなみに混同されがちですが、相撲の『鯖折り』は似て非なる別の技です」
そういうと、コーチは大男を一旦、降ろした。

「・・・はぁ、はぁ・・・・・ぐぇ!」
大男が呼吸を整えようと一息付こうとした刹那。
今度は、コーチは自分の体重を掛けるように大男に対して凭れ掛かって行く。勿論、腕はロックしたまま、だ。

「このように、自重を掛けて相手の背骨を極めるのが『鯖折り』です」
コーチの上半身が前傾して行く度に、大男の上半身が後方に折れ曲がって行く。

「あ、が、が・・・が、あ・・・」
「こちらも、自分の体重を使えば良いので力は要りません。意外と楽な技なんですよ?」
またしても、コーチは練習生たちに向かってニッコリと笑った。

(なあ・・・もしかして、コーチ、さっきのこと気にしてるのかな・・・?)
(あの身体で技がどうこう言っても説得力無い、って言われたこと?)
(でも・・・さ。今のも、相手を支えられるぐらいの力が無いと倒れ込んじゃって、『鯖折り』になんないよな・・・)
(((・・・・・・・・・・・)))
小声で話していた練習生たちの会話が止まる。いや、単に言葉が続かなくなっただけ、だ。

「・・・・・・・・」
パタッと、男の抵抗が止まる。その代わり、ピクッ、ピクッ、と小刻みに痙攣を始めた。

「・・・あれ?」
コーチは、あまりの反応の無さに、呆気に取られている。

「・・・あの。そいつもう、泡吹いてます・・・」
最前列で見ていた練習性が、そう進言した。

「・・・え、うそ」
大男は、コーチの締め付けに耐え切れず、ブクブクと泡を吹いていた。

「後、そいつ、新規入会じゃないみたいです」
「・・・・・え?」
練習生から意外な言葉を聞き、コーチは驚く。

「・・・その人、多分ですけど、道場破りか何かだと思います」
さっき、大男を止めようと一緒に部屋に入って来た練習生がそう証言した。

「いきなりやって来て、『コーチと勝負させろ』って・・・。ウチはそういうのやってないって言ったんですけど・・・」
「え、じゃあ、この人、ウチの会員でも何でも無いってこと・・・?」
練習生たちは、無言で目を伏せた。


「え〜〜〜〜〜〜〜」
コーチの驚きの声は再び、練習場一杯に響き渡ったのだった。



【3】



その日の夜。


コーチは帰り道を急いでいた。

「今日も遅くなっちゃった・・・・・早く帰らないと」
練習生を帰した後、日課の自己鍛錬に夢中になり、つい時間を忘れてしまったのだ。

近道なのか、どんどんと人気の無い細い路地に入って行く。
しかし、行き着いた先は路地裏の行き止まりだった。もう先には、壁に積み上げられた生ゴミの山しかない。

「・・・何だ。気付いてたのか」
コーチの後ろから、男の声。

「家まで来られても面倒なので・・・。ストーカーさんですか? それとも、通り魔さんですか?」
「けっ、さっきはよくもやってくれたな」
コーチを後ろから付けていたのは、さっき道場で締め落とされた大男だった。

「・・・さっき? 何処かでお会いしましたっけ?」
「・・・・・な!?」
何と、コーチは自分がついさっき締め落とした大男のことをまるで覚えていなかった。

「・・・? 事情はよくわからないですけど、人違いでしたら・・・」
「てめぇっ! 人を締め落としておいてよくもぬけぬけと・・・うらぁっ!!」
大男はさすがに激昂したのか、いきなり襲い掛かった。

今度こそ、全身全霊、渾身の力を篭めたタックル。助走する距離も在った。
威力も、道場の時の比では無い・・・・・が、しかし。

ドムッ。

それでも、大男は自分より体格の劣る女を押し倒すことは敵わなかった。
さすがに、二度目ともなると男も気付いていた。目の前の女の、鍛え抜かれたその"カラダ"に。
単純な身体のボリュームなら、この大男の方が明らかに上だ。
しかし、組み付いた時の身体の厚み。体積ではなく、密度。どうやれば、ここまで鍛え上げられるのだろうか。

「・・・これで、正当防衛成立ですね」
コーチはそういって、大男に対してニッコリと笑い掛けた。

「・・・・・ひぃっ!」
顔は笑っているが、目が笑っていない。

「実は私、道場で格闘技をコーチしているんですけど、いつも『力より技』って教えているんです。
 技さえ身に付ければ、どんなに非力な者でも相手に克つことが出来る。それが格闘技だ、と。
 でも、ウチの練習生たちってすぐに痛がったり、落ちちゃったりするんですよ」
「・・・そ、それはあんたが力入れ過ぎなだけじゃ・・・」

「え? 力なんて全く入れてませんよ? だって、大事な練習生たちが怪我したら困るじゃないですか。
 道場で教えてる時は・・・そうですね、全力の一割も出してません」
男はぞっとした。自分を締め落とした時でさえ、全力ではなかったというのか・・・。

「・・・だから、いつも欲求不満なんですよね」
「・・・・・・・・」

「私自身は、力を鍛えるのも好きなんですよ。技は大事ですけど、それとこれとは別です。
 練習生たちと違って、あなた少しは頑丈そうだから・・・ちょっとぐらい力入れても良いですよね?」
「・・・・・ひ、ひぃっ!?」
コーチはそういって再び、念を押すように大男に対してニッコリと笑い掛けた。

「・・・ま、待ってくれ! あ、あんたらみたいなのは普通、喧嘩ご法度だったりするんじゃないのか?」
「んー。まあ・・・確かに、そんな感じの道場訓はあります」

「・・・だ、だったら・・・」
「でも、それって『私闘で技を使うべからず』とか、そんな感じのなんですよね」

「・・・え、それってどういう意・・・」
「だって、"逃げ道"が無いとこういう風に襲われた時に対処出来ないじゃないですか」

「に、逃げ道・・・?」
「"私闘で技を使うな"ってことは要は、"技さえ使わなければ良い"ってことなんですよ」

「・・・そ、それって・・・・・」
「裏を返せば、鍛錬した肉体が在れば、暴漢如きに技を使うまでも無いってことです。
 私も、その考え方には凄く共感してるんです。・・・だって」

「・・・・・・・・」
「図体だけデカい癖に女一人押し倒せない男なんて、屁でもないじゃないですか」
そう言い終わると、コーチは徐に男の両脇腹を両手で掴んだ。

ヒョイッ、と大男は一瞬にして逆さに持ち上げられる。

「・・・う、うわぁぁぁっ、お、降ろし・・・」
大男からすれば、背中側から脇腹を掴まれ、逆さ吊りにされているのだ。
100s超の巨漢なはずの自分の身体が、いとも簡単にリフトアップされている。
それも背が高いとはいえ、自分よりも体格の劣る女に、だ。

「・・・うわぁ。お腹、ブヨブヨじゃないですか。ちゃんと鍛えないとダメですよ」
「うぎぃぃぃっ!!」
突然、大男の脇腹に万力で締め付けられたような激痛が走る。
コーチは脇腹を持つ手に、ギュッ、と力を入れたのだ。

しかし、それで終わりではなかった。

今度は、男を持つ手を上に持ち上げて行く。
まるで、ぬいぐるみでも持っているかのように、巨体が簡単に頭上に持ち上げられた。

「・・・・・ひ、ひぃぃぃぃっ!!」
2mを超す高さの宙空で、男は仰向けに夜空を見上げた格好になる。

「サッカーボールの気持ち、味わってみません?」
「・・・・・・・・え?」
大男を軽々とリフトアップしたまま、コーチはそんな質問を投げ掛けた。

「・・・な、何を言って・・・・・」
「何って、スローインされるサッカーボールの気持ち、ですよ♪」
そういって、コーチは後退りしながら、大男を持った両腕を後ろに振り被る。

「え、うそ・・・ちょっ・・・まっ・・・」
「・・・せーの」
その体勢のまま、助走を始めた。

「えいっ」
「・・・や、やめ・・・てぇえぇぇぇぇぇっ!!!」

ドゴォオォォォンォンンンンッッッ!!!

男は、行き止まりの隅っこに積み上げられていた生ゴミの山に、凄まじい勢いで頭から突っ込んだ。
サッカーボールというよりは、どちらかというとピンを弾き飛ばすボウリングの球に近かったかもしれない。
辺り一面、男が衝撃で弾き飛ばしたゴミでグチャグチャになっている。

「あらら。・・・それ、片付けておいて下さいね」
答えは返って来なかった。男は既にノビて、白目を剥いていたのだ。

「hm〜〜〜♪」
少しはスッキリしたのか、コーチは鼻歌を口ずさみながら、路地裏を後にした。


おわり





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